運命だけど本命じゃないって身の程わきまえてたら日本の至宝の激重感情育ててた







「それでねっ!君は僕がいなくても生きていけるけど、この人は生きていけないんだって!僕の運命だからって!しかも最後には彼女と会う前から君と番になるビジョンが見えなくなってたとか言い出すし!」
「そうか」
「なんでわたしは生きていけるの!?わたしだって生きていけないよ!もう仕事やめちゃってるのに…。しかも番になるビジョンが見えないって何…?意味がさっぱりわからないんだけど…。しかもね、もしよかったら僕の友人はアルファばっかりだからよかったら結婚式くるかい?なんて言ってくるんだけど!どんだけ最低なの!?……ねえ、冴くん、聞いてる?」
「ずっと聞いてんだろ」
「だって何も言ってくれないから」
「この話もう何回目だと思ってる」
「う、ごめん…今日奢るから許して」
「男にフられた女に奢られるほど金に困ってねえ」
「すみませんでした」

男にフられた女。

冴くんはずっとそうだ。わたしのことを“オメガ”だって言わない。アルファ、しかもその中でもとびきり優秀であるにも関わらず、彼は地位の低いオメガに対して偏見を持たない。わたしのことを対等な人間として扱ってくれる数少ない、というか唯一のアルファの友人。

スペインにいる彼が日本に帰って来ていると連絡があったのは昨日の夜。そして昨夜、まさに番になるはずだったアルファに捨てられたわたしは泣きつくように彼に「飲みに行こ!!」と誘ったのだ。

普段出歩かないわたしよりも日本にいない冴くんの方がなぜか良い店は知っているからいつもお店を予約してくれるのは彼だった。今日のお店は有名人の冴くんでも気軽にくつろげるし、わたしもオメガであることを隠す必要なく話せる完全個室で、しかも冴くん好みのいい感じの和食屋さん。いつもよりも値の張るお店だからか「つーかここで二人分払えんのか」と言われるとわたしはぐうの音もでなくて、もう一度「すみませんでした」と謝った。


仕切り直したのにもかかわらずまだいかに番になるはずだったアルファが薄情かを言い足りない酔っ払いのわたしは、普通の人がお金を払ってでも欲しい彼の時間をまだ無駄に使わせたいらしく、「それでねそれでね」と続ける。聞き上手なのかただ黙々とお酒とおつまみを口に運んでるのかわからない冴くんに四回目の話を聞かせた後、
「ていうか運命の番よりわたしでしょ!?ずっと支えてきたのに!ほんとむかつくからわたしも運命の番連れて結婚式に乗り込んでやりたい!わたしの運命の番どこ!?」
と泣き喚くと、冴くんはそんなわたしに呆れるように大きくため息を吐いた。

「見る目ねぇな」
「そうだよね!そんな運命の番なんかよりわたしの方が」
「いや、お前が。お前の目は飾りか?それに鼻も死んでんだろ」

辛辣の一言に尽きる。流石にからみ酒をしすぎたかもしれない。でもこちとら傷心中。そのナイフでグサグサに刺された傷口に塩を塗られると流石に涙が出てくる。

「冴くん優しくない…」
「目の前に運命の番がいんのに気が付かねぇアホに優しくなんてしねぇよ」
「目の前にいるの!?」
「いるだろーが」
「…え?」

わたしの目の前にいるのは日本の至宝なんていわれる雲の上の男しかいませんが?そんな男がわたしの運命なわけないじゃん。

「ごめん、わからない」

わたしがそう言うと冴くんはイラついたように眉を顰めた。その瞬間、ふわりと甘い香りが漂ってきて、それを脳が認識すると体がずうんと重たくなる。そして皮膚は汗ばみ、呼吸も浅くなっていく。

ヒートが起こる前兆のような感覚。

甘い香りの正体はわたしの目の前にいるアルファから発されるフェロモンだった。アルファのフェロモンに直に触れるのはヒート時の元婚約者のもの以外では初めてだった。仕事場にアルファがいるから普段からキツい抑制剤を飲んでいて全くアルファのフェロモンを感知できないようにしてるのに、それでも感じる自分に向けられたそれは驚くほどに甘美で。


ぜんぜんちがう。あの人のフェロモンと。あの人のよりもずっとあつくて、ずっとこのフェロモンに包まれていたいと思わせる安心感。それなのに暴力的なまでにわたしの本能を曝け出そうとしてくる。

これが運命ってやつなんだと鈍いわたしにもすぐにわかった。

とても普通に座っていられなくなって、机に突っ伏しながらなんとか冴くんを見上げると、彼は平然と頬杖をついてわたしを見つめている。

「わかったか、マヌケ」

冴くんの言う通り本当にわたしは驚くほどマヌケだった。運命の番を前に運命の番に会いたいだなんて言うなんて。でも彼のフェロモンとお酒に完全に酔ったわたしは起きがれないどころか意識が沈んでいく。初めて運命の番、しかも多分割と本気のフェロモンを直に浴びたのだから仕方ないことだとは思うけど。

冴くんは返事をしないわたしにまたため息を吐いてわたしを抱き上げた。するとわたしの顔は冴くんの首元すぐのところにあって、その良い匂いをうかつに鼻口いっぱいに吸い込むとわたしの一番奥がきゅうってなる。

あ、やばい、と思った。

運命の番はオメガのヒートを強制的に引き起こすことができると聞いたことがある。それはどうやら真実だったらしく、無理やりそのスイッチが入れられてしまったらしい。そのせいか普段のゆるやかに始まるヒートとは違って一瞬にして理性が瓦解していく。自分からとめどなくオメガのフェロモンが溢れ出すのを感じると、遠くで冴くんの舌打ちが聞こえた気がした。

