text (JK探偵と) | ナノ
「結、ゆい、ゆーいー、五月雨結はんはどちらに居はりますかー?」
「……そんなに呼ばなくても聞こえてるっての。なーに、ゆき」

 昼休みに突入して数十秒と経たないうちに教室に響き渡った、のどかながらよく通る声。古典の授業の途中からあえなくダウンして――だって数日前までとんでもない事件を追っていたのだ、漸く授業には復帰できたけれど元来急に日常に帰ってこいというほうが無理な要求なのだ――そのまま机に突っ伏していた私の名を頻りに連呼するその声に、覚醒を促された。
 顔を上げると其処には、ふわりと揺れる緑の黒髪。うーん、いつもながらに良い匂い。所謂「お嬢様結び」がこの上なくお似合いの、清楚を絵に描いたようなたおやかな美少女が、私の机に両手をついて悪戯そうな微笑を浮かべ此方を見下ろしてくる。

「なんやお疲れですーって顔したはるやん、大丈夫なん?」
「…うー、身体は別にどうともないよ。疲れてるだけ、さ」
「その疲れとるゆうんが問題やって話やよ? どや、会長さまが奢ったるさかい学食行こおや」

 何処からともなく黄色い声が上がった気がするが、生憎と今の私にはそれに「デートだよ、」なんて軽くいなしてやる気力もないのだ。
 それにしたって、羨ましいって何だ。羨ましい、って。代わりたければいつでも代わってやるのに。

「……おごりならいく」
「ん、宜しい。素直な子ぉは好きですえ」
「ゆきに好かれてもなぁ…」
「不満なん? なんや哀しなあ……」

 よよよ、と口頭でSEを付けながら手にしたハンカチで目元を押さえてくちびるを尖らせる、なんて泣き真似さえもチャーミングにエレガントに。私が軽く頭を小突いてやるとまた歓声。カップルじゃないしいちゃついてる訳でもない。私は王子さまになったつもりはないしあっちを姫だとは到底思えない。
 高等部の生徒会長にして学園じゅうの憧れ――どのあたりにその要素があるのやら私からすれば疑問でしかないのだが――こと雛峯ゆきと私、五月雨結は、押しも押されぬ幼馴染み。それ以上でも以下でもないのだから。



* * *



「……二十回目、突破やで。おめでとさんやな、結」
「は? 何が」

 折角奢ってくれるというのだから有難くご馳走になろう、と学食のメニューの中で一番高いスペシャルA定食を平らげながら取りとめのない話を――主に、私が三日前まで直面していた「事件」の話が中心にはなったけれど――していたところに、ゆきが唐突にそう切り出してきた。サラダボウル(雛峯ゆきは昔から、その美貌に相応しい小食菜食ぶりを崩さない。くそ、気取り屋め!)の向こうで優雅に片頬杖を付きながらにやりと口角を上げてみせる素振りもなんとも絵になる。好みじゃないけれど。

「その子ぉの名前。誰子ちゃんやったっけ…そや、霧切響子ちゃん」
「……そんなに私、霧切ちゃんの話ばっかりしてたかな」
「そらもう。近年稀に見るご贔屓っぷりでしたえ、結にしては珍しなあ」

 今回の事件で、私は一人の少女探偵に出逢った…というか、多分にお世話になった。奇しくも同じ学園の、中等部生。霧切響子という名のその少女は、年齢にそぐわぬ落ち着きと推理力、それから探偵としての痛い程に純な自負と覚悟を備えた不思議な少女だった。
 私には、この目の前にいる雛峯ゆきを除いてこの学園に、そう親しい友人はいない――と思い込もうとしていただけだったのはこの三日間でずいぶん感じたことではあったけれど――のだが、どうにもあの邂逅から、霧切のことが気になって仕方がない。今も同じ学び舎に居るのだろうか、どうにも現実味が湧かないのだ。
 もっと、彼女のことが知りたい。そして、切れすぎるほどに切れる怜悧さの中に僅かに見えた年相応のかわいらしさと、もっと近づけたらいいと思った――

「――って感じなんやろ、まとめると」
「えっなに怖い雛峯会長はいつの間にエスパーになったんだよ」
「あほ、そんくらいあんたの話聞いてたらサルでも分かるゆうねん」

 け、と吐き捨てながらもゆきの話はそこで終わらなかった。ばら色の頬をして、くちびるを緩く尖らせれば、ほうと甘いため息。私がこの女の幼馴染でなかったなら、もしかしたら魅了されていたのかも知れないくらいきれいだった。せやけど、と、か細く吐き出す科白もブレスが混じってまずまず官能的である。


「なーんか、妬けてまうなあ」

「はあ?」
「何やのその反応。十年来の幼馴染、しかも友人らしい友人はわたしくらいしか居いひんような可愛い可愛いうちの五月雨結ちゃんがや、他の子ぉに浮気しよってんで」
「待て待て浮気って何だよ」

 肩を竦めた美貌に思わず箸袋を丸めたやつを投げつけてやった。空いている片手で難なくキャッチされるまでは此方も想定内だったので頬杖を解かれる前に額を目掛けて食券の半券を折って飛ばしてやった。くらえ。

「いやん! 酷いわあ結ちゃんたら、女の子に暴力はあきまへんえー」
「こっちも女の子だしただのキャットファイトで片付くだろ、ノーカンノーカン」
「額に傷が付いてもたかも知れへんわあ、…結、責任取ってくれはります?」
「やだ、ゆきと結婚したら生涯手のひらの上でコロコロされる気しかしないし」

「……ナチュラルに女子同士で責任取るイコール結婚、ゆう思考回路になってはる辺り、結もたいっがいキてるひとやよね」


 私「も」ということはゆき自身がそうであることは一応自覚しているのだろう。第三陣目の投擲は勘弁しておいてあげよう。
 浮気、かあ。確かにこれまで――ことにこの学園に進学してからは、私の世界には基本的に探偵稼業と、ちょっとの勉強と、それからゆきしか幅を取っていなかったような気もする。自惚れでないなら、ゆきのほうでも私の存在はそれなりに大きく思ってくれていたのだろう。そこに、私の中に、新しくスペースを設けてまででも迎え入れてみたいと思う存在が現れたのだ。……確かにそれって浮気、なのかも知れ


「いいやそれは違うッ!」
「ふぁ?! 何やの大声出して、驚かさんといてえや」
「霧切ちゃんのことは浮気ではない! だって私とゆき、そもそも付き合ってないし!」 
 

「――うん、そうやよ? 当然やんな」
「ふぁ」


 今度は私が腑抜ける番だった。
 なんだか心底かわいそうなものを見るような目と哀憫の情にまみれた微笑で、ゆきは「まさかそれ考えるんで黙っとったん?」と小首を傾げる。

「ただの冗談やん、こーとーばーあーそーび。そないマジで受け止められると思わへんやったさかい寧ろこっちが凹んでくるゆうねん」
「……う、うー……ごめんなさい、?」
「謝らんでええねん、探偵稼業以外は基本さっぱりな結ちゃんに高等な知的遊戯を振ったわたしが悪かってん…いて」

 第三陣は食後に二人で食べようと思っていたチロルである。食らえ。なにがちてきゆうぎだと言うのか、ただの悪ふざけじゃないか。
 ずいぶんと雑談に時間を奪われてしまった、と慌てて定食の残りを片づけはじめる私に、ゆきはこともなげにこう告げて笑ったのだった。



「――そやって何でもストレートに受け止める結のことが、可愛いらしゅうて仕方ないんよな」

 たいへんだ、もう投げるものがない。


・きみと微笑みと

20131205





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