蘭の“本気”を疑って逃げたら痛い目を見た





 付き合って八年目の記念日に私がすることは、仕事、部屋探し、そしてトランクに荷物を詰めること。一体どこからそんなお金が出てくるのかわからないけど、蘭が購入したマンションに住まわせてもらってた私は彼と別れるならここを出ていくしかない。仕事を早めに切り上げて不動産屋で良さげなアパートをピックアップした後、家に帰って荷物の整理を始めた。と言ってもほとんど別れる予定の恋人の蘭に買ってもらったものばかりなので持って行くものはほとんどないけど。

 勉強するとなぜか部屋の掃除がしたくなったり、荷物の整理をしてると前探して見つからなかったものが見つかったりして先に進まなくなるのってなんでだろう。例に漏れず半年くらい前に探していた写真を見つけてしまった私はそれを手に取ってベッドに座った。
 そこにはたこ焼き屋さんの前で頬を寄せて笑う私たちがいた。まだ付き合い始めてすぐのころ、麻布のお祭りに一緒に出かけた時のものだった。

 あの頃はよかったなと考えていたら知らないうちにため息が漏れた。少し前までは蘭の顔色一つで、あ、疲れてるから今日は甘えたな日だなとか、イラついてるから何も言わずにそばにいた方がいい日だなとか、聞かなくてもすぐにわかった。そんな私に蘭はよく「もうオマエなしでは生きていけねぇかもなぁ」なんて笑ってたし、私もたこ焼きが食べたいのを言わなくてもわかってくれる蘭がいないともうダメだろうなと思っていた。

 でも今は違う。最近の蘭は何を考えているのかよくわからないし、蘭には私がいなくても問題ないんだってことを知ってしまった。

 蘭の様子が変わったのはいつからだったかよく覚えていない。それくらいほんの少しずつ私たちの日常は変わっていった。なんか言葉に棘がある。なんか少し冷たい。あまり夕飯を一緒に食べられなくなった。そのどれも蘭が仕事を始めたせいだと思ってた。私も慣れない仕事に精一杯だったし蘭がどんな仕事をしてるかも知らなかったから下手に口を出さない方がいいと機嫌の良くない蘭をそっとしておいて、彼の弟の竜胆くんにそれとなく聞くくらいしかできなかった。聞いてみれば竜胆くんにしては珍しく「あー。兄ちゃん最近忙しいみたいでさ…」と歯切れが悪い。

「そうなんだ…。あの、二人ってどんな仕事してるの?」
「兄ちゃんが言ってねぇのにオレが言うのもな。後から怒られそうだし。そういう話しねぇの?」
「でもなんか最近あんまり機嫌良くなくて。話しかけづらいっていうか…」
「前はあんなに言いたい放題だったのにな」

 普通なら言い返しそうな言葉なのに黙り込む私に竜胆くんも一瞬黙った後私の肩を軽く叩いた。

「ちゃんと話した方がいいんじゃねぇ?二人が喧嘩すると兄ちゃんの機嫌悪くなるから早めに仲直りしろよ」
 竜胆くんは「じゃああんまり話してると兄ちゃんに怒られそうだし」と去っていった。

 喧嘩ではないんだけど…。でもすれ違ってる気がするし、竜胆くんの言う通りちゃんと話してみよう。そう思った矢先、仕事帰りに蘭が綺麗な女の子と二人で歩いている所を見てしまった。別にその日の夜、蘭の帰りは遅くなかっけど、蘭からはいつも彼が好んで使う香水とは違う、彼の嫌いなブランドの香水が香ってきて私を不安な気持ちにさせた。その後、誰かと楽しそうに電話をする蘭に結局話を切り出すことはできなかった。

 それから蘭は度々その香水を香らせて帰ってくるようになって、ついに先週「用事あるから今度の予定キャンセルな」と記念日の映画とディナーの予定をキャンセルされてしまった。

「そっか。じゃあ映画はまたレンタル始まったら一緒に見よ」

 用事ってなに…?私との約束は用事じゃなかったの?言いたくてもあの香水が私にその言葉を言わせてくれない。

「明日朝早ぇから風呂入って寝るわ。おやすみ」
「おやすみ」

 もうそろそろ認めようと思った。蘭に私以外に好きな人ができたことを。あの蘭が嫌いな香水をつけるのを許すくらい好きな女の人はどんな人なんだろう。初任給で男ウケがいいと聞いて蘭のためにその香水を買った私には「それ嫌いだからつけんのやめような」ってハッキリ言ったのになぁ。

 相手からの気持ちを伴わない恋愛ほど辛いものはない。だからもしこれが浮気だったら、なんて元もないことを考えたりもした。もし浮気なら蘭はまだ私のことが好きでいるということで、その上で「大嫌い」と言って蘭を捨ててやれば彼を傷つけられるのに。でも現実には蘭には私以外に好きな人がいて、私には蘭しかいない。そんな状況を良しとしていられるほど私は若くない。

 蘭との別れを決めた後に見る写真の中の二人がなんだか滑稽に見えてそっと写真を伏せた。

      ◇◇◇

 私と蘭が出会ったのは、高校一年生の時のことだった。入学当初、自分の隣の席がかの有名な灰谷蘭だと知った時はそれは震えたものだ。別に不良界隈については詳しくないけれど、少年院に入ってたとか百人もの不良を従えてるとか怖い噂がそこかしらから聞こえてくるんだから相当なものなんだろう。そんなんだから近づくのはやめようと思っていたのに、授業中にふらっと教室に入ってきて気怠げにケータイをかちかちと触る彼の横顔があまり綺麗で見惚れてしまった。無意識に教科書で顔を隠しながら見つめていると、私がわかりやすかったのかそれとも彼が鋭いのか視線に気づかれて目があった。

