みんながガチ恋する四天王様に口説かれるのがわたしとか普通思わないじゃん





「チリさん本命いるんだって…」
「え!?そうなの??」
「うん…私フラれちゃった…」
「そうなんだ…つらかったね…でもチリさんに恋人いるなんて知らなかった」
「頑張って口説いてるとこなんだって。あんなチリさんの顔見たら諦めざるを得ないよ…」

給湯室で泣いてる女の子とそれを慰める女の子の会話を聞いちゃった。最後まで言うとまたシクシクと泣き始める女の子と一緒にわたしも泣きたい気持ちになった。

チリさん、好きな人いたんだ…。

まあ叶わぬ恋だって最初からわかってたし。うん、別にいいじゃん。そもそもわたしはチリさんとそんなに長くいられるわけじゃなかったし。だから逆に諦められてよかった!


……。


むなしく自分で自分を慰めるのはやめよ。

だってそんなすぐに忘れられるような恋じゃなかったもん。でもチリさんの沼は深すぎるから、こういうことでないと抜けられないのは確かだし。今すぐは無理でも、少しずつ、少しずつ、忘れていくしかないよね。


チリさんと一緒に働き始めて二年。チリさんと出会って、好きになって、諦めようと思ったことも何度もあったけど、思い返してみると楽しいことばっかりだった気がする。



◇◇◇



つり眉にタレ目、細身の体躯にピアス。それからポケットから覗く手には黒い革の手袋。私の性癖をバチバチに射抜くその見た目に目が離せないでいると隣に立つ先輩に肘で小突かれた。

「おい、あいさつ」
「あ!す、すみません!ナマエと申します!これからよろしくお願いします!」

私が頭を勢いよく下げるとその人は「あっはっは」と声を上げて笑った。揺れる束ねた深緑色の毛先が目に入ってきて、それもまたなんとも言えず好きだったりする。

「やる気十分やなぁ。気張りすぎんと肩の力抜いてな?」
「は、はい!頑張りますっ!!」
「ぜんっぜん抜けてないやん。むしろもっと緊張してへん?」
「い、いや、その…」

私がそう小さく口にすると「ん?」と顔を傾けながら私の顔を覗き込む。なんだか恥ずかしくて俯きたくなるけどなんとかヘタクソな笑みを返した。

「四天王の方の前だと思うと流石に緊張しちゃって…」

嘘だ。いや、嘘じゃないけど。

この目の前のもんのすごいイケメンはわたしがポケモンリーグ事務員になるために受けた試験の面接官さんで、四天王(今知った)で、わたしの上司になる人(今知った)だ。

正直面接以降ガチで憧れててまたいつか会えるように絶対合格するぞ!なんて目標の一つにしてた人だったから、まさかその人が天下の四天王様で、しかも今から一緒に働けるとか………思わないじゃん!!

それにしても面接の時とぜんっぜん雰囲気違う…。あのときはめがねをしてて、こう、キリッとしてて…。わたしなんて近づいちゃいけない高嶺の花なのにどうしても惹かれちゃう、みたいな。でも今は方言がかわいすぎだし笑顔可愛すぎだしギャップやばくて何もかもが急所に当たってくる。つまり、やっぱり性癖ドンピシャなのだ。

それを認識しちゃうとさらに緊張が増してきて、でもわたしの目は欲望に忠実で近くにあるその端正な顔を凝視し続けてしまう。するとその人はその垂れ目がちな赤い瞳をわたしに向けて優しく微笑んだ。

「自分、初々しくてかわええなぁ」
「かっ」
「チリちゃんかわええ子好きやからこれから仲良うしてな」
「すっ」

社交辞令なのはわかってる。わかってるんだけどこんなかっこいい人にそんなこと言われたことないんだから心臓がドキドキしちゃうのは仕方がないことだと思う。

自分の頬がかぁっとあつくなるのを感じて今度こそうつむくと、一緒にいた先輩が
「チリさーん!こいつまだチリさんの顔に耐性ないんでからかうのやめてやってくださいよー」
と私の肩を叩いた。

