運命の番が現れてからピルを渡してくるようになった玲王は多分私との子供なんていらない







なんでこの人はわたしのことが好きなんだろう。

高校二年生の時に「なー、お前のこと好きなんだけどさ、俺ら付き合わねぇ?」と机に肘をついた彼がほんのちょっぴり不安げにわたしを見つめながら告白してきたときからずっと疑問だった。

クラスでは仲のいい方だったと思う。確か3回目の席替えで隣の席になった後玲王がたまにやってる勉強会に呼んでくれたのが始まりだった。教え方の上手い玲王のおかげでその時のテストは順位がぐんと上がって、それでお礼にコーヒーを奢った。そしたらなんでか玲王はわたしを気に入ってくれて。

大抵の人のことを苗字で呼ぶのにわたしのことは名前で呼んだし、たまたま帰りが一緒になった時は玲王の車で家まで送ってくれた。あとは委員会が終わって誰もいないはずの教室に戻ると、そこにはよく株か何かの勉強をしてる玲王がいて、特にお互い用事があるわけじゃないのに気がついたら先生に「そろそろ帰るように」と注意されるまでおしゃべりした。

彼が告白してきたのはそんな時だった。

でもどれもクラスメイトの域を出ないものだと思っていたからその告白が本当だなんてとても思えなくて、「御影くんも罰ゲームとかやるんだね」なんて可愛くないセリフしか出てこなかった。

「俺が罰ゲームで告白したと思ってんの?」
「違うの…?」

だって本当にわたしにはなんの取り柄もないから。強いて言えば社長令嬢ではあるけど御影コーポレーションとは比べ物にならないくらい小さな会社だし、それに優秀なアルファの多いこの白宝学園の中ではめずらしくわたしは冴えないベータ。

「御影くんにはもっと似合う人がいるから。ほら、〇〇さんとかってみんな言ってるし」

みんなが玲王とお似合いだというアルファの令嬢の名前をあげれば彼は「似合うかどうかを他人に決められたくねぇ」と口を尖らせた。

「お前は二人になんのいっつも偶然だねってのんきに言ってたけど、あれ、狙ってたからな」
「え、え!?」
「ほんっと俺のお姫様は鈍感なんだけど」

お姫様なんて他の人がいったら笑っちゃいそうな言葉も玲王だと様になるから不思議。でもそのお姫様がまさか自分だなんてそんなの夢の中でしかありえないことだと思ってたから。

「うそだぁ」
「嘘であんなめんどくさいことしねぇよ。俺はお前が好き。だから好かれたくて頑張ってた。で、最近あんま目合わねえから意識されてんのかもって期待してたんだけど、違った?」

いつも理性的で合理的な玲王が恋人を「好き」という感情で決めるということがすごく意外だった。それからわたしみたいななんのメリットもない人間を選ぶことも。でもだからこそその瞬間、もともといいなと思っていた玲王に人間らしい輪郭を感じて、そしてその完璧な玲王が持つ人間くささがたまらなく好きだなって思ってしまって。だからわたしは不相応なのを分かった上で、「好き、です」と頷いた。

すると玲王はひどく嬉しそうに笑って、わたしの頬を優しく撫でた。

「なぁ、キスしていい?」
「…うん」

夕日が照りつける教室の中でわたしたちははじめてのキスをして、そして恋人になった。




恋人としての玲王は完璧だった。

予定がない時はわたしの委員会の仕事が終わるのを待って一緒に帰ってくれたし、天気のいい帰り道は車を飛び出て一緒にわたしの好きなクレープを食べに行った。ベータのわたしは玲王に相応しくないという周りの言葉にもいち早く気がついて怒ってくれたし、それで落ち込むわたしを「お前のいいところは俺だけが知ってればいいから」とわたしの髪を一房すくって口付けながら好きだと伝えてくれた。

だから、玲王はベータであるわたしのアルファの彼氏として完璧だったと思う。それでわたしは自分がベータだということを忘れてアルファ、しかも他にいないくらい優秀なアルファと付き合うだなんて大それたことを続けてしまえたのだ。もしかしたら玲王ならバース性に抗ってわたしと一緒になってくれたりしてって、そんな期待をしてしまっていた。

でも現実はそんなに甘くなくて。

「ほら、これ」

そう言って玲王の整えられた指先がわたしの口元に運ぶカプセルの中身はピル。玲王がわたしにこれを飲ませるようになったのは、玲王に運命の番が現れて以降のこと。


  ◇◇◇


「あー、早く大人になりてー」

玲王がわたしを抱いた後そう言ったことがある。わたしが「なんで?」と聞けば玲王は目を細めながらわたしのお腹を撫でた。

「そしたらここに出せんじゃん」
「えっ、れ、れおっ、何言って…!」
「え?お前子供いらねぇの?俺はサッカーチームできるぐらい欲しいけど」

玲王と付き合い始めてしばらくして自然と体の関係を持つようになったけど、玲王はいつだってゴムをしてくれていた。その玲王がさも当たり前のように「お前と俺の子だったら絶対可愛いに決まってる」なんて言いだすものだからわたしは思わず「そんなには絶対産めない!」とバカ正直に答えて玲王に笑われてた。

