text(5☆) | ナノ

"――それでは! 本日もお相手はわたし、舞園さやかでした。皆さまどうかよい夢を、ハッピーな明日を! おやすみなさいっ"

 時間差収録でつい数時間ほど前に録ったばかりの自分の声に送り出されるようにしてマネージャーさんの車を降りた。車内で何度か繰り返されたあすのスケジュールをもう一度復唱させられる。お昼までは学校で食べてよし。午後一番の授業が終わったらそのままスタジオ入り。リハーサルのあと軽く間食を摂って生収録、宿題に一通り手が付けられる時間帯には希望ケ峰に戻ってこられる。ばっちりです。きょうも一日お疲れさまでした、一礼を交わし合って通用口をくぐった。

 今日も楽しかった!
 学校は2限目までしか居られなかったけれど、国語の時間は腐川さんの読書感想文に思わず涙してしまった(だって本当に感動的なのだ!)。漢字の書き取りテストもしっかり満点。レッスン場でも振り入れの合間に問題集を捲っていた成果が出ていたと思う。英語の時間は十神くんと石丸くんの英語ディベートが白熱して、授業そっちのけでみんなで野次を飛ばしたり応援したりで盛り上がった。十神くんのネイティブ顔負けのきれいな発音は流石"御曹司"と唸らされたし、でも主張の内容自体は日本人のわたしたちに聞き取りやすい教科書通りの発音をする石丸くんのほうが分かりやすかったりして。みんなで審査しましょうと言われても、盛り上がるだけ盛り上がって優劣とか誰もなんにも気にしていやしなかった――本人たちを除いて。体育の時間とかお昼休みも居たかった。
 でもお仕事もとても刺激的だった。パーソナリティーのレギュラーを持っているラジオ番組の収録に向かう途中で、年末年始の特番に向けてのアンケート回答。どのアンケートに何を記入したかはしっかり覚えておかないとフリップがめくられた瞬間に頭が真っ白になってしまう。スマホでぱしゃぱしゃ。放送局に着いたら、わざわざ出向いてくださった記者さんに感謝しながらスポーツ新聞の取材。あとから同じ取材を受けるのだろうメンバーに突っ込んでもらいたくて、ついつい問題発言が飛び出てしまうのはご愛嬌。どこを切り取られてネットニュースにのぼっても不快にならないよう、言葉はしっかり選びましょう。希望ケ峰のハイレベルな現代国語は本当に勉強になる。収録時間になるまで控室で明日の英単語テストと計算テストの予習――英語は白雪ちゃん、数学は霧切さんがわざわざ範囲を予想してくれて、石丸くんが例題を用意してくれた――をして、あとは楽しくお喋りの時間。ファンの人から貰ったメールに答えていると、下積みのころによく開いていた握手会のように、一人一人と会話しているような気分になれてとても嬉しい。もちろん、時間内に読み切れなかったメールは次回の収録までにしっかり目を通しておく。時間があるときにSNSで触れられるだけ触れよう。自分がファンなら、応援しているアイドルにこうしてもらえるときっと喜ぶ。

 寄宿舎に入ったところで、ふーと長い息をつく。偶像だって人間だから、疲れることはある。ただ、それは決して辛い苦しいばかりの疲労ではない。学校にせよお仕事にせよ、わたしは自分が好きなことを好きなようにしているだけなのだから。充実感ある疲労、とでもいうのだろうか。お風呂に入って温かい飲み物を飲んだらきっと気持ち良くぐっすり眠れるだろうな、というわくわく感さえおぼえるような疲労感だった。
 と、食堂に差し掛かったあたりで人の気配に気づいた。反対側から歩いてくる人影は、ふわふわ揺れる亜麻色の髪をした馴染みある大きさ。……大きさ、というか、小ささでしょうか。

「――お帰りなさい、さやかさん。お疲れさま」
「! わあ、白雪ちゃん! 待っててくれたんですか?」
「今日のラジオ、時間差収録だものね。いま終わったということはそろそろお帰りかもね、と皆でお話をしていて」
「みんな。……あ、ということは」

