先がないので諦めることにした絶対零度トリックからいつの間にか逃げられなくなってた




その日、幼馴染のグルーシャがジムリーダーを務めるナッペ山ジムは年に一度のお休みだった。最強のジムリーダーと言われるグルーシャに挑んでくるのは大抵が7つのジムバッチを手に入れた人ばかりで挑戦者はあまりいないのだけれど、ジムには何かしら人がやってくるし、いつ挑戦者が来てもいいようにジムで働く私たち事務員は常に待機していなければならない。

それでも年に一度ジムを閉めてのお休みがあるのは、ナッペ山の寒さが原因である。というのもパルデア地方で圧倒的な寒さを誇るこの山の施設はかなり傷みやすく、水道管や暖房設備等の定期的な点検はジムを平常通り続けるためだけでなくわたしたちの命を守るためにも必要不可欠なのだ。それくらいナッペ山の気候は厳しい。

ということでその日ジムは休みだったのだけど、点検はわたしの受け持ちなので当然ジムに行く予定で、代休はいつにしようかななんて考えていた。

髪を切りたいから休日の前日にしてハッコウシティかカラフシティまで足をのばそうかな。それなら予約の取れる日に…そう思って美容室を検索していたわたしに「ねえ」と声をかけられた。

「グルーシャ?どうしたの」
「点検、明日でしょ。ぼくが対応するからあんたは来なくていいよ」
「え?いいよいいよ!わたしの仕事だし」
「ここ来るしそのついで」
「あ、モスノウ?」
「そう」
「もうすぐだもんね」

彼のモスノウのたまごがかえるのはここ数日中になりそうだった。はじめてのたまごにそわそわするモスノウのためにグルーシャがジム内にモスノウとたまごの寝床を作ってあげていて、明日もジムに様子を観に来るからそのついでにということらしいけど。

「でもそれならモスノウについててあげて方がいいんじゃない?」
「別に四六時中ついてなきゃいけないわけじゃないから。点検なんて何人もいても邪魔だし」

相変わらず口が悪いグルーシャに押し切られる形でわたしの休みが決まったけど、でもそれじゃあと自分の仕事を、しかもジムリーダーに丸投げするのもどうなんだろう。せめて顔だけでも出そう。そう言い訳をしてグルーシャに会いに行くことに決めたわたしはもう何年彼に片思いをしているかわからない。

幼馴染の特権でグルーシャと気軽に話しているけれど、本来なら彼はわたしには手の届かない相手なことはわかっている。あの可愛い見た目に加えて元世界ランク二位のスノーボーダー、さらに今はパルデア最強のジムリーダーなのだから男女問わず彼を慕う人は沢山いる。その中にはもちろんモデルのように綺麗な、それこそグルーシャと並んで遜色のない子もいるわけで…。対してわたしは特筆すべき点のない一般的な女。グルーシャがどういう女の子が好きなのは知らないけど、彼くらいの人がこんな一般人を好きになるなんてとても思えない。

それがわかっていながらも結局グルーシャの隣にいれば諦められるはずがなくて、かといって告白をして玉砕する勇気もないわたしはずるずると彼への想いを拗らせ続けている。







翌日はナッペ山にしてはめずらしく晴天で、まさに点検日和だった。

点検をお願いしている業者さんはグルーシャのファンらしく、いつもわたしに「グルーシャ様」の話題を振ってくる。これが女の人だったらモヤモヤしていたかもしれないけど、業者さんは男の人なので変な心配もいらないから一緒によくグルーシャの話をしてるんだけど、確か一度も本人に直接会ったことないって言ってたと思うから本人を前にしたらどうなるんだろう。

テンション高く本人に「グルーシャ様のファンです!」と話しかける業者さんとそれに引いてるグルーシャが容易に想像できてマフラーの中で自然と口角が上がった。



時間も早かったしまだ室内で点検の説明でもしてると思っていたけど、予想に反してジムの中には誰もいなかった。モスノウの寝床を見てもあのキラキラした水色の髪は見えないので、点検に立ち会っているのかと設備を回るとジムの外にある電気設備の前で業者さんとグルーシャが立ち話をしているのを発見した。

