――天高き夏の盛りの、白光の朝の陽は今日も清々しく、それでいて柔らかく誰のもとにもおりてくる。 休日ゆえアラームを設定していなかったにもかかわらず、目覚めてふと目を遣ったベッドサイドの時計に表示されていた時刻は疑いようもない早朝。平生の生活習慣の正しきを些細なところから再確認しつつ、デジタルで秒を打つ時計の上部、本日の日付に意識は向かう。 八月三十一日。 新たな学期――と、他学年にとっては新たな学年、か――の到来を間近に控えたこの日は、この僕にとっても新たな節目の一つであった。もう子どもではないのでそうそう心が浮つくものではないとはいえ、両親が僕をこの世に迎えてくれた日なのだと思えばそれはとても意義深い日であるといえた。 「――ん、」 本日の行動予定を思い起こそうかというタイミングで、僕の傍らでブランケットに包まり丸くなっていた温い実体が微かな声を上げて身動ぎをする。僕にとって、今年のこの日が猶更尊いものだと感じる所以であるところの存在だった。 柄にもない我儘をぶって、昨夜から彼女をずっと拘束していた。何をするでもなく、日付を跨いでもなお、手の届く距離にずっと。プレゼントに何が欲しいか、などと聞くものだから、大方彼女自身とて想像はついたであろうものを実践で回答させていただいた次第である。もとより僕が彼女――有栖川白雪から望むものなど、この日に限らずとも何時如何なるときであれただ一つ、彼女自身であることは今更言うまでもないとばかり思っていたのだが。 「白雪、」 「ゅ、……おはやいの、ね、」 「まだ無理はしなくていい」 「……きのうのきょうでそんなにげんきなきよくんのほうがおかしいんだもん」 先の「何をするでもなく」との文言は修正すべきであっただろうか。愛らしく拗ねてみせる幼げな彼女の尖ったくちびるを指先でいなしながら斯様な詮の無いことを考える。確かに語弊があっただろうか、正しくは「"特別なことは"何もしていない」とでも言おうか。愛おしい伴侶が傍らに在って、それを求めないでいられるほどには生憎と僕は人間ができていなかった。なにぶん未熟な身の上である。 柔らかい亜麻色の髪を梳く。昨夜の情交で少々喉を嗄らしてしまったらしく、機嫌を損ねた仔猫のように暫く唸っていた白雪だが、漸く意識が鮮明になってきたかという頃合いで、半開きだった目を開けた。潤んだ紫水晶の瞳が、朝陽の光を受けて優しく煌めく。 「昨夜も申したけれど、あの流れだしきっとあやふやよね。お互いに」 「冗談を。僕は確と記憶しているぞ」 「……寧ろ、できたら忘れていただきたいわ。なんて、――……では、改めて。お誕生日おめでとう、清多夏さん」 僕は嘘を吐かない。 さきの発言通り、昨夜、この寝台の上でいつも通りに彼女を愛していた折に、いじらしくも日付が本日を打ったことを把握していたらしい白雪から呈された蕩けた声での祝福を僕は寸分違わず覚えていた。……返答もそこそこにまた動き出してしまったことについては反省していなくもないのだが。 改めて、と視線を合わせた先で微笑んでくれる白雪に募る愛しさは最早筆舌に尽くせようもない。今年のこの日、この時を、彼女と共に迎えることが叶った喜びについて一体どれほどの存在に対して感謝すれば良いのだろうかという情動もまた、然り。 「嬉しい」 「? 嬉しいのは僕だ。きみの側が何故」 「いちばん最初にお祝い、できたもの」 寝乱れて波打つ髪を緩慢な手先で整えながらはにかんだように笑む姿は純で幼気で、平生の淑女然とした彼女――肩書に恥じぬ麗しい姿であり、無論そちらも愛しいが――とは違う、僕だけが拝眼能うところの至極プライベートなそれであった。「僕も、白雪から祝福してもらえるのが何より嬉しい」と告げれば幼げな面映えは柔らかく綻ぶ。 機嫌を損ねた仔猫から気力の充填を図る仔猫にまで調子が向いてきたらしい白雪がちいさく欠伸をしながら、ちらと視線をベッドサイドのほうへ向ける。まだ大きな動作(腕を伸ばす、程度がそれに該当するかは分からないが)をするまでには体力が戻っていないとみた。無理からぬことだ、多少なり昨夜は好き放題させてもらった自覚はある。なにせお誕生日様の言うことは絶対だということだから。おそらく手を伸ばしたいのはこれだろう、と彼女の携帯電話を取って差し遣る。 「きょうは貴方、とっても忙しいのよ」 「というと?」 「みんな貴方をお祝いしたいって仰るから。お会いした際に、と仰せの皆さまが殆どだとはいえ、"予約"もあるのよ?」 「予約」 「ええ。清多夏さん、きょうのお昼はお腹を空かせておいたほうがいいわ」 「きみが作ってくれるのだろう」 「うふふ、きょうは違うの。シェフが立候補なさっているわ、――……貴方の大切な、ご兄弟が」 「なんと……兄弟から祝ってもらえるのか。僕には何も言ってくれていなかったから何があるのか予想もつかない、楽しみだ!」 「響子さんとさやかさんは日中それぞれお仕事があるということだったから、お夕食のあとにご連絡いただくようになっているわ」 「彼女たちもかね。……むぅ、皆して僕に気を遣ってくれているのはとても嬉しいが、なんだか申し訳なくなるな」 「何を仰せかしら、貴方だってクラスの皆のお誕生日にはきちんとお祝いを考えるでしょう? 同じことよ」 どうやら今日一日は、僕にとって嬉しいものでしかない予定ばかりが目白押しの行程になっているらしかった。斯様に喜びにあふれた誕生日を今までに迎えたことがあるだろうかと思うほどに。 朝食を摂りに行くまでにもどなたかにお会いするでしょうし、そろそろ支度をしなくてはね――……と起き上がる努力を始めた(なにせ体力の回復が追いついていない)白雪に、とある重要な一点を確認する。 「ところで、白雪」 「なあに?」 「きょう一日、もちろん白雪は僕に付き添ってくれるのだよな?」 今年の誕生日に、と言わず、僕が常に一番ほしいもの。 その存在が傍らに在るという前提は当然ながら、僕にとって何より譲れない一線である。 「ええ、お邪魔にならない程度にお供させていただくわ」 僕の中では至極当然と心得るその返答を、白雪もまた至極当然とばかりのニュアンスで返してくれた。ただそれだけのことにも僕が新しい感銘を覚えていることを、きっと彼女は知らないのだろう。 |