text (JK探偵と) | ナノ

「先輩っ…えっと、これ、私、あの、」
「あー、バレンタイン? 私にくれるの?」
「は、はいっ」
「――見たとこ、手作りっぽいけど…だよね?」

 ここらへん一帯のお菓子屋さんがこの時期に出しているお菓子ギフトの包装紙は大体、把握している。そのどれとも合致しない淡い桜色のラッピング用紙と、何処かぎこちない結び方に素人っぽさを感じる若草色のリボン。それらを「証拠」として「推論」を述べれば、目の前の女の子――ほわんとした雰囲気がまずまず可愛らしい後輩は小さな顔をぽっと紅く染めて一生懸命頷いてくれた。
 この後輩ちゃんには以前から「そういう意味」で好意を持ってもらっているようで、おそらくはこのチョコレート(十中八九そうだと思う)も所謂本命、というものなのだとは分かっている。お菓子会社の策略で贈答の習慣が思いっきり男女反転してしまっている我が国のバレンタイン事情に照らし合わせてもこれが一種の告白なのだろうことも、分かっている。しかしながら、申し訳ないけれど私には彼女の好意を受け入れて同じように返してあげることは出来ない。彼女が悪いのではないけれど、応えてあげられないことだけは事実だ。応えて「あげる」だなんて上からな表現を自然と使ってしまえる自分に嫌気も差すけれど、当座はこの場をうまいこと切りぬけることが肝要だった。

「そっか、じゃあ味わって食べるよ。有難うね」
「……えっと――……はいっ」
「なんかいいお返しが出来るように考えとくよ」

 彼女のシャイさに、救われた。ひらりと手を振ってその場を離れる私の背中に、見送るような、どこか切実さを感じるような視線が、角を曲がりきるまでついてきた。
思い上がってよいなら、私にこれを渡すこと自体が彼女にとっては一世一代の勇気を振り絞る行為だったのだろうに、返事を要求することも彼女はしなかった。それは恥ずかしいとかという以前に、女の子が女の子に告白をするということの重大性を、恐らく彼女は私以上に重く考えているのだろうと思う。もしかしたら私が、これはただの友チョコ的なものである、と――元来女子同士であればその考えに至るのが普通だから。否、普通って何なのって話ではあるけれど――これを捉えてしまうかもしれない、とか。でも、私が彼女からの贈り物をどう解釈したか、なんて確かめる方法は直談判以外には無いし。そしてそれを選べるような豪気な女の子であれば、そもそもチョコレートと同時にもういっこ、ストレートな告白っていうオプションもついてきた筈だ。
まあ、結論から言うと。私というのは曲がりなりにも探偵である五月雨結さんであるからして、健気な後輩ちゃんがこうして作ってきてくれたチョコレートの意図するところもおそらくは正確に汲み取ることに成功している。そのうえ、私は別に誰かが誰かを好きになることにそんなに制約などあったものではないと考えてさえいる。――問題は、そうであってもなお、私が彼女からの告白を受け入れることが出来ない、というところなのだ。理由は彼女の側にはなく、寧ろ私のほうにあるがゆえ、猶更。

 そして私の頭を悩ませる「元凶」は、教室棟から生徒会室のある特別棟へ渡る廊下に差し掛かるなり華やか過ぎて鬱陶しいほどに溢れる嬌声と共にその姿を現すのだった。



「雛峯さま! 此方わたくし以下”雛峯さまを慕う会”一同よりお慕いの気持ちを籠めまして」
「ゆきお姉さま…あの、私、今朝5時起きで手作りしたんですっ受け取ってください!」
「会長のためにウチの執事に買いに走らせましたの、ジャン・ポール・エヴァンの限定ギフトですわ」
「ああっお姉さま…わたくし出遅れてしまいましたの、どのお店も完売御礼で……くすん。安物のゴディバなのですけどどうか受け取ってくださいまし」

「――皆さん、有難う。どなたもわたしなどには勿体ない程のご厚意、痛み入るわ」



 渡り廊下を、艶めく黒いバレエシューズの底がぺたんと踏むたびにその嬌声は一段と姦しく響く。手入れの行き届いた緑の黒髪がさらりと流れ、凛々しさと人の好さを同居させた不思議な光を湛える鶸萌黄色の瞳はやや眩しげに細められている。並び立つファン――すべて、女子!――から手渡される数限りないチョコレートの包みをひとつひとつ丁寧に受け取りながら、「奴」は頬のひとつも染めないままに悠然と歩を進めていく。
 学業成績は堂々たる首位、生徒会業務の合間に並み居る運動部の助っ人に入れるほどの運動神経の持ち主。教師職員からのおぼえも芳しく「創学以来最高の生徒会長」との呼び名をほしいままに――なにせあの女、ときどきそれを自称するのだから――する、どこぞの陳腐な少女漫画の王子さまかとツッコミが入りそうな、文字通りの「完璧」女子高生。それが、私の幼馴染、雛峯ゆきである。

