text(2016誕生日) | ナノ



「白雪ちゃーん! 遅くなっちゃってごめんな…さいっ! えへへ」
「っきゃあ! ……んもう、さやかさんたら。吃驚させてはいや」
「石丸君、待たせたわね」

 彼女たちに漸くお目通り叶ったのは、夕餉を終え寄宿舎のほうへ帰る道すがらのことであった。
 軽やかなステップさながらの足取りで正面から白雪に突っ込んできたのは、夏休みをめいっぱい仕事に打ち込んでいた舞園くん。この日も然り、そういえば昼食時に隅の方で桑田君たちがテレビの前で気勢を上げていたような気がする。きっと生放送に出演していたのだろう。霧切くんも含め、この二人が今日の日を各々の仕事で忙しくしていたことは既に白雪から知らされていた。「寧ろ僕のために時間を割いてもらって済まないな」と当然のように返す。

「なーに言ってんですか、クラスメートのお誕生日はみんなでお祝いするのが最早お決まりなんですから! 7月にはわたしもお祝いしてもらっちゃいましたしね」
「少々プレゼントの支度には手間が掛かったけれど、"大したことない"の範疇よ」
「ということです! 特にわたしたち、白雪ちゃんにはお世話になってますから。その旦那さまにはしっかり礼を尽くさなきゃってものです」

 白雪と一揃いで見てもらえているという事実だけで既に此方としては嬉しさ頻りだ、ということは本日において既に何度思ったことだろう。そう言うのであれば可及的速やかに白雪に抱き着いたままのその体勢をなんとかしてくれとまでは流石にいま言うべきではないか、と判断できる僕はこの学園生活を通してまずまず「空気が読める」男になれたのではないだろうか。 

「ということで、石丸くんお誕生日おめでとうございます!」
「おめでとう、石丸君。新しい一年も白雪を宜しく頼むわね」
「勿論だッ! 有難う、二人とも」
「プレゼントはわたしから先にお渡ししちゃいますね、」

 未だ白雪に抱き着いたままの舞園くんが、片手に持っていた小さな包みから何かひも状のものを取り出してくる。
 その至近距離にて、今の僕と同じく不思議げな表情をしている白雪の、柔らかい髪に何をか器用に巻き付けていく。成程、白雪に飛びついたのはこの流れを算段に含んでいたのだろう。……否、違うか、こと舞園くんに限っては。

「じゃーん!」

 舞園くんが白雪の肩を掴んで、くるりと僕らの方へ向ける。目がいくのは、白雪の頭部。
 ティアラというのか、否おそらく違う、あの一時期流行ったぐるりと頭を一周するきらびやかなあれ――後日恥を忍んで江ノ島くんに伺ったところ、ヘッドティカというものであることが分かった――を思わせる、小ぶりな石の羅列。端のほうは白いリボンのみになっているようで、右こめかみの部分できれいな結び目を作っていた。ギフトラッピングのようだ、と思う。額にかかる白雪の短く刻んだ前髪の上に、紫の石と赤の石が交互に連なる。ちょうど、白雪の美しい瞳と僕自身の目の色を想わせた。

「赤は勇気と情熱の石、レッドメノウです。紫はアメジスト――といきたいところでしたが、パワーストーン屋さんで偶然この石と出会って解説文を見たらいい感じだったので変えちゃいました。同じ紫の石ですけど、名前はチャロアイトっていうんですって。恋愛中のひとに、さらに高め合う恋愛ができるような力を与えてくれるって書いてて……ふふ、石丸くんと白雪ちゃんにぴったりだなーって思ったので!」
「まあ……さやかさん、そんなに考えてくださったの」
「どやです! なんちゃって、そんなわけで石丸くん、プレゼントは白雪ちゃんです! ばっちりラッピングしました!」
「有難う、有難う舞園くんッ! 確と受け取ったぞ!」
「あっここからその流れに持ち込む感じなの?! 流石はさやかさんね!」

 舞園くんから白雪を受け取る。当然のように抱きすくめるも殊更に騒ぎ立てる観衆はこの場に一人も居やしなかった。それだけ舞園くんも霧切くんも慣れてしまっているのだろう。学級において、気付けば何かとこの四人で会話や行動を共にすることは多かった――不思議と男子一人である事実についてはそう重く認識しないでいるし、周りからも自然なものとされている節があるのは、僕が軟弱な男だと見られているというよりは面子のうちの一人である霧切くんが凛々しく剛毅な存在、俗称するに「男前」な女性であるから、という点が大きい。僕と白雪、霧切くんと舞園くんがそれぞれペアであるように見られているのかもしれなかった。閑話休題。
 そういえばレッドメノウには嫉妬を跳ねのける力もあるのだそうよ、とここまで目下黙していた霧切くんが一言注釈をくれた。舞園くんが僕のイメージで選んでくれたのだという勇気と情熱の赤い石。白雪にまつわる詮の無い盲執をも振り切る力があるというのだろうか、と思わず考えるも、而して無理だろうと判じる。きっと一度霧消したとて新たに新たに募ってくる、常に僕が白雪の一番で在りたいと願う気持ちは並大抵のものではないからして。

「一旦外しますね、ちゃんと袋もありますからまたあとで結び直して石丸くんとプレゼントごっこしてください」
「何かしらその斬新な遊び……っ、あら、」
「んう? ……あー、白雪ちゃんの髪、細くて柔らかいから石の間に絡まっちゃってますね。ちょっと石丸くん一旦離してください、解きますから」