「ははっ。堪忍な。自分の面接思い出すと可愛くてついかまいたくなるんやわ」
「え、覚えていらっしゃいますか…?」
「そら忘れたくても忘れられんわ。まさか自分みたいな子があないに大声張り上げると思わんかったし」
「う」
「いい夢聞かせてもろたしな」
「ううっ」

あのときは…ポケモンリーグで働きたくて必死だったから…。

今考えると超タイプな四天王様の前で『「ポケモン勝負してますか!?」お姉さんになってトレーナーさんたちにプレゼントを届ける仕事がしたいです!!』なんてドゴームばりに叫んだのかと思うと死にたくなる。

ちなみに説明すると「ポケモン勝負してますか!?」お姉さんというのは、パルデア内の何箇所かのポケモンセンターの一角でトレーナーに「ポケモン勝負してますか!?」と聞いて回って、一定人数以上のトレーナーに勝った人にわざマシンや便利な道具をプレゼントする人のこと。まあ今のところお姉さんはいなくておじさんしか見たことないんだけどね…。

後から聞いた話、今回は四天王付きの事務員の募集だったから珍しく四天王自ら面接官をやっていたらしい。先輩には「なんで知らねぇんだよ」って言われたけど、むしろその情報はどこを調べれば出てきたのかわたしにはわからない。でも、みんなが憧れるポジションだと言うのに全く違う場所で働きたいって叫ぶとか、どうなの?

そういえばわたしが叫んだあの瞬間「んふっ」て笑われた気がするって思ったけど、やっぱり笑ってたのかな。口元手で隠れてたし真面目な顔してたから気のせいかと流したけど…。

「恥ずかしすぎるので忘れてください…」

穴があったら入りたい。あつくなる顔を手で押さえたけどその指の隙間から見えるチリさんの顔が優しく微笑むのが見えてまた恥ずかしくなって指の隙間を閉じると、チリさんは「なんも恥ずかしいことあらへんよ」と言ってくれた。

「自分のやりたいことがしっかり決まってるのはええことやで?なあなあに生きてる人間は数えきれんほどおるけど、自分はそないな子やないって思ったからここにおる。だから夢はしっかりもっとき」
「は、はい!!」

チリさん、こんなに性格良くてこんなにかっこよくてポケモンバトルも強いって…神様はこの人に何物を与えるつもりですか!?

わたしの夢を聞くと大抵の人に『なんであえてそこ?』って顔をされる。わたしがはじめて相談した幼馴染なんてわたしのことを「物好き」とか呼んできたし。でも過酷な労働環境(わたしが住んでたところが悪かったからかもしれないけど)でも笑顔で「ポケモン勝負してますか!?」ってトレーナーさんに聞いて、そしてプレゼントを渡すおじさん、すごくない?小さい頃におじさんに「寒くないの?」って聞いたら「寒いよ。でも少しでも多くのトレーナーさんにこのわざマシンを使って強くなってほしいからね」と誇らしげにふぶきのわざマシンを持つおじさんを見た時、かっこいい!!って思っちゃったんだから仕方ない。

そりゃアカデミーに入った頃は少しだけ目指せチャンピオンランク!なんて思った時期もあったけど、各地で頑張ってるおじさんたちを見るとやっぱり裏方も悪くないって思って、さらに歳をとって裏方のありがたみがわかってくると、やっぱりわたしがなりたいのはふぶきのわざマシンを渡す人だなぁって結論に至った。それで今回、就職するにあたってわたしはトレーナーたちとは違う目的でポケモンリーグの扉を叩いたのだ。

面接の時、チリさんはわたしのそんな夢を馬鹿にすることなく
「なるほど。いい夢ですね。あの仕事は性別や年が決まっているわけではないのでもし合格して別の部署だったとしても諦めず挑戦してくださいね」
って言ってくれた。

トレーナー報酬を渡す事務員さんはみんなおじさんだったからひょっとしたら女のわたしには無理かもしれないって覚悟してたから、可能性があるって教えてもらえことはめちゃくちゃ励みになったし、こんな素敵な人がいるところで働きたいって思えたんだよね。

まさか入ってすぐに一緒に働けるとは思わなかったけど、チリさんは思った通り、ううん、思った以上に素敵な人だった。


チリさんの言葉に単純なわたしは恥ずか死にそうになったことも忘れて「ありがとうございます!頑張ります!!」って声を張り上げたけど、やっぱり目の前にある顔面が眩しすぎてまた目を細めた。そのわたしの気持ちを察したチリさんはまた声を上げて笑う。

「これから一緒に働くんやからおいおい慣れてな?」
「は、はい…」

そう言う割にダメおしとばかりに顔にかかる深緑の前髪の向こうに見え隠れする瞳をパチンとさせてウインクをしてくるチリさん、ずるい。それはこうかばつぐんでわたしの語彙力HP共にゼロ。

やっぱり無理!この顔にはぜっっったい慣れない!!