「おい、どうする」
「んえ?」
「このまま番になるか?」
「う、」
「なるならその邪魔な首輪さっさと外せ」

完全に理性のなくなったわたしは愛しい運命に言われるがまま己のうなじを唯一守る首輪をのろのろと外す。その間、わたしのヒートに当てられて顔が赤らんでいる冴くんはわたしの頬や首筋にキスを落とす。そしてついにわたしのうなじが彼の眼前にさらされるとそこを舐めて、そしてアルファの鋭い牙を軽く当ててくる。

「んんっ」

ぞくぞくする感覚に震えているけど、そのあと一向に噛まれる気配がない。一刻も早く噛んで彼のものになりたくなってしまってるわたしは冴くんに「はやく」と急かす。

それでもまだ甘噛みを続ける彼に懇願するように「かんで」と泣くと、冴くんはわたしのうなじをひとおもいにがぶりと噛んだ。



◇◇◇



三ヶ月に一度ヒートが原因で学校や会社を休むことを余儀なくされるオメガは、勤勉であることを美徳とする日本では冷遇されている。もちろん時代の流れに従って政府が介入してオメガの社会進出が進み始めているし、わたし自身もそういった制度を利用してオメガを雇ってくれるホテルのバーラウンジでウエイトレスとして働いていたけど、だからって人間の意識はそう簡単に変わるものじゃない。

特にわたしが働いていたホテルは老舗ホテルだったから有名人や企業の重役に使用されることが多くて、そしてそういう人たちはほとんどアルファ。アルファの中には理性がなくなるラットを誘発するオメガを忌み嫌う人も結構いるから、お酒を扱う場であるのも相まってそういう人たちに絡まれることはたまにあった。

わたしと冴くんが出会ったのは3年前のそのラウンジで、タチの悪いアルファに絡まれていた店員のわたしをお客さんの冴くんが助けてくれたのがきっかけだった。



「お前、オメガだろ!フェロモン臭くてかなわない」

元々静かなバーラウンジが、酔っ払いの一言にさらに静まり返った。有名人も来るようなラウンジで揉め事を起こすバカがいるのかと、冷めた視線がわたしとその人を包むけど、酔っ払いなだけあってその視線には気がついていないようで、聞こえないように小さくため息を吐いた。

わたしはアルファのフェロモンが感知できなくなくなって、自身もフェロモンも発しなくなる強い抑制剤を飲んでいる。だからあなたの言う匂いの元はわたしじゃない。

そう言いたくても言えないし、そもそも本当に匂いがしてるかどうかは問題じゃないんだろうけど。

抑制剤を飲んでいてもオメガであることは首輪でバレてしまう。それはオメガが意図せずアルファにうなじを噛まれて番になるのを防ぐため、番を持たないオメガが身につけるものだ。世の中には首輪をつけずベータのふりをして生活しているオメガもいるけど、結局何かの拍子にバレてアルファに襲われただの、遊びで噛まれるだけ噛まれて捨てられたなんていうニュースを見ると怖くてわたしには無理だった。申し訳程度に首輪が見えにくい服を着てるけど、そんなのは首元に目を向ければすぐにバレてしまうから、こうしてたまに絡まれるのだ。


「このホテルも落ちたものだな。まったく、恥ずかしい」

ここまで言われてもわたしは従業員だし、ここを辞めたら他に働き口が見つけるのは難しい。だからカチンときても大人にならなきゃと頭を下げようとしたけど、それは「そのうるせぇ口を閉じろ。酒が不味くなる」という強烈な一言で止められた。

その人は、少し前から一人で飲んでいた人で、そしてそれはわたしでも知ってる有名人だったから、まさかその人が揉め事に首を突っ込むなんて思いもしなくて相当驚いた。

客の男はまさか自分に意見してくる人がいるなんて思わなかったのか、相手が誰なのかも気にせずに「なんだと!?」と酔っ払いのテンプレのように顔を真っ赤にしている。

「そこの女よりもこんなバーで店員に絡むお前の方がよっぽと恥ずかしい」
「お前、俺が誰か知って言ってんのか!?」
「ここじゃ身分関係なく飲むのがマナーだってことも知らねえゴミをなんで知ってなきゃいけねぇんだ」

その一言にカッとした客が彼の方に近寄っていくと、ようやく自分が相手していたのが誰だか気がついたらしい。

「お前、糸師冴!?」

わざわざ名前を口に出してしまったから、周りのお客さんも彼に気がついて少しだけざわつく。

彼はため息をついて、「だからお前はゴミだっつってんだろ」とやはりマナーを守らない男を睨みつける。どう考えたって糸師冴が自分よりも強いアルファなのは明白だったからようやく正気に戻ったらしく、その男は小さく舌打ちをしてそそくさと出て行った。

少ししてラウンジはいつもの雰囲気に戻ったけど、気が削がれた彼もさっさと出口に向かってしまっていて、わたしは慌てて追いかけた。

「あの!」
「…なんだ」
「ありがとうございました!」
「別にお前を助けたわけじゃない」
「でも助かりました。あの、まだお店に来てすぐでしたよね?もしよければお部屋に何か届けましょうか?お礼に一杯奢らせてください」

