冴くんはセフレを好きになることはないって言ってたので、後戻りできなくなる前にお別れします 後





冴くんみたいな人が好きになる女の人ってどんな人なんだろ。綺麗なモデルさんとか、同じ境遇を分かち合えるスポーツ選手とかかな。どちらにせよわたしみたいなド平凡な女じゃない。だから彼女になりたいなんて思ってない…って言うのは嘘だけど、重たくない女でいようとは思ってた。

本当は食べて欲しいけど手料理は重いだろうからなるべく控えたし、会話だって冴くんについて色々聞くのはうざいだろうから最近見たアニメが面白かったとか、会社であった笑える話とかめんどくさくないものにしようって決めてた。

それが功を奏したのか、冴くんの方から「今日行くから飯頼む」と言ってくれたり、わたしが好きだと話したアニメのフェアがコンビニでやってるのを見かけて「これ好きなんだろ」ってよくお菓子とおまけを持ってきてくれたりしたし、それに日本に帰ってきてる時は会いにきてくれたし、連絡もまあ多分セフレにしてはちゃんと取ってた方だと思う。その全部がきっと恋人だったら些細なことなんだろうけど、わたしたちの関係では普通じゃないことだから、それがまたわたしをひどくのぼせあがらせた。

冴くんの家の洗面台に並ぶ歯ブラシはいつもほぼ新品で、わたしが泊まってる間にゴミ箱に捨てられる。そしてわたしの歯ブラシが冴くんの横に並ぶ。だから、冴くんにそれくらいにしか思われてないような女の人のことなら別に気にしなくてもいいんじゃないかなって。いつかはずっと隣に並べてもらえるんじゃないかって。

わたしの歯ブラシだっておんなじように捨てられてるだけなのにね。


それをようやく理解したのがわたしが冴くんの家を訪れるのが片手で足りなくなってきた頃。就活が終わって時間があったから割と頻繁に行ってたから、まだ冴くんと出会って半年とかそれくらい。

わたしも久しぶりだったし、ひょっとしたら冴くんも忙しくて久しぶりだったのかもしれない。その夜はいつもに増して激しくて、意識がなくなるまで抱かれて知らない間に眠ってしまった。ふと目が覚めると隣にあったはずの温もりが消えていて、わたしは寝ぼけ眼で冴くんを探した。泊まりに来てるとき、わたしを離してくれないのは冴くんの方だからなんだか変な感じがして部屋の扉の取っ手に手をかけると冴くんともう一人、男の人の話し声が聞こえてきた。

冴くんの知り合いが訪ねてきたんだと意識が一気に覚醒して、服を着るか隠れるかしなきゃとあたふたしていたら、「セフレでもきてんの?」なんてあまりにも的を射たセリフが聞こえてきて思わず息を呑む。

「家に呼ぶなんてお気に入りじゃん?会わせてくれたら帰るわ♪」
「バカか。さっさと帰れ」
「とかなんとか言ってセフレに本気にでもなってたりして」

こんなの盗み聞きだから聞いちゃいけない。これ以上聞くと後悔するかもしれないから聞いちゃいけない。

そう思うのに足は動かなくて。そして無情にもその言葉はわたしの耳に届いてしまった。

「あ?セフレなんか好きになんねぇよ」


本当に冴くんは残酷だと思う。それならわたしを呼んでセックスしたらさっさと追い返して欲しい。料理作ってとか、わたしの好きなもの買ってきたりとか、ほんのたまに見せる優しい微笑みをわたしに向けるのをやめて欲しい。期待させないでよ。

なのにどうしても好きだから、彼がどれだけ酷い男だってわかってもわたしは彼から離れられない。だから、この後の二年間は本当に辛かった。

でもこの時どれだけ辛かったとしても今になってみればちゃんと彼の気持ちを聞いておいて良かったのかもと思う。じゃなかったらまだわたしは冴くんからの連絡を待つだけの女だったし、きっと次も流されてそのうち妊娠なんてこともあったかもしれない。

冴くんとわたしの関係に名前がなくなってもわたしの日常は変わらなくて、朝起きて仕事に行って、帰ってそして寝る。きっとしばらくは喪失感すごいんだろうなぁと思ったいたのにあまりにも変わらなさすぎたから、セフレなんてこんなもんかと妙に納得した。

まあさすがに同期の吉田くんと約束した合コンはまだやる気が出なくて幹事のくせに一人浮いちゃったけど。吉田くんに気を遣われて「あまりものになってるのかわいそーだから送ってやるわ」みたいなこと言われて、ちょっとムカついたから「吉田くんだって余ったってことでしょ」なんて言ったら怒られたけど。

でもこんな毎日が続いていけば気がついたら冴くんを忘れて、あの燃え上がるような身を焦がす恋じゃなくて、心が凪ぐ落ち着いた愛を見つけて結婚するんだろうな。そして多分それがわたしの身の丈に合ってる。

だからこれでよかったんだ。後戻りできなくなる前に別れられてよかった。

親友から連絡があったのはそう思えるようになった頃。ちょうど冴くんとさよならして一ヶ月経った時だった。



『次いつスペイン来る?』

スペインに残って教授の元研究を続けることにした親友ははわたしの長期休暇に合わせて連絡をくれるのに、珍しいこともあるものだと首を捻った。

「もし行くなら年末かなって思ってるけど、こんな時期に連絡くれるの珍しいね」
『そうそう。実はレ・アールの試合のめちゃくちゃいい席のチケットもらってさ。せっかくだから一緒に行けたらいいなって思って。ほら、彼氏に会いに来るついでもあるだろうし』
「あー」