わたしはマジカルシャインを浴びたオラチフのように再び目を押さえたのだった。



◇◇◇



チリさん。

ポケモンリーグ四天王。の露払い。

じめんタイプの使い手で、相棒はドオー。

一次試験の面接官も務めていて落とされる挑戦者は数知れず。

普段は方言を使っていて、馴染みやすい性格をしている。
面接官と普段のギャップがえぐい。
ボールの投げ方カッコ良すぎる。


そして性別女性。←NEW


これ、絶対パルデア四大謎の一つに違いない。(あとの三つは知らんけど)


わたしがチリさんの性別を知ったのは配属されて一週間後、ずっと留守にしていた四天王の一人、アオキさんに挨拶に伺った時のことだった。チリさんに使う三人称が「彼女」で、わたしはずっとその「彼女」がポピーちゃんだと思い込んで聞いていたから、話が噛み合わなくて頭に?が浮かんでいた。

「四天王に加えて面接官なんて仕事までよくやりますよね。まあ大変だと思うので彼女の力になってあげてください」

最初はアオキさんの覇気があまりになくて、前代未聞の四天王とジムリーダーの兼任なんてしてるから忙しすぎて疲れてるんだろうな、心配だな、なんて思っててスルーしそうになったけど、それから五秒後にようやくアオキさんの言う「彼女」がチリさんだということに気がついた。

「ん?彼女、ですか?彼じゃなくて」
「ああ。チリさんはあのような格好をしていますかれっきとした女性です」

人間、本当に驚くと意外と声が出なくなるものらしい。わたしは三十秒くらいかけてようやくその言葉を飲み込んで、そして「そうなんですか」を絞り出した。

そっか、そっか、そうだったんだ。

かんっぜんに男の人だと思ってたから、他部署で働く女の人(しかも不特定多数)に誘われて「ええよ」って笑ってご飯に行くチリさんをちょっとだけ遊び人だなって思ってた。そう思っても、いざ自分も優しくされると心臓は当たり前のようにドキドキして、他の人と同じように「チリさん、素敵…!こんなん好きになっちゃうじゃんこのタラシめ!」なんてなってたけど。

でも女の人だったなら話は別だ。それならチリさんが女の人と出かけるのはごく普通のことだし、わたしに対して優しくしてくれるのも数少ない女だからだし。

そっか、そっか。

…女の人かぁ。

色々腑に落ちてよかったはずなのに、内心では結構がっかりしてしてた。だってどう頑張ってもわたしとチリさんがどうにかなることは絶対にない。だって同性だもん。

なかなかすぐには気持ちは切り替えられそうにないけど、わたしの夢はここから離れて故郷でわざマシンを配ることだし。これでよかったって思お!



なんて思ってたのは一瞬のことだった。

どストレートだったわたしを「同性?だから何?」とまで思わせるようになったチリさんは本当に怖い。


それは新人歓迎会という名の飲み会が開催された日のことだった。

普段お世話になっている先輩が開いてくれた飲み会で、ポケモンリーグの中でも四天王やトップチャンピオンのオモダカさんに付いて働いている一部の人のみのこじんまりとしたものだった。オモダカさんや四天王の方々は忙しくて来られなくて、わたしが一番お世話になってるチリさんも「あー、その日は出張があるさかい厳しいかもしれんなぁ。行けたら行くわ」という返事だったけど、やっぱり来られなかったらしい。それを少しだけ残念に思っていると、先輩が赤ら顔でわたしの肩をポンと叩いた。

