私の運命の番に私は必要ないので、彼の人生からさよならしました







会った瞬間にこの人だってわかった。脳が痺れて血液が沸騰したかと思うくらいの衝撃。それに世界にはこの人しかいないのかもしれないと思うくらいその人の存在だけが確かだった。

そして今まで眠っていたオメガとしての本能がわたしを責め立てた。


この人に触れたい

この人に抱きしめられたい

この人にうなじを噛まれたい


この人なしで今までわたしはどうやって生きてきたんだろう。

抗い難い本能に従ってわたしはその人に手を伸ばした。すると彼もゆっくりとわたしに手を伸ばしてくる。

わたしたちの指先がゆっくり、ためらいがちに触れ合うと、心がじわりと暖かくなってもっと触れたいと思い始める。彼も多分そうだったと思う。だってその後は彼からわたしの指にその長くて男の人らしい節くれだった指を絡ませて、そしてそのまま強く引き寄せようとしたのだから。


それなのに突然その手は離れていった。

はじめは何が起こったのかわからなかった。

しばらくして手の甲がヒリヒリとしてきて、ようやくわたしは彼に手を払われたんだと気がついた。


なんで……?


でも微かに見える彼の瞳はまるで、わたしを嫌悪するように歪んでいた。



その日、わたしは夢に見た運命の人に出会って、そして拒絶された。



◇◇◇



日本においてオメガはとても貴重らしく、オメガだと判明した段階で政府による管理が始まる。どこに住んでるとか、どんな職に就いてるとか、さらには誰と付き合ってるとかまで。正直プライバシーなんてものはない。国がそこまでしてオメガを重宝するのはオメガがアルファを産む確率が高いと言われているのが根本にある。より優秀なアルファとオメガを結婚させて、そして優秀なアルファを産み出す。他国よりも少しだけアルファのパーセントが低い日本ではその事業に力を入れて日本という国を発展させるのが狙いなのだ。

わたしはその日本の政府によって管理されているオメガの一人で、そしてアルファに選ばれるのを待つことしかできない人間だった。

過去形なのは、今、その選ばれる日々を終えて分不相応な幸せな生活を送っているから。


「ただいまー」
「おかえりなさい、玲王さん」
「ん」

わたしが出迎えると、玲王さんはわたしの頬に優しく手を当てながらおでこにチュッと音を立ててキスをして、そこままわたしを抱きしめた。

「あー、疲れた」
「お疲れ様です。今日は試合でしたよね?」
「そ。相手にちょっとめんどい奴がいてさー」
「そうなんですか?」
「やたら俺のこと敵視してしてうざいのなんの。まあボコボコにしてやったから次は絡んでこねぇと思うけど」
「それは大変でしたね…」
「ん。でもお前の顔見たら元気出たわ」

確かに疲れた顔をしているけど満足いく試合内容だったのか玲王さんの機嫌はいい。

玲王さんはイングランドのサッカーチームでプレイするサッカー選手で、その容姿、性格、プレイスタイルから日本でもこのイングランドでも人気が非常に高い選手の一人らしい。この間も人気スポーツ選手ランキングのトップ10に入ったと聞いたし。こんなにもすごい人なのだから当たり前かもしれないけど、バース性はアルファ。しかもとびきり優秀な。

そんな人とわたしが夫婦になったのはお見合いがきっかけだった。

玲王さんはサッカー選手であるけれど、同時に日本どころか海外でも知らぬ人のいない大会社・御影コーポレーション社長の御曹司でもある。その御曹司の結婚相手ともなると本人が会社の人間であろうとなかろうと、本人が会社に興味があろうとなかろうと、色々な思惑が絡んでしまうらしい。

それで玲王さんのご両親が政府に登録されたオメガの中から身元が確かで他のアルファと関係を持っておらず、かつ親族に優秀なアルファがいるわたしを選んでお見合いが開かれることになったのだ。

アルファとオメガというのは大変便利で、会ってすぐに相性がいいかどうかフェロモンでわかってしまう。わたしたちの相性は抜群で、会ってすぐにきっとこの人と番になるんだろうと思ったし、実際その後数回の食事を重ねて晴れてわたしたちは番となった。番になったときのエピソードはわたしの人生の中ではかなり刺激的だったから、今思い出すのも結構恥ずかしいけど。とにかくわたしたちは番になって、そして法的にも結婚してもう2年になる。