これが夜のお誘いの常套句だなんて知らないわたしは、「他のアルファの匂いさせてるやつからの誘いは受けねぇ」と言われてしばらくぽかんとしてしまった。それから少ししてようやく自分の言ったことがそういう意味で取られてるとわかって、思わず叫んだ。

「これは純粋なお礼ですのでっ!そういうのじゃないので安心してください!」
「ならこれからそういう迂闊な行動はやめろ」
「うっ……はい」
「あと声がデケェ」
「……すみません」

助けてもらった人にガチで注意されて、ちょっと泣きそうになるくらい恥ずかしかったことを良く覚えている。でも誓ってわたしは今までそういう軽い付き合いをしたことはない。なんとなく初めて会った恩人に誤解されたままなのが嫌で、でもいい言葉は思いつかなくてわたしが唇を尖らせていると、目の前の人から視線を感じた。

「あの…?」
「気が変わった」
「え?」
「終わったらここに連絡しろ」

するとラウンジのカウンターに置いてあったお店の名刺の裏にパパッと何かを書いてわたしに渡してきた。それはどう見てもケータイの番号で、もう一度「え!?」と声が出た。

「一杯奢られてやる」

糸師冴はそれだけ言うと今度こそお店から出ていってしまった。

仕事が終わるまでの残り一時間半は、あの糸師冴にこの後本当に奢るんだろうか…?とずっと首を傾げ続けた。揶揄われて適当な番号教えられてるかもと疑ってたから、仕事が終わって恐る恐る連絡して、指定されたお店に行って彼の姿をもう一度見てまた驚いてしまった。



「…糸師さんもこんなお店来るんですね」
「あ?なんか文句あんのか」
「いえ、ないです!」

まさか誰もこんなところに日本の至宝がいるだなんて思いもしない大衆居酒屋だった。まあわたしとしては気楽でいいけど。

「何飲みますか?ここならなんでも奢れます!どんとこいです!」



それからビールで乾杯して、お酒が回り始めると、死ぬほど緊張してたのがだんだん溶けてきて、言葉遣いも砕け始める。

「え!?年下!?あ。年下なんですね?」
「…年下相手に下手な敬語は使わなくていい」
「う、ごめんなさい。じゃあお言葉に甘えて。すっごく落ち着いてるから年上かと思ってた」
「お前は歳の割に落ち着きねぇな」
「ひどいこと言う。冴くんがタメ口だから年上に見えてたんだけど」
「俺は尊敬できる人間以外に敬語は使わねえ」
「え、むしろ日本の至宝が尊敬する人間って誰?」
「アルバロ・レコバ」
「…誰?」
「サッカー選手」
「わたしは一生無理なことだけはわかった」

飲み始めるまではテレビ越しで見ることしかなかった人とこんなふうに話すなんてあり得ないと思ってたのに、話してみると意外と普通の人で、しかもちびまる子ちゃん好きとか、塩こぶ茶が好きとか、もうどういうキャラ付け?って感じ。なんだか可愛く思えてきちゃって、わたしが「冴くんってなんか……可愛いね」って年上ぶると「うぜぇ」って言ってきて、それがまた可愛い。これが糸師冴の魅力なんだとしたらハマった人はなかなか抜け出せないだろうなと思ったし、彼のこと好きにならずにすむから自分に婚約者がいてよかったとも思った。

気がつけばもうおひらきの時間。お礼なのだからわたしがお店の人から伝票を受け取ろうとするとそれを止められて、「お前が年上ぶんのがうぜぇから奢られんのやめた」と結局奢られてしまった。勝手に年上ムーブをキめてたからなんだか悔しくて「お礼のはずだったのに!」とぎゃーぎゃー叫ぶと「なら次奢れ」って言われてとんとん拍子に次の約束が決まった。

それからは冴くんが日本に帰ってきた時に飲みに行く友人になった。

アルファとオメガに友情はない。テレビでもマンガでもそう言われていたけど、わたしたちの間にあるのは確かに友情で、アルファとオメガ、もっといえば男と女ということも忘れてしまいそうなくらい気やすい関係だったように思う。

冴くんはいっつも毒舌だったけど最初に会った時と変わらずわたしをオメガ扱いしない。それが嬉しくて、楽しくて、冴くんと過ごす時間は婚約者にも内緒にするくらい大切なもので(アルファは自分のオメガに他のアルファが近づくのが好きじゃないし)、でもだからこそずっと不思議だった。

有名人で、しかもアルファである冴くんは人よりも警戒心が強い方だと思う。それなのに見ず知らずの、近付くとリスクのあるオメガのわたしを飲みに誘ったのはなんでだったんだろう。でも友人にそんなことを聞くのは野暮だからずっと疑問は疑問のままだった。


でもそれは冴くんはわたしが運命の番だってことを最初から知ってたんだよね。じゃなかったらわたしみたいな冴えない人間を誘ったりしないよね。

それはちょっと、悲しかったりする。



◇◇◇



目が覚めたら知らない景色。白を基調としたその部屋はすぐにホテルの一室だとわかった。

素肌に絡むシーツに自分が男物のTシャツ一枚で寝ていたことに気がつく。慌てて起き上がると腰が重たすぎてそのままベッドに逆戻り。

なにがあったんだっけ……?

たしか婚約破棄されて、冴くんと飲みにいって、愚痴をいっぱい聞いてもらって、それから…。

昨晩のことを思い返している間中、自分の体が自分のものではないような不思議な感覚がしていた。それに加えて湧き上がってくる多幸感がわたしをふわふわとさせて頭が回らない。

もう考えても無駄だとしばらくその感覚に浸っていると、ガチャリと音を立てて扉が開かれた。

「起きたか」

シャワーを浴びてきたのかまだ少し湿った髪に上半身肌の姿。その刺激的な姿に加えてシャンプーのいい香りとそれに混じるぞくぞくするフェロモン。

それでようやく飲みに行った時に冴くんが運命の番であったということを告げられたんだと思い出した。

いやまって。やばい。これ、やっちゃってるよね…?