「グルーシャ様わざわざすみません!!寒いの苦手ですよね!?大丈夫ですか!?」
「サムいのも大丈夫じゃないけど、さっきからあんたのテンションにやられてる」

やっぱりやられてた。

それに対して「すみません!憧れのグルーシャ様に舞い上がってて!!!」と圧を強くする業者さんにげんなりしているグルーシャにこっそり笑って、温かいココアでもいれて二人に差し入れしようと一度ジムに戻ろうとた時、ふいにわたしの名前が聞こえてきて足を止めた。

「ナマエさんは今日お休みなんですか?」
「休みだけど」
「そうですか…」
「何?」
「あ、いえ…。いつも点検の担当されているので、今日もいらっしゃるものだと思ってて」

せっかくだから流れで「実は来てます!」って乗り込もうかと思ったけど、
「ナマエさんって仕事早いし明るくて良い方ですよね。話してて楽しいですし。あんな人が自分の職場にいたらなぁ」
なんて言う業者さんに、タイミングを逃して出ていけなくなった。

業者さんはそのまましばらくわたしを褒め続けてくれたけど、なんとなくそれをグルーシャに聞かれたくない。どうしたらいいか分からずその場から動けずにいたわたしに、ようやく口を開いたグルーシャの言葉が冷たく降り注いできた。

「よくそんな口ペラペラ回るね。言っとくけどあいつはあんたが言うような理想の女じゃないよ」
「あ、えと、グルーシャ様はたくさん有名な方とお知り合いですもんね…?自分はナマエさんが今まであった中で一番綺麗だと思いました」

思った返事と違ったのか業者さんは焦ったようにフォローを入れたけど、グルーシャの返事は冷たいものだった。

「ふぅん。もっと見る目養いなよ」

理想の女じゃない。

返す言葉がないくらいその通りだったけど、その言葉でグルーシャがわたしを女としてどう見ているのかわかってしまった。それ以上そこにいられなくてわたしは二人に気付かれないようそっとその場から立ち去った。



◇◇◇



グルーシャの一言が強烈に頭に残って離れない。最初から可能性がないってわかってたはずなのにいざそれを目の前に突きつけられると流石に苦しくて、その日は一日中家で泣き続けた。もう両手の指で足りないくらいの年数片想いをしてきたんだから仕方がないけど、本当に一生分の涙を流した気がする。

でも、告白する前でよかったのかも。

1%だって可能性がないのに告白してグルーシャと気まずくなるのはいやだ。恋愛対象に思われてなくても私たちが幼馴染なのは変わらないし、失恋しても職場は同じだし。それならこのまま好きな気持ちを隠して生きていく方がいい。その気持ちが忘れられるまで極力グルーシャに関わるのはやめよう。



そう決めたのに。

「ねぇ」

忘れよう忘れようと思っている時ほどなぜか忘れさせてくれないのが世の常というもので。

「その格好。見てるこっちがサムいんだけど。風邪ひくよ」

翌日、久しぶりにジムへのチャレンジャーがやってきて、バトルのためのコートの整備をしているともうすぐ出番のジムリーダーに声をかけられた。

正直今はグルーシャの顔を見るのも辛いから朝からなるべく避けていたのに。自分で追いかけてきておいてなんだけど、今は職場が同じなのが憎い。

今日のチャレンジャーは最近界隈を賑わせている人で、久しぶりに8つのバッチを手に入れてポケモンリーグに挑めるのではと言われているらしい。そんなチャレンジャーと最強のジムリーダーの試合を見届けようと集まった観客はナッペ山とは思えないほど多い。それでこちらも気合いを入れて会場の整備をしてたからマフラーが邪魔で取ったけど、そんな言われるほどのことでもない気がする。

