「聖夜に堂々と寮則違反とは、清々しさにものも言われへんわ」
「……ごめんなさい」
クリスマスの夜に門限を破るなんて、なかなか素敵だ――なんて気取ったモノローグに浸っていた数分前の自分を思い切り張り倒したい。
私は今、窓からこっそり忍び込んだはずの自室にて正座させられていた。向かいには明らかにこの時間帯この場所――だって私の自室なのに!――に居るなどと想定されようもない人物。私こと五月雨結の幼馴染にして、この学園創立以来最高の生徒会長であるとの誉れ高い文武両道の大和撫子(ああ、カッコ笑い、を付けられたらどんなにいい事か!)、雛峯ゆきが背筋をぴっと伸ばした凛とした居姿にて、私を見据えてくる。
やわらかい鶸萌黄の瞳は薄暗い部屋の中にあっても煌めきを損なわない。霧切が先刻「お祖父さま」の前で見せていたピュアでイノセントな煌めきとはまた違う、甘さと僅かな翳りを帯びたそれ。
「――でも、」
「ほう、今の結ちゃんに発言権があると思てるん?」
「あ…っるよ! あるある! そもそもどうしてゆきが私の部屋に居るんだよこの時間に! おかしいでしょ?!」
「……はー」
「何だよその心から呆れてます的な溜息は! ッたっ」
桜貝のように淡い桃色の、手入れの行き届いた爪が多少勢いよく私の額を弾いた。それは違いますえ、との反駁も些か呆れ調子に、私と違って規定通りの制服を・規定通りに美しく着こなしたゆきは艶やかに長い黒髪を一度払って、右手を挙げる。ちゃり、と響く金属音。
「基本的に風紀は乱すものやと心得たはるミス五月雨はご存知ないんかも知らんけど、実は今週って寮則厳守徹底週間なんやわ」
「……マジ?」
「マジもマジ、大マジですえ。――そんで、今日はクリスマスでミサも有るんで皆アホみたいに浮かれたはるん違うかって、そやし生徒会長さまが直々に見回ってんねん」
「あー…それでマスターキー持ってるんだ」
「せや。まあ結ちゃんの部屋の合鍵はわたし普通に持っててんけどな」
はい論破ー、と言いながらも鬼の首を取ったようにまでは喜ばない。ゆきにとっては至極どうでもいい流れであったらしい。私も運が悪い、よりによって見回りが自分の部屋にやってくるジャストのタイミングで忍び込んで来てしまっただなんて。
反省文をどうやって水増しするか今から考えを巡らせながら、私は健気にも仕事途中らしかった友人を追い出し…否、送り出そうとひらひら手を振った。
「うう、分かったよ今回も400字が5枚くらいでいいんだろ、書けばいいんでしょ書けば……ちゃんと出すから次行ってきていいよ、ゆき」
「うん? もう終わりやけど」
「はあ?!」
「せやから、ここ――結ちゃんの部屋が終点やねんよ」
事もなげにそう言うと、ゆきは正座の状態から苦も無くすっと立ち上がってみせる。スカートの折り目も正しく居住まいを正して、ここまで徹底して真顔を努めていた生徒会長どのは突然、華やかに破顔した。
「さ、今からパーティーしようや」
「はあ?! はあ?! はあ?!」
「"3はあ"頂きましたんで三時間やな。おっけー、楽しもな」
「訳分からん。というか今から?!」
「大方その様子やと何かどっかで食べて来たはるんやろし好都合やな、生憎わたしもガチで生徒会の雑務やらパイプオルガン弾いたりやらで忙しゅうしよったさかい…実はケーキしか用意してへんねん」
「あ、……ケーキ」
そういえばクリスマスディナーでは――どこぞのダブルゼロクラスの探偵にしてやられて霧切に思い切り世話になってしまったそれ――お洒落なデザートが出るには出たけれど、そういえば今年はまだ、クリスマスケーキ、食べてない。
まさか眉目秀麗たる雛峯ゆきといえどそこまで感知してきたはずはないけれど――それでも、友人の気遣いがなんとはなしに嬉しく思えた。
「まだ食べてへん?」
「うん、まだ。ゆき、持ってきてくれたの?」
「そない目ぇきらきらさせんと…可愛えんやからほんまにもう。一応、な。さして立派なもんでもあらへんけど」
勝手知ったるとばかり部屋の照明をフルに明るくしたゆきが歩み寄る先は、普段は私が勉強机として利用しているデスクだった。確かに、平皿にラップが掛かった何かが鎮座ましましているのが見える。