 すぐに視線を逸らしたけど、見てたことはなしにはならなかったのか彼は頬杖をついてチャイムが鳴り終わるまで私の方を見ていた。

 やばい。怒らせたかも…。
「あの…」
 とりあえずなんでもいいから謝っておこうと彼の方を見たら、私の謝罪は彼の言葉によって遮られた。
「それ、アイツ?」
 そう言って彼が指さしたのは私のノート。授業を真面目に聞く気にならなくてノートに描いたはげ散らかした教師のデフォルメの似顔絵だった。
「あ…う、うん」
「ウケる。めちゃ似てんじゃん」
「…私もちょっと自信作だった」
 私の言葉に灰谷くんは笑って、釣られて私も笑ってしまった。

 それから一週間後、久しぶりに現れた灰谷くんに肩をトントンと叩かれた。授業中だったけどそちらを見れば私の頬に何かがぷにっと刺さった。しばらく何が起きたのか理解できなかったけれど、頬に刺さったのは紛れもなく灰谷くんの指で、まんまと彼の思惑通り行動した私を見て満足げに笑った。

「今日はこっち見ねぇの?」
「私が灰谷くんのこと見てたのって一回だよね…?」
「灰谷禁止」
「え?」
「蘭ちゃんな?」

 それは…名前で呼べと言うことなの?よくわからないけどちゃん付けで呼ぶような仲でもない。
「じゃあ、蘭くん」
「オマエのそういうとこ結構好き」
「そ、そう…」
「ン」
「それで、何の用?」
「ん?じゃあ教科書でも見せて」

 じゃあって…。
 絶対に真面目に授業を受ける気ないのは分かっていたけど、机をくっつけて教科書を私たちの真ん中に置いたのに、蘭くんが見てるのは教科書じゃなくて私。

「あ、あの……そんなに見られると穴が空くんだけど」
「なら空くまで見とくわ」
「そうじゃなくてね」
 そんな顔面した人に見つめられたらドキドキして授業何にも頭に入ってこないんです。そんなこと言えるはずもなく結局最後まで蘭くんの視線を一身に浴びて授業を受けたから、終わる頃には全身汗びっしょりになっていた。近くでその様子を見ていた蘭くんは授業が終わってそそくさと机を離した私に向かって「なに緊張してんの?オモシロ」と笑った。

 私は別にめちゃくちゃ綺麗でもスタイルがいいわけでもない。それでも蘭くんは授業中私の髪を触ったり、勝手に私のケータイをカバンから出して勝手に赤外線で連絡先交換したり、「今日はあのハゲの似顔絵書かねぇの?」って言って私と先生を凍りつかせたり私を困らせることばかりする。かと思えば放課後は「昨日りんどーがさぁ」なんて授業中と違って思わず聴き入っちゃうような楽しい話題を振ってくれる。困らされてるはずなのに何故かそんな蘭くんと話すのは楽しくて、居心地良くて…。そうして知らない間にハマっていく。灰谷蘭はそういう男だった。

 そうやって私が彼に惹かれていく間にもあの見た目なんだから当たり前のようにモテていた蘭くんは、私が知る限りでも片手で足りないくらい彼女がいた。同時並行で何人もと付き合ってるって噂だったから多分本当はもっといたんだと思うけど。

 そんな男を好きになっても仕方ないと好きになるすんでのところで保っていた私の恋心は、二年生になって彼とクラスが別れて少し落ち着きを取り戻した。むしろ隣の席の男の子と仲良くなって、一つのMDプレイヤーを二人で聞くくらいには青春してたし、これが身の丈に合った世界だと思っていた。
 まぁもちろん「いた」というのはそれが過去の話になったからで。

「わっ!?」
 耳に差し込んでいたイヤホンを急に抜かれて驚いた。長い指で私のイヤホンのコードがくるくると弄ばれているのを見るに、というか見るまでもなく私からイヤホンを奪ったのは蘭くんだった。
 少し見ない間に髪伸びたなぁと久しぶりの彼の姿見ていたら、その顔は少し不機嫌そうに見えた。

「蘭くん…?どうしたの?」
「んー?久しぶりに会いにきてやったのに他の男に媚び売ってるナマエにムカついた」
 そう言って「ナマエはオレのなのになぁ?」なんて恋人みたいなことを言う蘭くんに目眩がしそうになった。
「媚び売ってないし。それに私たち、別に付き合ってないよね」
「じゃあ付き合うか」
 何でもないように言い放つ彼にまた目眩がした。ちなみにこれは休憩中のクラスでの出来事で、隣の席に座っていた男の子は青ざめていたし、クラス中の人は私たちの様子を唖然とした表情で見ていた。

「行くぞー」
「え?どこに?」
「デート」
 蘭くんはそう言って私の手を引っぱって六本木の街へと連れ出した。初めて学校をサボったことへの罪悪感、気になっていた人からの告白による高揚感、そして蘭くんに手を掴まれて歩く私に向けられた嫉妬と羨望の眼差し。それがないまぜになって呆けた顔でついていくと、「バカみたいな顔してんなぁ」と笑う。
「え、誰のせい?」
「ん?オレ?つかなんか食いたいもんとかある?」

 いつも通り人の話を聞かない我が道を往く蘭くんに諦めて、
「…蘭くんの食べたいのでいいよ。私詳しくないし」
と返事をしたら、彼はとんでもない言葉を返してきた。

「じゃあナマエ」
「……は?」
「今からオレんち行くかぁ」
「いや、え、いや、待って!行かない!」
「その反応傷つくんだけど?」
「だって!!」

 いやいや、待って…?本気、なの…?

