text(op) | ナノ




Don't say such a foolish thing!


*裏行為をほのめかす表現が含まれています。(下ネタ程度です)
*ギャグではありますがキャラ浮気ものです。閲覧後のクレームはご遠慮ください。



















 いつものように酒場のカウンタ隅で客引きをしてたら手慣れた様子であたしの隣に座ってきたこの男。むき出しの逞しい胸板に堂々と刻まれている証に見覚えがないほどにはあたしだって世情に疎くはない。泣く子も黙る大海賊の、一員(しかも相当大物だ、いつだったか見た覚えのある手配書に記されていた懸賞金額はあたしが一生かかったって稼ぎ切れるようなものじゃあ無かった)。非常に個性的な髪型をした彼はあたしを一目で「そういう女」だと見抜いたのだろう、単刀直入に要件だけを尋ねて来た。曰く――ひと晩幾らだ、と。
 話が早い、と思った。あたしだってお仕事だから、今更コトに及ぶ上でムード作りも何も、求められない限りは必要ではない。お互い合意の上で、ひと晩だけ都合いい同士で気持ちよくなって、朝にはすっきりさっぱり後腐れなくお別れ。こちらの殿方は体よく欲求を満たし(海賊って男所帯だものね、上陸しない間とかって処理とかどうしてるのかしら)、あたしは明日からを生きてくお金を手に入れて双方ハッピーハッピー。相場を告げてあたしは彼ににっこり笑いかけた。腕を絡めて酒場を出れば夜はもう深く、甘い闇が町の喧騒からあたしたち二人を遮ってくれているようだった。

 世界最強の海賊団と名高い一団の幹部であるらしい彼は、ベッドの上でも相当な手練だった。此方がむず痒くなるほど小細工に走るというわけではないのにどこか意地悪で、いつもは少々の演技を以てお相手している(お得意様の某さん、ごめんね)あたしも久々に芯から火を付けられたように感じてしまった。そんなに女性の匂いをさせている印象はなかったのに、正直、めちゃくちゃ巧い。――あたし、この人の女になってあげてもいいかも。そんなことまで思った。
 海の漢の体力(精力?)に付き合わされて情けなくも疲労困憊したあたしは、コトが終わるや否やお仕事の筈のピロートークもそこそこに眠り込んでしまった。

 もし明日の朝目が覚めて、この人――マルコが傍にいなくたって、構わない。久々にいい男に抱かれた、幸せな一夜の夢だったということにしてもいいじゃない(お金は前払いだったしね)。遠のく意識の中であたしはぼんやりとそう思っていた。純愛なんかとは程遠い、ただ身体の相性が良かっただけで満足出来てしまうあたしだから、どのように別れたってまったく平気なのだ。――というか、今思えばはっきりこう言い切ったっていい。

 寧ろ幸せな一夜の夢で終わらせてほしかった!


 * * * 




「……アンタ、何してんの」



 翌朝。そうなったって構わないとは思ってはいたものの本当に隣から姿を消していた彼に、追想と共に溜息を洩らそうとした、その時だった。

「おれは…何て事を……」

 カーテンの締めきられた窓際、その近くに置かれているソファに浅く腰かけてテーブルに突っ伏しているのは、間違いなく昨日甘い一夜を共にしたその人に他ならない。明らかに安らかな心境ではないらしい呻き声にただならぬものを感じたあたしは、もう余韻もへったくれもなくベッド上から声を掛けた。ちょうど此方に背を向ける形で落ち込んでいたマルコは、まるであたしがいたことを今の今まで忘れていたかのような驚き方で目を向けてくる。「……、」そのまま暫くあたしを力なく眺めてから(失礼な! あたし、今、裸なんだけど!)、結局一言も発することなく振り向いた体勢のまま今度はソファのヘッド部分に顔を埋めた。ぼすっと鈍い音。どんだけ疲弊してんのこの人。
 脱ぎ散らかしてベッドサイドに引っ掛かっていた下着とシャツだけを身に付けて、ちょっとの気だるさを引っ張りつつベッドを降りた。いっこうに顔を上げようとしない彼の傍を横切って冷蔵庫まで歩き、ミネラルウォーターを取って戻ってきて向かいのソファに座る。依然として何をか後悔していらっしゃるご様子の大海賊さんだったが、その意味をなさない呻きだかうわ言だかの間に、気になる単語を拾ってあたしはボトルから口を離すことになった。



「名前に合わす顔も無ェよい……」



 生憎、あたしの名前は名前ちゃんなんて可愛らしい名前ではない。この期に及んで懺悔の間に飛び込んでくる名前なのだから、するってえとこれは彼の本命である誰かの名前なのだろう。あらやだあたしったら浮気の片棒担がされちゃったわけ? 
 そう考えるとなんだか無性に腹が立ってきた。否、あたしは娼婦なのだから、彼女や奥さんのいるお相手と関係を持つことは日常茶飯事なのだから、これがマルコ(と、その名前ちゃんとやら)にとっての浮気・一夜の過ちであったことそのものが気に食わないのでは、勿論、ない。腹を立てているのは、

