ミヒャエルくんが今回の熱愛報道には本気ってことは、私はキープだったって訳でして




ドイツの強豪サッカーチームである『バスタード・ミュンヘン』でプレーしている日本人選手、潔世一の初めての熱愛報道が出た。

ネットニュースには
『相手は現地の女性』
『なかなか予約が取れない人気店に別々に入って行って、そして二時間ほどして二人で出てきた』
『その後、仲睦まじそうに女性の家へと入っていった』
という文章と共に潔世一が持つ傘に二人で入って雨の中を歩く写真と古ぼけたアパートに入っていく姿が掲載されていた。

『潔選手はここ最近ドイツ語がメキメキと上手くなっていたので、ひょっとしてって思っていたんですけどね』

真偽の程は定かでないにも関わらずこうした潔世一の知り合いのコメントなんてのが入ってると何故か信憑性が増すらしく、バスタード・ミュンヘンの人気3本の指に入る潔世一のファンたちはこのニュースに荒れ狂った。


と、そこまではよくある熱愛報道だったのだが、それが変わったのはその後。たまたま試合前のテレビの取材を受けていた潔世一の同僚であり、普段から潔世一と激しいレスバトルを繰り広げているミヒャエル・カイザーがレポーターからこの件について聞かれたときのその返しが原因だった。

「こんなデマを広める暇があるならもっとまともなことを取りあげるんだな。そうだな、今日の試合、俺はハットトリックを取って勝つ。それでもネタにしてろ」

そして実際、その試合は圧巻の一言。ミヒャエル・カイザーが有言実行のハットトリックを決め、チームを勝利に導いたのだ。

「ハットトリックを有言実行するミヒャエル様すごい
「試合中のミヒャエル・カイザー、いつもに増してカッコ良すぎた…ガチ恋勢死んでない?」
「てかこれってカイザー選手と潔選手は仲良いってこと!?それともライバルだからこその擁護?わからんが血気迫るプレーだった!俺ファンになった!」

その時点でSNSのトレンドは潔世一熱愛を抜き、有言実行ハットトリックが世界一位になった。それに加えてカイザーの言葉がまるで潔世一を擁護するかのように見えたことから二人の不仲が実は演技なのではというスレまで立てられることとなった。

それに対してバスタード・ミュンヘン所属のカイザー全肯定botが『今日のカイザーを止めるなんて誰にもできませんでしたよ。それにしても今更カイザーについて語ろうなんて100年早いですね!カイザーは…(永遠に続く)』とマウントを取ったのはいつものこと。

その結果サッカー界隈でのこういったスクープはわりとすぐに忘れられるというのに、潔世一やミヒャエル・カイザーの話題が出るたび『あの時のミヒャエル・カイザーはやばかった』と語り継がれるようになった。それぐらい、この時のミヒャエル・カイザーは違ったのだ。




このお話は、その裏側を記録したものである。





◇◇◇



例えば「一緒にいたい」だとか、それから「愛してる」だとか。好意を伝える言葉は沢山あると思う。と言ってもわたしは語彙力ないから単純に「好き」「好き」「大好き」しか言えないんだけど。日本で有名な文豪のなんとかさんは「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳したとか。日本人の奥ゆかしさは聞いていたけど、ここまでとはと初めて知った時は驚いたっけ。

でも今はその言葉、とっても素敵だなって思う。

彼に片想いして4年。どれだけ「好き」を伝えても返ってくることのない想いだったから、こうしてわたしの隣を歩いて「月が綺麗だな」って言われると、例の日本人の文豪を思い出してそれが「Ich liebe dich(愛してる)」に聴こえちゃうんだから、都合のいい耳は困る。

でも、たしかにその日はいつもと違ってた。彼の方から誘ってくれて、一緒に映画を見て、その後食事して、そしてわたしの家まで送ってくれることになって。いつも忙しい彼が丸一日をわたしに時間を割いてくれることなんてあったっけ。

だからさ、そんな日に夜空を見上げながらそんなことを言われたら期待しちゃっても仕方ないよね?

心拍数が上がるのをなんとか深呼吸で落ち着かせたあと、わたしはいつもよりも落ち着いたトーンで、そして自分が一番可愛いと思える角度で彼を見上げて、彼──ミヒャエル・カイザーに対して、初めてのお誘いをした。

「あの、よかったらうちに寄っていかない、かな…?」

すると彼はわたしの唇を彼の指の腹でちょんと触れて黙らせた。

「お前は本当に辛抱しないな、子猫ちゃん」
「…え?」
「もう少し良い子で待っていろ」

この時のミヒャエルくんの顔って言ったら!あまりにもかっこよくて「ひえっ」て声が出そうだった。てか多分出てた。

えっ!?なにそれ、なにそれ!それってもしかして、もしかするってこと!?

落ち着かせた心臓は先程の比じゃないくらいバクバクして、頭が真っ白になって、そのあとどうやって家まで帰ったのか覚えてない。わたし、ちゃんとミヒャエルくんに「バイバイ」とか「おやすみ」って言ったかな。

で、もう少しっていつ!?

てかミヒャエルくんの指が!!唇に!?え!!!

てかあの距離でみるミヒャエルくんの顔良すぎない!?死ぬ死ぬ!!

で、もう少しっていつ!?

緊張しすぎた結果とりとめもないことばっかり考えていて、気がつけば夜は更けていって、結局その日は一睡もできなかった。その日はミヒャエルくんに片想いして一番…二番、やっぱり一番楽しかったかもしれない。



それなのに。





たった一日でこんなことってある?

【ミヒャエル・カイザー熱愛発覚。結婚間近か!?お相手は現在売り出し中のモデルのAさん。ミヒャエルさんは人気の結婚専門のジュエリーショップで買い物後、Aさんとホテルで待ち合わせし、翌日までホテルに滞在】

寝不足もなんのその!会社に行くぞ!とベッドから起き上がる直前、何気なく見たSNSでおすすめ欄に出てきた記事。二人が仲良さそうにホテルに入っていく写真がばっちり撮られていた。そしてそれを見たわたしの気分は頂上を過ぎたジェットコースターのように急降下した。

SNSに殺意を覚えた。なにがおすすめだ、アホ!最近のおすすめ全然おすすめになってない!!もう見限ってやる!!