「私たちって本当に付き合うの?」
「付き合うっつーかもう付き合ってるし。ちなみに返品不可だから」
「冗談はやめて。いつも私のこと揶揄うけど今日のはやりすぎだよ」
「冗談じゃねぇんだけど?つーかどうでもいい女の子と構うほど暇じゃねぇの」
「でもよりどりみどりの蘭くんが私なんかと付き合おうとする理由がさっぱりからないんだけど…」
「オマエってさぁ、好きな食べ物なんで好きか考えたことある?」
「え、美味しいから?」
「じゃあそう言うことなんじゃね?」
「私は食べ物じゃないんだけど」

 噛み合ってるようで噛み合ってない私たちの会話は平行線を辿る。蘭くんの思考回路がわからないから私が難しい顔で彼の顔を見つめていると、蘭くんは「あー、あと」と続けた。

「オマエが書いてたハゲ散らかしたオッサンの絵が気に入ったのかもなぁ」
「…遊んでるね?」
「本気本気
「あ、そう」
 間違いない。遊んでる、これは。

「蘭くんに彼女が何人もいることくらいは流石に知ってるから…そのうちの一人になるのはちょっと…」
「まあ勝手にそう名乗ってる女はいるかもなぁ。どうでもいいけど」
 それはどうでもいいことなのかわからないけど、「そいつらにはちゃんと言っとくからとりあえずオレらは付き合えばよくねぇ?」と被せてくる蘭くんに色々と細かいことを気にするのがだんだんバカに思えてきた。
「浮気したら別れるから」
「ンなのするわけねぇじゃん。オレ、偏食だから」

 もう私と付き合うということは蘭くんの中で決定事項だから私の答えなんてあってないようなもの。というか、蘭くんのことだから私が心の奥底では彼に惹かれてるのがわかってたんだと思う。そして私も「灰谷くん」から「蘭くん」へ、そして「蘭」と呼び方を変えていくとほんの少し嬉しそうにする蘭を見て、ひょっとしたらこの人は私のことを本当に好きなのかも知れないと思うようになった。

    ◇

「来週の土曜、この間の浴衣着て集合な」

 蘭にそう言われて一緒に行くことになったのは麻布の有名なお祭りだった。買ってもらった新しい浴衣を着ていそいそと待ち合わせ場所に向かえば私の目に映ったのはガラの悪い集団。この辺り一体をシめる蘭と竜胆くんは麻布の夏祭りに顔を出すのが毎年の恒例行事だったらしいけど、それを知らなかった私は刺青をバンバン入れたいかつい人たちを引き連れて堂々と歩く蘭の姿を見て、完全に「思ってたのと違う…」と頭を抱えた。それに普段学校で見る姿と違いすぎて、話しかけてもいいのかもわからない。

 その場に立ち竦んでいたら蘭がすぐに私を見つけてこっちこいと手招きをした。それでも気後れして動かない私を見て蘭はこちらに向かって歩いてきて「遅ぇ」とデコピンしてきた。
「痛いよ。私の脳みそが弾け飛んだらどうしてくれるの」
「グロい想像させんなって。つかオマエオレの力どんだけだと思ってんの」
「え…ゴリラ?」
「次は本気でやってやるからデコ出せー」
「ごめんなさい」

 それは竜胆だろと蘭が笑うと、後からゆっくりと近づいて来た竜胆くんが「誰がゴリラだよ」と不本意そうに不貞腐れていた。

「私が言ったのは蘭であって竜胆くんのことじゃないからね?」
「オレに言ったならオレより握力ある竜胆は確実にゴリラって言ってるだろ」
「言ってないよ!」
「つか何で呼んでんのに来ねぇの?」
「だって…普段見る蘭と違うから」
「どっちも同じだっつーの」
「うん。今一緒だったってわかった」

 その返答を聞くと蘭は「かーわい」と笑って私の肩に手を回して周りのいかつい人たちに
「これオレの女だから。かわいーでしょ手ェ出したらコロスからな?」
と言った。なんでこの流れでそうなったのかわからない私はなんだか居た堪れない気持ちになって蘭の腕の中で小さくなった。

「うざいんだけど。そういうの二人でやれば?」
 私たちのやりとりを見た竜胆くんが厄介者を追い払うように私たちをシッシッと手で払った。
「そうするわ。じゃ、あとよろしく」
 蘭は私の手を絡めるようにギュッと握って歩き始めた。

「何したい?」
 この集団の中にいる蘭を見つけた時から普通にお祭りを楽しむのを諦めていたから、まさか蘭がそんなふうに聞いてくれると思わなくてキョトンとしてしまった。そんな私を見て蘭は「オマエの好きなとこ連れて行ってやるワ」と分かりやすくこれはデートなんだと教えてくれた。

