大嫌いな上司と契約結婚したらまんまと落とされまして
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?
「「はい」」
そう誓い合った相手を好きじゃないなんてあるんでしょうか?
あるんです。だって私たちがしたのは契約結婚だから。
◇◇◇
「結婚するか」
上司がコーヒーを飲みながら私の机にムカつくくらいに小さいお尻を乗せてきたから嫌味かと思って「邪魔」と手で払おうとしたら言われた言葉だ。そんなのは秒でこう答える。
「ごめんなさい。無理です」
「殺すぞ。縁談避けの期間限定に決まってンだろ。じゃなきゃ誰がテメェなんかと」
「他の人当たって。期間限定でも嫌に決まってるでしょ」
「ンなこと言ってられる立場かよ」
三途の不穏な言葉に眉を寄せて急ぎの書類から顔を上げた。すると彼は私と目が合うなりニヤリと笑ってきた。嫌な予感しかしないけど、仕方なく
「どういうこと?」
と聞いた。
「A社と武器取引の新しいルート敷くことになったのは知ってんだろ。向こうから裏切らない確証がほしいって言われてなァ?幹部の女差し出せってよ」
「それ別に私じゃなくていいでしょ」
「社長の息子がこの前のパーティーでオマエ見て惚れたんだとよ」
「なにそれ公私混同…」
あそこの息子たしか私のこと気持ち悪い目でジロジロ見てきてたっけ。生理的に無理すぎて視線だけで吐くかと思ったのよね。まじで最低すぎるんですけど。
「ンなの今更だろ?欲しかったらどんな手使っても手に入れる。この道の常套手段」
ま、オマエってとこが見る目ねぇけどなァ?
なんて余計な一言を付け足してくる部下を守ろうともしない上司(仮)の弁慶の泣きどころを思いっきり蹴ってやった。
「今の蹴りか?蚊が止まったかと思ったワ」
「明日のアンタの脛見て青あざできてたら笑ってあげる。それで?お優しい上司様は私が結婚しちゃうのに焦って急に私への気持ちに気付いちゃった?ごめんなさい。好きじゃないです」
「テメェみてぇな可愛くねぇ女好きなワケねぇだろ。オレにも似たようなのが来てんだよ。だからしかたなく可哀想なオマエに声かけてやったんだから泣いて感謝しろ」
「だったらユリちゃんとすればいいでしょ?私は別の人探すから大丈夫」
ユリちゃんとは三途のことが大大大好きな女の子である。少し前にキャバ嬢から幹部になったやり手なんだけど、それも全ては三途への愛の成せる技らしく、三途のためならなんでもするを豪語する頭のネジが何本か外れた子だ。こんな男のためにそこまでできるなんてホントどうかしてる。
まぁでも三途にとってもユリちゃんは流石に鬱陶しいらしく、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ユリにこんな話したらマジで結婚させられんだろ。殺す気か」
「うん。死ねば?」
「犯すぞ」
「性暴力はんたーい。私野蛮な男とは結婚しなくてよ?」
シッシッと虫を追い払うように手を払うとその手を掴まれた。
「ちょっと」
「オメェも他の相手いねぇだろうが。さっさと頷け」
「いや、ココくんいるし」
「アイツだけは無理だろ」
「知ってる。まぁ頼むなら竜胆かな」
「灰谷は二人ともハニトラでしばらくいねぇよ。唯一空いてんのは佐藤。ま、あいつならオマエと喜んで結婚してくれるかもなァ?」
今度苦虫を噛み潰すのは私の方だった。佐藤くんは元彼で、アイツの浮気癖に耐えられずに別れたって言うのにまだ未練を持ってるのは私の方なんて笑い話にもならない。竜胆…なんでこういう時に限っていないの…。
「お断りします。え、マジで三途しかいないの?マイキーは?私マイキーの方がタイプなんだけど」
「あ?オメェみてぇなアバズレを期間限定でもマイキーと一緒にさせるワケねぇだろ、マジ殺すぞ」
「殺すぞしか言えない低脳がNo.2でかわいそうだから私が癒してあげるって言ってるの!」
「ンな事言ってっとマジでボンボンと結婚させられるぞ?期限は明日だしなァ?」
「は?」
明日…?