 白雪と舞園くんが何やらこそこそと始めるので何事かと思えば、どうやら白雪の髪に先のリボンが絡まってしまったらしい。抜けたり攣れたりしてはいけないから、と元来器用なたちである舞園くんをして真剣な表情で――友人、こと女性に対して舞園くんの斯様な心遣いは細部にまで行き届くデリケートなものである。流石は超高校級の"アイドル"、女性に対する意識掛けには唸らされる――「少し広いところでやりましょう、照明の近くがいいです」と僕たちから距離をとることを必要とするようで、二人して少々離れていく。
 ぽつねんと立つことを余儀なくされた僕のもとに、頃合いを見計らったかのように霧切くんが音も無く歩んできた。

「――……本当に上手だわ、あの子」
「? 何がだね」
「惚けないで頂戴、そもそも此れをリクエストしたのは貴方でしょう」

 さりげない動作に含ませるようにして、霧切くんが差し出してくれたのは小さな――具体的には僕の掌を出るか否かという程度のサイズのメモ帳だった。すべてを察して僕はいきおい破顔し、而して歓喜の声は向こうに居る舞園くんらに聞こえぬ程度にボリュームを絞った。僕にとてこれくらいの腹芸は可能だ。

「霧切くん……! 覚えていてくれたのか、感無量だ」
「言っておくけれど。……一度でも悪用してみなさい、ただではおかないから。私はあなたが純粋な好意で以て彼女についてより深く知りたいと思ったのだと解釈しているし、それを信じているから」
「ああ、ああ信じていてくれて構わないとも! 恩に着るぞ、これでもっと白雪のことを深く愛することができる」

 未だ舞園くんが白雪の髪と格闘している――恐らくあれは演技ではなく単に苦戦しているのだろう――ことをちらりと確認し、僕はそっとメモの表紙を開く。霧切くんの簡潔ながら端正な筆致で一文、シンプルに記されている字面は「有栖川白雪 希望ケ峰入学までの経歴」。

「嗚呼ぁ……!」
「気持ち悪いわ、感極まらないで頂戴」
「幼稚舎のころのエピソードまで記してある…そうか、このころから塗り絵やお遊戯が好きだったのだな僕の白雪は……はあ愛らしい……!」

 写真などがあるわけではなく、ページを幾ら捲れど綴られているのは霧切くんによる至極客観的視点からの事実が箇条書きになっているだけ。ここまで言えば明白かと思うが、このメモ帳は僕が霧切くんになんだかんだと学園入学当時から頭を下げ続けて懇願していた白雪のプライベートの情報である。とはいえやはり大型宗教団体が擁するところの巫女、機密に触れるような秘匿事項はさしもの超高校級の"探偵"とて入手することはできなかったらしいと霧切くんから苦々しげに伝えられたが、僕にとってそこはさしたる問題ではない。

「小学校時代の給食では麻婆豆腐とみかんジュースが好きだったのか…なんと幼気で無邪気なのだ……!」
「心から喜んでいるのがありありと分かって悪寒を通り越して頭が痛いわ、石丸君」
「中学生の折にはシール集めに凝っていたのか! 動物の小さいシールやレースのテープなど……少女らしい可愛い趣味だ、白雪はいつの時代も斯く愛すべき女性であったのだな……ぐすっ、翻るに僕はやはり幸せ者なのだ、何を新しく知ったとて愛おしさが増すばかりの斯様な存在を、いま手中にできている僕は……ッ!」
「ミッションコンプリートです! やったったでー、ですよ……って霧切さん、石丸くんどうしちゃったんですか」

 抑えられない激情が涙となって迸る。
 無機質な文字の羅列からでも僕の眼前にありありと思い描けるその時々の愛らしい白雪の姿を思うにつけ、いまこうしてその人を我がものとして傍らに留めている僕の奇跡と幸福たるを思うさま噛み締めているところに、頃合い良過ぎるほどの間を持って舞園くんの1/fゆらぎを伴う美声が飛び込んできた。

「何のことはないわ舞園さん、いつもの病気よ」
「ですね、アイドル把握しました」
「有難うねさやかさん、これ。あたしが頂いちゃって大丈夫なのかしら」
「寧ろ白雪ちゃんが持ってなきゃだめですよ、これでいつでも石丸くんとプレゼントごっこしてくださいねっ」
「まあ、恥ずかしいったら。そうそうしないわよ、そんなこと」

 冗談が巧い。早速今夜にでも再演願おうと思っているというのに。

 用件は済んだとばかり既に数歩この場を去りかけている霧切くんに、舞園くんが美しいストライドで並ぼうと急く。僕たちとすれ違うタイミングで、どうやらこれから遅い夕食を二人で摂ろうというらしかった。
 代わって僕の傍らには、常のように白雪が。自然な動作で徐に僕の手元を覗き込んでこようとする無垢な彼女の視線から"それ"を遮るようにして、制服の胸ポケットに丁重に収納させていただく。

「ね、響子さんから何を賜ったの?」
「図書カードだ。ただの図書カードではなく、世界の名画がプリントされているかなり上等なものだぞ」
「まあ! 実用的なプレゼントね、確か清多夏さんも昨年の響子さんのお誕生日には同じものを贈っておられたものね。気に入ったのでしょうねえ」
「考えることは同じ、ということだろうな。而して有難い、今秋用いる参考書は此れで調達するとしよう」

 ――昨年、霧切くんへ図書カードを贈っておいたのが幸いした。その際に絵柄などを一緒に見ていた関係で、今回白雪が「見せて」と言い出さないでくれたからだ。
 "基本的には"嘘を吐かない真実一路なこの男を疑わないでいてくれる尊い伴侶を傍らに伴って、僕もまた帰寮の途に就くことにする。この日を境に、霧切くんによる保護観察の目が少々厳しくなる、などという現実も、少なくとも本日のお誕生日様である僕には感知し得ぬことであった。





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