…現実逃避はここまでにして。


ミヒャエルくんは当然の如くモテるからよくこうしてすっぱ抜かれる。彼のことを好きになってからもう3…いや、4回目だし。でもその度にミヒャエルくんは「そういう噂話好きねぇ。でも嘘に踊らされるのはバカのすることだぞ?」って言ってたからいつもバカ正直に信じてたけど、今回はいつもと違うんだってことはすぐにわかってしまった。

だってマリッジ用のジュエリーを扱うお店に行って買い物したってそんなのどう考えても結婚指輪に決まってる。そしてミヒャエルくんは前に「彼女を作るくらいなら結婚する」って言ってた。だからこそわたしは彼女になれなくてもずっとそばにいたんだけど。

でも、つまりは今回の報道の人はそういう相手ってことで。それなのにもう少しいい子で待ってろだなんて程のいい断り文句にドキドキしてさ。本当にバカみたい。

しかもさらにショックなのがミヒャエルくんが行ったジュエリーショップが前にわたしが教えたところってこと。もう泣いて良いですか。

そしてわたしは滲む涙を堪えて、そしてスマホを手に取った。


『ナマエ?おはよ』
「おはよう…」
『あー、だよな』

とても朝の挨拶とは思えないローテンションの挨拶をするわたしを嫌味なく受け止めてくれる彼はいつも優しい。こんな彼がフィールドの上だと誰よりもエゴイストになるんだから人って見かけによらない。

「朝からごめん
『いいって。それより大丈夫?』
「いつもながら優しさ天元突破してる…。ひょっとして前世マリア様?」
『言い過ぎ!つーかマリア様って、俺男なんだけど。で、飲みに行くんだろ?いつもの店でいい?』
「うん…予定大丈夫?厳しそうなら全然別の日でも」
『ちょうど暇だしいいよ。多分7時には行けると思う』

ねぇ。本当に神様じゃん、優し過ぎて泣いてしまう…。

決壊寸前だった涙腺が彼の優しさについに崩壊した。

「あ゛り゛か゛と゛…」
『すげぇ声。仕事行ける?』
「ずぴっ、いきたくないけど、でもいかないと…しゃかいじんだから」
『偉いじゃん。でも無理しないようにな』
「ありがとう…」
『ん、じゃあまた夜に』

電話を切ったらまた泣くかもと思ったけど意外にも涙はもう出てこない。わたしの唯一の日本人の友人のおかげだともう一度心の中でお礼をしてメイクを始めた。



◇◇◇



兄がドイツの名門チームであるバスタード・ミュンヘンに移籍して初めての試合を見に行ったわたしは、一瞬でブラコンを卒業した。ミヒャエルくんに一目惚れしたのだ。

兄に頼まれた忘れ物を届けるために控室へと向かったけど、選手を一目見ようと控室に入り込もうとする一部の女性ファン(ファンなんて言ったら本物のファンに怒られる)と間違えられて、めちゃくちゃ怒られた。

「君みたいな子がいると選手に迷惑がかかるだろ!」
「え、いや、違います!兄に忘れ物を…」
「そう言って前々回の時に控室に入ろうとした子がいたけど、その文言は最近流行ってるのか?通用しないから諦めなさい!」

聞く耳を持たない警備員さんに兄の名前を告げて確認を取ってもらおうとするけどその日初めて試合に出る兄のことを知らないのか、それともまだわたしを疑ってるのかやっぱり返事はNO。それどころかこれ以上騒ぐと出禁にするとまで言われると、さすがにムカッとする。でも初めて試合に出るお兄ちゃんに迷惑かけるのは嫌だし文句をグッと飲み込んで一度お兄ちゃんに連絡しようと踵を返そうとした時、兄のチームのロゴの付いたウインドブレーカーを着る人が間に入った。

「何を騒いでる」
「あ、すみません!選手の妹だとか言って中に入ろうとするやからがいまして」

まずブロンドに毛先は鮮やかなブルーに染められた髪に目が行った。次いで触れれば刺されそうな棘を持つ首元の青い薔薇。サッカー選手にはこうして刺青をする人が多くいるけどこんなに目を引くものを入れてる人は少ないから一際目を引いた。そして最後に容姿。お兄ちゃん以外の人をかっこいいと思ったことがなかったけど、お兄ちゃんとはまたベクトルが違う美しさと男らしさを兼ね備えたその人の美貌にもう目は釘付け。

もちろんお分かりだと思うけど、その人が何を隠そうわたしが片想いを拗らせまくってるミヒャエル・カイザー。

ミヒャエルくんは警備員さんの言葉を聞いたあとわたしの方をちらりと見て深くため息をついた。

「まったく。何をしている」
「今追い返しますので!」
「いや、お前が、だ」
「え、いや、でも」
「俺を初めて見ましたって顔で見惚れてるような女はロッカーに侵入なんてしない」

その時はなんて自信家だろうって思ったけど、でも後から彼がいかにすごい選手かを知ればその発言も納得できるし、彼の美しさだけでもそれを言える資格はあるとも思った。

「それに自分が働くスタジアムのチームの選手くらいは知っておけ。顔を見れば誰の家族かくらいわかるだろう」

それだけ言うとミヒャエルくんはわたしの頭にぽんと手を置いて「今呼んできてやる」と元来た道を戻ってお兄ちゃんを呼んできてくれた。

このスマートな行動。それに付け加えられた優しい微笑み。好きにならない女はいるだろうか。いや、絶対いない。

こうしてわたしはミヒャエルくんの虜になった。忘れ物を取りにきたお兄ちゃんはわたしのことをひどく心配していたけど、わたしが弾丸のようにさっきの選手について聞き始めるとぴしりと固まった(シスコンなので)。でもミヒャエルくんなら仕方ないって感じでそれからしばらくして紹介してくれた。