なにそれそんな話がそこまで急なワケ…
まさか…
「私のことハメた…?」
私がそう言うと三途はニヤリと笑った。
「最低!いつからこの話出てたのよ!」
「あー、忘れたワ。オマエが彼氏が浮気したとか叫んでたあたりじゃね?」
一ヶ月以上前!!誰も私に何も言ってこなかったってことはこいつのとこでずっと止めてたな!?どんだけ嫌がらせすれば気が済むのよ!
「マジ死ね!」
誰だこいつをNo.2にしたのは!!
そう考えているとその犯人が音を立てずにのそっとやってきた。
「ボス!三途がセクハラしてきます!結婚しろとか言ってきてうるさいです!助けて!」
「……」
ボスはそれに対して何も言わずに私の方を見てきた。
やば。そう思った時には遅かった。
いつもは私に甘いのに寝起きが悪かったのか視線だけで人を殺せそうなくらい機嫌が悪い。
「オマエがウルセェ。ンなのケッコンすれば黙んだからさっさとケッコンしろ」
「え…?」
私が所属する梵天は、かつて無敵のマイキーと恐れられた男・佐野万次郎を筆頭に置く悪名高い反社会的組織である。マイキー命を掲げるクソ三途以下数名の幹部と数えきれない下っ端構成員で成り立っているが、『裏切り者はスクラップ』をモットーにする我々に失敗という二文字は許されない。裏切るとはボスの意向に反すること。私たちはボスのいうことには逆らえないし、逆らわない。つまり…
ボスの言うことはぜったーーーい!!!
ということで私とクソ三途の結婚が決まった。あの時の三途の顔と言ったら。思い出しただけでマジむかつく。
しかもなんでそんなところだけ純粋なのか頭を抱えたくなるんだけど、マイキーの
「ケッコンすんなら式あげるに決まってんだろ」
という鶴の一言で翌日梵天傘下のとあるウエディング場で式をあげることになった。
参列者は言い出しっぺすらいないんだからやったことにすればいいのに、マイキーシンパがそんなの許すはずもない。その場で適当に選んだドレスを着て重たい足取りでチャペルに向かって、扉を無遠慮にバンッと開くと、私の大好きな花であるスイートピーが白を基調としたチャペルを覆っていた。
え、かわいい。
こんな性格だし口も悪いし反社のくせにと言われるかもしれないけど、私は可愛いものが大好きだ。だからついチャペルに見惚れてしまって、後ろから三途が近付いてきているのに気が付かなかった。
「オマエ結構喜んでンだろ。つか馬子にも衣装だな」
そう言って私の姿を上から下までじっくりと見てくる。
せっかくちょっと式とかも悪くないと思ってたのに台無し。
「見過ぎ。見物料取るわよ」
そう言いながら三途を見たら顔とスタイルだけはいいからタキシードとか死ぬほど似合わなさそうなものでもちゃっかり着こなしててムカついた。
「こっちの台詞だろ。オレの顔なんて見たくもねぇんじゃなかったンかよ」
「別に顔は嫌いじゃないけど。顔だけね」
「何とでも言っとけ。どうせこれから嫌でも毎日見ンだからな」
そう言ってピンクのスイートピーの花束を私にほらよと渡してきた。三途の胸にもお揃いのブートニアが刺さっている。
「オマエの好きな花だろ?」
「なんで知ってんの?」
「よく事務所に飾ってただろ」
「脳筋のくせに花とか見てんのね。意外」
「ホント可愛くねぇ。こっちは一生に一度の式なんだから気ィつかってやったんだけどォ?ここは春ちゃんにありがとだろ」
何気に一生に一度とか「オマエはちゃんとした結婚できねぇ」って失礼なことを言われてるようなものだからカチンと来たけど、まあでもその通りなんだよね。だからまぁ…
「花は、嬉しかった…ありがと、三途」
「ン。つかもうオマエも三途なんだから春千夜って呼べや」
「はいはい、春千夜」
こうして私たちは契約結婚する運びとなった。
◇◇◇
「三途チャン、お茶」
「…スクラップ?」
「うっわ、旦那の口調もう移ってんの?フーフになるとそーなんの?」
「ちっがうでしょ!乗ってあげた同僚に感謝するとこ!お茶くらい自分で入れて!」
