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きっと素敵なカーテン・コール


*芸能界パロディ


『――お前を護るために、此処に来たんだ』

 見事なハイキックで強面の構成員らを一網打尽にした彼は、恐怖で声も出ないヒロインの頬にそっと手を這わせて、『間に合って、よかった』と顔を寄せ囁く。検察官としての常のクールな様相に秘められた、こんなにも熱く力強い側面。華奢な身体をぎゅっと腕の中に包み込んで、彼はそのまま彼女に、……。


 * * * 



「名前、風呂有難うな―― ん、テレビ付けて無かったのかい」
「……ううう」

 湯上りのあたたかい空気を纏わせながら居間へ入って来た彼は、確かめるまでもなく先ほどまで眼前の画面にて活躍を繰り広げていた検察官某と同じ顔をしている。「お前が観たいもんが有るっていうから先に風呂借りたってのに」とタオル片手に不思議げな顔をしながら、ソファに体育座りの私の傍まで歩んできて何の衒いもなくラグに直に腰を下ろした。その存在を知るものは誰しも好意を抱くほどの丁寧な仕事ぶりとパフォーマンスの上質さで一躍人気俳優となった彼――マルコさんをよりにもよって地べたに(ラグが敷いてあろうと床は床!)座らせておいて宜しいものなのだろうか。彼のマネージャーとなってはや数年、そして恋人になってはや数ヶ月の私としては、どうにもこの状況が落ち着かない。テレビの電源を発作的に落としてしまった理由を説明するでもなく、横にずれて彼が座れるスペースを空けようとしたときだった。

「ん」
「ん?」
「名前」

 私はソファに腰掛けたまま、マルコさんはその足元に座り込んだまま。彼は私のほうを向こうともせず、つい今の今まで自分の片手に持っていたタオルを私へと押し付けて来た。そのあと、これ見よがしに何度か頭を振ってみせる。「――拭けってことですか」という私の声はさぞかし情けなく脱力していたことだろう。それが当然のことであるかのように肯定してすらくれない彼の無言の言い付けに倣い、受け取ったタオルを両手で持ってわしわしとやってやる。

「子供じゃないんですから、甘えたって可愛くないですよ」
「可愛いなんざ言われた処で嬉しか無ェよい――なあ、名前」
「何ですか?」

 他人に濡れ髪を拭ってもらうのは何処となく安心感がある、というのは私も身を以て知っている。彼もその多分に漏れることなく、何の気なしにぼんやりと問いを投げてきながらも常から眠たげな瞼を完全に下ろしてしまっている。寝に入ろうというのではなく、単に心地良さから身を任せてくれているのだろうと思う。毎度こうしてマルコさんからタオルを押し付けられるたび、この程度の髪の量であれば自然乾燥で良かろう、などと人気俳優に対して少々おこがましい口を利きそうになる(さぞかし着る服を選ぶだろうと当初は思っていたものだが、これで存外スーツも和装もキメてくるのだから分からない。それもまた彼の魅力かも知れない、というのはマネージャーたる私ゆえの贔屓目だろうか)。
 わしわしとお世辞にも丁寧と言えない私の動作音だけが部屋に響く。静かだけれど、不思議と気まずさを感じないのは多分、一緒にいるのがマルコさんだからというのに他ならない。私にとっても勿論彼は憧れの人であることに違いは無いが、それ以上に数年単位で苦楽を共にしてきた間柄でもあったから。少なくとも画面の向こうの人という認識だけはしていなかった。
それは数ヶ月前にひょんなことから(嘘。お誕生日のプレゼントが切欠で、だなんて結構ドラマチックだと本当は思ってます)恋人となってから更に顕著で、それまでは介入できなかった彼のプライベートを知ることで尚のこと彼のことが愛しくなった。部屋を完全に暗くしないと眠れないこと、子供の扱いが苦手だということ(彼に言わせれば「おれは別に嫌ってねェよい、向こうがコッチ見ただけで泣き出すんだ」とのことだけれど)、好き嫌いなんてなさそうに見せておいて実はキノコ類がてんで駄目でとくに椎茸なんかはまったく食べられないこと。出会った時はそりゃあもう完璧超人のように思えていた彼だったけれど、本当は苦手なものもあれば出来ないこともある、人間味に溢れたひとだった。だからこそ私はますますマルコさんというひとを好きになることが出来たのだ。
 髪も大方乾き始めたころ(短いぶん自然乾燥も早いのだろう)、「どうして、テレビ消してたんだ」とさっきの発言の続きが改めて問われた。いつもは私のすることについてそうそう問い詰めたりなどしないから、少々不思議に思う。――それに、今回思わずテレビの電源を落としてしまったのは、私のごくごく個人的な私情ゆえであったから、なんとなく答えるのも躊躇われたのだ。そんなこんなで私が「え、っと、それは」のあとに二の句を告げずにいると、マルコさんはちらっとこちらを振り向いたあと、器用にも軽めに哀愁を漂わせる体で眼を伏せた(あたかも「ちょっと落胆してますよ」みたいな演技。演じている事は明らかなだけに真意がよくわからない)。

「否ァ、ちょっと落ち込んじまうよい。名前がこの時間に観たい番組、って聞いててっきりおれはあのドラマの事だと勝手に思い込んじまってたから」
「! そ、れは、その、その通りなんですけどっ」
「でも観てなかったろい――あー、莫迦みてェな拗ね方してんな我ながら」