その関係が崩れ始めたのは玲王がそのサッカーを始めてから。玲王は凪くんと一緒にいることが多くなったし、しばらくしてサッカーの強化指定選手に選ばれると会えない日々が続いた。別にそのことは嫌じゃなかったし、燻ってた玲王がやりたいことを見つけて夢に向かっていく姿はキラキラしていたからもちろん応援をしていたのだけど、そのプロジェクトに関連して玲王がイングランドのサッカークラブと契約を結ぶと、さすがにわたしののぼせ上がってた頭が冷静になってしまった。

その頃わたしたちは同じ大学に通っていた。もちろん日本のチームでサッカーを続けてる玲王はあまり大学にはいなかったけど、でもどうやってるのかちゃんと単位は取ってるしテストも満点。相変わらずどこでどうやって時間をやりくりしてるのかわからない玲王が疲れた様子で一人暮らしするわたしの家に遊びにきたのを見てよく「寝て!」とベッドに押しやってた。まあ大抵そういう時は「誘ってきたのはお前な?」なんて言って違う展開になるんだけど。

でも玲王がイングランドに行ってしまえばそんな時間はなくなってしまう。

大学生のわたしと海外の大学に通いながらプロのサッカー選手として生きることになる玲王。それにわたしは世界で活躍するアルファの隣に立つのに相応しくないベータ。今までは狭い世界にいたから玲王もわたしを選んでくれていたけど、一歩外に出れば素敵なアルファやオメガがごまんといて、玲王と、そして玲王の両親も納得する人がきっとすぐに見つかってしまう。

「玲王はもう少ししたらイングランド行くんだよね?」
「あー、そうだな。その前からちょくちょく行くとは思うけど、本格的に住むのは一年後くらいだな。今のチームとの契約もあるし」
「そっか」
「寂しい?」
「…そりゃ、ね」
「一緒に行くか?」
「え?」
「イングランド」

この時玲王がどれくらい本気で言っていたのかわからない。彼の瞳はまっすぐわたしを見つめていて、それは少しだけ息苦しく感じるくらいのものだったけど、でもすぐに笑って「俺はお前に来て欲しいと思ってる」とわたしを抱き寄せた。

わたしは玲王を抱きしめ返したけど、結局わたしは最後まで頷けなかった。だって、わたしは玲王と結婚できないベータだから。

この時頷かなくてよかった。玲王が運命の番に会ったのは、それから一ヶ月もしないうちのことだった。



その日、わたしは玲王とデートの約束をしていた。映画を見て、二人でハマってるパスタを食べに行く最近の定番コース。なのに待ち合わせ場所に少し遅れてやってきた玲王はサッカーしてる時以外で見たことないくらいの汗を額に浮かべていて、そして息も荒い。

「玲王?どうしたの!?」

わたしが慌ててタオルを取り出して玲王の汗を拭おうとすれば、玲王はわたしの手を取って歩き始めた。手首が骨が鳴りそうなくらい強く掴まれていてわたしは思わず顔を顰める。

「ごめん、」
「玲王…?」

着いたのはすぐ近くにあった玲王には似合わない場末のラブホで、わけもわからずに立ちすくむわたしを玲王はベッドに性急に押し倒した。いつもとあまりに違う恋人の姿にわたしがはっきりと畏怖の顔を向けると玲王は唇をぎゅっと噛んで、もう一度「ごめん」と謝った。

「ううん…。何があったの…?」
「……オメガのヒートに当てられた」
「え?でも」

玲王は何か間違いがないようにばあやさんが用意した強いアルファ用の抑制剤を飲んでいると聞いていた。それのおかげでオメガのフェロモンなんて感じたことないから俺にとっちゃアルファもベータもオメガも同じとも。

でもあまりに辛そうな玲王は言われてみればたしかに発情しているとしか思えない。ということは。


「もしかして運命の番…?」


その可能性に行き着いた瞬間、そう聞かずにはいられなかった。すると玲王は噛んでいた唇をもっと強く噛む。それがわたしの推測が正しかったとすぐに教えてくれた。

待ち合わせをする前、玲王は御影コーポレーションの関係で小さなパーティに出ると言っていた。もしそこで会った人ならきっと玲王とも身分的に差のないオメガなんだろう。

運命の番なんてドラマの中だけの話だと思ってた。でも薬の効果すら超えて引かれ合う二人はドラマよりもずっとずっと運命的で。

そんなの、勝ち目があるわけない。だからきっと今日わたしと玲王は終わる。わかってる。

玲王がイングランド行きを決めてから別れは覚悟してたはずなのにいざ目の前にそれを突きつけられると途端に寂しくなってくるのはなんなんだろう。本当は他の女の人で発情したのをわたしで発散するなんてことは辛いだけのはずなのに、気がついたらわたしから玲王に口付けていた。玲王はすぐにその意図に気がつくと、わたしを気遣って抑えようとしていた昏い瞳をこちらに向けた。

その日、玲王はわたしをなんの手加減もなく抱いた。わたしをオメガに見立ててうなじを噛んで、はじめて一番奥に玲王の熱を放った。

終わって残ったのは運命の番の代わりに抱かれたという虚しさだけ。でも自分から求めたんだから玲王に涙を見せるわけにはいかない。だから笑ってお別れをして、それから一人で泣こうと思っていた。