「ちょっと! 何凹んでんのよアンタ、あたしに失礼じゃない!」

 だん、とテーブルを殴ると情けない体勢で脱力していた先の彼がよろよろと姿勢を此方向きに戻した。しおれている。こんな男に昨日「女になってもいい」などと夢を見ていたあたしがばかだった。名前ちゃん、貴女ほんとにお気の毒ね。
 テーブルに乗り上げる様にして視線を詰める。明るい場所ですっぴんを商売相手に見せることなど正直な話御法度ではあったけれど、何だかもうそんなことは気にしていられなかった。

「ンなにウジウジする位ならねぇ、浮気なんかすんじゃないわよ! 夕べあんだけ好き放題ヤっといて朝になったら『ごめんよ名前ちゃん許してぇ』だなんてアンタ、情けないったらありゃしないわ!」
「……は……?」

 どうして俺は売春婦なんぞに説教されているのか、と言わんばかりの顔をしているのがますます気に食わない。……しまいにゃ殴るわよ。
 別にあたし自身は彼と彼女がこの件でどうにかなったところでまったく構わない(だってあたしはお仕事でしたことだし)。だけど、自分から浮気に踏み切っておいてコトが済んだら別人みたいに消沈するだなんてあまりに格好悪すぎるじゃない。どうせなら葉巻の一本でも吸いながら「この事はおれたちだけの秘密に、」なんて言って欲しかった――なんていうのはちょっと、不貞を美化するみたいでアレだけど。
 だって、まるであたしを使い捨ての道具だったかのように放置したまま、裏切ってしまった彼女の名前を呼ぶんだもん。そんなのあたしだって名前ちゃんだっていい気しないに決まってるでしょ?

「たまにいるのよねえ、アンタみたいな客。本命ちゃんの嫉妬でも煽ろうっていうのかしら、いいオッサンが聞いて呆れるわよ……そうしたいんならもっといやらしく笑いながらあたしのこと連れて歩けばいいのよ」
「……ンな莫迦な事したかった訳じゃ、無い」
「だったら何よ、言っとくけど今のアンタはそんな事する奴以上の莫迦よ?」

 浮気男とその片棒が、夜明けの連れ込み宿で不毛な議論に耽る。なんともシュールな光景だった。苦虫を噛み潰したような表情のマルコも、呆れを隠せないあたしも、ちょっと昨日のアレが響いているようであまり頭が回っていないのだ。そんな状態で考え事なんかするから余計落ち込むのだ、と言いたくなる。ただ、恐らく普段船の上なんかではもっとクールな振舞いをしているのだろう(ゆうべあたしに声を掛けて来たときみたいに)彼が、今はただの情けない男になり下がっているのだと思うとなんだか愉快だった。
 
「……名前は、……だめだ」
「え、何か言ってる? 聞こえない」

「大事にしたいと思ってるんだ、名前は――おれなんかにゃ勿体無ェ位に綺麗で、何も知らねェ女だからよい、……だから、」

「手が出せないって、言いたいの?」
 
 ゆっくり頷いた男に、あたしはもう溜息を抑えることが出来なかった。深く長く吐いてから、ソファに深く腰かけ直した。成程ね、大切な彼女は純粋すぎて汚せないから他の女で代用してる、と。それ自体はさして珍しい話ではないし、そのような目的を持つ相手とはとても優良な関係(後腐れがないうえ、定期的に通って貰える)が持てるためあたしたちの業界では寧ろ歓迎したいではある。じゃああたしがどうして苛々しているのかといえば、結局は自分の欲求不満を解消したいだけのくせに、この男がさも彼女――名前ちゃんのために仕方なく・我慢してやっているのだ、と言いたげなのがどうにも癇に障るからだった。
 チェックアウトまでそんなに間がない。ホテルを出る頃にはとっとと他人の関係に戻っていたいものだった、しかし言いたいことは言わせてもらう(ああ、花代前払いで貰ってて本当によかった)。怒らせれば怖い海賊だということは忘れてはいなかったけれど、何故だか今は何を言っても安全な気がしていた。

「アンタ、それ、本末転倒ってやつじゃないの。名前ちゃん、だっけ、その子にこういう事したら泣いちゃうって思ったんでしょ。でもさ、泣かせたくない為にやってるコトが結局裏切りになってんじゃない」
「……、」
「大切だ大事だって言って、結局こんな事したあと幾ら後悔したって一緒よ。別にあたしは仕事だし何とも思わないけど、さ」

 半開きの唇からは相槌の一言も出てこなかった。なんだか苛めすぎちゃったかしら、本当にマルコがその名前ちゃんを大切に思っているのであれば、今頃深く反省している最中なのだろう。喋り過ぎて乾いたのどを、再びミネラルウォーターで潤しているところに、「……返す言葉も無ェよい」と一際低い呟きが落ちて来た。昨夜には聞かれなかったような、心の奥から絞り出されたような声色だった――反省したならいいのよ、お利口さん。