ミヒャエルくんは最初愛想笑いしかしなくて、全然わたしに興味ないって感じ。彼の実力と容姿は嫌でも女が寄ってくるから、そんな上部だけで一目惚れしてきた女にかまってたらキリがないから当然なんだけど。チームメイトの妹だから愛想笑いしてもらえるだけでもありがたいくらい。

でもそんな簡単に諦められるような恋じゃなくて、それからしばらくうざいくらいにミヒャエルくんにまとわりついた。そしてその結果、わたしの押し勝ちで初めて一緒にご飯に行く権利を手に入れた。ミヒャエルくんの好物を出す美味しい店をリサーチし続けた甲斐があった。

初めてのおでかけはまずまず。ミヒャエルくんはそんなに口数は多くなったけど、「お前の好きなものはなんだ」と質問してくれたり、時には「ナマエは本当に俺のこと好きねぇ」なんてからかってきたり。基本は頬杖をついて一歩引いたところで会話してるって感じだったけど、それどもわたしは天国に行くくらい楽しかった。

そしてその日合格をもらえたのか、それからはたまに二人で会うようになった。ご飯を食べに行くだけじゃなくて、少し遠出をしたりしたこともある。けど、わたしたちの男女の関係は全く進まない。いつだって健全なおでかけで終わり。それでもしかしてと「ミヒャエルくんって彼女いるの?」と聞いてみたら返ってきたのが例の答えだった。

「俺は付き合うくらいなら結婚するな」
「え!?結婚?」
「なんだ、お前は結婚に興味がないのか」
「え、そんなことないよ!もちろんいつかは結婚したい」
「ふぅん?」

ミヒャエルくんが彼女いらないタイプの人間なのにも驚いたし、まだ20代になってそんなに経ってないのに結婚の話をするような人だってことに相当驚いたのを覚えている。それから流れでお互いの結婚観について話したけど、わたしは「ってことはミヒャエルくんに結婚したいって思われないと先には進めないってこと…?」ってことで頭はいっぱいだった。(もちろん料理上手な人がいいってところはちゃんと聞いてた)


今思えばミヒャエルくんぐらいの人なんだから、そう言うことでわたしに「本気になるな」って線引きしてたのかもしれない。普通ミヒャエルくんみたいな人と結婚できるなんて思わないもんね。でも空気の読めないわたしは猪突猛進にミヒャエルくんに好きになってもらえるように頑張って、彼に熱愛報道が出てもあれは嘘だって言葉を鵜呑みにして、ただただ好きになってもらえるように頑張ってた。本当に、救いようのないバカだ。

いや、でもさ、ミヒャエルくんだって悪いよね?ミヒャエルくんはモテるから熱愛報道以外にも彼の周りには女の影が絶えなかったけど、でも大体はミヒャエルくんに「あの人って誰?」と聞けば「なんだ、嫉妬か?」とわたしを揶揄ってきてさ。

「普通に誰だろうって思っただけだよ」

重たく思われたくなくてそう答えていたけど、その時のミヒャエルくんは大抵いつも「お前は本当に可愛いな」ってわたしの頬を撫でるからわたしはいつもそれにドキドキさせられてたっけ。

ほら、わたしのこと勘違いさせようとしてるとしか思えない。

でも実際は都合よくキープされてただけで、気がつけばミヒャエルくんには結婚が決まってるくらいの本気の人がいる。

ってことはわたしの片思いはもうどう頑張ったってここで終わりってこと。




◇◇◇




「ってさぁ、そんなのあり!?」

頼んだしゅわしゅわした飲み物が届くと、乾杯をしてグッと喉に流し込む。すると嫌なことも一緒に流れていってしまう。

なわけない。

本当は店内に漂うヴルストのいい香りに、昔ヴルストを食べてたら肘をついてじっとわたしを見るミヒャエルくんに食べる?って聞いたらあーんって口開けてきたなぁ(死ぬほど可愛かった)なんて記憶が蘇ってきて、そして次は今朝の熱愛報道がまた頭をよぎる。人間、悲しみの感情は長く続かないらしく、仕事をしてる最中にそれは怒りに変わっていて、ゴクゴク喉を鳴らしてビールを胃に入れた後、ドンっと机の上にビールのグラスを置いた。するとわたしの友人であり、わたしが片思いしていた彼の好敵手である世一くんは苦笑いした。

「ははっ」
「笑ってる場合じゃないよ、世一くん!わたし四年も片思いしてたのに…!」
「うん」
「料理上手な人がいいって言うから料理教室通って、スポーツ選手のための栄養バランスの勉強もしてたのに!まだ披露してないよっ!」
「え、まだ披露してなかったんだ」
「……うん、自信なくて」

自信がなかったというよりは手料理を振る舞いたくてもミヒャエルくんがうちに来てくれなかったっていうのが真実なんだけど。なんか生々しい話になりそうだからそれは置いておくことにする。

「前食べさせてもらった時美味しかったし、バランスも完璧だと思ったけど。自信持った方がいいよ」
「世一くんの優しさがいちいち身に染みてきて泣いちゃいそう…」
「え、今泣かれると俺が泣かしたことになるからやめて」
「うう…」
「あー、ごめん、泣きたかったら泣いていいから」
「……世一くんって本当に優しいね。かっこよくて優しくてサッカー選手ってもうどういうこと?」
「マジそういうこと言うのナマエさんだけです」
「敬語使う時は照れてる時…?」
「あー、もう」

世一くんが赤い顔をして照れ隠しに前髪を触るのを見たら、わたしは知らない間にふふっと笑みがこぼれていた。

「なんかこのやりとり懐かしいね」
「確か初めて話した時だよな」
「うん。こうして世一くんと飲みに来るようになってもう一年なんだね。なんかあっという間だったな…」

わたしはミヒャエルくんに片思いをしていて、彼はそのミヒャエルくんと仲が悪いと有名な人。普通に考えなくてもわたしと世一くんに接点はない。だから世一くんがバスタード・ミュンヘンに入ってから2年くらいはすれ違っても会釈をするくらい。そんなわたしたちがこうして飲みに行くくらい仲良くなったのは、去年のミヒャエルくんの誕生日がきっかけだった。