 ソファに・私の足元に凭れるようにしていた裸の背中が起こされて距離が開く。「気にしないでくれ」と私がタオルドライしたばかりの頭を軽く掻いている彼に、ことの仔細をどう説明すればいいのか逡巡してしまう。取り敢えずどのようであろうと伝えてしまうのがいいことは分かっていたけれど、つい十数分までブラックアウトした画面を前に勝手に凹んでいた気持ちから、今の私は急激に浮上していた。
自分が主演しているドラマを私が観ていなかった(と勘違いしている)から、いま彼はこうして傷付いてくれているのだ。なぜ傷付いたかといえば、私が彼の出演作を逐一チェックしている――言うなれば、彼の姿をいつでも追っていることが、彼にとって当たり前のことになっているから。そのことがひどく嬉しかった。私がただのマネージャーとして彼と接していた時には、決して見せてくれない表情だった。彼がこんなにも正直に自分を見せてくれているのだから、私もきちんと言わなくてはいけないと思う。誤解は解かなきゃいけないし。それにしたって、いま彼がああして照れている以上に、今から私が言う事は子供じみているのだけれど、呆れられたりしないかしら。

「違うんです。私、ちゃんと観てたんですよ」
「……消えてた」
「だから、消しちゃったんです。理由、言ったら、笑われちゃいそうで」
「笑う? どうして」
「だって私マネージャーなのに、あれ全部マルコさんのお仕事なんだって知ってるのに、おかしいんです」

 下ろしていた両足を再びソファに乗せ上げて、膝を抱える。
本当に仕様の無い、言ってみれば莫迦みたいな理由なのだ。やきもちといえば可愛いのかもしれないけれど。



「私以外の誰かとキスしてるとこ、見たくなかったんです」



 業界人にあるまじき発言だとは自覚している。俳優であれば、ドラマの撮影でキスシーンを演じることは通常業務の一環であるし、それにわざわざ感情を伴わせたりすることなどないことは、私とて素人ではないのだから知っている。現にちょっと前まで――つまり彼とこのような関係になるまでは、キスシーンの撮影そのものに立ち会うことだって平然とできていた。(否、今となっては怪しかったかもしれない。「名前、ンな恐い顔してんなよ!」と隣でエースくんがわたわたしていたのは、まさかその所為?)
 身分証明書を提げていでもしなければ、この華やかな芸能界の関係者であるとは思われない、事実一般人に近い私。そんな私とは天と地ほどの開きがある綺麗な女優さん相手に、マルコさんはひとつの動揺を見せることもなく平然と「苦難を経て漸く結ばれた恋人同士のキスシーン」を演じてのけていた。今回放映されていたドラマの実際の撮影は数ヶ月前。カメラ裏からそれを眺めながら私は、やっぱり彼は手の届かないひとなのだと感じていたのだ。当時はそれだけだったから、こんな風に彼の姿から目を逸らしてしまうということまではなかった。けれど、手に入れてしまったから。願ってやまなかった彼のオンリーワンの位置を、今こうして手に入れてしまったから、多分私はちょっと傲慢になってしまっているのだろう。――だめじゃん、こんなの、公私混同もいいとこじゃん。マネージャーとして、絶対宜しくない。彼もきっと呆れてしまうだろう。

 言ってしまったからにはもう取り繕う用もなく、それきり黙ってしまう。伏せた視界にも映る精悍な背中は大きかった。ややあって「名前」と告げられた声はどこか探り探りの、ドラマの中で見せた自信に溢れた様子とはまるで正反対の調子で、どうやら少なくとも怒られるのではないらしい、と私は僅かに安堵をおぼえる。何の気なしに振り向いて寄越した彼の表情は、常通りのポーカーフェイス。

「……は、い」
「くっ! 何て顔してんだい、悪ィ事した訳でも無しに。……否、しかし、おれ達も大概似たもの同士っつう事になんのかねい」

 結局はお前も妬いてくれたんだろい、と一瞬前のポーカーフェイスを笑みの形に崩してマルコさんは軽く頬を掻く。確かに、そうだ。自分の主演作品を観てくれていない、と拗ねる彼と、ドラマの中でキスシーンがあるから観たくない、とテレビの電源を落とした私。大人げなさの度合いで言うのであれば完全にイーブンだった。……恥ずかしい。
 伏せていた顔を上げた時にはいたく軽装備な彼にフロントから抱きすくめられる形になっていた。ちょっと前なら悲鳴を挙げていた処だったけれど、もうこうなっては恥ずかしいついでにどうにでもなれという心境で、こちらも彼の裸の肩へ両腕を回す。上半身は完全に風呂上がりのままで筋骨隆々とした体であり、下もラフなスウェットという非常にリラックスした格好の彼とこうも間近で接する事が出来るのは、私だけの特権。そう思うと何だか自然と笑いがこみ上げてきて、至近距離で目が合った瞬間に噴き出してしまった。同じタイミングで彼も同じように笑ったのは、もしかすると彼も何をか感じていたからだろうか。例えば私が感じたような、実に些細で下らなくも思える位のしあわせとか。

「絵にならないなあ」
「ああ、全くだよい」



 夜中に1LDKのリビングにて、笑えるくらいかわいらしい拗ね方で私をきゅんとさせてくれた彼は、同じく幼稚すぎる嫉妬でぐうの音も出ない私の頬にそっと手を這わせて、「――ま、それで名前が笑ってくれるなら何でも構わねェ」と顔を寄せ囁く。俳優としての常の格好良さとは似ても付かない、言ってしまえばただのオッサンだとも言えるくらい肩の力の抜けた素顔。「私だって、こんな私でいいってマルコさんが言ってくれるなら、」と言いかけた私を最後まで言わせてくれないままぎゅっと腕の中に包み込んで、彼はそのまま私に、それはもう放映するに堪えない位にめちゃくちゃな体裁の・ぐちゃぐちゃに濃厚なくちづけをくれたのだった。


・きっと素敵なカーテン・コール


//20101103(20160820 Rewrite!)


 不格好なプライベートは、私だけのもの。



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