「ゆきちゃん、これ私から」
「あら、先輩まで。……頂いて宜しいので?」
「雛峯くんのために皆で用意したんだ。受け取って貰えないと困るな」
「では遠慮なく頂戴しますね、……あんまり上等なお返しは期待なさらないでくださいね」
「いやだわゆきちゃんたら、そんなもの求めているコ誰ひとりとして居ないわよ。今年はちゃんと私たちのほうで取り決めをしたの。ゆきちゃんの手を煩わせるような『お手紙』は無し、かさばる包装や大きすぎるものは避けること、きちんと差出人の学年・クラス・氏名を明記するように…って。皆さん分かってくださっているはずよ」
「助かります、どなたから何を頂いたのかは把握しておかなくては失礼にあたりますし、お返しをするにも宛先は大切ですから。――その、お気を遣わせてしまって申し訳ないです」
「いいの。私たちの気持ちよ」

 雛峯会長の声色は心から恐縮げな、律義さがうかがえるもの。先輩たち――雛峯ゆきの信奉者を束ねている一団だ――から囲まれていたところからさも自然なモーションで抜け出でた彼女は、それまで自分が抜けてきた歓声のほうへ向き直って鮮やかなお辞儀をひとつ寄越して見惚れそうなほどの柔らかい笑顔を浮かべる。
 ただ、私にはなんとなく…否、経験則から言えば確実に、今あのパーフェクターが――基、「奴」がなにを考えているのかが分かる。これは私が探偵だからということではない。単純に、あちらが雛峯ゆきであり、私が五月雨結であるがゆえの帰結である。



 * * * 




「――もう既に胃もたれを起こす勢いなんやけど。何やねんみんなして、わたしに糖尿で死ね言うたはるんと違うんかこれ、割とガチで」

「……的中。流石は私」
「あん? 何やの結ちゃん、いま雛峯さまはお忙しいんやで、主にこの大量という言葉すら甘っちょろく思えるほどの大量の『ご厚意』の処理方法を考えるのにな」
「暇って事じゃん……」

 生徒会業務を終え、自室に引き上げてきた生徒会長が開口一番発したのは、既に”素”の表情が覗けている脱力しきりの弱音めいたものだった。
 勝手知ったるとばかり新型のコーヒーメーカーで淹れてやったアメリカンを片手に「ゆき、お砂糖幾つ?」と尋ねかけるとやや食い気味に「今のわたしに糖分を摂取させるゆうんはつまりアレやで結ちゃん、立派な殺人やと判断さして頂きますえ」と早口で返ってくる。――生徒会長に就任した今年は、いつにも増して”収穫”が多かったのに違いない。どうやら結構、本気で参っているらしい。奴にしては非常に、珍しいことに。

 中等部の頃からの慣例で、2月14日のこの日はなんとはなしに二人で集まって首尾を報告し合う算段になっている。とはいえ、例年このモテ女――但し対女子に限る、らしい――のいっそ笑える勢いであると言ってもいい人気ぶりを二人で再確認するだけの作業である。今年は私のほうも収穫ゼロでは無かった、という点が少々の特異点……か。
 ブラックのままにしておいてやった珈琲のなみなみ波打つカップを、ゆきの傍らに置いた。精密機械は湯気に弱いというので、出来るだけ奴が作業をしている先である白いノートパソコンからは離してやる。いま彼女が従事している作業は、もちろん生徒会業務では無い(この女、基本的にプライベートに仕事を持ち込まないことで私の中に定評がある。理由は簡単、面倒臭いからだ)。

「幾つ?」
「せやし砂糖は要らん言うて――んぁ、コッチの事かいな。しめて50弱って処やんな」
「はー…精が出るねぇ」
「ほんまやわ。今年は何社に分割注文しよかな…お小遣い吹っ飛ぶゆうねん」
「手作りすれば費用抑えられるんじゃない?」
「まあ手作りくれた子ぉにはそれもええんかも知れんけど…なんちゅーか、わたし家事にはそない定評ないし」
「いや、皆としてはゆきの手作りってだけで価値があるんじゃないの」