 屋台と言ったらたこ焼き、焼きそば、とうもろこし。そんなガッツリ系が好きなのに、花の女子高生の恥じらいなんてものが一応私にもあったらしくて「わたあめ、食べたい」と可愛こぶった。わたあめを買った後人の少ない裏路地のヘリに座って食べ始めたけど、蘭は黙ってそれを見ているだけだった。

「蘭も食べない?」
「んー、じゃあもらうわ」
 そう言ったくせに彼の唇はわたあめを通り過ぎて私の唇をはんだ。そして舌で私の唇についたわたあめをぺろりと舐めると「あっま」と舌を出した。はじめてのキスとも言えないキスに固まる私を観てそのままもう一度私の唇を奪った。次に蘭の唇が離れた頃には息が上がっていて、それを見た蘭は見たこともない蕩けた瞳で「次は鼻で息する練習しようなあ」と微笑んだ。

 そして私の息が整うと蘭は私の手を引いて歩き出した。ついたのはたこ焼き屋さんで、「オレの前で取り繕わなくていいから」と言いながらたこ焼きを買ってくれた。
「…どうしてわかったの?」
「オレ、オマエが考えてることわかんの

 そんなはずないのに本当にそうなのかもしれないと思うのは、蘭があまりにも自信ありげに笑ったからだと思う。
「そっか。じゃあ取り繕ってもしょうがないね」
「そ。だからナマエが意地張ってまだオレに落ちてないフリしてんのも知ってンだわ」
 蘭はそう言って「だからそろそろオレのこと好きって言えば?」と私の髪に口付けた。

 ほんとキザ。そう思ったくせに結局それを嬉しく思ってしまうのは、もうこの時点で蘭という底なし沼にズブズブにハマっていたからだ。そのあと石垣に腰をかけた蘭の足の間に座らされて、髪や首筋にキスを繰り返す彼に根負けした私は初めての「好き」を告げた。

 こんなに好きになれる人はもう二度と現れない。それだけはまだ恋愛初心者の私にもわかった。



 あれから八年。倦怠期だったり、蘭の浮気騒動(結局誤解だったけど)だったりと何度も別れの危機を迎えながらもなんとか世間一般的には仲のいいカップルと呼べるくらいだったとは思う。でもやっぱり私じゃあのモテる蘭をつなぎとめておくなんてできっこなかった。

 荷物の整理を終えた私は、トランクを持って玄関へと向かった。



◇◇◇



「えー、八年付き合った彼氏と別れたの?」
「もう一年も前の話ですけど」
「それから彼氏作んなかったのってその彼氏が忘れられなかったからとか?」
「あ、いえ。仕事が忙しくてそれどころじゃなくて…」
「へー。そんな男忘れて早く次いかねぇと勿体無いよ」

 話がなんか噛み合わないなぁと思ったら「オレはさぁ、マジ一途で彼女大事にする男だからさぁ」と言いながら私との距離を詰めてきて思わず体がのけぞる。まだ会話を始めて十分しか経っていないのにそんな有り様だから、あぁ今日もまたダメそうだなとこっそりため息をついた。

 一年前のあの日、マンションを出た私はタクシーに乗るために大通りに出た。『夜出歩くときはオレ呼ぶかタクシー使えよ?』と言う蘭の言葉をまだ守っている自分に馬鹿だなぁと思ったけど、重たいトランクを引いてこんな時間に歩くのも嫌だしこれは蘭の言うことを聞いてるんじゃないからと自分に言い聞かせた。
 電話越しでもさよならを言える気がしなくてタクシーの中でメールの文章を作り始めたけど、何を打っても自分が言いたいことじゃない気がして打っては消してを繰り返した。

 「お客さま」と声をかけられてようやくタクシーが停まったことに気がついて降りると着いたのはなんてことない普通のビジネスホテル。でも部屋の窓の向こうにはあのマンションとは違う六本木の夜景が広がっている。それで実感が湧いた私はようやく『別れよっか』の一言を送ることができた。それからすぐに蘭の連絡先は消したけど、覚えてしまっているその番号から連絡が来ることはなかった。



 蘭と別れて思ったことは、蘭がいなくても世界は回るし、私はいつも通り仕事ができるということ。

 仕事が詰まっていて寂しいと思う余裕もなかったのが功を奏したのか、気がついたらあれからもう一年以上が過ぎようとしている。蘭から一言もなくバッサリと関係が切れたのもよかったのかもと今では思うくらいだ。
 でも仕事に没頭しているうちに気がつけば周りは結婚ラッシュ。ご祝儀で懐が痛いけど返ってくる予定はない。それを笑っていたら見かねた友人が何度か合コンに連れ出してくれたけど、私の隣の席になる男の人はいつもとても付き合いたいとは思えない人だった。きっかけは蘭とは言え自分から彼の元を離れたと言うのに、蘭はやっぱり良い男だったなとまさかの元カレを懐かしむ始末に毎回苦笑いしてしまった。

 今日もこの後二次会という話だったけど、結局席の時間が終わると共に逃げるように「明日早いからここで」と足早にその場を後にした。

「ナマエちゃん!」
 その選択が間違いだったと気がついたのはみんなと離れてから数分後。先程まで隣に座っていた彼に呼び止められた時だった。

「どうしました?」
「一人だと危ないし送るよ」
「いえ。いつもこれより遅い時間に帰ってるので大丈夫ですよ」
「いつもそんな遅いの?会社近いしこれから車で迎えに行くよ」
「お待たせしてるって思うと仕事に集中できなくてもっと遅くなっちゃうので。ご心配ありがとうございます」