どう考えても、いや考えなくてもアウトな状況。

最悪すぎる…。大切な友達とこんなことになっちゃって…。もう冴くんとは友達でいられない、よね…。

今後について考えたいのに冴くんのその甘い香りがわたしの思考を奪っていく。わたしは思わず「さえくん、フェロモン止めて」と懇願した。

「今は出してねぇ」
「え?でも、こんなに…」
「抑制剤切れてるからか、番になったからかもしんねぇな。俺からすればお前のフェロモンは前と変わらず脳に響く匂いだけどな」

…は?

「え、番になったって?」
「覚えてねぇのか。お前から噛んでって言ってきたくせに」
「は!?え、は!?」
「なんだ」
「あ、あの、わたしたち、もしかして、番になりました……?」
「そうだっつってんだろ。運命なんだから遅いぐらいだ」
「まっっって、わたし……日本の至宝に手を出しちゃったってこと!?」

スポーツ選手がオメガを番にするとさまざまなデメリットがあると言われている。三ヶ月に一度番のヒートのせいで試合に出られない日が出てきたり、他よりも脆い所のあるオメガのケアに追われたり。だからスポーツ選手はアルファ用の強い抑制剤を飲んでオメガと間違いが起こらないようにしているらしい。

それで冴くんも当たり前に飲んでるだろうし、わたしも抑制剤を飲んでるからって、完全に油断してた。いやだって運命の番だなんて知らなかったし。これまでは大丈夫だったわけだし…。

年下で、超有望なアルファで、日本の至宝の未来を潰してしまった。そう思うと気がずぅんと沈む。しかもこちらは婚約破棄されて翌日のこと。ファンに知られたら殺されるし、むしろ死んで詫びたいくらいの状況。

「手を出したのは俺だけどな」

冴くんはゆっくりとこちらに近づいて来て、そして自己嫌悪で死にそうなわたしの頬を撫でた。

その瞬間、まだじくりと痛むうなじがあつくなって思わず「あ」と声が漏れる。

「ヒートがまだ残ってんな」
「あ、わ、たし、やっぱりヒート、してた?」

ヒートは抑制剤を使った状態で相手のアルファがいても、最低でも二日はこんな風にまともに話せなかった気がする。一日でこの状態まで戻れたのはもしかして運命の番効果なのかな。

わたしがそう苦笑いすると冴くんは「あれから四日経ってる」と答えた。あまりに普通のトーンだったからヒートしかけたゆるゆるの頭はスルーしてしまいそうになったけど、残った一握りの理性がそれを止めた。

「…………四日?」
「ああ」
「え…本当のこと言ってる…?」
「嘘ついてどうする」
「むしろ嘘って言って欲しかった」

やっぱり今までの自分の体とあまりに違う。起きてすぐに感じた不思議な感覚は、この人に体を作り替えられてしまったからなのかもしれない。

つい一昨日まで他の男と番になる予定だったのに、なんてオメガは尻軽なんだろう。それがバース性というものなのはわかってるけど、もう絶対にこの人しか無理だって本能が叫んでる。それに嫌気がさしたし、己の牙を皮膚に突き立てるだけで人間一人を自分だけのものにできてしまうアルファを怖いと思った。

わたしが本気でショックを受けて黙ってると、冴くんは「まぁ。本気でフェロモンぶつけすぎたかもな」って悪びれもせずに言う。

「……さ、冴くんはもう二度とオメガとお酒飲みに行かない方がいい」
「あ?行くわけねぇだろ。もう番がいんだから」

そう言うと冴くんはサイドチェストに置いてあったペットボトルの水を口に含んで起き上がれないわたしに口移しで飲ませる。

「んぐっ」
「今のうちに飲んどけ。どうせこの後また飲めなくなる」

冴くんの言葉通り、口づけを皮切りにわたしの意識は沈んでいった。



◇◇◇



運命の番だからってわたしは冴くんの彼女でもなければ彼女候補でもない。だから今回のこれは、そう、謂わばワンナイト的な?いや、一回のヒートだからワンヒート?まあそれは何でもいいんだけど。

もちろん番になるってそんな簡単なものじゃないのはわかってる。一度番の契約をしてしまえば、オメガはアルファに番の契約を破棄されても二度と他のアルファと番になることはできないし、生理的に他のアルファを受け入れることすらできなくなるらしい。それに加えてわたしたちは運命の番なんだから、多分離れることは相当キツいんだと思う。実際冴くんのフェロモンを知ってしまえば、元婚約者のあの心地よかったフェロモンを思い出すだけで気持ち悪くなる。だからわたしは冴くんだけのオメガとして一生を終えるんだと思う。

でもだからって責任をとって欲しいとは思わない。わたしたちが番になってしまったのはお互いお酒と運命のフェロモンに寄った勢いの事故みたいなものだからどっちが悪いとかないし。

それにわたしは運命の番だから絶対に一緒にならなきゃいけないっていう考え方は好きじゃない。バース性だけに頼った関係はいつか綻びがくるのを知ってるし。だからバース性関係なくちゃんとお互いを好きになった上で番になりたい。わたしはずっとそう思ってたし、話してた限り冴くんもそういう考えの持ち主だったと思ってたから、ヒートが終わってすぐ冴くんに
「番の契約、破棄してもらって大丈夫だから」
と言ったのは当然のことだった。