わたしがスペインに遊びに行った時、数日を別のところで過ごしていたのを友人が恋人だと思い込んでるのをいいことに曖昧に頷いていたのがこんなところでツケが回ってきた。

「いや、その、彼氏はいないっていうか…」
『…もしかして別れた?』
「というかそもそも彼氏はいなくて…」
『……は!?じゃあよく会いに行ってたのって誰?』
「…………セフレ」
『はぁ!?え!?でも好きって言ってなかった!?』
「わたしはね。でも向こうは違くて。ごめん、驚かせたよね。なかなか言い出せなくて…」
『う、うん。色々驚いてる…』

だよね。冴くんに会う前までのわたしってセフレとかありえない。沼る女ってバカなの?くらいサバサバした人間だったから。親友に言わなかったのはもちろん冴くん相手だからなんだけど、実のところ引かれたくなくて言えなかったっていうのもある。

『ちなみにそのセフレはあんたが彼のこと好きなのは知ってるんだよね?』
「言えないよ。重たいじゃん」
『え、じゃあそのセフレとは今どうしてんの』
「なんかもう色々辛くなっちゃって好きな人できたって言って連絡先消した」
『ああ……。なるほど……』

今日の親友はやっぱりいつもと違う気がする。セフレの話なんてしたらきっと「はぁ!?そんなん別れて正解!」って言うと思ったのに。ひょっとしたら彼女も同じように辛い恋をしたのかななんて勝手に想像していたら、親友は『あのさ』と言いにくそうに言葉を繋げた。

『酷いこと、聞いてもいい?』
「酷いこと?」
『うん…』
「何?」
『……もしそのセフレがさ、あんたのこと本当は好きだったらどうする?』

本当に変。でも、そうだな。もし冴くんがわたしのこと好きだったら、か……。

「わたしはもう好きじゃないから好きにさせてみろバーカって言うかも」

もちろん強がりだった。でも言ってみるとなんか妙に心がスッキリして、きっとそう言ったら冴くんはその宝石みたいな瞳をまんまるにするんだろうなと想像したら笑えた。親友もまさかわたしがそんなことを言うなんて思いもしなかったのか、三秒くらいの沈黙のあと大笑いした。

『最高じゃん!』
「でしょ?」

それから親友にわたしのセフレがいかに酷い男かを一から全部聞いてもらった。途中で酒が入ってないとやってられなくなって、「ちょっとお酒持ってくる!」と冷蔵庫に走ると親友も『私も飲む!買ってくるから待ってて!こっち昼だけど!』なんて言って、せっかくなら顔見て飲もうってZoomに切り替えてどんちゃん騒ぎ。別にお酒強いわけじゃないのにあれもこれも飲んだから楽しいのにすでに頭が痛い。

「わたし明日会社行けないと思う!」
『私なんて今まさにさぼってるから!明日は頭痛くても教授に怒られに行く!』

わたし、男運はなかったけど、友人運はとんでもなくあったと思う。


翌日はもちろん会社どころじゃなくて初めてズル休み。「頭いた…」ってベッドの上を転がって、その日は水分しか取れなかったし、なんなら翌翌朝までわたしの胃と頭は死んでたわけなんだけど、昼食はそろそろなんか食べないとまずいと向かった会社の食堂のテレビから元セフレの名前が聞こえてきても前みたいに心のどこかが痛くならなくて、誰かに話すって本当に大事だなと改めて自分の親友に感謝した。

『スペインのサッカーチーム、レ・アール所属の糸師冴選手が帰国。連休前の空港が一時騒然としました』

テレビの中の彼はキャップを目深に被って国際線の空港を歩いていた。明日からの連休で空港はすでに混み始めていたらしく、日本の至宝なんて言われる彼はすぐに囲まれてしまって警備員が出てくる騒ぎになったらしい。なお、その帰国はサッカー選手にしては珍しいタイミングだったから、W杯の出場が関係しているのではと言う話だった。

少し痩せたかなぁ、なんて他人事みたいに見ていたら、最近よく一緒にお昼を食べてる吉田くんが「お」と声を上げた。

「糸師冴、W杯出てくれんのかな。昔は日本のサッカーなんて興味ないって感じだったけど、やっぱ潔世一のおかげだよなー」
「吉田くんってサッカー好きなの?」
「俺らが高校生ん時流行ったじゃん?ブルーロック。それでサッカーおもしれーってなってそっからは結構追ってる」
「ブルーロック…?」

わたしが聞きなれない単語を繰り返すと、吉田くんは呆れたように「俺らの世代でブルーロック知らねぇやつがいるとは思わなかった」とため息をついた。

「ごめん、わたしスポーツ全然興味なかったから。少し前はサッカー見たりしてたんだけど、今はそんなに…」
「糸師冴の名前が出た時反応してたからサッカー好きなのかと思ったのに残念だわ」
「残念?」
「お前と共通の話題あったらおもしろいのにって思っただけ」
「ああ、それはそうだね」
「お、ならブルーロック、の話は今度飲みながら腰据えてするとして、今は糸師冴の話するか」
「え、ガチオタクじゃん、吉田くん。これ長くなるやつ?」
「おう」