 自分では割とキツめの断り文句だと思った。あとで友人に謝らなくちゃと思ったけど、「でも合コンに来るぐらいだから彼氏探してんでしょ?お試しでもいいから付き合わない?」という返事に相手には全く響いていないことがわかった。
「いえ、あの…」
 角を立てずに断るのはどうしたらいいのかと悩んでいたら、手をグイッと引かれてしまった。

「とりあえずどっか入って二人で話そうよ」
「わっ!」

 その手の力が思ったよりも強くて体のバランスを崩す。このままだとその人にぶつかるかこけちゃう。反射的に目を閉じたけど一向に衝撃は訪れず、代わりに私の腰を長い腕が抱き抱えた。

「遅ぇじゃん。オレずっと待ってたんだけど?」

 聞き覚えのあるその声に顔を上げるとパリッとしたスーツに清潔そうな短髪が目に入った。その髪の色は普通では見ない紫で、話し方に圧がある。まさかと思ったけど、私が好きだった香水と嗅ぎ慣れたタバコの煙の混ざった匂いが鼻腔に広がってやっぱりこれは夢じゃないとわかった。

「蘭…?」
「ん?」
 彼の名前を呼ぶと目を細めてこちらを振り向いた。何も考えずに出た「どうしてここに」という言葉に「迎えに決まってんだろ?」と簡潔に返す蘭は馬鹿みたいに口をぽかんと開けた私の頭にポンと手を置いて、男の人から私を隠すように立ち塞がった。
「つかこの男誰?オマエまた変な男引っ掛けたんだろ?いつもゴミ掃除するオレの身にもなれ?」

 二度と会うことはないと思っていた元カレの登場にまだ何の反応もできないでいると、男の人は『ゴミ』の一言に明らかにムッとした顔をした。でも蘭はそんなの関係ないと相変わらず飄々とした態度で男の人を「何?」とひと睨みしながら私の肩を抱き寄せた。蘭の雰囲気と威圧感に負けたのかその人はすぐに視線を逸らして「男いんならンなとこ来てんじゃねぇ」と捨て台詞を吐いて去っていった。

「あ、の…」
 何を言ったいいのかわからなくて口籠ったけれどなんとか「助けてくれて、ありがとう」を絞り出せば蘭は昔みたいに「ん」と軽く返事をした。

「それじゃあ…」
 他に何か言うべきことはあったかなと一瞬考えたけど、今更話すことはやっぱり何もない。私はあんなことがあって別れた元カレと仲良くできるタイプでもないし、きっと蘭もそうだろう。お礼を言ってさっさとこの場を離れようと視線を逸らしたけど蘭は私の肩を掴む力を強くした。

「え?」
「夜はタクシー使えって言ってんだろ?それかオレに電話な?」
「もう大丈夫だから」
「ん?聞こえねぇなぁ」
 そう言って蘭は私の肩に手を回して歩き始めた。引きずられる形で私も歩き始めると昔彼がそうしてたように私の耳元に唇を寄せた。

「蘭、そういうのやめて。私たち別れたんだよ?」
「無理」
 無理はこっちだと言いたいのに相変わらず強引に物事を進める蘭に引っ張られる。さすがに強めに拒否しようとしたら蘭が私の耳元で囁いた。
「オレ今尾行されてんだよなぁ。その最中にオマエ助けちゃったから今オレと離れたら捕まるかもな?」

 は?

 言っている意味がわからなくて思考と行動がしばらく停止している間に蘭は私の背を押して歩きはじめた。

「ちょ、ちょっと、何、尾行って…」
 誰に、どうして尾行されているのか。聞きたいことは山盛りなのに、蘭は慣れているのか昔の彼と変わらず余裕のある態度で「多分仕事先のやつ。まぁオレといれば大丈夫だから」と少し早足で歩き始める。

「車近くに停めてあっからそれで家まで送るわ」
 蘭はそう言って私の腰を掴んで早足で歩きはじめた。展開についていけないでいる私は結局蘭の勢いに負けて言われるがまま、促されるがまま歩調を早める。

 しばらくして蘭を追っているであろう男たちが少しずつ距離を詰めてきているのが私にもわかった。焦る私を察したのか蘭はニヤリと笑って「めんどくせぇけど走るか」と強く私の手を引いた。後ろから「逃すな」とか「先回りしろ」とかの声が聞こえてくる。

 蘭があまり治安の良くない仕事をしていることはわかっていた。蘭の気質で普通の会社員なんてあり得ないし、よく怪我をして帰ってきていたし。付き合っている時はどんな仕事をしているのか聞く勇気が持てなかったけど、さすがに今は聞かざるを得ない。

「蘭、一体どんな仕事してるの!?」
「んー、オマエに言えない仕事?」

 こんな状況なのに笑う蘭が信じられないけど、普段運動不足の私はそれ以上何も話せずに蘭に引っ張られるまましばらく走り続けた。そしてようやく見慣れた車が見えて、その頃には喉が焼け付くように痛かった。

 もう撒いたなと言いながら蘭は車の助手席のドアを開けた。こんな風にしてくれたのは蘭に“あの人”の影がチラつくようになる前までだった。そういえば別れる直前はこの車からもあの香水が香っていたことを思い出すと足が前に出ない。今の蘭からは彼愛用の香水の香りしかしないけど車には結構残るものだから、ここからあの香りがして蘭に「彼女」がいることを知るのはなんだか嫌だった。