「何言ってんだ」

返ってきた言葉は意外にも怒りを含んでいて、少し驚いた。

「え、でも。サッカー選手にオメガの番なんていたらダメだよ。わたし冴くんの邪魔になりたくないし。今回のは事故みたいなものだから責任とか感じなくていいよ」
「俺に番を放棄する男になれって言ってんのか」
「放棄って…。わたしがいいって言ってるんだから」
「俺はよくねぇ。お前だって番を失ったオメガがどうなるかぐらい知ってんだろ。お前はもう俺がいねぇともう生きていけねぇんだからな」
「そ、そんなこと、ないし」
「ヒートで四日トんでた奴がよく言う」
「う」

それを言われると辛い。わたしが「それは、初めてだったし…。運命の番だし…」と尻すぼみに応えれば冴くんはそんなわたしをハッと笑い飛ばす。

「そもそも俺は自分の番を逃すほど甘い男じゃねぇ。お前が何と言おうとお前は俺の番で、俺はお前の番だ。諦めて隣にいろ」
「…なんか、プロポーズみたい」
「みたいじゃなくてプロポーズだろ」
「……」

前から自分の考えを曲げない人だなとは思ってたし、わたしが奢ると次は奢ってくれて意外と義理堅いところがあるとも思ってた。それは彼の良いところだと思ってたけど、まさかこんなところで裏目に出るなんて…。


まだ正式に番になることに渋るわたしをよそに冴くんは
「シャワー浴びてこい。そのあとお前の家に行く」
と話を進めていく。何でうちに行くのかわからなくて首を傾げていると「お前、パスポートは持ってるな?」とまた違う話が出てきてまた首を傾げた。

「どういうこと?」
「スペインに行くからに決まってんだろ」
「誰が」
「お前が」
「え、わたしスペインに行くの!?」
「俺は一週間後にスペインに戻る。お前も連れてく」
「いやいや!それはいくらなんでも!」
「あ?隣にいろっつーのはそういうことだろうが」

だから、その義理堅さいらない。こんなんじゃ絶対オメガ寄ってくるだろうな。今回みたいな事故はそうそう起こらないとは思うけど、でも。

「冴くんってオメガにすぐつけ込まれそうだね」
「は?」
「サッカー選手なんだからそのへんちゃんとしなきゃダメだよ?」
「…お前は本当にクソがつく馬鹿だな。こんなときに年上ぶるな。大体お前がいればそんな心配いらねぇだろうが」

いや、そのわたしが冴くんの優しさにつけこむオメガなんだけとね?


やっぱり頑固で優しい冴くんは番を解消しないの一点張り。オメガはアルファ側から番を解消されない限りはどうしようもないし、そもそもアルファの言うことに根本的に逆らうことはできない。

でも、それなら、わたしが冴くんのオメガ避けになればいいのかな。婚約者と別れたばっかりの、冴くんと恋人でもなんでもない、隣にいるにはおこがましいオメガだけど。本音を言えばわたしだって冴くんと離れたくないって思ってるのは確かだし、番を失うことが怖いのもその通り。

だから、冴くんの邪魔にならなかったら、わたしに役割があれば、今はそばにいてもいいのかもしれない。

「わたし、冴くんの邪魔じゃない?」
「なわけねぇだろ」
「もし迷惑になったらちゃんと言ってくれる?」
「そんな日はこねぇ」
「やっぱり優しいね、冴くんは」

運命だからってわたしは本命なわけじゃない。だからわたしはちゃんと身の程をわきまえて、冴くんに必要とされている間は冴くんの番でいようと思う。多分それがわたしと冴くんにとって一番いい関係なんだと思う。



◇◇◇



スペインでの生活は初めてなことだらけで大変だったけど、オメガだからと諦めてた初めての海外にわくわくした。オメガは番ができればその番以外のアルファのフェロモンを感知しなくなるから今までみたいに外出に気を使わなくていいのも楽で、自分がオメガとしての性質を持つ前の小さい頃の生活に戻れた気がして毎日が楽しかった。

「冴くん!今日はね、お隣の奥さんと一緒に買い物に行ってきたんだけど、おすすめのパン教えてもらって!すっごく美味しそうだから後で一緒に食べようね」
「楽しそうだな」
「うん!諦めてきたことが色々できるし。事故で番になったの、今は感謝したいくらい」

はしゃぐわたしを冴くんは無表情で見つめる。この表情はスペインに来てからたまに見るものだった。

こういう時はわたしが自由を謳歌してる分、やっぱり冴くんに負担をかけてるのかもって不安になる。前回のヒートも長くて、冴くんを三日も拘束してしまったから。その時はシーズンオフだからよかったけど、シーズンが始まったら冴くんから三日も奪うなんてとてもできないし、ひょっとしたら冴くんはわたしを連れてきたことを後悔してるのかもしれない。

「ごめんね、一人で浮かれてた。」
「俺がお前を連れてきたの覚えてねぇのか?俺はいらねぇ人間を隣に置いたりしない」
「うん、次のヒートは迷惑かけないようにするから」
「だから迷惑なんて思ってねぇ」