最近サッカーを見てなかったのはもちろん冴くんを忘れるためだけど、どうしたって一度知ってしまえばこうしてニュースで見るたびに思い出してしまう。彼のこと全く知らない頃はニュースになってても全然目に入ってこなかったのに、人間の脳は本当に都合良く作られてると思う。

でもどれだけその話題を避けようともう知らない頃のわたしに戻れない。だったら無理にその話題を避ける必要もないのかなって思って二日酔い(正しくは三日酔い)の胃に優しいうどんをすすりながら吉田くんの話を聞いた。

「糸師冴ってストライカーとしてスペインに行ったんだけど、今は中盤やってんだよな」
「そうなの?」
「詳しいことはわかんねぇけど、壁にでもぶつかったんだろうな。あんな風に天才って言われててもそんなことがあんだな。あとクッソイケメンだろ?めっちゃモテるかと思ったら意外とそうじゃないらしい」
「え!?それはないでしょ!」
「マジマジ。士道龍聖っつーブルーロック出身の選手がいるんだけど、二人の対談で言ってた。糸師冴は女の顔覚えないからいっつも誘ってくる女優の顔引き攣らせて、次からは避けられるんだってさ。弟もサッカー以外はポンコツとか言われてたけど兄貴までそうとか一周回って可愛くね?」
「え、でもさすがにそれは…」
「いや、士道龍聖はぜってー本当のことしか言わないタイプ。野生児っつーかなんつーか。制御できる人間糸師冴ぐらいじゃね?って感じ」
「なにそれ?」
「まじそんな感じなんだって。ま、でも本人もサッカー以外はよくわかんねぇっつってるし、案外恋愛下手だったりしてな」

マジでサッカー一筋なとこがカッケーんだよなぁ。

吉田くんの弾丸トークはこの一言で終了したけど、わたしは「え、誰の話してるの」って感じだった。だってわたしの知ってる冴くんは女の扱いがうまくて、セフレが何人もいて、わたしを手のひらで転がしてた悪い男で…。

しばらく考えたけど、どうせわたしたちはもう関わることがない人間なんだから考えても無駄だとそれ以上は放棄することにした。

その後は昨日休んだツケであまりにも忙しくて、三日酔いだとか日本の至宝が帰国しただとかそんなことを考えてる余裕もなくて、気がついたら時刻は20時。お腹も空いたしそろそろ帰るかとカバンを持って職場を出た。すると、見たこともない人だかりができている。普段そんな混むような場所じゃないから野次馬の気持ちでその人だかりに近づいてみたら集まる女の子たちの中心に立つ、頭ひとつ飛び出た男の人とぱちりと目があった。

「へ?」

幻覚かなって思った。一昨日死ぬほど親友と話したし、今日も吉田くんから彼の話をたくさん聞いたから、なんか現れちゃったのかなって。

でも小豆色の髪も、エメラルドグリーンの瞳も、それからたまに薄く笑みを浮かべる形のいい唇も、そのどれもが夢幻じゃないと言ってくる。足を縫い付けられたかのように動けないわたしの元に、その人は人垣をかき分けて真っ直ぐやってきた。

うそ、でしょ?

「よお」

この時、わたしの頭に浮かんできた言葉はたくさんある。なんでここにいるの?とか、もしかしてわたしに会いにきたの?とか。でもあまりの事態に口をぽかんと開けることしかできなくて、そして日本の至宝はまるでわたしの考えていることがわかってるかのようにこう言った。

「お前をもう一度惚れさせに来た」

もちろんわたしの口から出た言葉はこれだった。

「は?」

もう一度惚れさせにきた?セフレなんて惚れさせてどうするの?

ようやく諦められるって、ようやく次に行こうって思えたらこうして現れてわたしを繋ぎ止めようとする。でももう遅いし、わたしは冴くんのことなんて好きじゃない。そう言ってさっさと追い返さなきゃ。

なのに「冴くんのことなんて好きじゃない」って言葉がどうしても出てこない。

冴くんはわたしが何かを言おうとしては飲み込むのを見て多分待っていてくれたんだと思う。でも言えないままでいるわたしに痺れを切らしたのか距離をつめて頬に手を伸ばす。でもわたしたちはそんな関係じゃない。だからわたしはそれを避けた。

「こういうのやめて…。それに人が見てる。SNSとかで写真あげられたらまずいしせめて場所変えよ」
「別に好きにさせておけばいい。それよりお前に逃げられんのはもうごめんだ」
「逃げるって…。そんなつもりじゃ」
「好きな男できただけ言ってこっちの話聞かずに一方的に切るのは逃げるに入んねぇのか。しかも勝手に引っ越ししてんじゃねぇ。そのせいでお前に会うまで一ヶ月もかかった」
「………もしかしてこの一ヶ月の間に日本に来たの?」
「お前の家に行ったのに誰もいなかった」