お互い任務が入ったりでなかなかタイミングが合わずに久しぶりに顔を合わせた灰谷兄弟の兄、蘭が私と三途…改め春千夜の結婚を知ってすぐにからかってきた。まあすぐにバレると思ってたけど、意外と早かった。こうなるのわかってたから知られたくなかったんだけどなぁ。
ソファに重役のようにふんぞり返りながらいいおもちゃ見つけたと笑う蘭とはうってかわって、竜胆は少しむっとしてこちらを睨んでいる。竜胆とはよく二人で飲みにいく仲間で、女運のない竜胆と男運のない私はこのまま35越えてもいい相手見つからなかったら結婚するか!なんてバカなことを言い合える仲である。もちろんお互い冗談だけど。
「なー、なんでオレのいない間に勝手に結婚してんの?」
「だって竜胆いなかったし。こっちは急を要してて…私のこと舐め回すように見て来るキモい男の嫁になるのはさすがに…」
そう言うと竜胆はこちらに近づいて私の背後から首にぎゅっと抱きついてきた。
「オレもそんな男にナマエやんのはヤだけど。ナマエが三途になんのもヤなんだけど」
「ごめんって。私も竜胆に頼もうと思ってたんだけどさぁ」
「契約結婚やめて今からオレとマジで結婚する?灰谷楓になる?」
「灰谷ナマエかぁー。アリだよね」
こんな感じでいつも通り竜胆と片想いごっこみたいな会話を楽しんでいると、
「ナマエ」
と私の名を呼ぶ声がした。声の主は三ヶ月前に契約結婚をした夫である。
「何?」
「今日もう仕事あがった」
「早!私仕事めっちゃ残ってるんですけど。部下が仕事に苦しんでる中一人で帰らないよね?」
「そりゃオマエが油ばっか売ってっからだろ。こんなとこで遊んでンならさっさと終わらせろ」
「部下からの報告待ちなの。というか半分以上どこぞの上司様の職務怠慢のせいなんですけど」
例のA社の件を春千夜のところで止めていたせいで今こちらに皺寄せが来てるのになんて上司だ。
「ンなの大した量じゃねぇだろ。さっさと終わらせろ」
「ここまで言っても手伝ってくれないのね。はいはい、三途さんお疲れ様でしたー」
私がひらひらと手を振ると、
「ナマエ」
ともう一度名前を呼ばれた。
「何」
「6時に迎えにくるからそれまでに終わらせとけ」
「なんで?」
「オマエが食いたがってたフレンチ予約取れた」
「…え!?まさか×ホテルの…?」
「ン」
「大好きダーリン」
「知ってる」
そう言うと春千夜はまっすぐドアに向かって出て行った。
私が行きたかったフレンチは超高級ホテルの中にあるお店で向こう三ヶ月は予約が埋まっている三つ星の有名店。
ずっと行きたかったお店だから俄然やる気が出てきて、
「って事で仕事やるわ。竜胆離して?」
と竜胆の腕をペシペシ叩いた。
それなのに何の反応もしない竜胆の様子が気になって後ろを振り向くと竜胆は閉じられた扉の方を見ていた。
「竜胆?」
「なー、オマエらって契約結婚なんだよな?」
「そうだけど」
「ふーん……三途キモ」
そう言いながらようやく私から手を離した。
だよね。私もそう思う。
春千夜がキモいなんて今に始まった事じゃないけど、本当にキモい。
まずはじめに契約結婚なんだから同居とかする必要ないのに
「夫婦で一緒に暮らさないとかウソだってすぐバレんだろ、バカか」
と言われ、知らない間に私の家は勝手に引き払われて春千夜の家で一緒に住むことになった。
ちなみに例のA社の社長令息はマジで私たちが結婚したか探偵つけて調べてたらしいから一緒に住んでよかったと思っている。コッワ。なんで私はこんなに男運ないの。
まぁアイツの家事務所から割と近いし、めちゃくちゃ広くて部屋数多いし、タワマンの最上階だから人がゴミのように見えて最高の眺めだし、家賃も払ってくれるらしいからいいかとしばらく住むことにしたんだけど…。
「春千夜にしては悪くない家」
「まァなんとかと煙は高いところが好きとか言うから高いとこにしといてやったワ」
バカって言われてるのはもう放置するとして…
「……え、まさか私のためにここに住んだとか言わないよね?」
「そーだけど」
はい…?