だけど玲王は別れるつもりなんてまるでないかのようだった。「無理させて悪い」とわたしの体を気遣いながらいつも以上に甘くわたしのまぶたに口付けをして、俺は今すぐに子供できてもいいけど大学行きたいんだろ?って翌日一緒に病院に薬をもらいに行ってくれて。

よかったって安心した。きっと玲王は運命の番のところに行くつもりないんだって思ったから。

でも玲王がわたしに薬を飲ませるようになったのはそれからのことだった。薬は玲王がわたしを抱く度に飲ませてきたけど、でもだからって別にいつも中に出すとかそんなことはもちろんなくて、むしろわたしがわけもわからなくなるくらい玲王に愛されてどうしようもなく欲しくなって、それでねだった時だけ。

そんな時玲王はいつもわたしのうなじに歯を突き立てる。玲王はあの日以降運命の番について一言も話題にすることはなかったけど、本当は運命が恋しいんだってことは言われなくてもわかってしまう。

もちろん玲王がわたしのこと嫌いになったわけじゃないと思うけど、でもアルファとしての玲王は運命の番を求めてる。そうするとまるで飴玉を食べさせるみたいにわたしの口の中に入れるその薬がどうしても「お前の子供はいらない」と言われている気にさせる。ゴムの85%の避妊率じゃ心配なのかなって。前はわたしとの子供が欲しいって言ってくれてたのに。

それで口に含んだ薬を渡された水で飲み干す気にならなくてぼんやりと見つめていれば、玲王がそのコップをわたしから奪って、そして水を口に含んだ後わたしに口移しで飲ませた。

口の端からこぼれた少し生ぬるいそれを切なげに拭う玲王の表情を見ると、ああ、もう無理だなって。

玲王がわたしと一緒にいてくれるのは同情でしかないんだなって。

だからわたしはイングランドに行くのを待たずして別れを告げることを決めた。







「明後日クレープ屋さん行かない?」
「それってお前が気に入ってたとこだよな」
「うん、そう」

最後は思い出の場所を巡って別れたいなって思った。わたしが強い女だったらこんなうじうじ悩まずにさっさと玲王と別れられたけど、残念ながらそういうタイプの人間じゃない。好きな人と別れたくないし、できればまたわたしのところに戻ってきて欲しいって思っちゃう。でもようやく別れようって決意できたから。だから最後くらいは玲王の好きな大人の女みたいにかっこよく、笑顔で「いままでありがとね」で終わらせようと思う。

それで玲王がオフで元々デートを入れていた日に誘ってみたけど、玲王は一瞬黙って視線を斜め下に向けた。それは玲王の考え事をしてる時の癖。

「何か予定入れてたっけ?」
「ん、いや、大丈夫。ダイエットするって言い出してから行くのやめてたから久しぶりだな」
「それ言わないで!結局痩せるどころかちょっと太った気がするから!」
「俺は抱き心地いいから大歓迎だけど」
「玲王にしては女心わかってない発言」
「ははっ、ごめん」

結局玲王が悩んでいた理由はわからないままデートの日を迎えた。少しだけ熱っぽい気がしたけど、多分玲王と別れるのが嫌で体が駄々を捏ねてるんだろうと思うと我ながら女々しくて情けない。だから待ち合わせ場所までの足取りは重たかったけど、でも玲王が来てしまえば楽しくて時はあっという間で過ぎていく。気がつけばイタリアンを食べた帰り、玲王が「今日お前んち行っていい?」とわたしの腰に回した手からもう抜け出さなくちゃいけない時間に差し掛かっていた。

「玲王」

わたしはするりと玲王の腕を解く。

「あのね」

わたしの言いたいことを察したのか、玲王は先程までのご機嫌はどこにいったのかというくらいの無表情にかわった。同情で付き合ってもらってるくせにわたしからフるだなんてってイラついたのかな。…そんなことあるわけないか。だって玲王が好きなのは物分かりのいい大人の女なんだし。それに玲王はそんなに性格悪くない。だから同情で付き合ってくれてたんだし。

だから、その玲王をもう解放しなきゃ。

「今日はありがとね。それで、あの」

わたしが覚悟を決めてゆっくりとその表情のない玲王の顔を見上げると、玲王はわたしの手首を強く掴んだ。

「ん?」

まるであの運命の人に会った後のように強く掴まれた腕がギシッと鳴る。でもあの日はどこか申し訳なさげだったのに今日は違う。こんなにも威圧感のある玲王は初めてだった。アルファは元々絶対的な支配者であるからオメガはもちろん、フェロモンを感じないベータであっても逆らえないような強制力を持っているけれど、少なくとも玲王は自分がアルファであることを使ってわたしに言うことを聞かせることはなかった。
なのに今は有無を言わせない態度で、でも口調はいつものように優しいからそれが逆に少しだけ怖い。

「手、痛いよ」
「あー、ごめん。なんかお前がどっか行っちまいそうな気がした」
「…え?」
「んなワケねぇのにな」

そう言いながら今度はわたしをぎゅうっと抱きしめる。それは息ができない強くて、本当に逃げようとするわたしを捕まえるみたいだった。

やめてよ。同情はいらないんだよ。あんな顔をしてわたしにピルを飲ませるくらいならもうさっさとわたしのことをふってよ。どうせ遅かれ早かれ最後はわたしたちはバース性に従って別れを選んでたんだから…。