「後輩ー!飲んでるかぁ!?」

初めてできた後輩に浮かれてるらしい(チリさん談)先輩は、わたしのことを後輩と呼ぶ。先輩はわたしの前にチリさんの面接の補佐官をしていた人で、今は出世してまた別の仕事をしているんだけど、だいぶ面白い先輩だと思う。

「飲んでます!大丈夫です!」
「オレはなぁ!?もっとチリさんと働きたかったんだけどなぁ!?なくなくお前に譲ったんだから心して働けよ!!」
「はい!心して働きます!!」

そう言われると本当は浮かれてるんじゃなくて恨まれてるんじゃ…と思わなくもない。チリさんは男性からもモテるから。でも先輩の気質なのか、嫌味に聞こえないし、普段から色々面倒を見てもらってるから酔った時くらいはわたしが話を聞かなきゃ!と思ってるんだけど。

でも一つ困ったことがある。

わたし、お酒得意じゃないんだった。

新人だからなんとなくお酒を断りづらい。先輩がなみなみと注いでくれたコップの中身をジッと見た後、もうこうなったら飲むしかない!!と意を決してグラスを口につけようとした時だった。

「遅れてもうたー。堪忍な」
と明るい声が広い部屋の中に響いた。この喋り方と声は間違えようもなくチリさんだった。

「チリさん!よく間に合いましたね!」

先輩がそうチリさんに向かって手を振ると、チリさんはまっすぐこちらに向かってきた。

「せっかくのナマエちゃんの歓迎会やで?くるに決まってるやん」
「えー、オレの時は普通に無理っつって来なかったのに」
「ムッサイ男が可愛い女の子と張り合おうとしてんのが間違うてる」
「チリさんきっつ」

チリさんの言葉にみんながわっと湧いた。チリさん一人増えただけのはずなのにやっぱり華があるし、なによりみんながチリさんを慕ってるから場は一気に明るくなる。

「チリさん、来てくださってありがとうございます!何飲まれますか?」

わたしがそう尋ねると、チリさんは私の顔を見た後スッと手元に視線を移した。

「自分は何飲んでるん?」
「ビールです」
「ふうん?」

そう言うとチリさんはわたしからそのグラスを取り上げてそのまま流れるようにごくりと一口飲んでしまった。

ん、ん?これって間接キスでは…!?

子供みたいにその間接キスにドキドキとしているとチリさんは苦い顔をして「チリちゃんビール苦手なん忘れとったわ」とバツが悪そうに笑った。

「このグラス使うてしもたし、自分も一緒に頼みに行かへん?」
「あ、はい!行きます!」

チリさんと一緒に店員さんを呼んでメニューを選んでいると、チリさんは「これ、オススメやで?」とメニューの一角を指差した。それはオレンジ色の甘そうなドリンクで、ノンアルのコーナーにあった。思わずわたしがチリさんの方を見るとチリさんもこちらを見ていてこっそりと誰にも見えないように唇にその細い人差し指を当てた。

「苦手なもんは無理せんでええよ」

チリさん、わたしがお酒あんまり得意じゃないのわかってて助けてくれたんだ…!!

さりげない優しさが胸にじんわりとくる。チリさんと一緒に働いてまだ少しなのに、こういうところが人気なんだろうなってよくわかったし、わたしが全てを放り投げて「好き」ってなるのはもうどうしようもないことだったと思う。



◇◇◇



思ったよりも激務。思ったよりも体力勝負。思ったよりも地味。

ポケモンリーグの花形だけど、四天王が抱えてる仕事は思ったよりもキツい。それに伴って事務員の仕事もキツくなる。新人だからって泣き言は言ってられなくて、毎日残業残業の嵐だった。平日はポケモンリーグと家の往復のみで、休日は死んだように眠って、起きてる時間でなんとか家事をする。コスメとか洋服とか前に買いに行ったのはいつだっけ?ってレベル。

「ナマエちゃんの淹れたコーヒーは格別やからもう他では飲めへんなぁ」

その日も残業決定していたわたしとチリさんは束の間の休憩をとっていた。わたしは自分の席で、チリさんはその小さなお尻をわたしの机に軽くもたれかからせてコーヒーを飲んでいると、チリさんははぁーってしみじみと息を吐きながらわたしのいれたコーヒーを褒めてくれた。