元々会社の近くに引っ越そうとは思ってた。物件も探してたし。それで冴くんから離れた後心機一転できるしと急遽決行した引っ越しではあったけど…。忙しくて年に二回、三回しか帰ってこない冴くんがセフレと連絡が取れなくなっただけで日本に来るなんて。冴くんは絶対追わないタイプだって思ってたのに。それにセフレなんて好きにならないんでしょ?なのになんで…。

わたしのそんな疑問はお見通しだったみたいで、冴くんは
「一生一緒にいると思ってた女がいなくなったら誰だってそうする」
とわたしに手を伸ばしてくる。

でもわたしはその手を払った。

なんで今更そんなこと言うの。もう期待したくないのに。どうせ期待してまたわたしのこと落とすんじゃん。

「…そういうことばっかり言わないでよ」

わたしの声は震えてたと思う。それにこぼれそうになる涙を堪えるので必死だった。

「わたしだってそうなったらいいって思ってたよ。冴くんに一目惚れして、冴くんと話すようになってもっと好きになって、それでずっと一緒にいたいって思ってたけど……。でも冴くんはわたしのことなんて好きにならないじゃん。何度も何度も期待して、でもいつも最後はただのセフレだったってわかって。セフレのことなんて好きにならないんでしょ?わたしがどれだけ悩んでたか知らないくせに、そんなことばっかり言わないで」

嗚咽混じりで最後の方は自分でもなんて言ってるのかよくわからないぐらいだったし、結局わたしの頬には涙が伝う。見られたくなくて袖で何度も拭っていたら冴くんはそれを「やめろ」止めて、そして先ほどは降ろしたその手を今度は有無を言わさずにわたしの頬に添わせた。ゆっくりとわたしの涙を拭うその親指があまりに優しくて思わず冴くんに視線を移せば、彼は困ったとも、拗ねているともとれる面持ちでわたしを見下ろしていた。

「俺がセフレなんて好きになるわけねぇだろ」

……ほら。わかってたから今日は傷つかない。わたしの行動が彼のプライドを傷つけてしまったのなら謝って、そしてそれで本当におしまいになる。それでわたしが自嘲気味に視線を外そうとしたのに、聞けとばかりに冴くんはわたしの顔を自分に向かせた。

「なんで一目惚れしたのが自分だけだと思ってんだ。店のジジイはすぐ気が付いてうざいくらいからかってきたってのに、肝心のお前だけ気付かねぇ。俺はコーヒーの味なんざわかりゃしねぇのに、わざわざ店に通ったんだからな」

へ?

なに、それ。そんなのまるで…。

まっすぐにわたしを見つめる彼の瞳があまりにあつくて、さっきまでみたいにその言葉を簡単に片付けることができない。それでも必死に自分を守る言い訳を考えていたけど、冴くんはそれも許してくれなかった。

「だから、どれだけ鼻歌の音程がズレてても、アニメの趣味悪くても、寝相悪くてもお前のことが好きだって言ってんだ」




息が止まるかと思った。



◆◆◆



「冴ちゃーん来ちゃった

高校生の時、世界一のFWを生み出すというブルーロックプロジェクトを通して糸師冴と運命的(と本人は思っている)な出会いを果たした士道龍聖は、その最終選考である新英雄大戦でフランスのチームからオファーを受け、プロジェクト後はしばらくそこで八面六臂の活躍を見せていた。年俸はうなぎ登り、同チームに所属していた冴の弟、糸師凛と良い意味でも悪い意味でも張り合ってダブルエースとして名を馳せていたわけだが、かねてよりまた一緒に組めたらさぞ気持ちいいだろうと思っていた糸師冴の所属するチームからの誘いを受け、一年前にスペインへとやってきていた。

「三秒で用件を言え」
「今日得点決めたら冴ちゃんち泊まるっつったじゃん♪」

その龍聖が冴の家を訪ねることは珍しいことではなかったが、冴は龍聖が己の決めた活躍を見せない限りは決して部屋に入れなかった。

「アホか。3点だ。2点しか決めてねぇんだから今日は帰れ」

だからこうして断られるのは珍しいことではなかったが、今日はいつもと様子が違っていた。いつもはチャイムを5回以上押してようやく「うるせぇ」と出てくるのに今日は2回目で出てきた。それに加えて玄関の女物の靴と、いつもより不機嫌なのに、機嫌の良さそうな(不思議とこの二つは相反しない)天才MF。

龍聖の野生の勘が働いた。

「セフレでも来てんの?」
「あ?」

セフレという単語に面白いように眉を顰める。ビンゴ。これは絶対本命。あの女の顔を覚えようともしない冴ちゃんがねぇ。龍聖は普段隙のないこの男をちょっとからかってやろうと思った。

「んなの家上げたらあとめんどいっしょ。まさかセフレに本気にでもなった?」

すると冴は間髪入れずにこう答える。

「セフレなんか好きになんねぇよ」

この女がセフレのはずがない。たった一人の、大切な女なんだから。

冴はこれまでサッカー以外してこなかった男だった。生活も頭の中もサッカー一色。験担ぎでサッカーを頭の中から消すことはあってもそれは一瞬のことで、やっぱりすべてはサッカーが中心。もちろん健全な年頃の男だから、綺麗な女を見てイイ女だと思うことはあるし、実際女を何度か抱いたことはあるけど、でもなんだこんなものか程度。