「撒いたならここで大丈夫」

 そう言いながら振り向くと、蘭はまるで私を通せんぼするかのように車に手をついた。なぜかよく知ってるはずの彼の雰囲気に気圧されて「あ、の…」と言葉に詰まると蘭はにっこりと笑った。

「だぁめ」
「え?」
 蘭は助手席のドアを開けると私を軽く押した。そして彼の垂れた瞳を細めながら「車、乗ろうな?」と耳元で囁くその口調は柔らかいのに有無を言わせない圧を感じる。さっきまで軽口を叩いていた彼とのギャップにとても帰るなんて言えなくて私はおずおずと助手席に乗り込んだ。私が乗ったのを見ると蘭は「ナマエはイイ子だなぁ」と頷いて扉を閉じた。



 車の中はしばらく無言だった。隣の蘭をこっそりと見ると、その顔は怒っているようにも笑っているようにも見える。なんだか私の知らない蘭を見たようでなんとなく口を開けずにいると急に蘭がケラケラと笑い始めた。さっきまでのピリッとした緊張感が急になくなってやっと息ができたような気がする。

「え、何…?」
「ん?オマエがそうやってチラチラ見てくんの久しぶりだなぁって思った。それ他の男にやんなよ?」

 多分昔隣の席だった頃のことを言ってるんだと思うけど、まさか蘭がそんなことを覚えてると思わなくて純粋に驚いた。

「やらないけど。どうして?」
「その男がオマエに好かれてるかもって勘違いするから」
「しないよ。そんなの。蘭だってしてないでしょ?」
「まぁオレはしねぇけど」
 まぁ恋愛偏差値高そうな蘭がそんなこと思うわけないのはわかってたけど、なんでそんなこといちいち言ってきたのかはわからない。それになんで私を助けてくれたのかも。わからないことだらけで

「でもオマエのこと可愛いとは思った」

 今更現れてそんなこと言うなんて。蘭が考えていることがわからなさすぎて小さくため息をついた。

「蘭って元カノに何かあってもどうでもいいって思う人だと思ってた」
「オレって信用ねぇなあ?ナマエが危なかったらどっからでも助けに行くわ」
「今更そういうのいいよ」
「今更じゃねぇよ。ナマエはオレのだし」

 なに、それ?あんな風に私に冷たくして別の女の影をチラつかせておいて、今更そんなこと言うなんて。
 私たちが別れたのは誰のせいでもない。元々蘭に私は釣り合わなかったし、八年も経てば気も好みも変わる。だから別れたのは仕方がないことだった。そうやって心のどこかで折り合いをつけてここまで来たのに、こうして前を向いた途端に現れて私の心を折る。蘭に対して怒るつもりはなかったのにこのままだとあの頃感じていた怒りだったり悲しみだったりをぶちまけてしまいそうで私は蘭をしっかりと見つめて言った。

「もう近いから次の信号で降ろして」
「家まで送るっつったろ」
「あんな別れ方したのにここに乗ってるのやっぱりおかしいと思う。私昔みたいに蘭と話したりできない」

 ちょうど信号で車が止まったので降りようとドアノブに手をかけると蘭が私の手首をぎゅうっと掴んだ。

「蘭、痛い。離して…」
「勝手に出てって今度は逃げるとかンなの許すわけねぇだろ?」
「は?」
「オマエから戻ってきたら許してやろうかと思ったけど合コンとか行って他の男に触られてさぁ、マジ死にてぇの?なら殺してやるけど?」

 蘭が何を言ってるのかわからなくて言葉に詰まる。なにこれ。これじゃまるで蘭がまだ私のこと好きみたい。

「やめて」
「やめない」
「だって!蘭に好きな人ができたんでしょ?だから私」
「オレが好きなのは今も昔もオマエだけだわ」
「だったらそれが本当だって思わせてよ!蘭の嫌いな女物の香水が蘭から匂って来た時私がどんな気持ちだったかわかる?」
「ンなの仕事に決まってんだろ」
「そんなの信用できないよ。口ではなんとでも言えるし」
「だからオマエには言えねぇ仕事なんだわ」
「ほんと、何、その仕事…」
「オマエが知りたいなら教えてやるけど。でも香水の話してんならそれはオマエの」

 蘭はそう言うと車のダッシュボードを指差した。言われた通りのことをするのは癪だったけど、それを開いて見れば中からあの蘭の嫌いな香水の瓶が無造作に転がっている。

 よく見ればこれは私が買ったものと同じ瓶だった。確かこれは私が買った時の限定モデルだったはずで、私の香水は蘭に没収されていた。

「他の女の匂いがうざくてこれで消してた。つーか別にこの香水嫌いじゃねぇし」
「それは嘘」
「嘘じゃねぇよ。ナマエに男ウケのいい香水されんのが嫌だっただけ。つーかさぁ、八年も一緒にいンだからわかんだろ。オレが嫌いな女迎えにくるわけないことくらい」
「ほんとに、迎えにきたの…?」
「オレのとこから逃げてった女追いかけんのなんてオマエだけだわ。かわいいって思うのも、今まで本気になったのもオマエだけ。ようやく仕事に目処ついたから迎えに来たんだけど?」

 昔みたいに私だけを見つめる瞳が射抜いてくるけど、でも私に冷たかったのも、女の人と一緒にいたのも事実だし。ここで信じてまた傷つくかもしれないと思うと今の私には蘭の“本気”は信じられない。