かっこよく別れるはずだったのに鼻の奥がツンとして、視界がぼやけていく。

わたしだってどっか行きたくないよ。でももう無理なんだから。

こんなに辛い日がくるってわかってたくせになんでわたしは玲王のこと好きになっちゃったんだろう。

なんでわたしは、オメガに生まれてこなかったんだろう……。

涙が出そうになるのを必死に止めようと一つ大きく息を吸ってぐっと息を止めた。

するとシトラスのように心地いい、でもどこか甘ったるい香りが胸いっぱいに広がる。それは玲王がつけている香水とは違う、でもたまに玲王から香ってくるものだった。

この匂いが好き。いや、やっぱり嫌い。だっていつもこの匂いを嗅ぐとわけがわからなくなって玲王を求めてしまっていたから。

今まさに別れようとしてる時なのにどうしてかはわからない。本能が求めてるのか、それとも玲王が離してくれないからなのか、気がついたらそれをもう一度すうっと肺の奥まで吸い込んでいた。

その瞬間、心臓が大きくドクンッと鳴る。

身体中の汗腺が開いたみたいに全身が汗ばんで、呼吸も浅くなっていく。体が燃えるみたいにあつい。

いや、あついのは身体というか、お腹の奥。頭はぼうっとしていくのに対してお腹の感覚だけはいやにリアルで、何か物足りなさを感じる。

「なに、これ」
「どうした?」
「なんか、あつい」

早く玲王から離れろと頭のどこかで警鐘が鳴ってわたしを抱きしめる玲王を突き放そうとするけど玲王は離してくれない。それどころかもっと強く抱きしめてくるから匂いがまたさらに濃くなっていく。

溺れてしまいそうなくらいの濃いそれにわたしの足が抜けると玲王はわたしのことを抱き上げた。

「大丈夫か!?」

どうしよう。同情なんて絶対いやなのに。今日別れて次はベータと付き合って結婚して、そして子供を産むんだって、そう思ってたのに。

目の前にいるこの男の人が、この脳が溶けるくらい甘い香りのするこのアルファが、欲しくてたまらない。

だめ。もう玲王を解放するって決めたじゃん。

でも、欲しい。

だって、あつい、足りない。

自分の中に湧き上がる初めての感覚があまりに怖くてさっきまで抵抗していた手はまるですがるように玲王にしがみつく。

「れお、こわい」

すると彼はバイオレットの瞳を大きく見開いて、そしてわたしを抱き上げて足早に歩き始めた。

「少しだけ我慢できるか?」

玲王がタクシーを捕まえてわたしの家まで向かう間も玲王から香る香りはどんどん強くなっていって、家に着いた頃にはむせかえるほどだった。わたしの部屋のはずなのに、もう玲王の匂いしかしない。

「すごいにおい…なに、これ」
「お前も」
「え?」
「すげーいい匂い」

玲王はわたしの首筋に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。

「頭おかしくなりそう」

呟いたのは玲王だったけど、わたしも同じことを思っていたから少し驚いて彼を見上げる。気がついたらわたしたちの見つめあっていて、そして流れるように口付けをした。もう幾度となくしてきたはずのキスなのに脳が痺れるくらい気持ちいいし、生理的な涙で視界が霞む。

ほんとうにどうしちゃったんだろう、これじゃまるで…。

「なあ」
「ん、え」

もうまともに声が出ない。定まらない視点で玲王を見つめると玲王も息を切らせながら前に見た怖いくらいにわたししか映っていない瞳をまっすぐにこちらにむけていた。

「お前を俺のものにしていい?」
「え?」
「俺に噛んでって一言言えば、お前は俺だけのものになるし、俺はお前だけのものになる」
「あつい、れお」
「あついのは俺がなんとかしてやるから。だから言って」
「ん」
「ほら」
「……」
「言え」

玲王から感じる香りと威圧感に意識が飛びそうになる。でも体は正直で、今すぐにでも玲王に抱いて欲しいと思ってて。それで目の前のわたしにとっての絶対的な存在に命令されたらわけがわからなくたってそんなの、言うに決まってる。


「か、んで」


玲王はわたしと付き合ったあの日みたいひどく嬉しそうに笑ってわたしのうなじを舌でつうっと舐めたあと、じゅっと音を立てて吸い付いた。まるで食べるみたいな勢いにわたしはなぜか首を守ろうとする本能と、そのまま玲王の鋭い犬歯を突き立ててしまってほしいという本能で揺れ動く。でもどんどんあつくなっていく身体は正直で、全く意味もわからずにわたしはただ「噛んで、おねがい、れお、早くっ」と急かしていた。

「ああ、俺ももう待てねぇよ」
玲王はそう言ってわたしのうなじに歯を食い込ませた。

全身が粟立つ感覚と高揚感、それから目がチカチカするほどの快感に意識が飛ぶ。





いつだったっけ。玲王がわたしにオメガになったベータの話をしたのは。


「後天性オメガって知ってるか?」
「後天性?ってことは、あとからオメガになるってこと?」
「そ。たまたま記事で読んだんだけど、バース性は普通の性別と違ってゆらぎが大きいから色んな因子で後から変わることがあるらしい」
「そうなの?」
「アルファもあるにはあるらしいけど大体はベータに見られる現象らしくてさ、ずっとアルファのフェロモンに晒されてると体がそれに順応してオメガ化していくらしい」
「そんな簡単にオメガになるの!?」
「ものすごく稀な現象だけどな。でもそういう時は大抵本人がオメガになりたいって思ってることが多いらしい。あとは身内にオメガがいるとその遺伝子を引き継いでるからなりやすいとか、まあ他にも色々あんだけどさ」


それで。なんで今それを思い出すの?