だから女の顔はいちいち覚えないし、同じ女に声をかけられても「誰だお前」と普通に言ってしまう人間なので、彼女なんてできないし、そもそもいらない。そんな冴を変えた女は冴にとってもちろんセフレなんかじゃなかった。


あまりにストレートに今来ている女が本命だと言う冴に、龍聖はニヤリと笑った。龍聖はこの男のこういうところが好きだったりする。

「ヒュ、モテる男は言うことが違うねぇ♪まあそのセフレちゃんに免じて今日は帰るわ」

今度紹介しろよと手をひらひらと振る白髪の男の背に、今度は冴が珍しく「おい」と声をかけた。

「んん?」
「勝手に泊まりに来て悪趣味な色の歯ブラシ置いていくんじゃねえ。毎回捨てんのがめんどくせぇ」
「なら置いとけばいーじゃん♪」
「バカか。邪魔だ」
「セフレちゃんの歯ブラシ置かなきゃなんねぇからァ?」
「……」

沈黙を肯定だと捉えた龍聖はこれまでの冴をからかって楽しもうという気持ちから、その女を知りたいという気持ちへと変わった。この男をここまで変える女はどんな女なのか、強烈に興味が湧いたのだ。

「冴ちゃんがンな本気になる女、興味あんだけど。どんな女?」
「あ?…………普通の女だ」

長い下まつげが特徴的な目をじっと龍聖に向けて放った一言はまるで褒めているようなものではなかった。実を言えばサッカー以外では素でいられる場所を求める冴にとってそれは何より大事で一番の褒め言葉なのだが、そんなこと知るはずもない龍聖はつまんねぇ答えだと片眉を上げた。が、その後の答えは期待以上のものだった。

「だから興味持つんじゃねぇ」
「ハッ、冴ちゃん独占欲つよ」

ンなこと言われて興味持たねぇやついねえだろと気になってこのままベッドルームまで行ってしまいたかったけど、龍聖は好戦的な性格の割に空気は読める(あえて読まない時がよくあるけど)ので「次は紹介してねん」とふざけて身を翻した。

触覚のような白い髪を揺らしながら帰る同僚の見送りをさっさと切り上げて扉を閉めた冴は愛しい女がいるベッドにわざとどさっと音を立てて腰掛け、彼女の頬を撫でようとしたが気配に気がついたのか女はその手を避けた。

「あ、さ、えくん」
「ん」
「……誰か来てたの?」
「別に」

冴が触りそびれた女の頬を撫でるとビクッと体を震わせる。それが自分を拒否しているかのように思えてムッとした。いつもなら鼻や頬でも摘んで「何ビクついてんだ。いつももっとすごいことしてんだろうが」とかなんとか言って余裕の態度を見せる冴だったが、その日はそういうわけにはいかなかった。

昼間に冴を待つ間に他の男に声をかけられ、肩を触られていたにもかかわらずヘラヘラと笑っていたこと。龍聖が女に興味を持ったこと。それから女が自分が有名人だからと一歩引いた態度を取っていて、外で会うのを極端に嫌がること。

どれもが冴をイラつかせていた上に今また避けられたから結構真面目にムカついていた。そしてそのイライラを晴らすかのように冴はその白い首筋に噛みついた。

「んッ!?」

別にキスマークも噛み跡も付けて何が楽しいんだかと思っていたはずなのに、ほんの少しだけ滲む血の跡を見たらイライラが少しだけ落ち着いて、それで男はわざわざ所有印をつけんのか、と思った。確かに自分は独占欲は強いらしい。冴は初めて知る自分の激情を止めることができず、そのまま彼女の柔い唇に噛み付くようにキスをした。



冴が彼女と付き合っているかと問われれば一瞬悩んだあと「付き合ってる」と言う。悩むのは、日本にあるような告白を経て付き合うというプロセスを踏んでいないから。

好きになったのは、多分冴の方が先だった。なにせ一目惚れだった。冴が一目惚れしてなかったら、何度目かの冴の来店の時に一目惚れしたんだと彼女が気がつくことはなかったから、やっぱり冴が先ということでいいはずだ。なぜ彼女なのか、もちろん考えられる理由は容姿、声、それから常連客への明るい態度といろいろあったけど、でもそんなのは後付けで、一番は目があった会った瞬間に「こいつが欲しい」と思ってしまったから。それ以上の理由はなにもない。

隠すつもりもなかったから別にいいけど、あの喫茶店に通うようになってすぐ常連に「また会いに来たの?青春だねぇ」だの「え?明日で最後?なら二人で話した方がいいよ!」なんて絡まれて、自分はどんだけわかりやすいんだと思ってたぐらいだったから、当然彼女は自分の気持ちを知ってると思っていた。

それにそもそもわざわざ彼女の好きなアニメを調べてそのフェアでグッズを買ってあげるだの、料理を作って欲しいと言うだの、わざわざ連絡して会って、会話して、そしてセックスするなんてのを好きな女以外にするアホがどこにいる?