 白雪ちゃんの後ろをついてきていた姿勢のいい影が、彼女の傍らに並ぶ。当然だ、彼女がいるところに彼がいないほうが珍しい。

「国民的アイドルというのは斯くも忙しいものなのだな。大衆の前では疲れた顔の一つも見せられない――相当な精神力が求められる職業なのだろう。舞園くんは立派だ」
「うーん、国民的アイドルよりも可愛くて夢中だって思える誰かにぞっこんな石丸くんに褒められるとすごい返しに困りますね。いや、却って純粋な褒め言葉だと受け取ればいいんでしょうか」
「ああ、その通りだ」
「ですよね。有難うございます、……うーん、疲れてないってわけじゃないですけど、やりたいことをやってるだけなので。楽しいですよ、毎日」
「――ということで、お疲れのところに敢えて鞭を打とうじゃない」

 あと一人いた!
 「今回の舞園くんたちのグループの衣装を桑田君がやたらと褒めそやしていた。あれはさぞかし白雪にも似合うと思うのだが」「スカートが短いから遠慮するわね」といつもの調子で公然と恋人同士の戯れを始める石丸くんと白雪ちゃんをよそに、ここ最近の外気と同じくらい冷たく、澄んだ声が届く。冷たいけれど、でも一日を会心の気分で終えて火照ったわたしにとっては気持ちよく思えるほどのそれ。

「霧切さん! わー嬉しい、霧切さんまで迎えにきてくださったんですね」
「違うわ。あなたが公欠した今日の4限、数Uの記述型テストが明日あるんですって。それを伝えに」
「な゛――――っ?!」
「告知があっただけ温情だと思いなさい。あなただけぶっつけ本番では流石に可哀想かと思って伝えに来ただけよ。じゃあ私はこれで」
「ま、待ってくださいよお……!」

 ※冷たい声は気持ちよかったですが発言内容はただただ凍てつく無情さでした。
 今冬おニューのお気に入りなコートをものともせず現実はひたすら冷たかった。冷暖房完備の快適な寄宿舎に居ながらにしてたちどころに遭難寸前となったわたしに、「いやいや」と苦笑交じりでフォローをくれたのは石丸くんだった。……ほんと、白雪ちゃんとお付き合い始めてから一気に大人になりましたよね。

「単にテストがあるという連絡だけなら僕らに言付ければよかっただろうに」
「……たまたまよ。思いつかなかっただけ」
「あらあら、響子さんたら素直じゃないのだから。うふふっ」
「白雪。……まったく」

 石丸夫妻にほのぼの和やかに窘められた霧切さんは、忌々しげにわたしを一瞥したのち――ひどいです冤罪ですわたしなんにも言ってないじゃないですか――やっぱり踵を返した。でも、

「――1時間半だけよ。私の部屋で寝落ちされちゃ堪らないもの。急いで準備して」
「!!!」

 疲れたなんて言っていられない。否、どんなに疲れていたってここに飛びつかない手は無い。学校もお仕事も一日楽しくて、今日は満喫したと思っていたのにまだまだ楽しみが残っていただなんて!
 今から直接お邪魔しちゃいます、と当然のように霧切さんの隣に並べば「勉強道具の一つも持参してこないとはいい度胸じゃない」と参考書の角で頭を軽く小突かれた。愛情が痛い。無理やり取り付けたような流れになってしまったか、と少しだけ慮って覗いた横顔は、「あのバカップルまだあそこで駄弁っているのだけど何しに来たのかしらね本当に」といつもながらのポーカーフェースだった。……気にしなくっても、いいんですかね。少なくとも、こういう場に限っては。

 帰寮後すぐに「今日もハッピーな一日でした!」と投稿する予定だったSNSだけれど、少しおさぼりすることになりそうだった。そのぶんキラキラとハートの絵文字を増やしてハッピー感をなおさら表現していきましょう!


・心の鏡

//20161215


あ、楽しみっていうのはあくまで霧切さんのお部屋にお呼ばれしてお勉強教えてもらえたっていう事実に対してであって決して数学が楽しいとは一言も言ってないですよ! 指導? 優しいわけないじゃないですか霧切さんのいつも通りっていうのはつまりそういうことです! アイドルめそめそです!