その日はバスタード・ミュンヘンのホーム試合のある日で、わたしはミヒャエルくんに渡すプレゼントを持って試合を観戦しに行っていたけど、少し前に熱愛報道が出たばっかりだったからパパラッチの目も厳しいだろうしきっと会えないだろうとは思ってた。

でもそれ以前の話で、たまたま隣に座っていた女の子たちが
「やっぱりミヒャエル・カイザーの相手はあれくらい綺麗な女優じゃないと認められないよね」
だの、
「その例の彼女、今日見に来てるらしいよ。誕生日だからこのあと会うのかねー?」
だの、試合中ずっとミヒャエルくんの熱愛報道の話をしていて、なんだか気持ちがこう、ずーんってなっちゃって。熱愛報道の真偽は置いておいて、ミヒャエルくんの隣に並べるのは自分みたいな平凡な女じゃなくて、話題のその女優さんみたいな人だって改めて言われた気がして、自分でもそうだよねって思った。

そうするとなんかミヒャエルくんに連絡をするのが憚られて、結局わたしは試合が終わると同時にひとりとぼとぼと家路についた。

わたしが初めてミヒャエルくんに渡した誕生日プレゼントは香水だった。それはわたしがつけていた香水を首元でスンッと鼻を鳴らして吸った彼が「これいいな、俺も欲しい」と言ったから。それでその小さなボトルと邪魔にならないミヒャエルくんの好きなお酒を買って渡したらすごく喜んでくれて。それこそ「お前からのプレゼントは毎年これがいい」と言うくらいに。プレゼントを喜んでくれたこと、それから毎年だと言ってくれたこと。(これがわたしの二番目に嬉しかった思い出)それがあまりに嬉しくて、わたしは馬鹿正直にそれを毎年プレゼントしていた。でもこの香水をつけているところは見たことがないから、本当は別にいらなかったのかも。

一度卑屈になると止まらなくて、でもだからってフラれたわけでもないのに彼を諦めることなんてできやしないから、こうなったら浴びるほどお酒でも飲んでこのモヤモヤを忘れて寝てしまおうとたくさんのお酒を買い込んだ。



しばらくして、あれ?と思った。自分とほぼ同じスピードの足音が背後から聞こえる。ふとカバンからスマホを取るフリをして足を止めたらその足音も止む。それが家のすぐ近くまでずっと続くものだから嫌な予感がして少し早歩きで本来曲がらない道を曲がって、わたしはそこで足を止めた。

するとその足音は少し慌てたように早くなって、そして曲がり角を曲がってきた。

「ッ!」

叫びたくなった。これ絶対変質者的なやつでしょ!?そういえばお兄ちゃんやミヒャエルくんがこの辺最近危ないから気をつけろって言ってことを思い出して怖くなったわたしは曲がってきた人が「あの」と話しかけてくるか来ないかのタイミングで、お酒の入った袋を振り回した。

「わ、わたしなんて襲っても全然面白くないから!」

するとその人が「え!?いや、ちがっ」と慌てて身を引いて手を振っているのが目に入る。それでわたしも手を止めてみたら。

「え?…え!?あ、あれ、潔、さん?」

それが世一くんだった。

「ごめん、その、こっちの道あんま最近治安良くないから声かけようとしただけで」
「え!あ、す、すみませんッ」
「こっちこそ怖い思いさせてすんません」

当時わたしたちはほとんど話したことがなかったから、とにかく何度もお互い頭を下げあって、「すみません」を繰り返して、そして何度目かで顔を見合わせて笑った。

「実は俺ナマエさんのアパートの向こうのマンション住んでるんで試合終わりたまに見かけてて。でも話しかけていいかわかんなかったから」
「え、ひょっとしていつもわたしを追い抜かさないように歩いてました…?」
「いや、その」

明言しないけどちょっと困ったように笑うのは多分肯定。

「ほんっとすみません、でも一緒に帰った方が楽しいと思うので次からはよければ話しかけてください」
「カイザーに怒られそうっすけどね」
「ミヒャエルくんは……多分怒らないです」

帰ってくる間に調べてしまった熱愛報道の相手の写真を思い出すと一瞬忘れかけてたモヤモヤが蘇る。手に持った渡されなかったプレゼントが可哀想で、ついじわりと目に涙が浮かび始めると空気の読める世一くんがこう言ってくれた。

「え、あーと、あの、俺でよかったら話聞きますけど」

変質者扱いした上に愚痴まで聞かせるなんて…。とは思ったけど、このあと一人で飲んだら本格的に泣き始めるのがオチ。それでわたしは先ほど振り回していたビニール袋の口を広げた。

「この中に好きなお酒あります?」
「え」
「飲みきれないのでよかったら一緒に飲みませんか?」

すると世一くんはそこから瓶を一本取り出して、「じゃあそこの公園で」と歩き出した。

時間は30分くらいだったのにすっかり意気投合して、それで気がついたら本当は話すつもりなんてなかった愚痴をこぼしていた。

「もうさー、あんな美人とか勝ち目ないじゃん」
「んー」
「え、どうかした?」
「いや、あいつのこと庇う気とか全然ないけど、あの女優、前はノア狙ってたからさ」
「………え!?」
「カイザーも知ってるからンなことあるかなって。つーかあいつどれだけ美人が言い寄っても無視してるから俺はナマエのこと好きなんだと思ってた。これで報道がマジだったらごめんなんだけどさ」

ここまでも世一くんが優しいと思うポイントはいくつもあったけど、本当に優しいんだなって思ったのはここだった。だってほぼはじめましてのわたしと仲良くないミヒャエルくんの恋路なんてどうでもいいだろうにこうして話を聞いてくれて、そしてこんな風に慰めてくれるなんて。

「世一くんって優しいんだね」
「え、フツーだと思うけど」
「そんなことないよ。こんなに優しくてかっこいいんだから彼女さんは幸せ者だね」
「そ、んなことないですし、いないです!」