落ちた意識の向こうで玲王が「やっと俺のになったな」と呟いた気がしたけど、当然目が覚めた時にはその記憶はなくなっていた。




◇◇◇



「ん゛…」
「起きたか?」

びっくりするくらい酷い声だった。思わず咳き込むと玲王は「水持ってきてやるな」とベッドから立ち上がって冷蔵庫の方へと向かっていく。

あの後どうなったんだっけ…。玲王とデートした後、別れを告げようとしたら信じられないくらい体が熱くなって、それで…。

玲王からはまだあのいい匂いがしていて、それに幸せを感じてるのはいったいどういうことなんだろう。意味がわからない。別れようと思ってたはずなのに絶対にもう離れられないとか思っちゃってるのは一体なんでなんだろう。ほんと、意味がわからない。

「ほら」
「ありがとう…」

上半身を起こして水を受け取ろうとすれば体は自分のものじゃないかと思うくらいに重たい。でも喉はカラカラで急いでペットボトルの蓋を開けて喉を鳴らしてそれを流し込んだ。慌てて飲んだせいで水が顎を伝うと、玲王は「こどもみたいだな」と笑いながら自分の袖でそれを拭った。

「いつも思ってたけどお前水飲むの下手だよなー」
「そんなことないよ」
「あるって」

こんな玲王、久しぶり。ここ最近、体を繋げたあとはいつも薬を渡してきて、それで辛そうな顔をしていたのに。

あ、そうだ、ピル。

いつも起きてすぐに玲王がわたしの口に運ぶ薬を待つけど、玲王は一向に渡してこない。それどころか、ベッドにもう一度寝転がったわたしをまるで愛おしいものを見るかのように見つめて髪を弄んでいる。

「玲王?」
「ん?」
「ピル、飲まなくていいの?」
「ああ、もういらねぇだろ、番になったんだし」

つがい…?

つがいって何。
わたしの知ってる番であってる?でもそれってアルファとオメガの間にだけ結ばれるものであって…。

「ひょっとして覚えてねぇとか…?」

ぽかんとした顔をしたわたしに玲王は不安げにわたしの首の後ろに手を伸ばす。彼の指先が触れたのはわたしのうなじで、触れられた瞬間にぴりっと痛んだ。わたしが思わず眉を寄せると玲王は「これが噛んだ跡」とその痛むところをなぞった。

「初めてのヒートで記憶とんでるかもしれねぇけど、お前は三日前に俺と番になった」
「え?で、でもわたしはベータで」
「ベータだった。今はオメガだ」
「え!?」
「前に俺が後天性オメガの話をしたの覚えてるか?医者が言うにはそれだろうって」
「後天性オメガ…」

それから玲王はこの三日間のことを説明してくれた。

あの経験したことのないあつさはわたしがオメガになって初めてのヒートが原因だった。アルファの玲王にはわたしがオメガになって、そのままヒートを起こしたことはすぐにわかったらしい。

そういうことがあるっていうのは聞いてたけど、まさかそんなことが本当にあるなんて思いもしなくて正直すぐには信じられそうにない。

でも玲王がわたしに差し出した診断書と書かれた紙には後天性オメガがどうのと書かれている。それに確かにあの時、目の前にいる玲王が欲しくて欲しくてたまらなかった。お腹の奥があつくて、足りなくて、ただただ自分を玲王のものにしてほしかった。別れようってあれだけ考えて決めていたのにそれを覆すほどの衝動は今まで生きてきた中で感じたことがないもの。

あれがヒートだったと言われればそうなのかもしれないとは思うし、実際にあの時自分で自分がまるでオメガみたいだと思ったのも確かだった。

「多分俺とずっと一緒にいたからだろうな。俺のフェロモンを吸い続けた結果お前の身体は少しずつオメガに変わっていってて、三日前に完全にオメガになった。で、そのままヒートしたお前に触発されて俺もラットして俺らは番になった」
「そんなことって…」
「急にオメガになりましたって言われても意味わかんねーよな。でも番っちゃえばオメガは三ヶ月に一度の軽いヒートがくるぐらいであとはベータと変わんねぇから。それにわかんないことあれば俺が教えてやるし、助けてやれるから心配すんな」

玲王はそう言ってわたしの頭を撫でる。その手は優しくて、その表情も優しくて、やっぱり運命のつがいに会う前の彼に戻ったみたい。

そういえばわたし、あの時オメガになりたいって思ってたよね。そうしたらわたしたちは番になれて誰にも邪魔されないのにって。……だからきっと最後の引き金を引いたのは多分わたし自身だ。

でももうそれは遅くてどう頑張っても運命の番が現れたことは変わらない。玲王はもう運命の番が好き。

なのに、わたし、あの時…

「あの時わたし「噛んで」って言った、よね?それって」

玲王の番にしてってことだったの…?