冴くんはそう言ってくれるけど、でも少しでもヒートを軽くする方法はちゃんと考えないといけない。それは冴くんへの負担を軽減するためだけじゃなくて、自分自身を戒めるためにも必要だった。ヒート中はお互い理性のタガが外れてるから、「好き」だの「愛してる」だの愛の言葉を言いたい放題。冴くんと番になった時は記憶がなかったからよかったけど、前回のことはバッチリ記憶に残ってて、そしてそういう言葉を言い合うとその気になってしまうのだ。

つまり、わたしはどんどん冴くんのことを好きになっていってた。

やばい。これじゃ冴くんの邪魔になるオメガじゃん。自分はそうならないって決めてここにきたというのに。元婚約者はあんなにも簡単に諦められたのに…。やっぱり運命の番は怖い。




◇◇◇




「あれ、冴くん」

SNSを見ていると冴くんが映った。それは口紅のCMで、今売り出し中の女優さんの唇に冴くんが口紅を塗るもいうもの。冴くんはいつもの仏頂面だけど、CMのシックな雰囲気に合っていた。そしてその女優さんが冴くんに本当に惚れているように見えてついこんな言葉がこぼれた。

「お似合い…」
「あ?」
「ううん。冴くんCMとかやるんだね?初めて見た」

冴くんは本当に面白くなさそうに「んな仕事やりたくてやってんじゃねぇ」と吐き捨てた。

珍しいなと思った。冴くんはやりたくない仕事は基本受けない。仕方なく雑誌のインタビューくらいは受けるけどサッカーに全く関係のないCMを受けるのは驚きしかなかった。

んなの見なくていいとテレビを切ると冴くんはわたしを膝に乗せて、そして少し薄くなったうなじの噛み跡をがぶがぶと噛み始めた。アルファが自分のオメガにこうしてマーキングするのは普通のことらしいからこの行動について特に何も言わないけど、本当はやめてほしいなと思う。噛まれるたびにじわりと幸福感が広がって、どんどん離れ難くなる気がするから。



わたしが見たCMは「糸師冴初のCM」としてすぐに日本とスペインのトレンドに上がった。わたしと同じ感想を持った人もたくさんいたみたいで、「この女優さん絶対冴ちゃん(ファンからの愛称の一つ)のこと好きでしょ!」とか「え、お似合いじゃん。CMとか絶対やらないタイプだろうに受けたのってもしかして糸師冴もこの女優さんのこと気になってたりして!?」とか、みんな思い思いに呟いている。

自分だって思ったくせに他人もそう思ってたんだと分かるとなんだかモヤモヤした。それが番を取られたくないオメガの独占欲だとわかると自分にむかついた。身の程わきまえてるならむしろ二人の応援くらいしてみせろ。



冴くんが最終的にCMを受けた理由にその女優さんが関わっているかどうかは知らないけど、CMの仕事を断れない状況になった理由はそれから少ししてわかった。たまたま冴くんのマネージャーさんが彼がシャワーを浴びている最中に訪ねてきて、その待ちの間に世間話がてらCMの話をしたのだ。

「冴くんがああいう仕事を受けるの珍しいから驚いちゃいました」
「ああ。冴ちゃんが急に連絡取れなくなった時があってね。それがスポンサーとの会合の日だったんだ。なんの連絡もなかったもんだから先方が怒っちゃって、その埋め合わせでずっと断ってたCMを受けることになって」
「え…?そう、なん、ですか…」
「冴ちゃん態度悪いけど意外と仕事はサボらないから僕も驚いてさ。連絡しても全く連絡つかないし。そういえばあの日何があったのか教えてくれないんだけど、ナマエちゃんは知ってるかい?」
「…いえ、その日はわたしも家にいなかったのかもしれません……」

身に覚えしかなくて頭がくらくらした。それって、わたしがヒートになった時、だよね?

マネージャーさんはわたしがオメガだということを知らない。首輪もしてないし、噛み跡は見えないようにしているからわたしのことはただの恋人だと思ってる。だからわたしのヒートのせいで休んだなんて思いもしてないだろう。


頭が真っ白になった。

わたし、冴くんの邪魔になってるじゃん…。

それは冴くんが女優さんを気に入ってCMを受けたかもしれないと聞いた時よりも相当わたしにショックを与えた。





「だいじょーぶ!」
「…何が大丈夫なんだ」
「え?だってキャンプなんでしょ?わたしのことは気にせずに行ってねってこと!」
「ヒートはどうすんだ」
「そんなの何回も一人で過ごしたことあるし。全然問題なし。むしろそれでキャンプいけないってなる方が無理」

次のヒートは冴くんのキャンプの期間とかぶっていた。もう二度と邪魔になりたくない。だからわたしは大丈夫だからと冴くんの気遣いに首を振り続けた。

わたしの頑なな態度に冴くんは「本当にお前は頑固だな」とため息を吐く。

「だってわたしサッカー選手の糸師冴のファンだし。それの邪魔したくないでしょ?」
「……ヒートが始まったら一度連絡しろ。一日なら抜けられる」
「ほんと、大丈夫だから」
「お前はいつになったら自分が俺の番だってわかんだ」
「わかってるけど…」
「わかってたらなんでそんなバカなことが言える。俺がお前のこと心配だって思ってることぐらいわかんだろ」
「…わかってるから嫌なんじゃん」

わたしのヒートで休むために出たくもないCMに出るくらいわたしのことを番として大切に思ってくれてることくらい、わかってる。だから、嫌なんじゃん。わたしは身の程わきまえたいのに。

「あ?」
「なんでもない。実は医者に行って抑制剤もらってきたの」
「おい。何勝手にんなもんもらってきてんだ。抑制剤は体に負担がでけぇからなるべく飲むなって言ってんだろ」
「わたし副作用出たことないし。相手ができるまではずっと薬で乗り越えてきてたから本当に心配いらないよ」