物事を1と0で見るとことんドライな冴にとっては破格の対応だった。だからそんな自分の気持ちが伝わっておらず、むしろセフレだなんて思われてるなんて思いもしないから、仕事で日本に帰った時、偶然会った彼女に「このあと?同期と合コンだよ」なんて言って、自分に見せたことないワンピースを着て笑っているところを見た瞬間「ふざけんな」と思った。

自分が好きな男の前で他の男に愛想振り撒きに行くなんて言うなんて、こいつバカか?とも思った。前に俺が好きな曲を歌う女と共演した話を聞きつけると唇をキュッと噛み締めて嫌そうな顔をしたくせに。

こっちだって他の男の視界にお前が入ることすら嫌なのに、なんでわかんねぇんだ。

自分の中にこんな感情があったのかと思うくらいの激しい嫉妬が渦巻いてきて、そして絶対に合コンなんか行かせるかと彼女の部屋に着いた途端性急にキスをした。嫌だなんて言う隙は与えない。前回彼女の家でゴムは使い切ったし、自分だって今回はあまりに時間がなくて彼女に会えないと思っていたから持っているわけがない。そのことには割と序盤に気が付いてはいたけど、久しぶりの彼女の体に止まることなんてできるわけもないし、なんなら妊娠させてさっさと自分のものにしてしまいたいという思いもあったからダメと拒否する彼女の体に割って入った。


冴の激情がおさまった頃には女は意識を飛ばしていた。本当は目を覚ますまではいたいけど、もう約束の時間はすぐで、その数時間後に飛行機に乗らなくてはいけない。冴はいつものように眠る彼女の目尻にキスを一つ落として、そして「行ってくる」と部屋を出て行った。

飛行機に乗る前『今からスペインに帰る』なんてガラにもない連絡をしたのは、冴があの後弟とともに実家に帰った際、向かい合って微笑む両親を見て先ほどまで一緒にいた彼女が恋しくなったからで、次に会ったらスペインに来いと言おうと決めての連絡だった。そうすれば彼女を合コンなんかに誘う男もいなくなるし、たまに彼女の話に出てくる同期なんてのにも無駄にイラつかずに済む。

それなのにスペインについてスマホ開いた瞬間に『好きな人ができたのでもう会えないです』なんて書いてあるのは何の冗談か。

さっきまで俺に縋り付いて「好き」だといっていたやつが、俺の「好き」を聞いて感情を制御できずに涙していた女が、他に好きな男ができているわけがない。それに散々噛み跡をつけて合コンになんて行けなくしてやったのに、いつどこで他の男を好きになったと言うのか。

「ふざけんな」

自分でも聞いたことのない声だった。こっちはもうお前以外ありえねぇのにお前は他の男を選ぶだ?そんなの嘘でも許すワケねぇだろ。

冴はエゴイストだった。だから、自分の欲しいものは譲らないし、もし好かれてないなら好きにさせればいいという考えの持ち主。

そんなんなのに女の居場所を突き止めるために彼女の親友を訪ね、自分の気持ちがわかってもらえるまで通い続けるなんていう真摯なこともするから厄介だったりするのだけど、それで『わたしはもう好きじゃないから好きにさせてみろバーカ』と言われた冴は「ならもう一度惚れさせるからさっさと好きって言え」という結論に至っているので、もちろん彼女を逃す気はさらさらない。これから死ぬほど甘やかして、そして自分がいないと生きていけない人間にするつもりだ。

彼女はあの日の決断が、日本の至宝を覚醒させてしまったことをこのあと身をもって知ることになる。






◇◇◇



「わかったか」

冴くんが、わたしのこと、好き?それってどんな世界線なの。だってわたしただの会社員で…。いや、でも流石にここまでされて嘘だなんて思えない。だって冴くんはそんなに暇じゃないし、興味のない人を勘違いさせることもきっとしない。

「は、鼻歌の音程外れてないよ。それに寝相だって別に悪くないし」

わかっていながらも「好き」に対して反応できないでいるのは多分まだ現実だと思えないから。すると冴くんはそんなわたしを鼻で笑い飛ばして、わたしの頬をむぎゅって音が出そうなくらいつまむ。

「い、いひゃい」
「わかんねぇならお前の好きなところ言ってやるから耳かっぽじってよく聞け」
「へ?」
「俺に料理作ってる時機嫌よさそうに鼻歌歌ってんのがかわいい」
「………え」

か、かわいい…?

頬はじんじんと痛んだまま、つまり冴くんにつままれたまま。それがこれは夢じゃないんだとわたしに教えてくる。

「その歌が絶妙に下手なのも笑い堪えんの大変だけどかわいいし、俺の好きな曲知ってからたまにその曲口ずさんでんのも俺に染まってるって感じがしていい」
「ッ」

これ、誰…?糸師冴の皮を被った別人生?かわいいとか、染まるとかそんなこというキャラじゃないじゃん。

でもいつも通りの怖いくらいに綺麗な顔立ちのままそんな甘い、というかクサいセリフを言うものだから破壊力は抜群で面白いくらいに顔が熱くなっていく。わたし、今絶対顔が赤い。それをバレたくなくて彼の手から逃げようとしたら、冴くんは離れていく頬の代わりに代わりにわたしの手を掴んでさっきよりももっと距離が近くなるくらいわたしを引き寄せる。

「俺よりずっと小さい手も守ってやりたくなる」
「あ…っ」
「それから唇も」
「ま、待って!?」
「あ?まだ始まったばっかだろ。黙って聞け」
「む、無理。わかったから、もう、やめて…」