顔を真っ赤にして手をブンブン振っているのがいかにも照れてます!慣れてません!って感じで、なんか可愛い。

「ひょっとして照れてる?」
「……ちげーし」
「ふふっ」



ちなみに世一くんの言う通りあの人とは何もなかったみたいで、その後ちょうど世一くんと「またね」と別れるときにミヒャエルくんから連絡が来た。

お兄ちゃんからわたしが試合を見に来ていたことを聞いていたらしい。それなのにわたしが何も言わずに帰ってしまったことを詰って、そして「お前からのプレゼント楽しみにしていたんだがな」なんてことを言う。まあそれでわたしの勘違いは加速して、今日まで馬鹿正直にミヒャエルくんのキープをしてたってオチなんだけど。

とにかく、それからわたしと世一くんはすれ違った時に話すようになって、気がついたらこうしてよく飲みに行く友人になったのだ。







「前に世一くんが教えてくれたなんとかソーセキって人の言葉をあったじゃない?」
「ああ、『月が綺麗ですね』?」
「それ。昨日ミヒャエルくんにそう言われてさ。向こうはそんなつもりないってわかってるはずなのに、ついに報われるかもーって勝手に期待しちゃって。でもその次の日にミヒャエルくんには結婚相手がいてわたしはキープだったってわかっちゃうとか泣くよね」

いや、もう十分泣いたけど。

「え、結婚?」
「うん…。結婚指輪買ったとかって報道で言ってた。なのにわたしは昨日そのミヒャエルくんと結婚できるかも!?なんて思ってたんだよ。もうバカって笑って!」
「笑わないって。それに今回だって前みたいに誤報じゃねぇ?またカイザーから連絡くるかも」
「…さすがに誤報で指輪は買わないでしょ。それにもし誤報だったとしても結局は指輪を買うような人がいるってことだし」

だからもうさすがに諦める、と笑って残りのビールをあおる。それが痛々しかったのか、世一くんは「無理してねぇ?」と心配そうにわたしを見つめた。

「あいつの自業自得だから好きなのやめるのは止めないし、むしろ賛成だけど、でも無理して強がってんならもう少し様子見してもいいんじゃねぇ?」
「ううん、わたしもさすがに目が覚めたから。どっちかっていうと今はわたしのこと弄びやがってって怒りたいくらい。でもそんなことしてもみっともないし。だからむしろ向こうが拍子抜けするくらいあっさりと身を引いて、いい男捕まえてさ。それでいい女だったって、お前にしておけばよかったって、後悔させてやりたい!」

わたしがそう言うと世一くんは初めて会った時みたいに目をまんまるにして、そして「ぷはっ」と口を開けて笑った。

「思ったより元気でよかった」
「元気が取り柄だし。いつも世一くんにはかっこ悪いとこばっかり見せてるからあれだけど。あー、でもほんとミヒャエルくんには一泡吹かせてやりたい!」
「ははっいいじゃん」

世一くんは笑って賛同してくれたけど、実際は相手の女の人がわたしなんて比べ物にならないくらい綺麗な人だからそんなの無理なのはわかってる。

「あーあ、わたしが有名人だったら熱愛報道の一つでも出して少しはびっくりさせられるのにな」

でも残念ながらわたしはしがない会社員だから。


二つのグラスが空になったから次のビールを頼もうとメニュー表に手を伸ばそうとしたら、双葉の揺れる目の前の彼にその手を掴まれた。

「それなら俺、協力できるけど」
「え?」
「俺も一応サッカー選手だからさ」


「………え?」




◇◇◇



という流れで『バスタード・ミュンヘン所属の潔世一選手、熱愛発覚。相手は現地の女性で以前より懇意にしていたらしく…』の記事は世に出ることとなった。でももちろんわたしたちに熱愛の事実なんてない。ただ目一杯おめかしして、よくパパラッチが張ってるという人気のお店で待ち合わせして、おいしーご飯を食べて、そして家まで送ってもらっただけ。

だから本当に報道されてるのを見て相当驚いてるし、実際こんなことになるとさすがに世一くんに申し訳なくなる。世一くんが言い出してくれたことだから多分世一くんに好きな子はいないんだと思うけど、わたしみたいに片想いしてる女の子の心をへし折ってしまったんじゃないかな…。もしそうならその子に土下座して謝りに行きたい所存。

しかも肝心のミヒャエルくんには残念ながら全く響いていなかったらしくて切ない。今日の試合をテレビで見ていたけど、動揺のどの字もないくらいに完璧な試合を展開していた。っていうかハットトリックって何?婚約者さんでも見にきてましたか?そうですか。キープのわたしごときの報道じゃそりゃ動揺なんてさせられないよね。はぁ…。

試合が終わったら世一くんがうちにきて今日のミヒャエルくんがどうだったか聞く予定だったけど、そんな必要もなさそう。とりあえず世一くんには平謝りだなと彼がきた時に出すお菓子の準備をしながらため息をついていたら、家の呼び鈴が鳴った。

あれ、世一くん、もう来たのかな?

時計を見ればさすがにまだ早いかな、という時間。何か宅配でも頼んでたっけ…とガチャリと音を立てて扉を開くと、その瞬間、ものすごい勢いで向こう側からとびらが開かれた。びっくりして立ちすくんでいるとまるで昨日見た月のように輝く金色にあざかやなブルーが目に入る。

「ナマエ」
「へ?」

わたしよりも一回り以上大きなその人は、呆けているわたしをぎゅうっと抱きしめた。


「クソ会いたかったぞ」


息ができないくらい強くわたしを抱きしめた人から香るのは、わたしが去年の彼の誕生日にプレゼントした香水と同じ香りだった。




◆◆◆




「は?」

人間理解の範疇を超えたことが起こると言葉を失うと言うが、それは本当らしい。

パパラッチからの「潔選手の熱愛報道についてどう思われますか?」というクソどうでもいい質問は、俺の人生において三番目にくだらない質問だった。

ちなみに一番目は女に「わたしのこと好き?」と聞かれること。それに対していつも「お前はその辺に落ちてる石に好意を持つことがあるか?」と言いたくなる。

世一を揶揄うのも踏み台にするのも最高に気持ちいいが、恋愛に関してぐだぐだ言うのは好きじゃない。それにそもそもこう言った記事は本当である方が少ないからいちいち言及する方がバカバカしい。