「本当にね。……あーもう、こんなコトしに来たんじゃないってのにどーしてあたし説教なんかさせられてんのよ」
「悪ィ。もうちょっと色付けてやろうか」
「莫迦! こんなくだらない恋愛相談にお金払われたって嬉しかないわよ」

 結局は私だってこの男の「褒められたもんじゃないコト」に加担していたのだというのに(否、悦かったけどね)、よくよく考えなおせばかなり偉そうな物言いをしてしまっていたかも知れない。場末の女に説教されるだなんて、大海賊の幹部さんとやらも知れたものだ。――とはいえ、ここまで呆れさせられはしたけれど、私はマルコにそこまで悪い印象を抱いている訳ではなかった。少なくとも、ここを出たあとで名前ちゃんに見つからず済めばいいわねと願ってやる位には。
 カーテンに遮られたこの部屋も、少しずつ明るみを増してゆく。話にもひと段落着いたところで、どちらからともなく腰を上げた。そろそろ、この情けない恋する中年男をもとの日常に帰してあげなくては。

 * * * 


 幸いにも、宿から連れ立って出てくるところを捕らえられるようなことにはならなかった。神様はあたしの些細な願い事を半分くらい聞いてくれたのだろう。半分くらい。



「あ、マルコさん! 探しまし、……」



 町中だった。あたしが普段根城にしている場所も港のほうであったから、宿付近で見つからなかったのをいいことについ連れ立って二人で歩いてきてしまったところ、停泊している大きな船のほうから女の子が一人駆けよってきて――ふわりとした微笑もそのままに、見事に硬直した。ああ、もうわざわざ問うまでも無い、この子が名前ちゃんだ。確かに、今あたしの傍らで同じく固まっているこのオッサンとは一見恋仲なようには思われないような、無垢な風貌の女の子だった。

 名前ちゃんは偉かった。人の目があるのを気にしてか、普通の女が彼氏と浮気相手を目撃した時に取るような行動は一切見せなかったのだ。取り乱したり声を荒げたり、此方に掴みかかってきたり、そういうことをまったくしなかった。……というか、そんなこと出来やしないのだろうというくらい、すべての動作を止めてしまっているのだ。軽く胸元の辺りで浮かせていた右手も、歩み出し掛けた左足も、僅かに傾けていた首もそのままに、ただ、その表情だけが、かわいらしい微笑のかたちからゆっくりと困惑と驚きと、悲しみのそれに変わっていく。このままじゃ、泣いちゃうじゃない。修羅場はごめんだが、このまま去れるほどには神経の太くないあたしはもしかしたら娼婦に向いていないのかも知れなかった。
 ちょっとどうすんのよ、という思いを込めた目でマルコを見遣れば、名前ちゃんのあまりにあんまりなリアクション――そうよね、こんな事態だけは避けたかった筈よね――を前に巧い処理が思い当たらないようで、何も言えず棒立ちになっている。ああもう役立たず、浮気慣れしない男が無理するからこんなことになるのよ! なにが「手慣れた様子で」よ、昨日のあたしの莫迦。

 結局、名前ちゃんの前に滑り出たのはあたしだった。「やだ、何を勘違いしてるの。あなたね、マルコさんの恋人さんって」、安心させるよう笑顔を作れば、まさに涙のきらきらとした粒を零さんばかりだった名前ちゃんは拍子抜けしたようにあたしを見上げてくる。あんなヘタレ男にくれてやるには勿体ない、綺麗な滴だった。指先で拭ってやると、まだ不安げな様子な彼女はあたしと、あたしの肩の向こうに見えているのだろうマルコを交互に見比べながら口を噤んでしまう。こんなに疑わしい状況においてなお、あたしのことを詰ることすらしない。良い子だった。
 作っていたはずの笑顔は、幾らか自然なものに変わっていたかもしれない。ゆっくりと指先を離して、背後の彼に聞こえない程度のボリュームで名前ちゃんに告げたことには、



「――あたしはただ、ひと晩掛けて延々と貴女のこと惚気られただけよ? そりゃあもう、うんざりするくらいに」

 

 あとは彼に聞いたらいいわ、きっと教えてくれるはず。嘘にならないぎりぎりの表現で以てこう告げたのち、軽く手を振ってあたしは踵を返す。マルコの隣をすれ違う折に、漸く硬直が解けたらしい彼は何をかあたしに言おうとしていたけれど、あたしは敢えて気にせずに通り抜けた。あたしの仕事は終わったんだから(しかもかなりのサービス残業を伴って)。
 彼が名前ちゃんに夕べのことを白状するのかどうかは彼の心向きに任せよう。純愛を偽りたいのであれば黙っていればいいし、「こんな事までしてしまう位にお前が欲しいんだ」と迫る為の口実にしてしまうのもいいだろう。彼次第だ。



 ちょっと歩いて、振り返ったら、――天下の白ひげ海賊団の要職である男は、もう本当に本当に情けないことに、少女の眼前に平伏して詫びを入れていた。



・Don't say such a foolish thing!


//20101021(20160810 Rewrite!)


 両手を付いて謝ってるから、許してあげて?




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