キモい。
あまりにいつもの春千夜と違いすぎて
「ちょっと。私のこと本当は好きなんじゃないの?同じ家に住むからって指一本でも触れてきたらその綺麗な顔に風穴開けるからね」
なんてわざわざ自分から喧嘩をふっかけてしまった。
「自意識過剰か。テメェみてぇな素直じゃねぇ女誰が抱くか」
あ、いつもの三途だった。よかった。
むしろ罵られて安心するなんて私もヤキが回ったな。
それからしばらくは家でも顔を合わせれば憎まれ口を叩き合っていたけど、会社でも家でもずっと口ゲンカなんて元気はお互いなくて、家では段々と普通に会話をするようになって気がつけば会社でも普通に会話をするようになっていた。
その頃から春千夜は異様に優しくしてきて…。
例えば帰り同じタイミングだったら一緒に帰って美味しいご飯奢ってくれるし、私が少し咳したら加湿器買って帰ってくるし、朝ごはん作りすぎたから蹴飛ばして起こして無理やり食べさせたら「料理うめぇな」。
こわい。
「ね、ねぇ?あんま無理してるとそのうちストレス溜まってハゲるよ?前みたいにしたら?」
「あ?嫁に優しくすんのは当たり前だろ」
え…?春千夜ってそんな感じなの…?今まで付き合った男がクズすぎて春千夜がものすごくイイ男に見えてくるんですけど…?
こわい。
そんなわけないでしょ。裏があるのよ裏が!!
「何企んでるの…?まさか私の持ってるヤクのルート狙ってる?アンタが仮旦那になったからってビタ一文まけないし、ルートを手放したりしないわよ?私の資金源なんだから」
「ンなショボいルートいらねぇワ。普通にありがとうの一つも言えないンかよ」
え…ホントにないの??
「まあ、裏がないんなら…礼くらいは言ってあげてもいいけど…」
「ンとに素直じゃねぇな、オマエ」
ほら。キモいでしょ。こわいでしょ。
だってあの三途春千夜だよ!?私の顔を見れば
「ブス」
だの
「アバズレ」
だのアメ横で叩き売りしてるおっちゃんくらいの勢いで私に悪口を浴びせかけてきた男が契約結婚中だからってこんなに優しくなる?ホントこわい。
でももっとキモくてこわいのはそれに居心地の良さを感じ始めている自分だ。
今まで何人も付き合ってきたけどこんなに大事にされたことがなくてなし崩しに春千夜に甘え始めている。
そう。うちとはなんら関係がないお店だから予約は普通に取らなきゃいけない高級フレンチを奢ってもらうのを良しとするくらいには。
どうするの、これ。
「つか三途必死すぎ」
「だよなぁ。オレも思った」
竜胆の一言に傍観をきめていた蘭が笑い出した。
「何が?」
「んー。三途が三途ちゃんのこと好きすぎてキモって話」
「……ホントにやめて」
私の反応を見て蘭と竜胆が固まった。
「「…マジ?」」
それには返事をせずにパソコンに目を向けて、
「竜胆さぁ」
と話しかけた。
「ん?」
「マジで私が35すぎて独り身だったらもらってね」
「オレはいいけど。オマエが三途のままじゃなかったら」
ホント、やめてよ。
◇◇◇
時計を見ると17:55。
ファンデーションのコンパクトケースを閉じて足速に事務所を出ると外には彼の愛車が止まっていた。私の姿を見つけた春千夜がわざわざ外に出てきて私のためにドアを開けてくれる。
ホント、なんなの。
車を少し走らせるとまだレストランに着いていないのに車が止められた。促されるまま外に出るとそこは私の好きなセレクトショップの前だった。
「なに?」
「服好きなの買え」
「…エ!?な、何、買ってくれるの…?」