「ヒート来週だよな?」
「はい。試合忙しい時期なのにごめんなさい」
「謝るなって。番として当然のことだし、それに」
「それに?」
「ヒート中はいつもより素直に甘えてくるのが可愛いしえろいから好き」
「な、ば、れ、れおさんのばかっ!」
「ははっからかうと顔真っ赤にするとこもかわいーけどな」

社会的にも性別的にも身分の差がある結婚なのはわかっていたけど、玲王さんはそんなことを全く感じさせないくらいわたしを大切にしてくれてる。わたしもそんな玲王さんのことが好きだから、結婚してからのこの2年間は幸せだった。


でも。


「それで、あの…」
「ん?」
「今回のヒートで妊娠しなかったらそろそろ病院に行こうかと思ってて」
「…ん。わかった。そん時は俺もついてくから。でもあんま気にするなよ?子供は授かり物って言うし。今はこうやって二人で仲良くしとけって神様が言ってるってことだからさ」
「…そうですね」

玲王さんがわたしを励まそうとして言ってくれてるのがわかってても、わたしは笑顔を返せない。

愛する番の子どもを持つことはオメガにとってなににも代え難い喜びだし、そもそも玲王さんみたいな人とわたしが結婚できたのは、オメガがアルファを産むことが多いからで、だから玲王さんの番になってわたしが一番やらなくちゃいけないことはアルファの子供を産むことなのだ。

それなのに2年も経ってわたしはまだ妊娠していない。ヒート中のオメガは妊娠率ほぼ100%だと言われているのにも関わらず、だ。それはわたしがオメガとして欠陥品だと言われている気がしてならなかった。

「…またうちの親になんか言われた?そういう時は俺に言えって言ってるだろ。子どものことは俺らの問題なんだから首突っ込むなってもっとちゃんと言っとく」
「でも、さすがに自分が何のために玲王さんと結婚したのかわかってるので」
「んだそれ」
「オメガのわたしが玲王さんみたいな人と結婚できたのはアルファを産む可能性が高いからですもん。だからいつまでも子どもができなかったら…」
「…は?」

このままじゃ早く後継ぎをと急かす玲王さんのご両親に顔向できないし、わたしは玲王さんと引き離されるかもしれない。それは想像しただけで恐ろしいことだったし、なによりもそろそろ玲王さんを失望されるかもしれないと思うと怖かった。

わたしがその日がくることを恐怖していると、玲王さんは怒ったようにわたしの肩を掴む。その力があまりに強くてわたしは思わず顔を顰めた。

「れ、おさん?」
「いつになったらわかんだよ」
「え、と」
「別にお前と結婚したのはアルファの子どもが欲しいからでもなんでもないって」
「でも」
「確かに俺らはアルファとオメガで、そういう目的で見合いした。でも少なくとも俺はそのためだけに結婚しない」

玲王さんはそう言うとわたしをまるでお姫様のように抱きかかえる。

「わっ」

ふわりと浮いた身体に驚いて思わず玲王さんに抱きつくと、玲王さんはそのままわたしをベッドルームへと連れて行って、そのまま彼のベッドにわたしを押し倒した。

「あ、あの、れお、さん?」
「もしお前に子どもができなくたって俺はお前と別れねぇからな?」

わたしの発言に怒ったのか、ハイライトのない瞳でこちらを見つめる彼は少しだけ怖い。でもその気持ちが嬉しくないわけがない。ヒートの時みたいに理性がなくなってないから彼の望むようには甘えられないけど、でもわたしだってあなたが好きなんだとわかってもらえるようにわたしは一生懸命玲王さんに縋りついた。




終わった後、恥ずかしくてわたしが布団に潜り込もうとすると「こら、寂しーだろ」といつもの優しい玲王さんがわたしの顔にかかる布団をひっぺがして、汗で額に張り付いたわたしの前髪をさっと指で直す。

「一瞬でこいつだって思うくらい相性いい相手に見合いで会えるなんて俺ら運命だろ。その運命信じてその日を待とうぜ」
「…」
「だから一生俺に愛される覚悟しとけよ?」

玲王さんはわたしたちのことをおとぎ話に出てくる運命だと言って笑うから、だからわたしは笑みを返して、そして心の中で「また聞けなかった」と思った。

「それならどうして初めて会った時、わたしを拒否したの」、と。

それは一瞬のことだったし、そのあと玲王さんはわたしに好意的なフェロモンを送ってわたしを安心させてくれたけど、でもその一瞬の瞳に滲んでいた拒絶の色は今でもわたしを悩ませている。