「え、普通じゃない?」
「普通じゃない」
「でも動くと暑くなるし」
「じゃあぼくが困るからちゃんと着て」

どうして困るんだろう。一瞬悩んで、そういえば小さい頃わたしが風邪をひくといつもグルーシャにうつしていたことを思い出した。

大きな街のないナッペ山に住む人は多くはなくて、同世代のこどもは私たちしかいなかった。だからわたしたちは当然のようにいつも一緒に遊んでいて、それはグルーシャがスノーボードを始めてからも変わらなかった。どんくさいわたしにウィンタースポーツは向かなかったから、練習をするグルーシャをいつも山小屋のテラスから見ていた。負けず嫌いのグルーシャが決まるまで何度もトリックにトライして、そして綺麗に決まるとわたしに向かってどうだと言わんばかりの顔をするのが好きだった。

毎日練習を欠かさなかったグルーシャが休むのは、決まってわたしが風邪をひいた日だった。多分私たちが8歳の時、風邪をひいていることを黙って練習を見に行ったせいで風邪を拗らせて肺炎になりかかったのが原因だと思う。

後からそれを知ったグルーシャに烈火の如く怒られたことがかなりショックでわたしが大泣きをしたからなのか、それとも本人の言う通り「あんたがいないとトリック決まったの自慢する人いない」からなのかわからないけど、その日からグルーシャは私が風邪を引くと相棒のチルットとともにわたしの部屋でスノーボードの雑誌を読むようになった。そしてわたしが治ると今度はグルーシャが風邪を引くのだ。

そのお見舞いに行くといつも「またあんたの風邪移った」と文句を言われたけど、なんだかんだわたしが風邪を引くとそばにいてくれるグルーシャのことをわたしはいつの間にか好きになった。

さすがにグルーシャがプロになってからは風邪を移すわけにはいかなくて風邪をひかないようにめちゃくちゃ気をつけたし、もしひいても絶対にバレないようグルーシャを避けてたからそんなこともなくなったけど…。

何を思い出しても理想の女と程遠いエピソードばかりでこれだからわたしはダメなんだよなと視線を伏せた。

「もうグルーシャには移さないから」
「そういうこと言ってるんじゃないんだけど」
「確かに」

そもそも風邪ひくような格好するなって話だよね。

「マフラーとってくる」

そう言って逃げるようにグルーシャから離れようとしたけど、グルーシャはそのわたしの手を取って「いいよ」と言うや否や自分が巻いていたモンスターボールのついたかわいいマフラーをわたしにぐるりと巻いた。

「え」

一気に暖かくなる首元となんだかいい香りに脳が固まった。少しして状況を把握して、「いいって!」と慌ててマフラーを取ろうとしたけど「動かないで」とぴしゃりと言われて今度は体が固まる。グルーシャはそんなわたしの顔が隠れるくらいまでマフラーをぐるぐる巻いた。その時グルーシャの顔はわたしのすぐ近くにあって、しかもマフラーを巻いていない状態。大好きな人の綺麗な顔に思わず彼のマフラーに顔を埋めるとグルーシャはめったに見せない笑顔で頷いた。

「似合うんじゃない?」

そしてそれだけ言うとわたしに背を向けて最後の調整のためにジムの中に戻って行った。


え。なに。今の笑顔。


あんなファンサいつ覚えたの?というくらいのとびきりの笑顔とグルーシャの柔らかい香りに心臓が死ぬほどドキドキする。

わたしのこと幼馴染としか思ってないのに勘違いさせてくるのはやめてよ、とか、グルーシャの方が風邪ひいちゃうよ、とか。頭の中でごちゃごちゃ考えていたけど、結局最後に行き着くところはグルーシャがわたしの顔をぐるぐる巻きにしてくれてよかった、だった。だって今のわたし、絶対顔真っ赤だもん。

一生分泣いたはずなのにやっぱりまだ好きだって思うわたしはバカだと思う。






確かにものすごく強い挑戦者だったけど最強の名は伊達じゃなくて、今日のバトルはグルーシャの勝利に終わった。バトルの余韻でしばらく観客は会場で雑談をしたり熱に当てられてバトルを始めたけど、あまりの寒さに一人、また一人と帰って行く。わたしがその誘導をしていると、「あの」とアカデミーの制服を着た女の子三人組に話しかけられた。