そいっ、と緊張感のない掛け声と共に、それでもバランスを崩さぬよう細心の注意を払っているのかそれなりに重量のあるらしい皿を運んでくる姿は心なしかわくわくしているように見えた。まるで、小学生の男の子が気になっている女の子に仕掛けたささやかな悪戯の顛末を見守っているときのような、驚くくらいに邪気のないにやにや笑い。――その意図を解するより先に、私が歓声を挙げてしまっていた。
「わあっ…凄い、アイスケーキ?!」
「どや、めっちゃ冷えるで。外から帰ってきた結ちゃんにはちょいと辛い罰ゲームになるかもな」
「甘んじて受けるとも、……ゆき、わたしが前に食べてみたいって言ってたの覚えててくれたんだ」
「……あれ? そないこと言うてたっけ自分」
ラップを取った途端ふわりと広がる甘い匂いは、生クリームのそれではなく、バニラとチョコレートのそれ。匂いで分かるように敢えて普段から私たちが食べ付けている銘柄のアイスを選んできたゆきはかなりの策士だと思う。
タルト台――見覚えのある大きなチョコレートチップが覗いている。多分、砕いたクッキーをバターと和えてつくったのだ――の上に、セパレートでバニラアイスとチョコレートアイスが敷き詰められている。そのうえに、いちごを乗せ生クリームを絞り、チョコレートソースまで掛けている。対象者である五月雨結さんのリクエストを出来得る限り忠実に遂行したい、という匠の遊び心が光ります――なんて。
ここまでやっておいて憶えていない振りなんて、したって無駄だ。さては予想以上に凝りすぎたのが照れ臭いんだな。
「……今すぐ食べたい。ゆき、早く切って」
「えー何で結ちゃんお客さま気取りやねんな、……ほれ」
「ありがと。……んまい」
「そりゃまあ原型はカントリーマアムとレディーボーデンやさかい不味い筈があらへんよn「やかましい」……ふふ、」
ちがう、ちがうよ、ゆき。
部屋に入ってきたとき、私が誰もいないはずだと錯覚したのは、そこが自分の部屋だというのは当然のこととして、この寒い冬の夜に暖房のひとつも入っていないからだったんだ。
「偶然」、私の部屋が見回りの最後だった、なんて。寧ろばれて欲しいのかなって逆読みしちゃうレベルの誤魔化しだ。
待っててくれたんだよね、私を。ずっと食べたいって言ってたアイスケーキ作って、少しでも溶かさないようにって、こんな雪の日に暖房すら入れないで。
――だから、今年のクリスマスケーキはいつになく美味しいって思うんだ。
「私さ、今日」
「ん、なんやねん藪から棒に」
「綺麗な夜景観て、豪華なクリスマスディナーを堪能してきたんだ」
「……なんや自慢かいな。ほんで? オチ付かんとかなったらガチでしばくで」
「でも、なんでだろうねー」
いま、一番、クリスマスっていいもんだなーって感じてるんだよね。
珍しくそこで絶句して頬を紅く上気させた幼馴染に、少しだけいい気になった私は「ゆきも偶には可愛い顔するじゃん」なんて言って寄越してしまっていた。
来年のクリスマスには――高校最後の一年くらいは、真面目にミサに出席して、この外面満点の生徒会長さまの演奏なさるパイプオルガンを聴きながら居眠りしてやってもいいかも知れない。勿論、そのあとにはちゃんとケーキまで準備して貰わなければ割に合わない、と主張する気概だけれど。
・アイスクリーム・イン・ホーリーナイト
20131224
ねえ、結。
中等部の頃はなんやかやで毎年二人で色々食べたりして祝ってたよな。
去年のイブはわたし、聖歌のソロとか張ってたのにあんた、独りでどっか行ってたよな。まあ当日は無理やり拉致ったったけど。
今年、――わたし、あんたがどっか行っとるやなんて聞いても無かってんで。こない遅なるとも思ってへんし、……正直ちょっと泣きそうになったわ。
「あの子」が、あんたの中でどんどん大きくなってくのが分かる。ええねん、それはええんや。
でも、なんでやろ。――なんでなんやろな。
来年のクリスマスが、わたしにはどうしても見えへんねん。
嬉しいも哀しいもない、その存在すら、わたしにはよう見いひん。
――結、わたしのこと置いて、どっか行ったりせんといてや。
お願い、やから。
・I scream in holy night.
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