それだけ言ってわたしは部屋の掃除を始めた。わたしのこれ以上話す気はないという態度に冴くんは舌打ちをして、「ヒートが来たら連絡は入れろよ」とだけ言った。頷いたけど、もちろん連絡をするつもりはなかった。

わたしは薬を服用すると若干ヒートの期間がずれる。予定より早めにヒートがきたから、冴くんがわたしの連絡を待たずして家に一日帰ってきた時にはもうほぼ終わった状態。気怠げに冴くんを迎えればやっぱりすぐにバレてめちゃくちゃ怒られて、そして結構酷く抱かれた。それはそれでキツかったけど、でも冴くんの邪魔にならないならそっちの方がいいなって思った。





その次のヒートは、来る前から重い気がしてた。最近わたしが冴くんを避けるような態度をとっていたせいか、むしろ冴くんがわたしにべッタリで、家にいる時は大体くっついてくる。料理してるとハグしてくるし、テレビ見てればわたしの膝に頭を乗せて昼寝する。

番と共にいることは安心感が得られるって何かで読んだことがあるから、冴くんも多分そうなんだと思う。それがまるでお母さんから離れたくない子供みたいで、やっぱり冴くんは可愛いなと思ってしまって、それからは避けるのをやめた。

それで今回はいつもよりもずっとたくさん冴くんのフェロモンを摂取したから、ヒート中に冴くんが恋しくなりそうだってなんとなく思ってた。


でももちろん今回も冴くんを拘束するつもりはないから、抑制剤を飲んでヒートが来そうなのを誤魔化して今から仕事だという冴くんを送り出すことにした。

「いってらっしゃい」

わたしが手を振ると冴くんはじろりとわたしを見た。もしかしてヒートがきかかっているのがバレたのかとドクリと心臓が跳ねる。

視線を交わしていた時間は一瞬だったのにわたしにはそれがすごく長く感じて冷や汗がじわりと浮かぶ。それに気がついているのかいないのか、冴くんはわたしの手を取って引き寄せて、そのまま口付けてきた。

「んっ!」

まるでヒート中のような感情をぶつけるキスにわたしはどうしたらいいのかわからない。冴くんの分厚い舌がわたしの歯列を開いてわたしの舌を捉えると、このままで終わらない気配を感じて胸を叩いた。

「ど、どうしたの?今から仕事でしょ?早く行かないと」
「お前は本当に馬鹿だな」
「え?」

冴くんはそれだけ言うとそのまま出て行ってしまった。

なんだったんだろう。冴くんが何を言いたいのか全くわからなかった。

キスの余韻でぼんやりする頭を振って、ヒートの前にやれることはやっておこうと動き始めた時だった。

心臓がどくんっどくんっと早鐘を打ち始めて、呼吸が早くなっていく。

ヒートだ。

でもなんで?流石に早すぎるし、抑制剤を飲んでるのにこんなに体が熱くなったことはない。

アルファを求めようとする抗い難い衝動を抑えるためにもう一度抑制剤を飲もうとよろよろと薬の置いてあるキッチンに向かう。けれど抑制剤の入ってるはずの袋は空っぽ。

「え、なんで…?」

なんでないの?おかしい、朝わたしが飲んだ時は確かに…。あれ、でも飲もうと思った時に冴くんが来て、急いで何かを口に入れたからそれがいつものパッケージだったかというと自信がない。

ただただ熱くなっていく体に恐怖を覚えて必死で抑制剤の入った袋を探すけど、やっぱり見つからない。途方に暮れたその時、背筋がぞくりとした。

大好きな、でも今一番そこにあって欲しくない香りがわたしを包む。

「これか?」

ゆっくり声のする方へ顔を向ければ、そこには愛しい運命の番がいて、その手にはわたしの抑制剤。

「さえく、それ、ちょうだい」

なんとか手を伸ばしてそれを取ろうとするけど、冴くんはわたしの薬をシンクに流してしまう。

「なんで…?」
「こんなもんに頼るなんて許さねぇ」
「ちが、だって、さえくんのめいわくになりたくない」
「まだそんなこと言ってんのか?薬を捨てられて、強制的にヒートを起こさせられておいて」

……へ?

頭が回らなかった。

「お前には俺だけいればいいだろ」
「さえくん?」
「俺しかいないって言え」
「んん」

それを言ってしまえばわたしが冴くんのことを好きだと認めてしまうようなもの。わたしはどうしてもその言葉を言いたくなくて必死にイヤイヤと首を振る。すると冴くんはその眉間の皺をさらに深くして、初めて運命の番のフェロモンをぶつけてきたあの日みたいに無遠慮にわたしにそれを纏わせてくる。

「う」
「言え。俺以外いらないって」

怒りのこもったフェロモンだった。自分のアルファの一言一言が重たくて、わたしの意思とは裏腹に無理やりわたしの本心が暴け出される。言いたくない、でも言わされる。

「さえくんしか、いらない」

言ってしまった。生理的なのかなんなのか涙が次から次へと溢れ出す。

「ん」
「そばにいて」
「ここにいる」
「好きなの、だから」

冴くんはもう十分だとわたしの唇に噛みついた。

「俺にもお前がいればいい」

そう続けながらわたしを性急に床に組み敷く冴くんの瞳は昏くて、わたしを絶対に逃さないと言っていた。







わたしが完全に覚醒したのはそれから三日後。わたしが寝てる間に体を綺麗にしてくれたのかヒート後にしては妙にさっぱりしている。のに。

動こうにも一ミリも体が動かない。それもそのはずで、冴くんがわたしの体をまるではがいじめにするみたいに眠っている。流石に辛くて体を動かすと冴くんが「ん」と目を覚ました。翡翠色の瞳にわたしの困惑した姿が映ると冴くんは薄く笑みを浮かべた。