わたしの問いに玲王は「覚えてたか、偉いな」とまるでこどもを褒めるみたいに笑う。

「っ、ごめん、わたし、そんなつもりじゃなくて」
「お前は何も悪くねぇよ。俺が言わせたんだし。俺がお前をオメガにしたし、俺がお前を番にした。悪いのは全部俺」
「ちがっ」
「でさ、番になったら離れて暮らすのは無理だろ?だからお前にはイングランドについて来て欲しいと思ってんだけど」
「え…?」
「つーか予定より早いけど俺は結婚したいと思ってる」

もう泣きそうだった。同情で付き合ってもらってるのが嫌だったのに、わたしがオメガになってわたしが求めて番になってしまったその責任を玲王にとらせるなんて。

そんなの、絶対に嫌。

「ごめん、ごめんね、玲王」
「何だよ」
「本当はこんなことになる前に言わなきゃいけなかったのに…。番の契約はアルファ側からなら解消できるって聞いたことがある。だから今からでも番はやめられるから、だから………、別れよ?」
「……は?」
「本当にごめんなさい、せめて玲王のいないとこでオメガになってたらこんなことには…」

わたしはようやく言おうと思ってた別れ話を口にした。神様は意地悪だ。なんでわたしをこのタイミングでオメガになんかするの。なんで玲王のいるところでオメガになってするの…。

ボロボロと目からあふれる涙が止められなくてわたしが顔を押さえて泣いていたら、玲王は静かにわたしにこう問う。

「それって、俺と番になりたくなかったってことか?」
「…」
「俺のいないとこでオメガになって、わけもわからないまま近くにいたアルファにすがってそいつと番になった方がいいって?」
「ッ」

そんなわけないよ、わたしがオメガになったなら絶対に相手は玲王がいい。
そう思うけど運命の番が現れた玲王にそんなこと言えるわけがない。玲王がわたしのことを大切にしてくれてたのはわかってる。だから番になったのならわたしとちゃんと向き合おうとしてくれてることも。
でもわたしは欲張りだから玲王の気持ちが他にあるのに結婚に頷くなんてできない。
それでわたしが彼からの問いを無言で返すと、玲王は冷たくこちらを見つめたままこう言った。


「んなことになったら俺はそのアルファを殺す」


玲王の聞いたことのない温度のない声音に涙が止まってようやく手で押さえていた顔を上げると、彼の顔からは表情がごっそり抜け落ちていて、息苦しくなるくらい真っ直ぐにわたしを見つめている。ハイライトのない昏い瞳がなんだか怖くて背筋に冷たいものが走った。

「お前さ、自分がどう言う立場かわかってる?番になったオメガはアルファに番の契約を破棄されたら一生苦しむって知らねぇの?」
「え?」
「一度番になればオメガはもう他のアルファを受け入れられなくなる。だからずっと自分のアルファを求めて苦しいヒートを一人でやり過ごすことになんだよ」
「…い、今はオメガのためのいい薬が開発されてるって」
「ねぇよ、んな都合の良い薬」
「……でも、わたしは玲王と一緒には」

いられないよ。

そう言おうとすると、玲王はわたしの腕を掴む力を強くしてわたしの言葉を遮った。

「なんでわかんねぇんだよ!?お前には俺がいないとダメで、俺にはお前がいないとダメなんだって…」
「れ、お?」

怒ってるはずの玲王がわたしにはなぜだか泣きそうに見えて…。凪くんなら知ってるかもしれないけど、わたしはこんな玲王は初めて見た。それはまるで玲王がわたしのことが好きで好きでたまらなくて、わたしが離れていくのを必死で止めてるみたいだった。

なんで?だって玲王には運命の番がいて、その人のところに行きたいんじゃないの…?なのに玲王にはわたしがいないとだめなの?

「……玲王、あの」
「絶対に番の契約は破棄しねぇから。俺の番はお前だけだ」
「玲王はそれでいいの?わたしのこと、もう好きじゃないんじゃないの?」

わたしの問いに玲王はまるで瞬きも忘れたというかのように固まった。そしてしばらくしてわたしの問いの意味がわかったらしい彼がようやく口を開いた。

「もしかして、俺がお前のこと好きじゃないと思ってる?」
「だって、玲王、運命の番のところに行きたいんでしょ?」
「はぁ!?」

玲王は「そっからかよ、マジ信じらんねぇ」とベッドにボスンと音を立てて倒れ込んだ。

玲王はしばらくベッドにうつ伏せになった後、大きくため息をつく。そしえゆっくり髪をかきあげながらわたしの方を見上げてきた。そのころには彼はもういつもの彼で、それに少しだけ気まずそうな、というか呆れたような顔をしてる。

「お前、昔から俺の気持ち全然信じてねぇよな…」
「だって、わたしはただのベータだし、玲王に好かれるようなところなんてないから」
「俺から告白したのに?」
「豪華なものばっかり食べてるとたまに質素なものが食べたくなる的なやつかなって…」
「お前さ、俺が何度お前がオメガだったらって思ったか知らねえだろ?」
「へ!?」
「俺がお前のこと好きになったのに性別とか関係ない。アルファでも、オメガでも、ベータでも、なんだったとしてもお前のこと好きになってた自信ある。でもそれくらい好きだから、もしお前がオメガだったら他の奴に邪魔されずに俺だけのものにできんのにってずっと思ってた。俺もお前だけのアルファになれるし。だからお前がオメガになったってわかったとき、すげぇ嬉しかった。……お前は嫌だった?一度でもオメガになって俺とつがいたいと思ったことねぇ?」