自分がそうであるように。

つい先日自分もスポンサー主催のパーティーに呼ばれホテルの会場に向かうと、たまたま入り口で最近スポンサーが押しているとかいうモデルに話しかけられた。そのパーティーに出るからと会場まで隣でベラベラと話し続けたその女を鬱陶しいと思いながらも笑顔で対応していれば、その一週間後にはそれが勝手に熱愛記事に変わってる。もう何度も経験しているが本当にパパラッチは頭が沸いてるのかと思うくらい虚実を事実に仕立て上げるのがうまい。俺がホテルに行く前に買った指輪もなぜかその化粧を厚塗りするような女のものということになっているし。

でも否定しようが無視しようがこういった記事は無くならないからいちいち反応するのはもうとうの昔にやめた。

だから目の前に突きつけられたこのデマに反応する必要はない。

いや、むしろデマでなければならない。

なぜならこの世一の相手として取られている女が、この四年間ずっと自分のものにしたいと思い続けていた女で、そして来月に迎える彼女の25の誕生日にその買った指輪を渡してプロポーズする予定だったのだから。




初めて会った時からああ、好みだなと思っていた。それから少しずつ距離を詰めていけば顔はもちろん、俺に必死に好かれようと頑張るその態度も、それから俺が揶揄った時の反応も、何もかもが可愛いくて、気がつけばこの女以外は考えられないというところまできていた。

自分が見た目から軽薄だと思われがちなのは知っている。まあ実際どうでもいい女であれば好きな時に抱いて、それで終わりでいいと思ってるからそうなのかもしれないが、でも好きな女となれば話は変わる。付き合えば、一度抱いてしまえば、1秒たりとも自分から離れるのなんて許せなくなる。あいつの目に映るのは自分だけでいい。仕事はもちろん辞めさせるし、スマホに男の名前なんて残させはしない。ギリギリ許せるのは兄と父親くらいか。

でもただの彼氏にそんな権限はないし、あいつも仕事が楽しいだの言うし、それに俺がどう思ってるか不安げにこちらを見上げるあの顔をもう少しだけ楽しみたいのもあったから、あいつが結婚してもいいと言っていた25になるまでは待つつもりだった。もちろん我慢の限界がきて、何度このまま家に連れ帰ってもうこの部屋から一歩も出るなと言ってやろうかと思ったかわからないが。でも「仕事で今日上司に褒められてね」と話すあいつの笑顔を見ればまだだめだと自制できた。


でも。


なんで世一に笑いかけている。

なんで俺が見たことのない服で世一のさした傘に当たり前のように入っている。

……なんで世一と二人きりで会っている。


この写真を見た瞬間、自分が我慢していたのが間違っていたんだとわかった。言葉だけで俺はお前のものだと、お前は俺にものだとわからせるのには限界があったらしい。さっさとあいつの細い体を掻き抱いて、自分だけのものにして、そしてお前は俺のものだとわからせるべきだった。

だから俺はその写真を破り捨てた。



「カイザー、あの…」
「…ネス」
「はい」
「今日の試合は俺がもらう」
「もちろんです」
「3点以上獲るからお前もそのつもりでいろ」
「もちろん、任せてください!」


俺の活躍で世一の熱愛報道なんて潰す。

世一とナマエとの間の可能性なんて一ミリも残さず潰してやる。


それから


「クソ会いたかったぞ」

「みひゃえる、くん…?」


お前には俺の愛がどれだけのものかをわからせてやる。





◇◇◇



「みひゃえる、くん?」

人間理解の範疇を超えたことが起こるとフリーズすると言うけど、それは本当らしい。

わたしを抱きしめているのは間違いなくあのミヒャエル・カイザーで、彼はわたしを抱きしめたままわたしの部屋の中に押し入って、音を立てて閉まったドアにわたしを押し付けた。

「ちょ、え、な、なんでここに」
「試合が終わったその足で来ただけだ」
「な、んで」
「なんで?愚問だな。お前を抱くために決まってる」

わたしは本日何度目かの「へ?」を口にした。

「だ、だ、だ、抱く…!?!?」

全く意味がわからない。なんでそうなったの?え、もしかしてこれがキープが惜しくなるってやつ?

「前に俺がハットトリックを取った時、かっこいい、抱いてたとかなんとか言ってただろ」
「え、や、言ったかも、しれないけど、でもなんで今」
「なんだ見てないのか、今日俺はハットトリックを取った」
「見てたけど、え!?」

待って、ひょっとしてわたしと世一くんの熱愛報道のこと知らない!?いや、急にこんなことを言い出すってことはやっぱり知ってて、それで一泡吹かせられた結果ってことなの?でもわたしが見たかったのはキープにフラれてしょんぼりしたミヒャエル・カイザーだったんですけど…!

「いやいやいや!ミヒャエルくんこそ見てないの!?わたし世一くんと」

あまりにも近すぎる彼の胸を押して偽の彼氏の名前を出すと目の前にいる皇帝と呼ばれる男の瞳から光がさっと消えた。

「その名前は出すな」
「ッ」

一瞬にして温度が変わったのがわかった。怖いくらいの美貌がわたしを見下ろしていて、それに背筋がぞくりとする。

「心配しなくてもあれが嘘なことくらいわかってる。でも世一と会ってることも、あんな顔で笑いかける仲だということも知らなかったぞ」
「そ、れは」
「嫉妬でおかしくなるかと思った。何が不満だった?俺に熱愛報道が出たことか?あんなのいつもの捏造だってことくらい賢いお前ならわかるだろう」

え、いやいや、え?待って?嫉妬でおかしくなるかと思った?なにそれ。それじゃあまるで。

「そ、そんなこと言ったら…」
「なんだ」
「まるでミヒャエルくんがわたしのこと、好きみたいなんだけど…」

わたしの言葉にミヒャエルくんは彼のその端正な顔をわたしの首へと近づけて、そしてそこに唇を寄せる。最初は何が起きたのかわからなかったけど、ちくりとした痛みの後に音が立てて離れていく彼の唇にその意味がわかって顔がかあっと熱くなっていくのを感じた。

「そんな言葉では物足りない。もうお前以外考えられないくらいに愛している」

なに、本当に、何が起こってるの?