「はい!なんでしょう」
「お姉さんってジムの方ですよね?」
「そうですよ」

先程から試合を観戦しにきた小さな子に「どうやったらぐるーさしゃんみたいにつおくなれますか?」と質問されたり、グルーシャのファンに「サインもらえますか!?」と聞かれたりするので、そういった質問かなと女の子たちに向き直った。

「どうされました?」
「あの…」
「はい?」
「そのマフラーってグルーシャ様のですよね?もしかしてグルーシャ様の彼女さん、ですか?」




しまった。


グルーシャのマフラーは特徴的だからファンの間では有名でメーカーに問い合わせがあるくらいだった。確かもう売ってなくてファンが泣いてるっていうのを聞いたことがあるのに、ジムで働くわたしが同じのしてたら匂わせとか思われるじゃん。

「あ、これはそういうのじゃないです!」
「まだ終わらないの?」

早く否定しないとグルーシャに迷惑がかかると焦って返したわたしの言葉に透き通った声がかぶさった。聞き慣れたその声は間違いなくグルーシャのもので、女の子たちはまさか本人が登場すると思わなかったのか「きゃあ」と可愛らしい声をあげた。

その女の子たちに一瞬視線を向けたけど、すぐにわたしに目を戻したグルーシャに急いでマフラーを取って押しつけた。

「これありがとうございました!もうすぐ終わるのでもう大丈夫です!!」

優しいジムリーダーが事務員にマフラーを貸してくれただけ。実際その通りなんだけど、さらに親密でないことを示すためにあえて敬語で話しかけた。きっとこれで誤解も解ける。

そう思ったのにグルーシャが「何その敬語。気持ち悪いんだけど」とわたしのプランを台無しにした。

いや、空気!読んで!

そう目で合図をしてもグルーシャは自分には関係ないという顔でもう一度わたしの首に自分のマフラーを巻いた。

「誘導終わるまでちゃんとしてて。じゃないと意味ないから」
「なっ」
「あんたももう上がりでしょ?今日シチュー食べたいんだけど」
「…は、はぁ?」

え、シチュー?
いや、そりゃ一緒にご飯を食べることはたまにあるけど、こんなふうにわざわざ迎えに来て誘ってくるなんてあったっけ?っていうかそもそも誘うのはいつもわたしからだったのに、なんでこういう時に限って誘ってくるの。

わたしだけじゃなくて「え、まさか?」と女の子たちも目を丸くしている。そんな彼女たちにグルーシャはようやく声をかけた。

「それで、あんたたちは?アカデミーの生徒でしょ。そろそろ下山するかフリッジタウンに向かわないと野宿する羽目になるからおすすめしないけど」
「あ、はい…」

憧れのグルーシャにそう言われて女の子たちはおずおずと歩き始めた。

どうしよう。誤解されてないかな。

そう不安に思っていると案の定「グルーシャ様彼女いたんだ…。ショック」という言葉が聞こえてきて、頭が痛くなった。

「訂正してくる」

グルーシャにも聞こえていただろうから女の子たちのところに行こうとしたけど、それはグルーシャによって止められてしまった。

「めんどくさいからいいよ」
「よくないよ。それに迷惑でしょ。わたしが彼女なんて噂が流れたら」
「別に。なんとも思ってない女に好かれる方が迷惑」

何とも思ってないのにあなたのことが好きな女はこんな近くにいるんですけど。

でもそんなこと言えるはずもなくて歩き始めたグルーシャの数歩後ろをついて行くとグルーシャは足を止めてわたしが隣に来るのを待った。

グルーシャっていつもこんなふうにわたしを待っててくれたっけ。

どちらかと言うと彼の背中を追いかけていた方が多い気がする。それでも待ってくれているグルーシャの隣におずおずと立ってわたしより少し背の高いグルーシャを見上げると彼のライトブルーの瞳がわたしを見つめている。それがなんだか恋人を見るように甘く感じて、いたたまれなくて目を逸らすとグルーシャはとわたしの手を取った。

「もう終わったでしょ。サムいから行くよ」

ジム戦前から鳴りっぱなしの心臓がまだ止まない。諦めようってようやく決めたところなのに。ほんと、なんでこうなるの?