わたしがオメガで玲王さんがアルファだから、抗えない本能で惹かれあってしまっただけで、玲王さんにとっては本当はいらない存在だったんじゃないのかな。


この二年間、わたしは確かに幸せだった。でもずっと心の奥底ではその拭いきれない不安を抱えていた。



◇◇◇



「なー、明日試合見にこねぇ?最終試合だから盛り上がると思うし、そろそろお前のこと凪に紹介したいし」

そう玲王さんは誘ってくれたのに。わたしはなんて言って断ったんだっけ。本当はオメガのわたしが大手を振って玲王さんみたいな素敵なアルファの妻を名乗るのがおこがましくて断ったけど、そう言うと玲王さんにまた気を使わせてしまうのがわかってたからそれらしい理由をつけて断ったんだよね。

でも、今になって行けばよかったと後悔した。



『子供はまだなの?』
「…すみません」
『まったく。何のためにオメガと結婚させたと思ってるんだか』

それは絶対に優勝を決めてくるに違いない玲王さんにご馳走を作ってる最中のこと、玲王さんのお母様からの電話だった。

『玲王はちゃんとあなたを抱いてるんでしょ?それなのにできないだなんて』
「あの、今回はまだできてるかどうかはわからないので、ひょっとしたら…」
『ひょっとしたらじゃ困るのよ』
「…そう、ですよね。すみません」

お義母さまはわたしのおどおどした態度に深いため息をついて、そして吐き捨てるように言った。

『これなら多少妊娠率が低くてもアルファと結婚させておくんだった』
「…」

本当に、自分でもそう思う。返す言葉もなく黙っていると、お義母さまはなぜかふふっと笑い始める。

「あの…?」
『まああの子が結婚を考えてたアルファは今でもそばにいるみたいだからひょっとしたらそろそろその人の方に子どもができるかもしれないわね』
「…え?」
『知らなかった?あの子のマネージャーよ。元々婚約者だったのだけど、今でも隣に置いてるってことはそういうことでしょう』

玲王さんの、マネージャーさん。

わたしも何度も会ったことがある。彼女はアルファで、ほんの少し接しただけでも優秀なことがわかって、そしてとても綺麗だった。そんなにすごい人なのに自分がアルファであることをひけらかさずに、妻であるわたしを蔑ろにしない。

自分もこんな人だったらと何度憧れたかわからないような、玲王さんと対等な、玲王さんにつり合う女の人。


そっか。やっぱりそういう人いたんだ。そりゃ玲王さんみたいな人ならそうだよね。こんな欠陥品のオメガじゃ…。

そう頭ではわかってるけど、内心では叫び出したいくらい嫉妬した。だってあのアルファはわたしの番なのだから。誰にも取られたくない。

だから

『そうしたらあなたには悪いけど身をひいてもらうからそのつもりでいてちょうだいね』

という言葉にはどうしても頷けなかった。玲王さんから直接「いらない」と言われたわけじゃない。ついこの間だってわたしのことを“運命だ”って言ってくれたんだから。だから、わたしは玲王さんの妻をやめない。

そう思っていたのに、『それに』とつづけられた言葉はわたしの心を折った。

『あの子、あなたとお見合いするのずっと嫌がっていたのよ。あのマネージャーさんがいたからじゃないかしら?あとずっと思っていたけど、お見合い前に玲王もあなたも生殖に問題ないことは検査済みなのだから、こんなにも子供ができないのは玲王の意志かもしれないわね』

ちがう。そんなわけない。だって玲王さんはその日を一緒に待とうって…。


どうやって電話を切ったのか覚えていない。ひょっとしたら何も言わずに切ってしまったのかもしれない。

わたしはいてもたってもいられなくなって病院に向かった。

玲王さんには言えなかったけど、本当はヒートの前からオメガ用の病院に通い始めていた。わたしが今病院に駆け込んだのは、今回のヒートが終わってすぐに不妊治療の一環として検査をしてもらっていたからその結果を聞くためだった。