どうしよう、情報過多で頭がいっぱい。でも一番聞きたかった「好き」にわたしの涙腺は、今度は違う意味でまた勝手に緩んでいく。

わたし、勝手に勘違いして玲王を傷つけて。ほんと、最低。でも今は玲王にちゃんと伝えなきゃいけない。


「………あるよ、そんなの、あるに決まってる。だってわたしがオメガになったの、絶対わたしが望んだからだもん。玲王のオメガになりたいって」
「ならなんで別れるなんて言うんだよ」
「だって、運命の番に会ってからずっと悩んでるみたいだったから、その人のところに行きたいんだって思ってて……」
「全然違ぇよ。確かに当てられたけど、名前も知らねえような運命の番のことなんてなんとも思ってない」
「じゃあ、悩んでたのは…?」
「それは、不安にさせてごめん。お前はベータだったからいつか他の人間に発情するようなアルファを見限っていなくなっちまうんじゃないかってずっと不安だった。運命の番に会ったときお前を傷つけたし…。俺が悩んでるように見えたなら多分それが原因」
「それは普通ベータ側が思うことだと思うんだけど…」
「しかたねーじゃん、俺、お前が思う以上にお前のこと好きなんだし」

いじけるように口を尖らせる玲王に、彼は本当にわたしのことが好きなんだってわかって、わたしは泣きながら玲王に抱きついた。

「ごめん、玲王、ごめんね。わたしも好きだよ、わたしも離れたくない。ずっと一緒にいたい」
「…ん」

玲王はわたしと付き合った日のようにひどく嬉しそうな顔をして彼の唇でわたしの瞼に浮かぶ涙を拭った後、そのままキスをした。

するとまた玲王のフェロモンが強く香って体がぞくっとした。フェロモンにのせられたわたしへの執着にオメガとしての自分が喜んでる。

わたしの身体があつくなるのと同時に玲王のフェロモンが強くなっていく。わからないけどひょっとしたらわたしからまたアルファを誘うオメガのフェロモンが出てるのかもしれない。もう欲が宿ってる瞳をした玲王に手を伸ばせば玲王はわたしの首筋に口を寄せる。

「なぁ」
「何?」
「もう一度噛んでいいか?」
「え?」
「お前がちゃんと覚えてる時に噛んで、お前が俺のものだってわからせたいんだけど」
「……うん、噛んで?」
「………ん」



◇◇◇



「もうこれはいらねぇな」

わたしが玲王と自分の意思で番契約を交わした後のことだった。玲王はいつもわたしに飲ませていたそれをゴミ袋の中にぽいっと捨てた。わたしがその様子をじっと見つめていれば玲王は不思議そうに首を傾げる。

「どーした?」
「…玲王がそれをわたしに飲ませるの、わたしとの子供が欲しくないからだと思ってた」
「そんな風に思ってたのかよ」
「うん…」
「あー、俺がイングランドに行ったらお前の虫除けどうするか悩んでてさ。最近お前大学で人気あるし。俺のいないとこで声かけられてただろ。あれマジでムカついてんだけど」

は?虫除け?

信じられないくらいモテてる玲王にそんなこと言われる日が来るなんて思いもしてかったからわたしの思考は一旦固まった。だけど玲王が続けた言葉にわたしの開いた口は塞がらなくなった。

「多分オメガ化してた影響だと思うけどどんどん体つきエロくなってくし、たまにお前のフェロモンで俺の理性飛んでて何回かゴムすんの忘れてたからさ、もうそのまま妊娠させちゃえばば完全に俺のものになんじゃんって思ってた」


は?え、は?妊娠させる…?


「でもさすがに結婚の約束ちゃんとしてからにしねぇとって思ってなんとか理性で仕方なく飲ませてた。でももうお前は俺の番なわけだし孕ませても問題ねぇからさ、薬なんていらねぇじゃん?あと俺も今回学んだ」
「な、何を?」
「お前は少しでも手を緩めると勝手にどっか行っちまうかもしんねぇだろ?二度とお前が俺から離れようなんて思わないように愛してやるからさ、だから」

玲王はうっとりとしたとろけるような顔でわたしの頬を撫でて、そしてまたわたしをベッドに縫い付けた。


「早く俺の子供妊娠しような?」





彼の子供が欲しいと思ってた。玲王にはわたしだけを見て欲しいと思ってた。

だからこれがわたしの幸せ。

なのになんでその玲王のことを少しだけ怖いと思ってるんだろう。




◆◆◆




「玲王ってどうしてわたしのこと好きなの?」
「あー」
「聞いちゃだめだった…?本当にまったくわかんないんだけど」
「いや、いいよ」
「……どこ?」
「すっげー普通なとこ」
「………」
「怒んなって」
「だって玲王、普通とか平凡とか好きじゃないでしょ?退屈だって顔するじゃん。玲王って本当にわたしのこと好きなの?」
「ハハッ決まってんだろ?………死ぬほど好き」