「目ぇ覚めたか」
「う、うん」

目が覚めても全く動こうとしない冴くんに痺れを切らして「あの、ちょっと苦しい、かも」と言えば冴くんはむしろもっとぎゅうっと抱きしめてくる。

「さ、さえく、死んじゃう」
「あ?俺より先に死ぬんじゃねぇ」
「今死にそうなんだけど…。っていうかわたしの方が長生きしなきゃいけないの?」

確か平均寿命はオメガの方が短かったはず。多分今そこじゃないんだけど、現実逃避でそんなどうでもいい知識が頭を掠めていたら、冴くんのとんでもない発言に全てが飛んでいった。

「お前を残していくわけねぇだろ。死ぬ時は一緒に決まってる」
「………はい?」

え、重たい。

え、これ、本当に冴くん?一体どうしたの?

「冴くん…?ど、どうしちゃったの?」
「あ?結婚するってそういうことだろうが」
「けっこん…?」

確かに番になるってそういうことなんだろうけど。でもわたしたちはそんな風にちゃんと結婚するなんて思いもしなかった。

わたしが首を傾げると冴くんはようやくがっちりホールドを解いて、そしてベッドに腰掛けた後わたしをその膝の上に乗せる。恥ずかしくて逃げようとしたけど、それよりも先に冴くんはわたしの左手を取ってわたしの目の前に出す。

「つーかもうしただろうが」

わたしの指には見たこともないダイヤがはまっている。そのダイヤに驚いた後、わたしの二の腕に広がるエグい数のキスマークに噛み跡にまた驚いた。多分これは全身にあるんだろうな。

冴くんはわたしの髪をサラリと撫でてそして「愛してる」とわたしに口づけをする。

「お前のこと、一生に逃がさねぇからな」

またあの仄暗い冴くんの瞳がチラついて、ほんの少しだけ怖くなった。

わたしの態度がいけなかったのかな。アルファが自分のものに執着が強いのわかってたのに、そっけなくしてたから。でもだって、まさかあの冴くんがわたしのこと好きだなんて思わないでしょ?








Q. なぜオメガの女は婚約者のアルファの男に捨てられたのか


A. そんなのそう仕向けたからに決まってんだろ。くだらねぇこと聞いてんじゃねぇ、タコ。







設定


糸師冴

言葉で言わせたいタイプの男。

アルファに屈しない態度が気に入って一目惚れ。運命とかどうでもいいけど、使えるものは使う主義なので運命の番のフェロモンで婚約者のフェロモンを上書きして婚約者を蹴散らしたあと自分のものにする。(元婚約者の元に現れた運命の番が冴が手引きしたのかは不明。そもそも運命だったかなんて誰にもわからない)自分は普段スペインにいるから、その間に他の男にかっさらわれるのだけは無理だし。

スペインに来て生活を謳歌するナマエを少し面白くないと思ってた。一生自分の隣にいて外に出なきゃいいと思ってるので。というか、ナマエに自分以外いらねぇだろ?と思ってるし、それを言わせたい。本当は噛み跡を見せて自分のものだとひけらかしたいけどナマエがオメガであることに引け目を待ってるのは知ってるからそれは自重。それくらいの配慮は(ギリギリ)できる。



ナマエ

婚約者を寝取られたと思ってるけど、実際は自分が冴によって奪われていた。なんてことは多分一生気がつかない。

割と理性が強いタイプだし、抑制剤ガンガン使うので、冴に惹かれているけど、わたしには婚約者がいるからと自制できてたつもり。冴とのつながりを切りたくなくて婚約者に内緒で飲みに行ってる時点で本当はアウトなんだけど、それを気付かせずに飲みに連れ出してた冴の勝利。

ナマエはなんでこんなに激重感情を拗らせちゃったの?と思ってるけど、出会った時から拗れてる。アルファは一度欲しいと思ったものには強い執着心を持つし、特に冴は普段そこまで欲しいと思うものがないのでとくにその唯一のものに執着心強い。なので欲しいと思った人間が他のアルファにマーキングされてれば拗らせるのもしかたない。

これから嫉妬深い冴の激重感情をガンガンにぶつけられるので、他の男とかアルファは前以上に避けるようになる。

「それで、運命の番を連れてあのクソ男の結婚式に行くか?」
「……いえ、大丈夫です。他のアルファに会いたくないし」

他のアルファに会ってまた抱き潰されたら今度こそ死ぬ。

これからは重たすぎる愛に押しつぶされそうになってまた拗れる、かもしれない。



糸師凛


日本代表選抜の顔合わせ(任意だけど大抵みんな来る)にいつまで経っても現れない兄に痺れを切らして電話したら
「今嫁のしつけ中だから電話してくんな」
と一瞬で電話を切られて「は?」ってなる。事情もわからないのになぜか兄が来れない理由を必死に考えてて、絶対ぇ後で兄貴に文句言うし、そんな嫁認めねぇってなる。でも後日嫁と紹介される未来の義姉の首元に引くくらいのキスマと噛み跡が見えて、むしろ義姉は労わるべきなのだとすぐに理解。その辺は弟なので空気は読む。




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