「パートナーの方はあなたの妊娠を望んでおられますか?」
「え…」
「残念ですが…」

そこで先生から聞かされたのは、玲王さんはわたしの中に子種を残していないという信じ難い事実だった。



◆◆◆



「今日奥さん来なかったんだ?」

試合開始前のロッカールームで、ユニフォームに着替えながら凪がそう聞いてきた。

「ああ。まだ俺の番だって言って外に出るのが怖いみたいなんだよな。昔のことはあんま聞かないようにしてるけど、オメガだってことで苦労したらしくて」
「そっか」
「こればっかりは無理やり引っ張り出すのもどうかと思うし。俺が隣にいてやれれば守れるけど、試合中はそうもいかねぇしな。あー、いつもあいつの隣にいればずっと好きだって伝えてそんな不安にさせねぇのに」
「うへぇ。玲王の愛、重」


重いよな。わかってる。でもあいつを手放せはしない。だからまだあいつを妊娠させるわけにはいかない。たとえあいつがそのことでどれだけ悩んでても、俺たちが離れることになることだけは許されないから。







「玲王、わかってるだろうな?」
「…ああ」
「ならいい。オメガなんぞにうつつを抜かしてるなんて言われたら御影の恥だ。これまで好きにさせてやったんだから今回は言うこと聞け」

うるせぇよ。誰が親父の言う通りになんかするか。


会社を継がずサッカー選手になった俺を父親はいつまでもこうして詰る。

いつまで時代錯誤なことやってんのか。親父に文句言われるような道を進んでねぇし、これは俺の人生だ。だから見合いなんて受けない。

そう思ってたのに、会った瞬間にこいつだと思ってしまった。もちろん彼女のフェロモンが自分にとって心地良いものだったからと言うのもあるけど、それよりも彼女の瞳に目が行った。怯え、期待、選ばれないことへの不安、でも選んで欲しいという渇望。そんな瞳をしている彼女になぜか体の奥がぞくぞくとして、彼女が欲しいと思った。つい自分から彼女に向けて好意的なフェロモンが流れそうになったのを理性で止めた後、すぐにハッとした。

『オメガに子供を産ませたら、離婚しろ。アルファと結婚させる』
『うなじは噛むなよ?後で面倒なことになる』

それに俺はなんて答えた?

オメガと結婚させてアルファの子どもを産んだら離婚してアルファと結婚しろなんてありえない。離婚は番関係が絡む問題だから噛んでしまえばつっぱねられるにしても、代わりに子供は御影の後継にと必ず要求してくる。

そんなのが決まってる結婚なんて、誰が受けるか。俺だって、相手のオメガだってそんなのごめんだ。だから適当に流した。今日会うオメガと番になるつもりなんてまるでなかったから。


俺の一瞬の逡巡にすぐに気がついたのか、彼女は傷ついた顔をした。オメガは希少でその能力的に言えば本来選ぶ側の立場であるにも関わらず、なぜかアルファから選ばれる側にある。だから俺に選ばれなかったと思って傷ついたのかもしれない。自分の不甲斐なさで一瞬でも彼女を不安にさせたことを恥じて、すぐに止めたフェロモンを彼女に送った。

「知ってるかもしんねぇけど、俺は御影玲王。名前聞いていい?」

彼女はどうしたらいいのかわからないという顔で名乗った。俺は破断にするつもりしかなかったからここでようやく彼女の名前を初めて聞いたことに気がついた。


そこからは会えば会うほど好きになって、小さな口に箸を運ぶ姿が可愛くて、彼女からはあいかわらず他のオメガから嗅いだことがない本能を刺激する香りがする。会う回数を重ねるごとにその細いうなじに噛みつきたい衝動が増して、それを抑えるのに必死だった。

番になったのはシーズンが終わって日本に帰ったときのこと。向こうで見つけたお気に入りのワインを飲んでもらいたいと土産に持って初めて彼女の家に行った。家に入った瞬間に、あ、俺耐えられっかな、と思った。家の中は彼女の香りでいっぱいだし、自分の家だからか彼女の警戒心はいつもよりも薄い。それに加えてアルコールが回り始めると、へにゃりと笑って頬を紅潮させる。

あー、好きだわ。

彼女のフェロモンの香りにすっかり酔った俺は気がついたら彼女の首に付けられたうなじを守る首輪に手をかけていた。まさかそんな行動に出るなんて思わなかったのか笑顔は一瞬できょとんとしたものに変わる。

「あの、えっと」
「ん?そろそろ俺の宝物になんねーかなと思って」

俺は余裕のある男のフリをしてそう笑った。そんなことを言われるなんて思いもしなかったのか、もともと赤い顔をさらに真っ赤にして「冗談やめてください」なんて顔を背けるからその瞬間俺は我慢の限界を迎えた。