「そう言っていただけてお世辞でも嬉しいです!」
「お世辞ちゃうよ。こんなん思ったん初めてやわ」
「あはは。そんな風に言われると調子乗っちゃいます」
「おー、乗っとき!ほんま疲れ取れるから今ならなんでも言うこと聞いたれる」
「えっ!むしろ飲んでいただいてわたしが言うこと聞きたいくらいなのに!」
「その返しは予想せぇへんかったわ」

わたしとしては不本意だったけど、ひとしきり笑われた後に目を細めたチリさんが優しい瞳で「ほんま、かわええな」なんて言ってくるからそんな不満は一瞬で吹っ飛んでいく。

わたしの上司はやっぱりタラシだ。

にやけそうになる乾いた唇をキュッと結ぶとチリさんからの視線を感じた。

「あ、あの?」

するとチリさんは私の唇をその親指でなぞった。

「!!?」
「あー、乾燥してんなぁ。あかんで?放っておいたら唇切れてまうから。リップ持ってへんの?」
「い」
「ん?」
「今切らしてて」

死にたい。わたし、リップも持ってない女子力皆無女なんだが。仕事が忙しすぎてこんなところに弊害が…。

わたしがそう言うとチリさんはその臙脂色の瞳をスッと細めて薄く笑った。

「なぁ」
「はい?」
「今からチリちゃんと悪いことせえへん?」

この時のチリさんの顔と言ったら。死ぬほど色気があった。

「わるいこと、ですか…?」

わたしの頭は沸騰してるのか、好きになってもしょうがないってわかってるチリさんを目の前にするとそんなんどうでもいい!と放り投げるどうしようもない子になっちゃったらしい。もう心臓はドキドキしっぱなしで、正直言うとこのあたりのことはよく覚えてない。

「ん。チリちゃんとデート」
「え、えええ?!?」
「チリちゃんとデートするより大事な用あるとか言われたら泣いてまうけど」
「な、ないです!あるわけないです、そんなの…!!でも仕事が…」
「毎日死ぬほどやっとるんやから今日くらいはええやろ」

そう言うとチリさんはわたしの手をとって急に走り出した。

「ほら、はよ行くで!」
「わっ!!」




端的に言うと、チリさんとのデートはめっちゃくちゃ楽しかった。人生で一番と言っても過言じゃないくらい。チリさんは慣れてるのかエスコート上手だし、褒め上手だし。わたしはコスメ売り場でリップを買って、それからチリさんは新しいグローブを買って、そして最近テーブルシティにできたお洒落なカフェで夜ご飯を食べた。チリさんの話は楽しいし、聞き上手なチリさんのお陰でわたしもいつもよりも饒舌だった気がする。

そんなチリさんとの時間は砂糖菓子よりも早く溶けていって、気がつけばもう帰る時間。

「悪いことって楽しいですね。残業サボっちゃったから反省しないとですけど…」
「ああ。残業サボったことが悪いことちゃうからな?普段働きすぎなんやからこれくらいせんとストレスで禿げてまうわ」
「禿げるのは嫌ですね!でも、じゃあ悪いことってなんですか?」
「自分に彼氏おったら浮気になるやろ?」
「彼氏…?え、いないですよ、そんなの!」
「ほんま?」
「もちろん!わたし、浮気はするのもされるのも許さないタイプですし!!それよりチリさんこそ…」

恋人はいらっしゃらないんですか?

核心をつく質問をするのが怖くてそれ以上言えないでいるとチリさんは「ん。おんなじやわ」と頷いた。

「ナマエちゃんは自分から会いに行く派か来て欲しい派かどっちなん?」
「んっと、どういうことですか?」
「好きなやつに会いに行く派か来て欲しい派かどっちなんかと思って」

その質問の意図がわからなくて聞いたんだけどな…。参考意見ってこと?