◇◇◇



「ついに付き合い始めたの?」
「はい?」
「グルーシャさんとに決まってるじゃない」
「は!?」
「いやー、長かったね、おめでとう!」

あのジム戦の日から二ヶ月後。ジムの自販機で買った温かいココアをその隣のベンチに座って飲んでいたら、事務員の先輩が隣に座ってきて信じられないことを言われた。

「いや、付き合ってませんよ!」
「またまたぁ、結構噂になってるよ?ずっと応援してた私に一言あってもいいんじゃない!寂しいよ」
「ついこの間まで『よくあの絶対零度トリックに片想いするよね』なんて言ってませんでした!?」
「あー、本当は前々から両片思いでかわいいなって思ってたけど、もだもだしてるから言わなかった。でも最近は空気が甘ったるくて見ててこっちが恥ずかしくなるよ。グルーシャさんって彼女にはあんなに甘いんだね」
「甘い‥?」
「甘いじゃん。ほら。先週ナマエちゃんがジムの前の雪かきしてた時とか。中からみんなで見てたけど完全にいちゃついてたよねって話してたよ」

えっあれ見られてたの!?恥ずかし…。べつにいちゃついてないけど。でも、確かにあの時のグルーシャはなんというか、うん、甘かった。


前日に降った雪がジムの前に積もっていたので、ちょうど手が空いていたわたしが人が来る前に雪かきを始めると、わたしの足元になにかがぺたりとくっついてきた。

「ん?」

足元を見るとグルーシャのアルクジラがわたしの足にぴとりとくっついてくる。あまりにかわいくてそのアルクジラをぎゅうっと抱きしめているとグルーシャがやってきた。

「勝手に行かないで」
「ホエー!」

わかってるのかわかってないのかアルクジラはゆらゆらと揺れている。

「今から散歩?」
「ついでにね」
「?なんの?」
「あんたがちゃんとマフラーしてるか確認するついで」
「なにそれ。そっちが散歩のついででしょ?今日は寒いしちゃんとしてるけど」
「ならいいよ」

そう言いながらグルーシャはわたしのマフラーをグイッと鼻まで上げた。急に上げられたのに驚いてわぷっとへんな声が出て恥ずかしい。

「へんな声」
「ぐ、グルーシャが…!」
「なに?」

わたしのマフラーを上げておきながら自分のマフラーは口元まで下がっていて、グルーシャの端正な顔立ちが良く見える。真っ直ぐわたしを見つめる彼のアイスブルーの瞳にどくんと心臓が跳ねるけど、グルーシャは涼しい顔をしていて結局意識してるのは自分だけなのかなってなんか悔しい。わたしはそっぽを向いてちょっとだけ怒ったように言った。

「なんか最近わたしのマフラー事情気にしすぎじゃない?もう子供じゃないんだから」
「知ってるよ。あんたすぐ他の男つるから。ちゃんと顔隠してなよ」

「…へ?」

他の男、つる?

え、なんかこれ他の男の人にわたしを取られたくないみたいに聞こえるんだけど。気のせい、だよね?

「どういう意味…?」
「自分で考えたら」

グルーシャはそう言うとホエー!といつものように可愛く鳴きながら歩き出したアルクジラの跡を追い始めた。

ほんとに、何?いくら幼馴染だからって、そんな心配しないでよ。これじゃあいつまで経っても忘れられないよ。

その後煩悩を払うように雪かきをし続けたせいで次の日は全身筋肉痛になって、グルーシャに「なにそんな張り切ってるの」って冷めたように言われたからちょっと殴ってやりたくなったのは余談。