「そうだっつってんだろ」
「い、いい」
「ンなよれっよれの服着てメシ食いに行ったら旦那のオレの品格疑われんだろ。さっさとしろ」
「よれよれじゃないし」
先月発売したばっかのク◯エの新作だから。
でも見たいんだよな、お店は。
「別に自分で買うけど。少し見てきてもいい?」
春千夜が何も答えずに車にもたれかかってタバコを吸い始めたのを了承と取って私はお店に入った。
何着か気になる服を試着しているとタバコを吸い終わった春千夜が店に入ってきた。私がキープしていた服を見始めて、そのうちの一着を私に渡してきた。
「これ今から着ていけ」
あと、これとこれ。とヒールとかアクセサリーとかも店員さんにポイポイと渡して行く。
「ちょ、ちょっと」
「あんま時間ねぇから早くしろ」
「……」
あまりに強引な春千夜にちょっとイライラしながら渡されたものを身につけて行くとめちゃくちゃセンスがよくてまたムカつく。
店員さんに「本当によくお似合いです!」とありきたりなお世辞をもらって試着室を出れば案の定もう会計は済んでいて、春千夜がエスコートするように私の腰を抱いた。
もう本当にどうしたらいいのかわからない。
正直その後のフレンチの味はわからなかった。多分美味しかったし、ソムリエが合わせてくれたワインも多分美味しかったと思うけど。
だって、
「この後ホテル取ってあっから」
なんて普通のカップルの常套句が食前酒で乾杯してすぐに春千夜の口から飛び出してきたんだもん。
「は?まさか…するの?」
意味がわからなさすぎて空気読めなさすぎの自分でも引く返しをしたけど春千夜はさも当たり前のように
「男が女に服贈るなんざそれ以外の意味あるンかよ」
と返してきた。
もう混乱しかないよね。ワイングラスを落とさなかっただけでも褒めて欲しい。
え、なになんなの。ここまでするとか本当に私のこと好きなの?
そんなバカな。
そんな感じでそのまま2時間、上の空でどこにでもありふれる上っ面の会話をしていたら、気がつけばホテルのスイートの扉に春千夜が手をかけてた。
部屋に入った瞬間。まだ扉が閉まりきってないんじゃないかくらいの時に私の手を引いて唇に噛みつく勢いでキスをしてきた。あまりの勢いに押されてよろけたのを春千夜が私の後頭部と腰に手を回して止めた。
「口開けろ」
そう言われて素直に口を開けて春千夜の熱い舌の侵入を許すし、なんならそれに応えちゃう。
何やってるの、私。
そう思うのに私も止まらなくて、春千夜の背に手を回す。もうここまで来れば私も子供じゃない。久しぶりの行為に体が熱くなってきてそのまま受け入れていると先程彼から贈られたドレスのチャックに春千夜の手が伸びてきたのを感じた。
そのままことに至ろうとしている雰囲気を察して春千夜をぐいと押し戻した。
「ちょっと。がっつきすぎ」
さすがにシャワー浴びてからと距離を取ろうとすると、春千夜は己の唇をペロリと舐めて
「ずっとおあずけくらってたしなァ」
と薄く微笑みながら私を抱えてベッドの上に放り投げた。
もう私しか見えてないと言うような眼差しに、数時間前に蘭に言われた三途必死すぎという言葉を思い出した。
そんなバカな。
◇◇◇
完全に雰囲気に流された。
それなのに目を開けて信じられないくらい綺麗な寝顔が目の前にあるのを見て出てきた感想に死にたくなった。
かっこいい。
…は!?かっこいい?いや、たしかにこいつの長所は顔だけど!違うでしょ、私…。