 なんとこの人気者、毎年このイベントに際して人から貰った贈り物をすべてデータで管理しているのである! 何年何組の誰から何を貰ったのか、なんていちいち表計算ソフトに打ち込む理由は、数字を眺めて悦に浸りたいから――などという本人の言い分だが、勿論嘘だ。一か月後にお返しをする算段を、今から考えているのだ。なんとも義理堅い奴。仲良しグループには公平性を期すために同じものを、而して同じ銘柄のものを大量に発注するとお菓子メーカーのオンラインショップがパンクするらしいことも実地で学んでいるがゆえ適宜にブランドはばらけさせて、と明日からゆきの八面六臂は幕を開けることになる。

「あらへんわ、んなもん。メッセージカードだけ手書きにしてあとは例年通りポチりまくるだけの簡単なお仕事え」
「残念。私もあんまり手作りってしたことないし、ゆきが居てくれたらちょっとは安心かなーって思ってたのに。アテが外れたぞー旦那」
「っへ、……結ちゃん、なんや、今年、貰てるん?」
「へっへーん、どこぞの会長さまには遠く及びませんけど今年は貰ってしまったのだよ」

 ……なぜそこで意外そうなリアクションをするのか。私だってこのナリだ、それなりに高等部では王子さまキャラで通っているということは奴も知るところである筈なのに。私と会話を続けながらも踊るように動いていた長い指が、ぱたりと止まる。ぎぎぎ、と錆び付いたSEを伴いそうな感じで傍らに立つわたしのほうへ向けられたゆきの表情は、いつものように食えない素の笑みではあったけれど――なんとなく、乾いているようにも見えた。マジか、とでも言いたかったのか音を出さないままはくはくと唇を開閉させたのち、今度はいやに明瞭な発音で、



「世も末やな」
「はり倒すぞ外面女」

 おやおやーやきもちかい雛峯くん! とか揶揄ってやりたかったのにそういうオチかい。乾いていたように見えた表情も完全に私の思い上がりだったのか知らないけれど今ではそんな素振りの欠片も見えない今更ぶった真顔になっている。思わず手が出た。縦にした手刀でゴッと側頭部を打つとわざとらしく反対方向へ上体を逸らしてみせる。何があひんだ気持ち悪い。

「やあん結ちゃんたらDVやわあ…VDにDVとかよう言わんわあ」
「何をうまいことを言った気になっているのか……もういいや、ゆきが作んないなら私も買お。変なもの渡すより確実だろうしね」
「なんや、自分は色々言うといて結局自信あらへんのんかい。それこそアレやん、その奇特にも奇特すぎる女の子にとっちゃあ「もう一回殴られたいかな」是非! …やなくて、なんやったっけ。そうそう、”結ちゃんの手作りってだけで価値がある”のんと違うん?」

 確かに、ゆきには何の気なしに言い放ってしまったさきの言葉だけれど、自分のこととして考えると――事情が違ってくる、かも知れない。
 だって、手作りだ。生半可なものではない。否、昨今の女の子らしい女の子にとってはお菓子作りなんてまっことポピュラーな趣味の一環な訳で、それこそ友チョコなり義理チョコなりだって多少料理に心得がある子であればさっと手作りしてしまうことだろう。それこそ私がさっき手作りを薦めたように、手作りだと大局的に観ればコスト・パフォーマンスに利があるのだから。
 ただ。わたしにとってお菓子というものは基本的に「お店で買うもの」なのだ。ひとつ例外としては「雛峯ゆきが戯れに作って寄越すもの」というのもあるけれど、それは此処では措く。いま大切なのは、わたしが平生お菓子作りを嗜んでいない以上、この日のこの贈り物、即ちバレンタインデーのチョコレート――そして推測上これは所謂「本命チョコ」である――のお返しとして、手作りするという方法を選ぶのはあまりにもリスクが高いのだ、という点である。失敗するとかいうことではなく、単純に、わたしが手作りに踏み切ったという事実自体が、わたし自身にとって、須らく重たいニュアンスを伴うのだ。先刻ゆきに軽く手作りを推したのはひとえに雛峯ゆきが普段からわりと調理を趣味として楽しんでいる節があるからであって、それは五月雨結にとって演繹的に当て嵌まるものではないのである。