思い出すとまた勘違いしそうになるのでわたしは先輩に「いちゃついてなんてないですから!」と返した。


「グルーシャ寒がりだから心配してくれただけで…それにわたしよく風邪をうつしてたし」
「そうかなぁ。あ、でもSNSとかでも話題になってるよ。グルーシャって入れると『グルーシャ様 彼女』が検索ワードに出てきて、事務員の女の人らしいって書いてあった」
「…」

ほら。あの時否定しなかったからこんなことになった。たしかに最近のグルーシャは未だかつてなく優しくて、先輩の言葉を借りるなら甘い、けど。でも現実はわたしはただの幼馴染なのだ。

否定しにまわりたいところだけど一介の事務員がそんなことしても拡散は止まらないだろう。わたしが途方に暮れているとようやく空気を察した先輩が「まさか」と口にした。


「本当に付き合ってないの?」
「…今絶賛諦めようとしてるところです」
「え!いや、止める必要ないよ!」
「でも聞いちゃったんです。わたしよりいい女いっぱいいるとか、わたしのこと好きっぽい業者さんに見る目ないって言ったり」
「…それって」
「グルーシャにとってわたしは唯一の幼馴染だからよくしてくれてるってちゃんとわかってます。でもそんな噂が広まってるならもうほんとそろそろ諦めないと迷惑かかりそうなので出会いでも探してきます…」

これ以上話してるとまた勘違いしてきそうだし。そう言ってベンチから立ち上がるとぎょっとした顔をした先輩が「ほんと!一回グルーシャさんと話してみなよ!」と言った。

「そうですね」

そう返事したけどもちろんわたしが好きなことは知られたくないのでグルーシャと話すつもりはなかった。

事務室に戻ろうと思ったけどなんとなくグルーシャに会うのが気まずくて見回りでもしようとジムの外に出るとトレーニング中のグルーシャを見かけて、やっぱり好きだってなるのを本当にそろそろなんとかしないといけないと思った。



先輩とそんな話をしてから二週間後のことだった。
上司に「この書類をポケモンリーグトップのオモダカさんに渡してきてほしい」と頼まれた。オモダカさんは全国各地を転々としているけど、メインはポケモンリーグのあるテーブルシティにいるらしい。

「明日の朝はテーブルシティにいると確認が取れてるから、泊まりになるが今日出発して明日の朝渡してくれ」
「はい。ついでに在庫のチェックして必要なものあれば買ってきますね」
「ああ、頼んだ。でも明日でいいからな?普段からよく働いてくれてるし今日は観光でもしてきてくれ」

うちの上司、神かもしれない。

観光、かぁ。そういえばテーブルシティには雰囲気のいいバーがあるって先輩が言ってた気がする。確か今の彼氏さんともそこで出会ったって話だよね。こうなったらわたしもそこで出会いを探してみようかな。


テーブルシティへ向かう途中、先輩に場所を聞こうとメールをしたら速攻で返事が返ってきた。

『本当に出会い探すの!?』
『そろそろわたしもいい年ですし、先輩みたいに素敵な彼氏作りたいです』
『でも紹介したらわたしがグルーシャさんに怒られる気がするんだけど』
『怒るわけないじゃないですか。わたしたちただの幼馴染ですよ。それにそこで出会いがあるかはわからないですし。せっかくなのでお洒落なバーに行ってみたくて』

そう送ると先輩はまぁそれならと教えてくれた。

『へんな人に引っかからないようにね』

心配してくれる優しい先輩がいるのは嬉しいことだと思う。翌日は仕事だし早めにホテルに帰ろうと決めてテーブルシティに足を踏み入れた。




久しぶりの暖かい街は、わたしには暑すぎるなと思った。マフラーも手袋もしないのはなんだか落ち着かない。でもせっかくだから髪を切って、わたしのグレイシアの好きなサンドイッチの具材を買い足して、少し前に生まれたユキハミの好物もお土産に買って。

そうしたら日が暮れてきたから例のバーに向かった。お客さんはちらほらいたけどみんな誰かと一緒で出会いなんてなさそうだったのに、残念よりも安堵の方が勝ってるからダメなんだよなぁ。