視線を地面に向ける。そこには多分一生履き慣れないヒールを履いたわたしの足と先ほどから彼が離してくれないわたしの手が見えた。冴くんが言うみたいにわたしの手は冴くんの大きな手のひらにすっぽりとおさまっている。それがなんか、冴くんがわたしのこと離す気がないって言ってるみたいだった。

「わかったならいい」
「で、でも」
「あ?」

わたしの三年間は長かった。もちろんわたしが聞けばよかったのかもしれないけど、そもそもわたしたちの間には「付き合う」のつの字も出てなかった。冴くんの家にはいつも新品のピンクの歯ブラシがあった。そんな状況に加えて「セフレなんて好きにならない」なんて言われたら、わたし遊ばれてるって思ったってしかたなくない?一生都合のいい女だったらもうそろそろやめなきゃって思うの普通じゃない?それにわたしが離れてから好きだなんて言われても、自分から離れていく女が惜しくなっただけかもしれない。

「今はそう言ってても今後どうなるかわからないから。他にセフレいる人とかわたしには無理だから」
「今の話聞いてなんでそうなる」
「…歯ブラシ、二本あった。冴くんの家に」
「あれは勝手にうちに泊まりにくる同じチームのやつだ」
「は…?え、あのどピンクが?」
「趣味ワリィからな。つーか目の前で捨ててんだからそんな大したことないってわかるだろ」
「わかんないよ、だってセフレのだったら冴くんはそうやって捨てるだろうし。わたしのだって同じように捨てられてるって思ってたし」
「半年使ってなかったら捨てるだろ」

……そうだけど。そうだけど!

「それに」
「え」
「歯ブラシ見るとお前思い出すのに会えないからムカついて捨てた」
「………そういうの、もっと早く言って欲しかった」

こんなに言葉にできる男ならもっと早くしてくれても良くない?今更なんなの。わたしどれだけ悩んだと思ってるの。

「俺はサッカーしかやってこなかったんだぞ。女の喜ばせ方なんて知らねぇ」

それも、そうかもしれないけど…

喜怒哀楽、この短い時間の中でわたしの感情はいっぱい揺れ動いたけど、最後にわたしを支配したのは怒りだった。

やっぱりわたしに冴くんは荷が重たすぎる。感性が違うし、今は良くてもいつかは綺麗な女優さんとかと出会ってそっちを好きになってまた後悔する日がきっと来る。わたしにはもっと身の丈にあった人がいるってようやく思えたんだから。

今日初めて冴くんをしっかりと見据えて、そしてここでようやく最初に言うと決めた言葉を告げた。

「でもわたし、冴くんのこともう好きじゃないから」

言った。言っちゃった。

言った後、後悔なのか安堵なのか、自分の感情のくせに今自分がどんな気持ちでいるのかわからなくなってなんだかわからないけど泣きたくなった。

なのに冴くんはわたしのその決死の一言をさらっと流す。

「別に問題ねえ」
「え?」
「だから、もう一度惚れさせにきたって言っただろ」


………え?





冴くんはぽかんとするわたしの手を引いて歩き始めた。会社の前だったという忘れかけてた事実を今更ながらに思い出して、「わたし、明日からどうしたら…」と気まずい気持ちを抱えていたのに冴くんを一目見ようとする野次馬の中に見慣れた男性もののスーツ姿が目に入って、それがお昼一緒に食べた彼のものだと思い出すといよいよ顔が上げられない。それで導かれるまますぐ近くの幹線道路まで出ると冴くんは慣れたようにタクシーを拾う。

「お前の家どこだ」
「あ、えっと」

さっさとタクシーを出してしまいたくてわたしが住所を答えたけど、よくよく考えればおかしい。

「……うち行くの?」
「他にどこがあんだ」
「でも」

わたしたち付き合ってないじゃん。それなのに冴くんをうちに呼んでしまったら、なんかこれまでと何も変わらない気がする。

不満と不安で悶々としていると冴くんはわたしの頭を自分に方に引き寄せた。ぽすん、なんて漫画にありそうなかわいい効果音をつけてわたしが冴くんの肩によりかかると彼は
「無理やりなんてしねぇ。お前から欲しいって言うまでは手は出さねぇよ」
とわたしの髪を優しくすく。すぐ隣だから彼が今どんな顔をしているのかわからないけど、その声も、手も優しくて、だからちょろいわたしはそれならいいのかな、なんて頷いてしまった。

それで家についたらこれってどう言う状況なんだろ。

わたしの部屋に入るなりずかずかとわたしのベッドの上に座って、ずっと手を引いていたわたしの自分の足の間に座らせる。そしてかちこちに固まるわたしの頭に顎を乗せて腰に手を回して何をするかと思えば、おもむろにテレビをつけてそれを見始める。

「…………いやいや、おかしくない?」
「あ?別におかしくねぇだろ」

いや、おかしい。なにこの何年も付き合ってきて会話が必要ないカップルみたいなやつは。

「わたしたち付き合ってないよね」
「お前が俺のこと好きじゃねぇとか言うからな」
「うん、言った、けど」
「でも俺の顔は好きだろ」
「……今はそう言う話してるんじゃ」
「好きか嫌いか言え」
「好き、だけど」
「声は?」
「……………好き」