「あの時私がそれを聞いてそれならいいよって言えたとは思えないし、蘭がそういう仕事をしてるならまたあんなことが続くかもしれないんでしょ?私も何も言わずに出て行っちゃったのは本当に最低だったと思うけど、でも、やっぱり私には耐えられそうにない」

 だから、ごめん。

 私の言葉を聞いた蘭は舌なめずりをしながらニヤリと笑った。まるで私がそう言うのを予測してたかのようだった。

「ならオマエのこともう一回落とすだけだしなぁ?」
「…落ちないよ」
「ま、いつまでオマエがそう言えるか楽しみにしてるわ」

 とりあえず今日は家まで送ると言う蘭に「いいよ」と断ったのに結局蘭は車を止めてくれなかった。強引なとこ全く変わってないと運転する蘭をジト目で睨んだけどそんなのあの蘭に効くはずがない。諦めて走り始めた車の助手席から窓の外を見ていたら、信号で止まるたびに私の髪を指ですくって唇を当てて昔みたいなとろける瞳で見つめられる。居心地が悪くて、「あんまりそういうことばっかりすると車から降りる」と言うと蘭は「なら今はやめとくわ」と私からすっと離れた。そのあと話し始めた蘭と竜胆くんの近況に思わずクスリと笑うと「やっと笑ったなぁ」と笑われて口を一文字に結び直した。

「ナマエ」
 私の家に着いて車から降りる寸前、蘭は私の二の腕を掴んだ。咄嗟に振り向くと蘭の端正な顔がすぐ近くにある。

「キスしていーい?」
「ダメ」
「ホントにダメ?」

 私たちの距離は少しでも後ろから押されたら0になりそうなくらい近い。雰囲気に流されそうになるけど蘭の吸い込まれそうな紫色の瞳に自分の姿が映る。もう一度自分に言い聞かせるように「ダメだよ」と蘭の胸を押し返したけど、抵抗する私の手首を掴まれてしまう。

「オレがどんな人間か一番知ってんのはオマエだろ?」

 欲しいものがあったら奪うし、好物が目の前にあって我慢できるような男じゃねぇんだわ。そう言って蘭は車のシートに押しつけるように私にキスをした。


◇◇◇

 
 あの後「また明日な」と帰って行ったけど、もしかしてまた今日も私を迎えにくるってこと?だとしたら困る。私はもう蘭とかかわらずに生きていくって決めたのに。またいつあんなことが起こるかもわからない仕事についてる蘭と一緒にいたらまた傷つくかもしれない。もうあんな思いはしたくない。先の見えない世界に私はいけない。もし今日蘭に会うことがあればちゃんと断ろう。そう思って気を引き締めて会社に入ると、社内がザワザワとうるさい。

 おかしく思いながら自分の席に座ると隣の席の同僚が「聞いた!?」と話しかけてくる。

「何を?」
「うちの会社、半年前くらいから結構ヤバいって言われてたでしょ」
「ああ、株が買い占められてるとかってやつ?」
「そう。昨日ついに買われた株半分以上になったらしくて経営陣総入れ替えだって」
「え!?」

 前々からやばいとは聞いていたけど…。まさかそこまでいってるだなんて知らなかった。

「うちの社長もがんばったって話だけど、相手が大きい会社だったみたいで…」
「全然知らなかった。私たちリストラになったりするのかな…」
「私もそれが心配で。でも噂では新しい社長が若くてイケメンなんだって。今日うちに来るらしくて女の子たち玉の輿!とかいって騒いでる」
「なんか今日ざわざわしてると思ったけど、それだったんだ」

 自分がリストラされるかもしれないのによくそんなこと考えられるなぁ。でも私だってそんなイケメンの社長なんてのに見染められて結婚でもして、蘭のこともリストラのことも気にせずに生きていきたいよ。

「玉の輿か…。私も乗れるなら乗りたいわ」

「ならもらってやるわ」

「………へ?」

 半ばやけでそう返した私の後ろから男の人の声が聞こえた。話に夢中になって気が付かなかったけど、知らない間に私の働く事務室は他部署の人が何人か覗きに来ていていつもより騒がしい。そして私の後ろにはそのみんなの視線を一人占めする例の若いイケメン社長。

「は…?」
「オマエからプロポーズされるなんて思ってなったわ。玉の輿のせてやるから今からオレの嫁な
「ら、ら、ら、蘭!?なんで、ここに?」
「だから今日からここの社長」
「は?え、なんで」
「で、オマエのことオレの秘書にすることに決めたから迎えに来てやったんだけど?」
「ま、まって。そもそも私たち付き合ってもないでしょ」
「じゃあ付き合うか。結婚前提に」

 私と私と一緒にいた同僚だけじゃなくて、その場にいたみんな唖然とした様子で私たちを見ていた。

 なにこれデジャブ?