「そうですね…。わたしは会いに行くタイプだと思います」
「なるほどなぁ」

なんだかその笑みにふくみがあるような気がしたけど、そこはタラシ上司のこと。気にしたら負けなのだ。

「それじゃあそろそろ帰らなきゃですね」

そう切り上げると、チリさんはわたしの前に包みを一つコトンと置いた。

「なんですか?」
「今日付き合うてもらったお礼。もらって欲しいんやけど」

それは先ほどリップと一緒に買おうか悩んでいた口紅だった。

「えっ付き合ってもらったのはわたしですし…!」
「デート誘ったんはチリちゃんやし、出かけたら気分晴れてまた明日から頑張れそうやし、その礼」
「うっでも」
「自分がもらってくれへんとこれは一生日の目見ぃひんで?チリちゃんこういうのはつけへんし、かわいそうやろ」

そう言うとチリさんは口紅をぐいっとわたしの目の前に出して
「もらってくれないと私チリちゃんにポイされちゃうかドオーの落書きに使われちゃう!」
なんて、今まで聞いたことないくらい高い声で口紅の声を代弁?してきた。

「ぷっなんですかそれ!」
「そのまんまの意味やで?」

ドオー、落書きするんですか!?なんてツッコミは野暮だよね。

「じゃ、じゃあ。あの、ありがとうございます!」
「ん」

わたしがその小箱を手に取るとチリさんは満足そうに笑った後「今度つけてるとこ見せてな?」と言って帰って行った。

こんなん好きにならない方がおかしい。

もしチリさんが女って知らなかったら絶対口説かれてると思うし、チリさんが四天王でもあんなにモテモテでもなかったら今すぐ追いかけてわたしから告白してたと思う。でも行かないわたし、身の程弁えてる。偉い。



◇◇◇



そうやってどんどんチリさん沼に落ちているところで冒頭に戻る、と。

そしてチリさんが絶賛好きな人を口説いているという話を聞いてから一ヶ月後。わたしがチリさんと離れる決定的なことが起こった。

「ちょっと今ええ?」
「はい!」

呼ばれてチリさんの事務室に入るとチリさんはまるで初めて会った面接の時のように少しだけピリッとした雰囲気を出してた。

「あの、何かありましたか…?」
「ナマエちゃん」
「は、はい」

チリさんがこんなに深刻そうにわたしの名前を呼ぶなんて…。なにかやばいことをやらかしたかと思って胃がキリキリしてきたその瞬間チリさんはにっこりと笑った。

「トレーナー報酬の職員に空き出たで!」
「………え?」
「しかも希望してたナッペ山ジムんとこ」
「え!?おじさんどうかされたんですか!?」
「早期退職するんやて。なんやガラルの温泉のあるとこに住む言うてうきうきしてるって話聞いたわ」
「そうなんですか!寂しいですけど、でもお疲れ様でしたって言いに行かなきゃ!」

チリさんは「せやな」も頷いた後、はぁーと大きくため息をついた。

「自分がおらんようになると思うとほんま寂しくてチリちゃん泣いてまうわ!」
「そんなのわたしもですよ!」

わたしの寂しいはチリさんとはだいぶ違うけど。でもチリさんが寂しいって思っててくれて嬉しい。

「でもまだわたしがなれるかどうかはわからないですよ」
「もうほぼ内定みたいなもんやから心配要らんで?」
「え?」
「トップも他の四天王もみーんなナマエの仕事ぶり知っとるからな。うちの人事はここで決めとるようなもんやから、どーしても行けん事情がない限りは決定や」

夢が叶う。その嬉しさで溢れそうになる涙をグッと堪えているのに、「その分うちが痛手やからそれはなんとかせなあかんけどなぁ」というチリさんの言葉にまた目が潤む。

そっか。わたし、チリさんと離れることになるだ。四天王のチリさんとナッペ山でトレーナー報酬を配るわたしじゃもう会うことなんてないんだろうな。

とたんに寂しさが込み上げてくるけど、明るく「泣いてまうわー」と言うチリさんに本気で泣く姿を見せるわけにはいかないし、寂しいなんて言ってたら推薦してくれたみなさんに申し訳ない。少なくとも今だけは寂しいなんて思ってるところを見せちゃいけないとわたしはチリさんに向かって笑った。

「本当にありがとうございました!新人が四天王付きになるなんて普通はないって伺いました。それなのにわたしを採用してくださって、こうして夢まで叶えていただいて…。チリさんには感謝してもしきれないです」
「採用したんは自分に魅力があったからやし、夢叶えたんは自分の力やから。ほんま、おめでとさん!」