そう思いながらもスースーと聞こえてくる規則正しい寝息を立てる顔をじっと見つめてしまう。すると春千夜がほんの少し身じろぎして、桃色の髪の一房が顔にかかった。邪魔そうだなと思って反射でその髪をさらりと避けようとするとその手を掴まれた。春千夜はパッとバサバサに生えたまつ毛が特徴的な目を開いた。
「ナニ朝から盛ってンだ」
「盛ってないんですけど」
言われてることは最低なのに顔はここ最近私を見る目と同じで優しい。だから私も強く言い返せない。
この場からさっさと逃げ出さないとと思って上半身を起こそうとすると腰に手を回されて抜け出せなくなる。
「ちょっと。離して」
「初夜なのにさっさと夫置いて行こうとすんなんて冷てぇ女」
「あのねぇ」
初夜って…。そもそも契約結婚なのにこうしてシちゃってるのがおかしいんでしょ。
「今日私企業回りだから急がないと間に合わないから。離して?」
「あーそれナシになった」
「え?ナシ?」
「つーかオレの部下に代わりに行かせた」
「はぁ?何勝手に…」
「どーせ立てねぇだろ」
そう言うと私の拘束を緩めたから、私は意地でも立ってやるとベッドから飛び起きようとして崩れ落ちた。
それを優しく受け止めて、
「ほらな」
と笑って私の目尻にキスをしてきた。
私が「ちょっと」と文句を言う前にベッドに縫い付けて今度は唇にキスをしてくる。
昨日はいっぱいいっぱいで見れなかった春千夜がどんな顔してるのか見てやろうと目を開けたら、向こうも目を開けていて視線が合ってしまった。
「ンだよ」
「そっちこそ」
なんて顔してんのよ…。
「顔真っ赤じゃない。私のこと好きなんじゃないの?」
「ハ?そりゃテメェだろうがよ」
いやもう流石にわかった。こいつ私のことぜっっったい好きでしょ。
くそばか私も好きだ。
◇◇◇
好きなくせになんで好きって言ってこないわけ?でも私から言うなんてぜっっったいにイヤ。
あれ以降なし崩しに家でもたまにえっちしちゃってるけど、お互い絶対に好きと言う言葉は発しない。
「オレのこと好きだろ?」
「好き、じゃない」
「ふーんあっそォ」
「春千夜こそ…私のこと好きなんじゃないの?」
「ハッ、バーカ。ンなわけねぇだろ」
そう言うくせに私にしてくるのはとろけるような口づけで。しかも事あるごとに私に服を買ってくれて、当たり前のようにそれを脱がせてくる。
どこに嫌いな女に服プレゼントしてそれを脱がせて楽しむ男がいるって言うのよバカ。
という感じで、私たちはしばらく「好き」を言わないただのバカップルをしていた。その期間約三ヶ月。
そんな急造バカップルはすぐに崩壊するに決まっている。私たちも例外じゃなくて、今まさに崩壊の危機を迎えている。
最近春千夜の帰りが遅い。私よりも先に事務所を出てるのに私よりも帰りが遅い。春千夜が事務所を出るとしばらくして急いで事務所を出て行くユリちゃん。朝起きて洗濯をしようとカゴから取り出した春千夜のシャツから香る女物の香水。若い子に人気のこの香水はユリちゃんが使ってるのと同じ。
つまりこれは。
「浮気…?」
正確には浮気ではない。私たちは契約結婚中であって、夫婦でなければもちろん恋人ですらない。えっちをしてても「好き」も囁かない関係なのである。
そのくせ佐藤くんで懲りたはずなのに、いやいや春千夜に限ってそんな、と思ってるなんてバカすぎる。いやでも相手がユリちゃんっていうのがなぁ。あれだけ嫌がってた子と春千夜がなんかあるわけな……
だから、その期待がいけないんでしょうが!私のバカ!