ミヒャエルくんがわたしの首にキスをして、そして愛してるだなんて。

そんなこと、ある?

ずっと好きだった人にそんなことされたらそんなの頭が沸騰しそうになるのは当たり前。でもどこかで冷静になっていく自分もいる。

なら好きならなんでずっとわたしの告白スルーだったの?今になって愛してるだなんて、そんなの信用できるわけなくない?わたしが世一くんと熱愛報道されたから惜しくなったとしか思えない。


考えれば考えるほどそうとしか思えなくて、自分の赤らんだ顔を隠すように俯いて、そして「世一くんとの熱愛報道、嘘じゃないから」と嘘をついた。

「今まで散々わたしのこと無視しといて今更そんなこと言うなんて勝手すぎるよ。わたしはミヒャエルくんの都合のいい女でもなんでもないから!もうすぐ世一くんがくるし帰って!」

言った。言ってやった!

あとで世一くんに謝らなきゃいけないことがまた増えたけど、でもどうしても言わずにはいられなかった。


わたしの言葉にミヒャエルくんはしばらく黙っていた。でも未だハイライトのない瞳はわたしを見つめ続けていて、それが居心地が悪い。それでわたしが目を逸らすと、ようやくミヒャエルくんはその形のいい口を開いた。

「ああ、俺が間違っていたな」
「………え?」
「俺は人よりも独占欲が強いらしくてな。一度手に入れてしまえばもう二度と手放そうだなんて思える人間じゃない」
「う、うん?」
「お前が仕事が好きだの友達と遊びに行くだのを楽しそうに話しているから我慢していたが、こんなことになるならもっと早くお前を俺のものにしておくべきだった」

いつもわたしを揶揄うように見つめていたそのスカイブルーの瞳が何を考えているかわからないし、なにより静かに話すその声に温度がないことが怖い。

それで本能で逃げなきゃと手をドアノブにかけたらその手を掴まれてしまった。

「今からもう他の男に尻尾振れないようにしつけてやるから覚悟しろ」

うそ、でしょ?

こんな展開予想して無さすぎて頭は真っ白。だからミヒャエルくんが今度はわたしの唇にキスをしようと顔を近づけてきてもまるで金縛りにあったように動けない。どうしようとぎゅっと目を瞑った。



その瞬間だった。


「わっ」


わたしが全体重を預けていたはずの扉がなぜかなくなった。もちろんわたしが開いたのでもミヒャエルくんが開いたのでもない。でもドアは開かれて、そして支えを失ったわたしはバランスを崩して倒れそうになる。咄嗟にミヒャエルくんがわたしに手を伸ばしたけど、それよりも前に別の腕に引かれて倒れるのをなんとか免れた。

「ごめん」
「え、よ、世一くん!?」
「走るぞ」
「え!?」

そこには息を切らして額から汗を垂らす世一くんがいた。サッカー選手の彼が息を切らせてるところを見ると、相当急いでここに駆けつけてくれたらしい。そして世一くんはわたしの手を握りしめてなぜか出来ていた古ぼけたアパートに似合わない人だかりを掻い潜った。

後ろで微かに聞こえたのは多分ミヒャエルくんの舌打ちだったと思う。



◇◇◇



どれくらいそうしていたのかわからない。わたしの息が切れるまで走ると、今度はわたしの手を引いて歩き始める。しばらくそうしていれば息も整ってきて、脳に酸素が送られ始めるとようやく先ほどのことが冷静になって考えられた。

ミヒャエルくんがわたしのことが好きだなんて、そんなことあるの?

でもあんなミヒャエルくんは見たことがない。真っ暗で怖いくらいにわたししか見つめていない瞳を思い出すとまた体が固まりそうだった。それに、流石に嘘であんなことは言わないと思う。

だからさっき言ってたことは本当なんだと思う。でももう遅いよ。もちろんそんなすぐにミヒャエルくんのことを嫌いにはなれないから心のどこかで嬉しいと思ってる自分もいるけど、やっぱりムカつくし、それに怖いとも思う。

それに世一くんがわたしがミヒャエルくんのことをきっぱりと諦められるようにここまでしてくれたのに、それを無碍にすることはできない。

「なんか思った以上にわたしたちの熱愛報道効いてたみたいで、びっくりしちゃった。世一くんが来てくれなかったら流されてたかも…。来てくれてありがとね」
「…」
「あそこで流されてたら世一くんが身体はって手伝ってくれた意味ないし、ほんとよかった」
「……」
「えっと、世一、くん?」

わたしを助けてくれた世一くんはなぜか何も話してくれない。何も言わないままわたしの手首を離して、そしてそれを手のひらに変える。

「あ、の」

どうしたらいいのかわからなくて月を見上げている世一くんを恐る恐る見上げると、彼はわたしの方に視線を移す。

「月が綺麗だな」
「え?」

それは日本人の告白だと聞いた例の言葉。

「あ、も、もう、揶揄うのやめてよ」

わたしが目を逸らして手を離そうとすると、彼は離さないとでもいうように指をきゅっと握った。

「ごめん、俺ナマエが幸せならそれでいいって思ってたけど、やっぱ無理」
「え…?」
「俺が彼氏のフリしたの、友達を助けるためだと思ってる?」
「……違うの?」
「違ぇよ」

じゃあなんで?

わたしがそう聞かなくっても世一くんは続ける。

「お前のこと好きだから」
「……へ?」
「俺のこと優しい優しい言ってたけど、俺だって無自覚に誰にでも優しくしてるわけじゃねぇよ。好きな子に一番に頼られる存在になりたかっただけ」

は、え、は…?