慣れないバーで一人マスターのおすすめのお酒を口にすると体がかぁっと熱くなってきて、それと同時にグルーシャへの愚痴が次々に溢れてくる。

ばか。グルーシャのばか。

なんであんなに勘違いさせることばっかりするの。わたしのこと好きでも何でもないくせに。迷惑かけたくないのに。

悶々としているとついお酒がハイペースになっていって知らない間にお酒に飲まれていく。気がつくと思考がぐるぐると周り始めてそろそろやばいかも、なんて思った時、いつの間にかバーに入ってきていた男の人に「おねーさん一人?」と声をかけられた。

「えーと」
「さっきからすごい勢いで飲んでるけど大丈夫?何か悩み事?オレでよかったら聞くよ」
「あははは。大丈夫ですよ。もう帰るので」

時計を見るともう22時を回っている。明日の仕事を考えるともうホテルに帰らないといけない。席を立ってバーから出ようとした時、自分でも思ったよりお酒が回っていたらしくふらりと地面が揺れた。

「おねーさん、酔ってるよね。よかったら送るよ。家どこ?」
「いえ、すぐそこなので」
「別に変なことしないから安心して」

そう言いながらわたしの肩に回された手の力が強い。その手に嫌悪感を感じるのに頭がふわふわしてうまく拒めない。

「あの、ほんと、大丈夫ですから」
「お酒強くないんでしょ?飲み過ぎはよくないよ。おねーさんかわいいんだからさぁ」
「…かわいくなんてないです」

理想の女でもなんでもないし。

あの日のグルーシャの言葉を思い出してわたしが不貞腐れた顔をすると男の人はははっと笑った。

「いや、マジでかわいいよ。何?彼氏とケンカ中?そんな彼氏オレが殴ってあげるよ」

彼氏じゃないし、別に殴って欲しいわけじゃないし、この人が下心でそう言ってるのはわかってるけど。でもささくれだった心に「かわいい」と言われるとなんでか涙がじわりと浮かんできた。

わたしの抵抗が一瞬止んだのを見逃さなかったその人はわたしの背中を押して店の出口へと歩きはじめた。

その時、扉がバンッと音を立てて開かれて、水色が揺れる。そこにはここにいるはずのないグルーシャの姿があって、グルーシャはわたしを視界に入れるとすぐにグッと目を細めてわたしたちの前に立った。

「なんでここに…」

わたしの質問には答えず、グルーシャは男の人の手を掴んだ。

「その子ぼくのなんだけど。手、離してくれない?」
「もしかして可愛くないっていったのこいつ?」
「もしそいつのこと言ってるなら違うよ。ぼくはそいつのこと世界で一番可愛いって思ってるし」

え?

男の人は舌打ちをして「んだよ、めんどくせぇな」と言ってバーから出ていった。

「何してるの、こんなとこで」
「え、あの、バーに行ってみたくて…。グルーシャはどうして…」
「あんたの先輩から聞いた。最近この辺り治安あんまりよくないの伝えるの忘れたって。ほら、さっさと帰るよ」

そう言ってわたしの手を掴んで店の外に出た。

バーの外には思いの外たくさんの人がいて、グルーシャを見て指をさしている。グルーシャは騒がれるのが好きじゃないからいつも目立たないようにマスクしたり帽子を被るのに、今日はしていないからすぐに本人だとバレてしまう。

また迷惑かけてる。

どうしたらいいのかわからなくなって足を止めるとわたしの手は彼の手からするりと抜けた。わたしの方を振り返るグルーシャは怒っているように見えた。

「何?」
「助けてくれてありがとう。でもグルーシャにこれ以上迷惑かけたくない。幼馴染だからってもうわたしに優しくしなくていいから。じゃないとわたし、勘違いしちゃうから」

私がずっと思っていたけど言わなかったことを吐露するとグルーシャは眉をぎゅっと寄せてため息をついた。

「ほんとバカ。ぼくがいつ迷惑って言った?」
「でも。わたしなんて風邪をうつす迷惑な幼馴染だし。前のジム戦の時も今も、多分グルーシャの評判下げちゃってる」
「あんたが勝手にそう思ってるだけでしょ。あんたが風邪をひいた時ぼくに言わなくなったの本当にムカついたし、今だって他の男に勝手に触らせたあんたにムカついてる」