それから10日後、正式に異動の辞令がくだってわたしは故郷のナッペ山に帰ることが決まった。最終日、泣かないって決めてたのにわたしは号泣してしまって、そして先輩とハッサクさんは、わたし以上に号泣してた。

「どちらが行くのかこれじゃあわかりませんわね!」
というポピーちゃんの言葉にわたしと先輩は「確かに」と涙が止まったのに、まだ「うぉぉぉい」と泣き続けてくれるハッサクさんにみんなで笑って、チリさんは頭を抱えていた。

「チリさん、本当にありがとうございました。何度も言っちゃいますが、チリさんには感謝しても仕切れなくて…。わたし、全力で頑張ってきます!」

そんなチリさんに最後の挨拶をすると、チリさんは
「自分が会いに来るの待っとるわ」
と笑ってくれた。

優しい。でもやっぱりタラシだ。わたしは自分で最高だと思う笑顔を向けて「ありがとうございました!」と叫んだ。


これでわたしとチリさんの物語は残念ながら終わってしまった。



◇◇◇



「おねえちゃーん!次こっち!」
「はーい!今行くよー!」

念願のナッペ山ジムポケモンセンターの「ポケモン勝負してますか!?」おねえさんに赴任して一ヶ月。わたしは何をしているかというと、近所の子供と一緒に雪だるまを作ってる。

仕事放棄?

いやいや、普段はちゃんと仕事してるから大丈夫!今日はお休みの日で幼馴染のジムリーダー姿を見に来たら、「あ!ポケモン勝負してますかのお姉さんだ!」と小さい子たちが話しかけてくれたのだ。わたしも昔そうだったなぁと思うと懐かしい。そしてちょくちょく遊びに来てくれる子たちと今日は一緒に遊ぼうと約束してたのだ。

雪だるま作りが終わって、子供たちは「またね!」と帰っていくと、代わりに幼馴染が近づいてきた。わたしのことを物好きと言った割に帰ってきて一番に「おめでと」と言ってくれたのには感動したっけ。

「サムいのによくやるよ」
「結構楽しいよ!動いてると暑くなってくるし」
「あんたって昔から精神年齢変わってない」
「そんなことないよ、多分」
「なんか悩んでる時すぐ雪だるまつくるとこも変わってない」
「そんなこと…ある、かも」

離れたら忘れられるかもなんて、甘かった。チリさん沼はそんな簡単に抜けられる沼じゃなかった。

「会いたいよぉぉぉ!!」
「……」

チリさんに、会いたい。でもあのチリさんのことだからもうきっと好きな人を口説き落として付き合ってるに違いない。チリさんは恋人ができたらその人を大切にするって言ってたから、わたしみたいな邪な感情を持った人間が会いに行ったらダメだよね。

「ねー、グルーシャくん」
「…なに」
「わたしこのまま拗らせて一人でおばあさんになっちゃったらどうしよう!」
「は?知らないよ、そんなの」
「冷たい!幼馴染のよしみじゃん。そこはそうなったらぼくがもらってあげるとかいう流れだよ」
「…」
「ちょっと、絶対零度の視線を向けないで!」

ほんとこの幼馴染は昔からつれないし、冷たい。

「優しいジムリーダーはこんなに失恋で傷ついてる幼馴染のお願い聞いてくれたりしないかな?」
「…一応聞くだけ聞いてあげる」

あ、これ、期待させるだけさせといて落とすやつ。

「一緒にテーブルシティにデートでも行かない!?」

グルーシャくんが断るのはわかってるから冗談でそう言ったけど、返ってきたのは予想だにしたい返事だった。



「よーやっと仕事片付けて会いに来たチリちゃんの目の前で堂々と浮気とか、さっすが自分、根性あるわ」
「…ん?」

わたし、チリさんのこと考えすぎて幻聴が聞こえてる?