マジで冴くんはずるい。わたしが冴くんの顔が好きなことを知ってわざわざ覗き込んで聞いてくるし、冴くんの声に逆らえないことを知ってて耳元で呟く。

「手は?」

それからしばらく続いた質問でそう聞かれた時、これ以上冴くんのペースに飲まれちゃいけない気がして「もう離して」と冴くんの拘束から逃れようとしたのに、それよりも前に冴くんの右の中指がわたしの手のひらをなぞって背筋がぞくりとした。

くすぐったいその感触にさっと手を引こうとしたけどその時にはもう冴くんにとらわれていてその手を払うことができない。

「だからこういうのは」
「こういうの?」

わかってるくせにわからないふりをして、指をまるで恋人のように甘く絡めてくる冴くんを強く拒否した。

「付き合ってないのにこんなことしたくない」
「これくらい付き合ってなくてもするだろ」
「しないよっ」
「してんだろ。現に今俺と」

すると冴くんは暴れる腕の中のわたしを今度は向かい合わせに座らせる。背の高い彼の膝の上に座らされるとちょうど冴くんの顔がわたしの目の前にくる。至近距離の日本の至宝の顔面の破壊力があまりにも凄すぎてぐうの音もでないわたしに無理やり視線を合わせて「俺はお前以外いらねぇ」なんてホストも真っ青の言葉が飛び出す。

「今までお前以外好きになったこともねぇし、これからもねぇ。つーか、多分もうお前以外勃たない」
「ッ」

とんでもない口説き文句があったもんだと思う。

今までこんなんじゃなかったじゃん。こんな、甘いの。もう冴くんみたいな有名人とは付き合わないって決めたのに、その決意をすぐに挫いてくる。わたしを蝕む言葉はまるで毒みたいで怖い。

「だ、ダメだって…」
「俺をこうしたのはお前だ。それにお前のこともう一度惚れさせるって言っただろ」

そしてこう続けるのだ。

「もう俺以外のとこ行こうなんて考える気にもならないくらい愛してやる」

冴くんは今までに見たことがない表情でわたしを真っ直ぐ見つめる瞳は細められていて、いつものきらめくエメラルドグリーンはどこか仄暗い。

あれ?

そう思った時には遅かった。なんだか冴くんの纏う雰囲気は重たい。それに気押されたわたしは、冴くんがわたしを抱き寄せるのを拒むことができない。側から見れば抱きしめられているこの状況に心臓は早鐘を打っているし、囁かれた耳は熱を持っている。なのに頭のどこかではすごい勢いで警鐘が鳴っている。

そして冴くんは痛いくらいにわたしを抱きしめて、そして耳元でこう呟く。

「だから一生俺から離れられると思うな」

掠れるくらいの小さな声だったのに、その低くて甘美な響きはまるで言霊みたいにわたしの動きを縛って、

 あ、逃げられない

とわたしの本能が悟った。





本当は「好きじゃない」だなんて言った一言で入りかかってたヤンデレスイッチが入っちゃったとか、そんなの知らないから、ただわたしはこの後自分がどうなるのか想像して震えることしかできなかった。






おまけ『女と士道龍生の出会い』
(しばらくして冴のスペインの家に呼ばれたとある日の話)

「あれ、冴ちゃんいねぇの?」
「今少し出てるだけなのですぐ戻ると思いますが」
「………」
「えっと、何か?」
「あんたセフレちゃん?」
「……。セフレではないです……一応」
「ふーん」
「…」
「へー♪」
「なんですか」
「もっと可愛いかと思ってたけど、意外とフツー」
「……は?」
「冴ちゃんはあんたのどこがよかったわけ?×××の具合?」
「……………」
「あ、そのイヤそうな顔はキュンです
「………ひょっとしてピンク好きですか?」
「好き。なんで知ってんの」
「ああ、わかりました」
「俺の話セフレちゃんにするとかやっぱ俺冴ちゃんに愛されてる
「…あの、そのセフレちゃんはやめてもらっていいですか」
「あんたの名前知らねぇし」
「ナマエです」
「ふぅん?俺は士道龍生」
「あ、野生児」
「あ?」
「すみません、友人からそう聞いてたので。めちゃくちゃ納得してます」
「ふはっ」
「……すみません」
「いーや?俺そういうの好き」
「そうですか」
「つーか冴ちゃんの試合見たことあんだったら俺出てたから知ってるっしょ」
「……」
「あ?冴ちゃんしか見てねぇって?」
「ち、そ、そういうわけじゃなくて…その」
「何」
「すみません、サッカー詳しくないんです。だから知り合いばっかり見ちゃうので」
「ふーん?」
「あ、冴くんもうすぐ帰ってくるらしいです」
「もーいいわ」
「へ?」
「間男が旦那に会うと気まずいじゃん♪」
「まおとこ?」
「俺あんたのこと気に入っちゃった
「……はい?」
「冴ちゃん飽きたら俺ンとこ来いよ。俺は共有とか全然オッケーだから今すぐ3Pとかでもいいけど♪」
「………今すぐ帰ってもらっていいですか」

…………そうこうしてる間に冴くんが帰ってきて士道さんを追い払ってたけど、その後わたしに対して「他の男に尻尾振るとかまだわかってねぇのか」っておかしくない?










もどる











「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -