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ユニーク・ヴィジョンの恋人


*現代パロ、芸能界設定
これと同設定。前日譚、なれそめ……的な位置づけになるんだろうか


「これ、今日のぶんです」
「げっ……お前、代わりに書いといてくれたりしねェかい」
「莫迦言わないでくださいよ、私がサイン書いて何の意味があるんですか」

 脚本担当との打ち合わせをしてきます、と座っていたパイプ椅子を片付けると、テーブルを挟んで向かいに座っていたマルコさんは渋々といった様子でペンのキャップを取る。あんな風だがそれなりに嬉しがっているに違いない、今回彼にサインをせがんできたのは一介のファンではない業界関係者で、しかも男性陣。純粋に彼の演技を評価しての好意であることが知れるというものだった。勿論、女性ファンであろうとお偉方であろうと好いて貰えることは有難いけれど。
 珍しく彼がファン・サービスを面倒がる理由はひとつで、単に彼が今ものすごく疲れているというだけだ。ひとたび仕事ともなればそれを表に出すようなヤワな根性ではやっていられないが、控室でくらいは弱音の一つも吐かせてやっていいだろう。幸い、これから行われる打ち合わせはマネージャーである私だけが出席すれば事足りることだし。

「書き終わったらその辺りに置いといてください。あとで私がお返ししに行きますから」
「ん、了解」
「それにしても、まさか初主演作品がこんな大規模なものになるとは吃驚ですよね。……あ、別に器不足だとかそんなつもりで言ったんじゃないですよ?」
「名前、お前なあ」
「だから違いますって、マルコさんの格好良さはマネージャーたる私が誰よりもよく知ってるんですから。伊達にデビュー当時から付き従ってません――あ、時間だ」

 そのまま慌ただしく出てきてしまったので、私の柄でもない台詞を投げつけられた最後の彼の表情は見られずじまいだった。「格好良い」って言うの、軽く見せて結構勇気が要ったんだけどな。その程度の応酬で今更キュンとなれるほど、彼も私も若くないということだろうか。
 絵に描いたような二枚目という訳ではないのだが、毎度綿密に脚本を読みこんだ役作りと仕事への真摯さ、独特の存在感で近年人気を博するようになったこの俳優氏のマネージャーを務めるようになってもう五年近くになるが、目下私はその職分では足りないなどと思い始めてしまっている。なるべく干渉しないよう努めている彼のプライベートの一部になりたい、もっと近づきたい。やたらに「私はマネージャーだから」と自分の立場を口に出すのはその反動の表れで、私は日々そうして公私混同を起こさないよう必死で過ごしていた。私生活においても彼の傍に居たいと思う気持ちは痛いほど真剣だけれど、それと同じくらい、仕事に一生懸命な彼が好きでそれを支えていたいと感じているから。好きな事を仕事にして、漸く認められてここにいるのだ。「人気俳優」という看板自体にしがみつくような彼ではないけれど、折角実力で上り詰めたその地位を、私の感情ひとつで脅かすようなことはしたくなかった。今は、マネージャーという立場から彼をサポートできることだけでも喜ぼうと思っている。これだってそんなに誰もが就けるポジションではないのだし、……スケジュールを管理するという名目上、それなりにおいしい特権も、あるし。

 会議室にはまだ全員揃っておらず、打ち合わせの空気も薄かった。マネージャー仲間と近況報告などし合いながら空いている椅子に腰かける。開いたスケジュール帳には、今日――10月5日、彼の誕生日――の日付の上で大きくピンク色の丸印(何かの拍子に彼が目にすることがあっては大変だから、ハートにはできなかった)がその存在を主張していた。

 * * * 


「――いい加減、吐いたらどうだ」
「……」
「黙ってるんならそれでもいいが、……お前の連れはとっくに自白済みだそうだ」

 取調室。デスクに項垂れていた男の顔が驚愕の色と共に跳ね上がる。縋るような目を向けられた捜査官はポーカーフェイスを一つも崩さず、先刻の慈悲の無い言葉は嘘偽りない真実であることを知らしめんと三たび口を開いた。

「大事な大事なお姫様にまで裏切られて――可哀想にな、もう楽になるといい」



 カットの声が掛かり、現場に張り詰めていた緊張もゆるゆると解けた。
 捜査官から一気に素の顔に戻ったマルコさんはワイシャツの首元を緩めながら「『楽になるといい…よい』って出かかっちまった」などとぼやいて共演者の笑いを誘っている。犯人役だったゲスト俳優と互いを労っている姿などは何度見ても微笑ましいもので、差し入れの仕分けをしながら私もつい笑顔になってしまう。撮影終わりのこの空気がとても好きだ。

「名前、お前このあと飯どーする?」

 肩を叩かれ振り向いた先には、マネージャー仲間のエースくんがいた。まだ若いが、その若さを武器にあちこち走り回っている姿に好感を持つスタッフは多い。彼は私の不毛な恋愛事情を知っていて(彼に言わせれば「なんで本人に伝わんねェんだか不思議なくらいバレバレ」だそうだ。なんということ!)、時々相談に乗って貰っている。
 こうしたロケ時に恒例となっているスタッフ・俳優陣交えての食事会のことについて尋ねられ、少々戸惑う。そうだ、忘れてた。マルコさんの誕生日が今日だということなど、当然私だけでなく皆が知っていることであって、その上こうして収録があるとなれば皆で祝う流れになるのは至極当たり前のことだった。今日は平日だし少々大所帯で押しかけても入れてくれる料理屋は沢山あるだろう(俳優の口利きがあれば尚更)、そして二次会は静かなバーで今後の展望など語り合いつつ、というところだろうか。もうこの時点で私は二人きりで彼をお祝いしたいなどという甘ったれた願望を捨てつつある。ファンの女の子よりは恵まれているから、なんて寂しい口実を自分に押し付ける。決して少なくない彼の熱狂的ファンから送られてくる誕生日プレゼントは、彼の自宅でなく事務所で一旦預かることとなっている。危ないものなど混ざっていないか事前に開封して確認するから、本人に届くのは早くとも確実に当日を過ぎる。だから、当日に渡せるだけマシではある、けれど。けれど!

「あ、うん。ねー、どこにしようか悩んじゃうねえー……」
「……その『分かってます私我慢します!』ってカオに書いてんの、消したほうがいいぜ」
「っ! エースくんの莫迦、口に出さないだけマシでしょ?!」
「いや、バレてる時点でそう変わんねェよ? ……と、お、噂をすれば」

 言いがかりにもわざわざ応えてくれるエースくんは口ぶりの割に結局優しい奴なんだなあと思う。噂をすれば、との言葉通り、気付くと彼のすぐ後ろまでマルコさんが来ていて、「エース、お前向こうで呼ばれてたぞ」と子供にするように彼の頭をくしゃくしゃ掻き回した。牙をむくエースくんには悪いが、私にはそれがかなり羨ましい。彼を呼んだのは多分間違いなく、彼が専属している俳優のスモーカーさんだろう。「やっべ、行かなくちゃ」とパーカーの裾を翻しかけたエースくんを、マルコさんが腕を伸ばして引き止める。予想外の行動にエースくんも私もきょとんとしてしまう。

「この後なんだが、」
「あ、成程。主賓が心配せずとも手配はおれたちでちゃーんと、」
「否。悪ィが、先約があってな。今日は身体空けられそうにねェんだ」

 初耳だった。マネージャーである私に前情報がないということは「先約」とは当然仕事関係のことではない。数ヶ月前から手回しして、どうしてもずらせないこの収録を除いて、今日の彼のスケジュールは白い筈だった。つまり、プライベートで予定があるということだ。――正直な話、考え得ることではあったけれど怖くて考えないようにしていた可能性だった。手回しとか気遣い以前の問題で、まさか彼にお相手が既に居ただなんて(流石にそこまで言うと飛躍しすぎかも知れないけれど、このタイミングで言うなんて、もうそれとしか考えられなかった)。
 私が硬直してしまったのにエースくんはいち早く気付いて心配げな目を寄越してくれたけれどそれ以上には何も言わず、「じゃあ今度だな。いつもの面子のオフがどうなってっか聞いとくわ」とカラっとした態度で休憩室のほうへ行ってしまった。ごめんねエースくん、今夜あたり、電話しちゃうかもだけどその時は慰めてね。

「名前」
「は、……い」
「何だよいその反応。ほれ、戻るぞ。色紙を書き掛けで放置してきちまってる」

 当然ながらあまりにいつも通りな彼に、一瞬たじろいでしまった自分を心の中で叱咤してついていく。近年滅多に感じることの無かった感情に胸が詰まりそうだった。そうだ、苦しいってこういう感じだったっけ。

 * * * 


 控室に戻るなり数時間前と同じパイプ椅子に腰を下ろしたマルコさんは、悠長にペンを片手で弄びながら私に視線を向ける。否、さっさとそれ書いちゃわないと「先約」とやらに間に合わなくなっちゃうんじゃないの? 突っ込みたい気持ちはあるものの、それを思いこそ指摘はしない私は嫌な女かも知れない。
 次の撮影日をしっかり記録してスケジュール帳を閉じると、彼が此方に手を差し出してきた。顎をしゃくって何事か促してくるが私には彼が何を言わんとしているのかさっぱり分からない。

「ん」
「え、……何ですか? これはただのスケジュール帳ですよ」
「おい名前、この期に及んでそこでボケる必要が何処にあんだい」

 ペンはいつの間にかキャップも元通りにされ色紙の上に。気だるげに頬杖を付きながら片手は掌を上にして私のほうへ向けられている。微苦笑からは「駄目な奴だな」とからかわれているようなニュアンスを感じた。え、何、何なの?



「可愛いマネージャー嬢から何が貰えんのか、こっちは結構楽しみにしてるんだが?」



 取り落としたスケジュール帳はピンポイントで10月のカレンダーページを捲り出してしまったことにも気付かなかった。両手に力が入らない。今、マルコさん、何て言った? どうして私がプレゼントを用意していることを知っているのか。気になりはするけど問い質す気力もなく、辛うじて口に出せたのは「先約、は?」だった。何か聞こうと思ったら当座一番気になることだけがポロっと出てきてしまったのだ。落ちつけ私。
 当の彼はさも今思い出したかのような表情で「あー、そんな言い方したっけねい。ま、何だ、方便って奴さね」などと軽く流してしまう。どうやら私が危惧していたあれこれは単なる杞憂だったようで、それについては安心出来た。けれど、そうなるとますますこの状況が理解できない。しかし、こうして二人きりの時間が出来たことは、私にとって間違いなく僥倖だった。

「なあ、名前」
「あります! ありますよ、そんないいものじゃないですけど」
「そりゃ楽しみだ。目でも瞑っといたほうがいいかい?」
「……子供じゃないんだからサプライズなんて用意してないですよ」

 こうなったら渡すだけでも渡そう。こんな状況でなく、飲み会の席ででもさりげなく渡せればいいやとばかり思っていたので今一つプレゼントのセレクトにムードというものが欠けているのだけれど、最早そんなことを気にしていられる心理状況ではない。

 以前、雑誌のインタビューを受けた折に彼が「皆で羽目外して呑むのも楽しいが、最近では専ら一人で宅呑みに凝ってる」なんて答えていたのをしっかり覚えていた私は、気取ったものが好きでない彼へのプレゼントをグラスに決定した。装飾品や飲食物なども考えたのだけれど、より生活の隣にあって・かつ毎日眺めても疲れてしまわないものを、と思ったとき、食器というのはかなり有用な選択肢であったのだ。
 職人手製のソーダガラスを使った手吹きグラスは、口の開いたデザインながら底部が重めであるため倒れにくい。間口が広く誰であっても受け入れられるけれど芯の強い彼になぞらえた……訳ではないけれど。底部が少々凝っていて、グラスの中腹までにかけて底からねじり上げるような形状になっている。ワインなど注ぐと、透明なグラスに独特の境界線が引かれて美しいのだ。小振りではあるけれど、そもそも酒量の多いほうでない彼には丁度だろうと購入を決めた。

 事務所の裏通りにある硝子工芸店の名が入った和紙に包まれたそれをボストンバッグから取り出しながら、購入した折のことを思い出す。プレゼントなんです、と言うと店主は「きっと喜ばれますよ。先日もそれを見て行かれたお客様がいらっしゃいましたから」と美しく歳を重ねた顔に皺を寄せて穏やかに笑んでくれた。
 淡い藍色が上品なその包みを、「これ、なんですけど」と差し出されたままだった手に献上する。割れ物ですからと言うまでもなくもう片方の手も伸びて来た。引き寄せ、包みに目を落としているところへ、すっかり遅れてしまった祝いの言葉を漸く伝えることができた。

「お誕生日おめでとうございます、マルコさん」
「この歳でこうも明るく祝われちまうと擽ったくて堪んねェな。……否、名前、有難う」

 長い指が、紙の破れるような音を一つも立てることなく包みを剥がして行く。二つ並んで綿に包まれているグラスが目に入っただろう瞬間、いつもは眠たげな彼の目が軽く見開かれたのを私は見逃さなかった。まさか、同じものを持っているとか? 不安になり始めた私に、「名前」と声が掛かる。立ちっぱなしで硬直している私はさぞ可笑しいのだろう、彼の表情には苦笑の色が濃い。

「何をか用意してくれてんのまでは分かったが、流石にこれは予想できなかったよい」
「?」
「名前。これ、本気に捉えちまっていいのかい?」
「……本気、って、何がですか?」

 拍子抜けされても困る。「へ、お前知らねェでコレ買ってきたのか?」と呟いたのち私のほうを向いたまま暫し停止してしまったマルコさんは、ややあってひとつ溜息を吐き真剣めいた表情になった。不意打ちは卑怯だと思います!

「ま、いい。後々教えてやるよい。――そんじゃ、聞かなきゃいけねェ事は一つだな。名前、」
「な、何なんですか、」
「折角グラスを貰ったんで、家でワインでも開けようかと思うんだが」



 ――お前、付き合ってくれねェか?



「……っえ、お、お家って、この時間からですか?!」
「構わねェだろい、もうガキじゃねえんだ」

 ところで質問の答えは?と促される。唇が震えて言葉にならない。深呼吸だの荷物整理だのでわたわたと気を鎮めている間にマルコさんは平然と先の色紙を書き終えてしまっていた。仕事、早い!
 右手の甲で触れた頬は驚くほど熱くて、多分この後数時間は冷めることはないだろうと思われた。落ち着くと着かずと、最初から私の答えは決まっているのだから。

「名前?」
「お、お邪魔します。したいです!」

 それが当然、と言わんばかりに悠然と笑う彼は、モニタ越しに見るどのカットよりもずっと格好良く見えた。


・ユニーク・ヴィジョンの恋人


//20101002(1005 Happy birthday to Marco!)20161002 Rewrite


 あらお兄さん、このグラスがお気に召したの? ねじれた底のかたちが、なんだか仲の良い恋人みたいでしょう。だからこのグラス、「恋人たちのグラス」って呼ばれているのよ。あなたのいいひとと、二人で仲良く乾杯するのにぴったりだわ。恋人が出来たら買いに? うふふ、そんなに悠長じゃあ、とっくに買われてなくなっちゃうかも知れないわね。


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