「冗談じゃねぇから。もうわかってると思うけど俺はお前が好きで番になりたいと思ってる。だからこの首輪外す権利ちょうだい」
「あ、あの…わたしで、いいんでしょうか?」

不安の色が強いフェロモンだった。彼女は昔アルファと何かあったのか、こちらの顔色を伺うような仕草が多かった。もともとオメガはヒートがあるせいで社会的地位が低いと言われてるし、自分達を屈服させるフェロモンを放つアルファにそういう態度をとりがちだけどそれが多いような気がしてた。俺は安心させるように言葉にフェロモンをのせる。

「お前がいいし、お前にも俺を選んで欲しい」

そう言ってゆっくりと顔を近づけるとまぶたを閉じたから、それが了承の合図だと受け取って初めてのキスをした。それからは盛りのついた犬みたいに興奮して、色々順番すっ飛ばして気がついたらうなじを噛んでた。流石にこんなすぐにそうなるとは思わなかったのか彼女もさすがに「え!?」ってなってたけど、そこには喜びの感情しかなかった。

番になったことにやっぱり親はいい顔をしなかったし、アルファの子供が生まれたら別れろの一点張り。そんなのつっぱねて彼女と二人生きていきたい気持ちはもちろんあったけど、相手は俺と同じくらい力の強いアルファで、世界に影響力を持つ御影コーポレーションの社長。無視して彼女に何かあったら困る。

彼女が妊娠を望んでいたことはわかってた。でもだからこそ今妊娠して、生まれた子をとりあげられて最悪番を解消させられるなんてことになれば彼女がどれだけ傷つくか想像に難くなかったし、俺自身耐えられることじゃない。

ようやく親父とW杯優勝すれば妻に関しては何も言わないという約束を取り付けたから、あとは子供のこと。御影の後継者を俺かその子供にと親父が思ってる時点で勝敗は厳しい。子どもを彼女の元で育てさせるのは親父が認めるいい後継者が現れるか俺がW杯優勝を機にサッカー人生を終えて会社を継ぐか。多分後者になるだろうとは思ってるけど、もしそれを彼女に知られればおそらく自分のせいでと自分を責めるだろう。だからまだ知られるわけにはいかなかったし、彼女が抱く不安すべてを俺に言える日が来るまで俺は彼女に好きだと言い続ける。その全てが終わればようやく俺は彼女を本気で抱ける。だからもうあと少しだけ我慢して欲しいと「運命信じてその日を待とうぜ」と彼女を抱きしめた。







「ただいまー」

返事がない。返ってくるのは静寂だけ。あいつは外出が好きじゃない。必要最低限の買い物以外は外に出ないし、なによりも俺が帰ってくる時間帯に家にいなかったことはない。妙な胸騒ぎがして急いでリビングのドアを開けたけど、いつもの笑顔も「おかえりなさい」もやはりない。

キッチンには自分以外の誰もいない部屋に似合わないご馳走が並べられている。それを脇目に全ての部屋を探した。ひょっとして疲れて寝てるかもしれないからと寝室を、一緒に入ろうと約束してたけど待ちきれなくて風呂にいるかもしれない。でもどこにも愛する番の姿はない。再びキッチンに戻ると机の一角に紙切れ一枚と指輪が置かれている。

『マネージャーさんと幸せになってください。番の契約はどうぞ破棄してくださいませ』
「は?」

マネージャー?別にマネージャーとは何かあるわけがない。たしかに婚約者候補だったけど、アルファ同士は妊娠率も低いしすぐに外れた。じゃあなぜそんな思考に至ったのか。

母さんか…?

母はやたらと彼女と別れたらマネージャーを妻にするよう俺に言ってきていた。それにいつまで経っても妊娠しないこともよく思っていなかった。つい先日キツく「この件は親父と話がついてるからナマエにとやかく言うな」と言ったのが仇になったかもしれない。

いや、でも。彼女が不安に思わないよう俺は愛情を伝えてきた。それだけは揺るがない。

ということは、彼女はそれでも俺から離れられるって思ったってことか?ヒートを唯一鎮められる俺がいなくても生きていけるって思ったってことか?