 昔、付き合い始めた頃のことを思い出しながら蘭に引っ張られると着いた先は社長室で、蘭は前の社長が使っていた椅子とは違う高そうな椅子に座って、そして私を蘭の上に跨がせる。

「ら、蘭、やめてよ!」

 逃げようとしても私の腰を掴む蘭の力が強くて逃げられない。

「オマエからプロポーズしてきたんじゃん?」
「してない!あ、ちょ、スカートに手入れるのやめて!」
「んー、無理。オレ我慢とかキライだし。昨日我慢しただけでも偉くね?」
「我慢してた!?っていうか社長ってなに?蘭、本当になんの仕事してるの!?」

 私がそう聞くと蘭は昨日とはまた違う怪しい雰囲気で目を細めて笑った。

「日本で一番悪い仕事」

 蘭がトントンと指で叩いた首元には最近ニュースで見ない日はない日本一の犯罪組織のタトゥーが刻まれていた。

「うそ…」

 それ以上の言葉が紡げない私に蘭は畳みかけるように言う。

「毎回合コンでいい出会いなかったのも、昨日オレと会って追いかけられたのも、今オレがここにいるのも、賢いナマエちゃんならわかるよな?」

 私、合コンに何度も行った話なんてしてない。っていうか蘭に仕事、教えたっけ?普通の会社の事務って言って「ふーん」としか言われた覚えない。でも蘭はこうして私の前に現れた。

 もしかして蘭はこの一年私が逃げられないように根回ししてたってこと?

「…」
 私の無言で答えを察した蘭がニンマリと笑う。

「あんとき任務で忙しくて、たしかにオマエのこと構ってやれなかったけど。オマエのこと本気だっつってんのに、一言もなく逃げるとかさ」

 オレが許すとでも思った?

 蘭がそう耳元で呟く。

 許すも許さないも、あの時の私の行動は普通なら間違ってないし、むしろ許しを乞うのは蘭の方なんじゃないの?でも、蘭は普通じゃない。それくらいわかってると思ってたけど、わかってるつもりになってた。

「オレの本気疑った罰なもうオマエは一生オレから逃げらんねぇよ」

 私の首筋に唇を這わせた後思いっきり噛みついてきた蘭に、もう二度と逃げられないとわかった。


◆◆◆


 向こうのほうから兄ちゃんの声が聞こえて近寄ると、久しぶりに見た顔がそこにあった。昔からオレら、つーか特に兄ちゃんをしたって後ろについてきてた奴。梵天に入ってからはうちの傘下のどっかで働いてるって話だったけど、「オレ、蘭さんのためならいつでもどこでも駆けつけるんで言ってください!」と涙を流してたから、ちょっと引いたんだよな。

 そう思っていたら二人の会話が聞こえてきた。

「蘭さん、あんな感じで大丈夫でしたか!?」
「ん。これ礼な」
「いえ!自分が蘭さんのために動くのは当然なんで!久しぶりに蘭さんのお役に立てて嬉しいです!」

 またいつでも呼んでください!と120°くらい頭を下げた男はオレの姿を見つけて
「あ!竜胆さん!お久しぶりです!竜胆さんもなんかあればいつでも呼んでください!」
と部活の後輩か?っていうくらいのテンションで話しかけてきて、そしてオレが手を軽く上げるとまた深々とお辞儀して去って行った。

「なにあれ」
「ま、持つべきものは可愛い舎弟だよな」

 普段ついてくるなら勝手にすればスタンスのくせにこんな時だけそう言うんだからなぁ。でもそこもカッケェっつってみんなついてくるから兄ちゃんはカリスマなんだけど。

「死体処理でも頼んだワケ?」

 そういやうちの死体処理係が最近裏切りで三途にスクラップにされたって聞いたしアイツが新しい処理係?

「代わりに合コン行ってもらった」
「は?」

 合コン?兄ちゃんが?そういうロミトラとかの仕事はもう下に任せるっつってたけど、結局まだやってんの?そう思ったけど、いやに機嫌のいい兄ちゃんにピンときた。長年弟やってると兄ちゃんの悪巧みに敏感になんだよな。

「もしかしてナマエ?」
「さすがオレの弟
「で、なんで合コン?」
「久しぶりに会うなら運命っぽくすんのは当たり前だろ?」

 あー。しつこい男から助ける的な?
 ポイ捨てしたって言われてもいいくらいの別れ方で別れた相手のとこ戻ンならまぁそれくらいは必要だろうけど。でも兄ちゃんにしてはまどろっこしい手使うんだよなぁ。

「別に本当のこと言えばいいんじゃねぇの?ナマエの命狙われてたから一度関係切ったって言ったらナマエも怒んねぇだろ」

 オレの言葉に兄ちゃんはゆっくりこちらを向いてニヤリと笑った。

「そうだっけ?忘れたわ」

 この一年で兄ちゃんの弱みとしてナマエを狙った男はもう骨すら残ってないし、関係者も全て処分した。その間ナマエには顔の割れてない部下つけたりして過保護ぶりも相変わらず。なのにそれをなんも言わずにヨリ戻すとか兄ちゃんって

「ほんとかっこつけ」

 オレがそう言うと「ンな褒めんな?」とケラケラ笑った。

「一旦別れるように仕向けたのはオレだけど、別れてすぐ合コン行くようなナマエには二度とオレから離れようと思わないように躾はしておかねぇとなぁ?」

 そう言ってお得意のポーズ。マジなんなんだよ、それ。


「ま、どっちにしろどうせこの後一生オレといんだからかわんねぇだろ。そーいやこの後ナマエんち引き払いに行くけどオマエも行くかぁ?ナマエのコーヒー好きだろ
「…」

 兄ちゃんほんとこわ。弟のオレから見ても狂ってる兄ちゃんにこんなに執着されてナマエもかわいそ。でもまぁオレはナマエの煎れるコーヒー好きだからなんも言わねぇけど。





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