そんな生活が始まってそろそろ三週間。
ついに見てしまった。現場を。
セクハラ親父の機嫌を取る最低な仕事を終えて部下に車で送ってもらっている時だった。信号で止まっていた時にふと外を見たら頭の悪そうなピンクの髪。
もしかして。
そう思ってしっかりと見てみるとそこには春千夜。
と、ユリちゃん。
春千夜とユリちゃんは連れ立って仲良さそうに歩いていて、腰に手を回している。さっきからちらちらお店を物色していて、それが全部ラブホ。
はーそうですかそうですか。せいせいしたわ。これで契約結婚も終わりでいいでしょ。
とはならない。
気がついたら私は部下の静止を振り切って車から降りてラブホに入っていた二人の後を追っていた。
そして二人がちょうどロビーで部屋を選んでいるところに出くわして胸元に手を入れて
「この浮気野郎!!死ね!!」
と言いながら春千夜の頭に銃を突きつけた。
「いくら契約結婚だからってやっていいことと悪いことがあるでしょ!人のこと本気にさせておいて!」
私がそう言うとニヤリと笑った春千夜がこちらを向いた。
何笑ってんの…!?
ムカついて三途の頭にもっとゴリッと銃口を突きつけた。
すると春千夜にしなだれかかっていたユリちゃんがスッと離れて、
「それじゃセンパイ。今日はもう終わりですね。お疲れ様でーす」
と言って帰っていった。
「ちょっ」
普段だったら絶対逃さないけど、あまりに自分は関係ありませんって感じなので呆気に取られてそのまま見送ってしまった。
ええ…!?ユリちゃん!?この流れでどこに行くのよ!?最近の若い子わかんない!!これがゆとり?
春千夜は銃を突きつけられたままなのにまだニヤニヤ笑っている。
「最近ラブホでうちの名前騙って粗悪なヤク売り捌いてる売人がいるからその炙り出しにラブホ回ってンだよ」
は?
なにそれ聞いてない…。っていうかなんでそんなこと幹部がやってるの…?
そこでようやくピンときた。
まっっって。
もしかして、もしかする…?
「だァれが浮気野郎だって?」
………さいあく…。
私が銃を下ろすとその手を掴んで適当な部屋に私を連れ込んだ。
マジで……死にたい……
「一丁前に嫉妬してンじゃねぇよ。オレのこと嫌いなんだろ?」
「……嫌いに決まってるでしょ」
私がそう顔を背けると、春千夜は私の顔をグイッと自分の方に向かせてそのまま私の唇にキスをした。いつもの激しい、痛いくらいの口付けとは違って優しいものだった。あまりにいつもと違うから私の身体は固まって、まるで受け入れているみたいになってしまった。なんだか恥ずかしくて顔がどんどん熱くなっていく。
しばらくして春千夜の顔が離れていくと見たこともない溶けるような瞳で私を見つめていた。
「オマエ、ンとに思ってること顔に出るよな」
そう言いながら私の頬を優しく撫でてきた。
うそつけ。春千夜の方が顔に出てるし。
そう言ってやりたいのに結局他の女といるところを見て声を荒げてしまったのは私で、今私の立場は絶対的に弱い。
「素直じゃねぇ嫁がいると旦那は大変なんだワ。もうさっさとオレのこと好きなの認めろや」
とドヤ顔で笑ってきた。
「まァでも楓ちゃんがただの後輩に嫉妬するくらいオレのこと大好きなのわかったし?仕方ねぇから一生オマエを愛してやるワ」
まっっって。
春千夜めちゃくちゃ性格悪くない?いや知ってたけども。
素直じゃないのは春千夜でしょうが!!
◇
「ていうかなんで私にだけその情報回ってないの…どうせ春千夜でしょ…」
「始まる前に言ったワ。まぁオマエは喘いでて聞いてなかったかもしんないけどなァ?」
「ほんと最低…あとユリちゃんはなんであんな感じなの。アンタのこと好きだったのに」
「ユリ、最初からオレのこと好きじゃねぇから。アイツは金のことしか考えてねぇから。女版ココ」
は…?
それじゃあ…最初から騙されてたってこと?
え、いつから?
佐藤くんの浮気も、その前の鈴木くんが知らない間にゲイになってたのも、その前の山田くんが急にアメリカの西部劇にハマって一人でアメリカに移住しちゃったのも………?
欲しかったらどんな手使っても手に入れる。この道の常套手段。
なんて。
「汚い手使いすぎ…!」
「なんとでも言えや。もうオマエはオレのモンだしなァ?」
「ホント殺す」
「おーおー。嫁の愛情表現が可愛すぎて殺されるワ」