そんなの許すわけねぇだろ。お前の番は俺だ。お前は、俺のものだ。誰が逃すか。



◇◇◇




病院に来る時から空は曇っていた。わかっていたのに、家だった場所に帰って玲王さんへの書き置きを残して出てきた時も、やっぱり傘は持たなかった。だからひとりぼっちのわたしは降り出した雨にすぐにずぶ濡れになった。

行く当てなんてない。これから番なしにどうやってヒートを乗り越えたらいいかもわからない。でもずっと不安だったところに、唯一の拠り所の玲王さんに嘘を吐かれてわたしは何もかも信じられなくなってた。

玲王さん、わたしのこと運命だって言ってくれたのにな…。

でも、そっか…。わたしは本物の運命の番に拒否されたくらいなんだから玲王さんにいらないって言われたって仕方ないよね…。

わたしは中学生の時、運命の番に会った。たまたま近くの高校で行われていた文化祭のお化け屋敷に入った時のこと。一人ずつで進むよう言われて暗闇を歩いていたら何かにつまずいた。それはなぜかお化け屋敷の中でごろんと横になっている人で、気がつかず蹴ってしまったからごめんなさいと謝るつもりだった。でも会った瞬間にその人がわたしの運命だとわかった。でもその人に拒絶されて、わたしは逃げるように彼の前から去ったのだ。

運命の番に拒絶されたことはわたしの中で癒えることのない傷で、それがいつもわたしを臆病にさせた。

どうしてわたしは選ばれない側の人間なんだろう。どうしてわたしにはわたしを愛してくれるアルファが現れないんだろう。

頬を伝う涙は雨と共に流れていく。びしょ濡れの女をかまう物好きは誰もいない。でもここにいても仕方がないからとひどい雨の中をようやく一歩足を踏み出した。その瞬間。

ぴん、と何かが繋がった気がした。

それに導かれるまま顔を上げるとわたしの少し前には傘をさした長身の男性が立っていた。その人は持っていた傘を手から離して、ゆっくりと、まるでここがまるで雨の中じゃないかのように真っ直ぐこちらを見つめて、そしてわたしの前で立ち止まった。

何かが、わたしを引っぱる。この感覚は久しぶりだった。気がついたら彼に向けて伸ばしかけていた手を彼は強く握りしめてきた。

「ねえ」

掴まれた瞬間、全身の細胞が逆立つような気がした。そして雨の中でも香る、濃い、甘ったるいかおり。それがわたしに絡みついてくる。

「見つけた、俺の運命」
「あ…」

あの時感じた運命の香り。顔も名前も何も知らないのに、でも今でもはっきと覚える。

わたしを慈しむような顔でわたしの頬を撫でたあと、そのままわたしのむきだしのうなじに指を這わせる。彼はそこに他のアルファとの契約をした証があることにイラつくように眉を顰めた。その瞬間、がつんと体が重たくなった。膝が抜けて雨の中に座り込みそうになると、そのすんでのところでその人がわたしを抱き抱える。

「俺のフェロモン、まだわかるんだ」
「…え?」

彼はそう言うとひどく嬉しそうな顔をしてわたしを見つめる。

「ずっと探してたよ」



◆◆◆



「…ねー、玲王」
「ん?」
「番をつくるってどんな感じ?」
「…幸せだけど辛いし、辛いけど幸せって感じだな」
「めんどいね」
「まーな。でも一目見た時からあいつしかいねぇって思ったし、まだ色々問題あるけどなんとかやってくわ」
「あー、運命の番ってやつ?…玲王は運命の番っていると思う?」
「……いや、いないと思う」
「意外。奥さんのこと運命だっていうかと思ってた」
「もし語られてるようなのが運命だっていうならあいつは運命じゃない。相性がいいのは間違いないし、一目惚れしたけど。でも運命の番なんていないって思えばあいつは俺の運命だからさ。そう思うことにした」
「さすが」
「お前はどう思ってんだよ」
「玲王には悪いけど俺はいると思う。てゆーか会ったことある」
「は!?マジで?」
「玲王と会うより前。あの頃はまだ子供だったから運命の感覚が気持ち悪くて突き放しちゃったけど。でもずっと忘れられないんだよね。だから他の女とか無理」
「…会いに行かねーの?」
「名前も顔も知らないから。でももし次会えたら」



◆◆◆



「傷つけてごめん。ねぇ、俺と番になって」


どこかでわたしを呼ぶ玲王さんの声が聞こえた、気がした。





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