うそ。

「あんたの居場所はぼくのとなりでしょ?それなのになに別の男に酔った顔見せてるの。業者には愛想ふりまくし、勘違いですませてくるし。何年ぼくに片想いさせれば気がすむの?」

なに、これ。わたし都合のいい夢でも見てる?グルーシャがわたしに片想いなんて、そんなこと。

「わたし、ただの幼馴染じゃないの…?」
「ぼくが好きでもない女のためにわざわざこんなとこまで来る男だと思う?」
「おもわ、ない」

でも、まさか。

「だってずっと片想いしてたのはわたしの方で」

グルーシャはまだ信じられないでいるわたしの顔を覗き込んで涙の滲む目を軽くなぞる。その顔があまりに優しくてさすがにわたしも自惚れてもいいのかもしれないと思った。

「あんたのこと、もう覚えてないくらい昔から好きだよ」

こんなサムいこと言うのあんたに対してだけだから、と付け加えるグルーシャに涙が止まらなくなってわたしはしゃくりをあげながら「わたしもグルーシャが世界で一番好き」と言った。

グルーシャは涙でぐしゃぐしゃになった顔をぐいっと袖で拭ったあとマフラーをぐるりとまいた。

「痛い…」

むりやり拭われた顔が痛くてそう呟いたけどグルーシャはそれを無視して「ホテルどこ?」と聞く。

「あ、と、あれ」

今いる場所から見えるくらい背の高いホテルを指差すとグルーシャは歩調を早めた。

「あ、あの、マフラー暑いんだけど。取っていい?」
「だめ。泣き顔他の男に見せないで」
「ひょっとして、他の男つるって、本気で言ってた?」
「本気に決まってるでしょ。じゃなかったらわざわざ点検変わって男と二人っきりにしないようにしたりしないから」
「え、うそ…」
「じゃあウソ。他の男にあんたを取られるかもって思って必死になったとかほんとらしくないから」

わたしがぽかんとしているとグルーシャは普段隠れている口元を少し尖らせて

「…あんたのこと好きなのはぼくだけで十分でしょ」

と言ったあとそっぽを向いた。その彼の顔が赤くて、あれが嫉妬だったんだと分かると今までのは何だったのかと思うくらいわたしの心臓がきゅうって締め付けられた。

「ふいうちのデレとかほんと死んじゃうよ…」
「そういうのサムいって言ってるでしょ?」

まだ顔が赤いのかグルーシャは目を合わせずに「ほら、行くよ」と、今度はわたしの指に自分の指を絡めた。いつもしている手袋をしていないわたしたちはお互いの温もりを求めるようにぎゅっと握りあった。

「あんたの手、冷たい」
「ごめん。寒い?」
「別になんだっていいよ。ナマエの手を引くのは昔からぼくの役目だから」
「えっあっ」

名前を呼ばれるだけで心臓が痛くて胸の奧からきゅうんと熱くなる。

「だから、何?」
「ごめ、なんか、グルーシャに名前呼ばれるとドキドキしちゃって…なんか、苦し…」

わたしがそう言うながら胸を押さえるとグルーシャは「またそうやってサムいこと言う」と足を止めた。

「言っとくけどこんなんで苦しくなってからこれからもたないからね?」
「え?」

どういう意味かわからなくて尋ねようとしたら気がつけばキラキラした雪みたいな綺麗な髪が目の前にあって。

唇に温かいものが触れて、そしてそれはちゅっと音を立てて離れていった。

「あんたはぼくの彼女なんだから、もう我慢しないよ?」

だからここでその笑顔はやめて?心臓潰れちゃうって。







その日の夜、SNSのトレンドは『グルーシャ様熱愛発覚』で、先輩からおめでとうとメールが来たのを翌朝見て知ったのだった。




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