なわけない。

「え!チリさん!?」
「ん、チリちゃんやで」
「え、本物…?どうしたんですか、こんなところに」
「ナマエちゃんは好きなやつに自分から会いに行く言うたから待ってたんやけど、ぜんっぜん来いへんから迎えに来たわ!」
「「…は?」」

あ、やばい。相手は四天王だと言うのに素で「は?」とか言っちゃった。それは一緒にいたグルーシャくんも同じだったみたいで、わたしたちは今二人でおんなじような口をぽかんと開けたバカみたいな顔をしている。

「自分らはちょっと距離離れてたところで問題ないって思っとったから悠長に待ってたのはアカンかったけど。さすがにこんなとこ見ると自意識過剰やったかもって不安になるわ」
「ん?んん??」

なに、これ。

「アンタが好きなんはチリちゃんやろ?」

夢?

「な、な、なん」
「なんでかって?んなもんわかるわ。だって自分のことずっと好きやったし」
「やめてくださいよ!わたしが勘違いしたらどうするんですか!!」
「勘違いやあらへんよ?ちなみに言うとくけどチリちゃんの好きはこういう好きやから」

そう言うとチリさんはわたしの手をとってまるで王子様みたいに指にチュッと音を立てて口付けた。

「えっ!?」

えっ、えっ、えっ??

「チリちゃんに好かれとるかもって思ったことないやろ」
「あるわけないですよね!?」
「ふっは!ほんま素直やな!」

チリさんはそれにケラケラと笑ってわたしの髪をサラリと撫でた。

「結構わかりやすくアピールしてたんやけどなぁ。ほんっと自分鈍くてかわいいなぁ」
「でっでも!チリさんは四天王で、みんなに優しくて、みんなの憧れで、そんなすごい人がわたしなんか」
「さすがになんとも思ってへん子にこないにやさしくせぇへんよ。優しくしたいし助けたいし困らせたいんは好きな子だけ。こんな風に迎えに来るんはアンタだけや」

だから、チリちゃんの女になって欲しいんやけど。


都合のいい夢を見てるのだろうか。押し寄せるキュンなセリフにひんしなのはわたしです。




「ねえ、ここがジムの前だって忘れてるよね。そういうのは二人でやってよ」
「はっ!!」

わすれてた…!!!

わたしが恥ずかしすぎて死にそうになってるのに、チリさんはなぜかニコニコしてむしろわたしの肩を抱き寄せる力を強くする。

「ち、チリさん?」
「幼馴染のお許しももらえたしそうさせてもらうわ」





チリさんのライドポケモンに乗せられて、フリッジタウンまできたかと思えばあれよあれよと言う間にホテルの一室にわたしたちはいる。

そしてベッドの上に横たわるわたしとそれに覆いかぶさるチリさん。

まだ展開についていけないわたしの名前をいつもよりも低い、色気たっぷりの声で呼ぶ。そして私の唇を手袋に覆われていないそのすべすべとした親指でわたしの唇をプニプニと押した。

「よう似合うてる」
「あ、りがとうございます」

わたしの返事を聞くや否やチリさんはまるで面接官をしてる時のような凛とした顔で微笑んだ。

「女の子に口紅贈る理由、わかるやろ?」

そう言われてパッと思いついた理由にわたしが顔を赤くするとチリさんは「ほんまかーわええなぁ」と溶けた瞳をわたしに向ける。

「キス、してええ?」
「うっ」
「ダメ?」

目の前には性癖ドストライクのチリさん。そのチリさんとのキス。

そんなん「はい」って言うしかないじゃん?

「ようやくナマエのこと可愛がれるわ」

そう言ってわたしの唇を食んだチリさんにわたしは顔が燃えるくらい熱くなった。何度か繰り返されるそれは溶けるくらい気持ちよくて、自然と涙が溢れる。

わたし、これからどうなっちゃうんだろう。

少しだけ怖いな、なんて思ってたら、「んで?」と急にトーンを変えたチリさんに「え?」と返す。

「チリちゃんがいない間に浮気しようとしとった悪い子は誰やろなぁ?」

そう言うチリさんの瞳にはわたしにもわかるくらい嫉妬心が露わになってて、嬉しい反面、そのマジな顔が怖い。美人は凄むと目力がやばい。

「えっいや、違う!浮気じゃないです!」

あれは、その、違くて。っていうかあのチリさんが口説いてるのがわたしとか普通思うわけないから仕方なかったんです!!




そんな言い訳、言わせてもらえるわけなかった。





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