「今言ったら弱みにつけ込むことになるからゆっくりって思ってたけど。カイザーが本気になんならなりふりかまってらんねぇから」

そう言うと世一くんはあの試合中に見せるギラギラした瞳でわたしを射抜くように見つめた。

「俺なら絶対寂しい思いさせないし、ずっと大切にする。つーか多分俺ら相性いいと思うし。だからさ」




「俺にしろよ」




息が止まるかと思った。





◆◆◆



「告白?へー、日本にはそんな文化があるんだ」

もともとかわいいなと思ってた。でも最初から別の男のことが好きで。

「むしろ俺からしたらこっちの人たちはどうやって付き合ってんだって感じっすね。この人が自分の恋人ですっていつまでたっても言えねーかも」
「それ。ほんとそれ。恋愛の機微に疎いと知らない間に恋人できて知らない間にフラれてる。いいなぁ。告白かぁ。ねえ、日本人はどうやって告白するの?」
「え、普通に「好き」とか「付き合ってください」とか」
「それでOKしないと先に進めないんだ?」
「そう」
「へー、日本人にとっては愛の言葉は安くないんだね」
「基本みんなシャイだから。あ、そういや「月が綺麗ですね」ってのも聞いたことある」
「なあに、それ?」
「たしか夏目漱石、あ、日本の文豪なんだけど、その人がI Love Youをそう訳したらしい」
「へー。随分婉曲的だね。ドイツ人は絶対気がつかないだろうなぁ」
「まぁ、日本人でも気がつかないかも」
「ふふっ、そうだね、世一くんは気がつかなさそう」
「え、そんなこと………あるな」
「ね、なんかそんな感じ。でもわたしも言われてみたいな」
「月が綺麗ですねって?」
「うん。あ、でも男らしく告白されるのも素敵だけどね。ちょっと憧れちゃう」

だからこの気持ちはきっと育つ前に終わるんだと思ってた。でもそれから少しずつ話すようになると、笑顔が可愛くて、ちょっとした感性があうことがわかって。それに俺のヘッタクソなドイツ語の勉強に付き合ってくれて、俺に合わせて綺麗なイントネーションで話してくれた。気がついたら俺は彼女と話したくてドイツ語の勉強を頑張るようになってた。


彼女が気付いてないだけでカイザーがあの子のこと好きなのだって、本当は他の男から守ってきたのだって知ってる。だからたとえこの気持ちが育ったとしても隠すつもりだった。あの子が幸せならそれで良いって思ってた。

でもあの子がカイザーのせいで泣いてんなら。あの子がもうガイザーを好きなのをやめるっていうなら。

もう「いい男」だとか「好き」だとか、そんな上部の言葉で終わらせない。俺が幸せにする。だから。



「俺にしろよ」













設定



潔世一(デロ甘エゴイストの姿)

ずっと可愛いと思っていた子がカイザーの彼女じゃないと知って、それから話すたびにどんどん好きになっていっていた。というか普通に可愛い子に「かっこいい」だの「いい男」だの言われればその気になるのが男。今まではふたりが両思いだから見守ってたけど、カイザーのことを諦めると決めた段階で我慢はやめてエゴイストの姿に変身。

これまでも甘やかしてきたけど、これからはそれを超えた甘い言葉でぐいぐい行く予定。

「おはよ」
「お、おはよ、世一くん」
「あ」
「何?」
「寝癖ついてる」
「わ、本当?どこ?」
「待って、直すから」
「え」
「直った」
「あり、がとう、ゴザイマス」
「ふはっ、なんで片言?」
「だ、だって」
「ん?」
「…ち」
「ち?」
「近すぎ…」
「意識されたくてやってんだからあたりまえじゃん」
「…」
「あと寝癖ついてるのがカワイーから誰にも見せたくなかった」
「はわわ」




ミヒャエル・カイザー(デロ甘ヤンデレの姿)

もちろん初対面の時からかわいいと思ってたし、すぐに好きになった。サッカーの試合前にもらった香水を一振りするのが試合前の験担ぎの一つになっている。シャワーを浴びてから会ってたからナマエは知らないけど。彼にとって付き合う=結婚なので、「結婚は早くて25くらいかな」と言う言葉を守って付き合わない(ただし俺のものアピールはすごい)でいたら、こんなことになったのでこれからは隠さずぐいぐい行く。甘い言葉も吐けば病んだ言葉も吐いて、たびたびナマエをひえーってさせる。

「えー、いいじゃん、暇でしょ?遊びに行こうよ」
「だから暇じゃ…」
「おい、誰の女に声をかけている」
「え!あ、ミヒャエルくん!?」
「……え、ミヒャエル・カイザー!?」
「こいつはお前が視界に入れていい女じゃない。さっさとどっかにいけ」
「え、あ、はい、まじか」

「あ、あの…」
「大丈夫だったか?」
「うん、その、ありがとう…ミヒャエルくんも買い物?偶然だね」
「いや、お前のお兄ちゃんから今日ここで買い物してると聞いたからな」
「え、あ、いいよ!自分で持てるから!」
「荷物持ちに来たんだから持たせろ」
「皇帝に荷物持たせるとかファンに殺される」
「勝手に言わせていろ。お前のことは俺が守るから問題ない」
「…」
「なんだ」
「いや、なんか今までと落差が凄すぎてついていけないって言うか」
「我慢してるって言っただろう。本当はお前が俺以外の男の目に入るのは我慢ならないから今すぐにでも家に連れ帰って閉じ込めてしまいたいんだがな…。まあまずはお前をもう一度惚れさせるから待っていろ」
「はわわ」




ナマエ

普通に可愛いし、好意を素直に伝えるタイプだけどかなり鈍いので割と激重感情持たれがち。ずっと兄が守ってきたけど、カイザーに好かれてからはあの手この手を使ってカイザーに囲われていたことはもちろん知らない。それを掻い潜って世一が自分と仲良くしていたのももちろん知らない。

この度ずっと好きだったけど諦めることにした男に激重感情抱かれてたことと、ずっと仲のいい友達だと思っていた男にめちゃくちゃ好かれていたことを知ってどうしたらいいのかわからずしばらく寝込む。

「ミヒャエルくんに一泡吹かせてやりたかっただけなのに。まさかこんなことになるなんて思わないじゃん(泣)」








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