運命の番を捨てるくらいに、な。


あの感覚は運命の番に会った者しかわからないと思う。全てを捨ててでもそのうなじを噛んで、自分だけのものにしたくなる怖いくらいの衝動。

だから、俺は。







「御影くん、これ」
「コーヒー?」
「この前勉強教えてくれたお礼。わかりやすかったからすごく順位上がったの。ありがとね」

俺の机にことんと缶コーヒーを置いてさっさと隣の席に座るその姿がいいなと思った。

人が人を好きになる理由なんてそんな大したものじゃない。気になって話しかけたらもっと気になって、まっすぐ黒板を見る瞳を俺だけに向けて欲しくなって、気づいたら好きになってた。だからどこが好きって聞かれたら明確な答えなんてないから言ったら怒られんだろうなとは思ってたけど、好きなもんは好きなんだから仕方ない。

でも俺はアルファであいつはベータ。俺がどれだけあいつのことが好きでも周りの目も視線はどうしても冷たいし、親は結婚するならアルファかアルファを産むオメガにしろとうるさい。だからどこかでほころびが出ることは最初からわかってた。

そのほころびが出始めたのは俺がイングランド行きを決めた時。ワールドカップで優勝する夢を一番近くで応援してくれていたから一番喜んでくれて、そしてだからこそ一番寂しそうだった。多分俺との終わりが近づいてることを察してたんだろう。

でも決定的にあいつの中で終わりを決めたのは俺に運命の番が現れたことが原因。運命の番は会った瞬間にわかるって言うのは本当で、パーティー会場ですれ違った瞬間に視線がぱちりと合って、ああ、こいつだと思った。お互いのフェロモンを感じ取って向こうが先にヒートすると、その頭がバカになるくらいに濃い香りのせいで体がカッと熱くなっていった。


気がつくと俺はそのオメガに手を伸ばそうとしていた。だけど指がそいつの髪に触れそうになったとき、俺の中に残っていた最後の理性が、触れようとしているのは俺の好きなあいつのやわらかい髪じゃないと手を止めた。俺はその会場を飛び出してそのまま待ち合わせ場所に向かった。

あいつは俺が運命の番に会ったことを知ると諦めたような顔で俺にキスをしてきた。多分これで別れるつもりなんだろうとすぐにわかった。

はっきり言ってムカついた。俺は何があったってお前を選ぶのに、なんでお前はそんなに簡単に俺のことを諦めようとするんだよ。

でも確かにあいつが不安に思うのはわかるくらい、アルファの本能は運命の番を求めていた。あれから運命の番が俺のところにやってきては「番にして欲しい」と泣いた。口では「無理だ」と答えていても、心とは裏腹に体は熱くなる。正直頭がおかしくなるかと思った。

だから俺は自分が自分じゃなくなる前に、あいつを自分の番にすることに決めた。

アルファもオメガも番を作ってしまえばお互いのフェロモン以外を感じ取ることはできなくなる。それは運命の番でも同じで、俺があいつと番になってしまえば運命の番のフェロモンなんて関係なくなる。だから俺が本能に負けて好きでもねぇ運命と番う前に、どうしてもあいつと番にならなきゃいけない。

元々俺らが一緒になるためにはこの方法しかないと思っていたから調べてはあったし、あいつにも先に『後天性オメガ』の存在とそのなり方を教えておいたから、自分が飲まされていたピルだと思っていたものが実はベータをオメガ化する薬だなんて気がつきはしないだろう。

その薬の効果はすぐに現れた。あいつの体つきはオメガのようにふっくらとしてきて、胸や尻が大きくなった。それからオメガのフェロモンのような甘い香りをかすかに放つようになっていって、ごくごく軽いヒートのような症状も見られるようになった。その時のあいつは本当に可愛くて、中に出してとねだる姿は最高だった。

薬はピルじゃないからいつ妊娠するかわからなかったけど、でも別にいいよな?だって俺らはすぐに番になって結婚して、俺の子供を産むんだから。タイミングが少し早まるだけのこと。

俺の中で俺だけのオメガが生まれていって、俺があいつだけのアルファになる。

そう思うとぞくぞくしてその日が待ちきれなかった。


そしてその日はようやくやってきた。


「なんか、あつい」

きた、と思った。その瞬間から俺はできる限りのアルファのフェロモンをぶつけて、不完全なヒートを完全なそれへと変えた。


「噛んで、おねがい、れお、早くっ」
「ああ、俺ももう待てねぇよ」


まさか俺が運命の番を必死で拒否してるのをあいつに見抜かれて、それで身を引こうとされるのは計算外でさすがに焦ったけど、でもどうあがいても俺らは番。番になったオメガは自分のアルファ以外は受け入れられない。だからもうお前は俺だけのもの。それに俺も運命の番なんかに翻弄されない、お前だけのアルファになった。



だからあとはもう必要のなくなった薬を捨てるだけ。明日には他のゴミと一緒に燃やされて、そして証拠はなくなる。俺のエゴでお前をオメガにしたなんて、お前は一生知らなくていい。そんなん知らなくていいから、

「早く俺の子供妊娠しような?」

もっと俺だけのものになって。





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