 無言でゆっくり首を振る私に何か尋常でないものを感じたのか、いつになく気遣わしげな声色が「……なんや結ちゃん、とうとう可笑しなってしもたん?」とまったく気遣わしくない科白を紡いでくる。とうとうって何だ。溜め息とともに洩らした返答にはあまりにも力が籠っていなかった。

「いや、なんていうか、……手作りって、重いじゃん?」
「……結にとっては、せやろなあ」
「分かる?! 分かってくれる?! 流石ゆき、そうなんだよ私にとっては一大事なんだって……」

 だから私のぶんも一緒に選ばせて。お金は出すから。
 結局は落ち着くべきところに落ち着いた、とばかりに結論を告げればなんだか私の心も軽くなったようだった。どうしてだろう。「ええけど、今年の注文先はラ・メゾン・デュ・ショコラとかカカオ・サンパカ、あとヴィタメールあたりで絞るで? 結ちゃん出せるん?」などと半ば莫迦にして掛かる口調にはドヤ顔で返せる。女子高生探偵をなめるな。それくらい出せるさ。



「ますます結ちゃんの手作りは特別になるやろなあ」
「そんな機会が訪れるかどうかも定かじゃないけどね――あ、そうだ。ゆき」
「あん?」

 そうだ、この部屋に来ていた理由を忘れていた。
 ベッドに放り投げられていた手提げからタッパーを取り出してやると、ゆきの顔が目に見えて綻ぶ。こういうところばっかり単純な奴め。

「この時期、甘いもの処理で口の中が砂糖漬けになってしまう可哀想な雛峯氏のために、今年も超高校級の親友想いこと五月雨結さまが一晩でやってあげたよ」
「きゃー結お姉さま素敵ー! ロザリオ交換してー!」
「うちロザリオ配られてないだろ。……ほれ、取っておきたまえ」

 至宝を掘り当てたトレジャーハンターのようなきらきらした瞳をしたゆきが後生大事に抱え込んだタッパーの中身は、……何のことも無い、白菜ときゅうりの浅漬けである。しかも、スーパーで適当に買ってきた浅漬けの素に適当にぶつ切りにした野菜をぶち込んで一晩ほっとくだけ、という手間も暇もへったくれもない逸品なのだ。
 中等部に上がり、ゆきが今のようなチョコレートの山に埋もれるようになってから私が戯れに(ウケ狙いの心算だったのだ)寄越したそれが何故かやたらと絶賛されて以来、こうして毎年決まって作ってやっているのだ。

「去年は茄子とキャベツやってんな」
「ただ私の好みとしては茄子はやっぱり粕漬けに限るし、キャベツはあのシャキシャキ感があってこそだという持論。ということで今年はこのチョイスなのだよ」
「どれ、行儀悪であかんのやろけど味見、ひーとくち。……んん! んまいわーコレ」
「浅漬けの素298円に感動している”憧れの生徒会長さま”が此方になります」
「なんやねんそれ、美味いものを美味い言うて何があかんねんな」

 かりこりと良い音を響かせながら浅漬けを噛み締めるゆきを見て、あー色気も可憐さも美しさも何もないわなこれ、と再び溜め息をつきかけた私はここである事に気付く。――ゆき、未だ貰ったチョコレートのどれにも、手を付けていない。それは単純な事実に過ぎないし、単なる偶然である説が現状有力であることは確かだ。だから私は何も言わない。何も言えない。もうひとつ、気付いてしまった事実があったことも。言えない。
 味見と言いつつ明らかに二つ目三つ目へと手が伸びている狼藉を指摘しないで放っておいたが、次の瞬間それが誤った選択であったことに気付いた。幼馴染補正でついぞ忘れがちだが、雛峯ゆきは基本的に頭脳明晰なのだ。そりゃあもう、探偵の私が時々膝をつきたくなってしまうくらいには。

 せや、と今しがた気付いたかのようにゆきが、ぱたんとタッパーの蓋を閉じたのちわたしのほうへ指を突き付けてくる。まるで、探偵ドラマの謎解きシーン、それもクライマックスのように。



「――こうして結の”手作り”を毎年受け取れる雛峯ゆきちゃんは、きっとあなたにとって特別な存在なのでしょう。な?」



 ああ、それ、私も今気付いたんだってば。
 ノーカンでお願いしていいかな。お願いだから。本当。


・Come on! Chocolate girls

20140214

 ヴェルタースオリジナルかよ、っていうツッコミが遅れてしまったことに、当の会長どのはいたくご立腹だった。







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