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Marco


 こんな時間に目を覚ますのは久しぶりだった。最近はずっと、自分のものでない温もりが隣にあって、それが当たり前となっていたから。

 目は開いたけれど頭は起きていない。完全な覚醒とは行かなかった。気だるい身体も自由には動かない。まだ無理して動かなければならない時間帯でないことは、未だ暗い部屋からも明らかだった。もう暫く日は昇らないだろう。
 こんなに味気ない目覚めは久しぶりだ。既に用意された朝食の香りがしないのは勿論、洗濯かごに突っ込まれた寝巻も、腕の中で意味をなさない寝言を呟く存在もない。知らず寂寥の感がこみ上げた。



「帰りは、今日じゃあ無かったのかよい」



 本当は分かり切っていることを敢えて口に出した。言いがかりを咎める奴も此処には居ないので。乾ききって擦れた喉は、水分を欲して僅かに痛んだ。
 大学のゼミ合宿とやらでキャリーケース片手に恋人がこの家を後にしたのは昨日の昼前。申告された予定を信じるのであれば、明日の夜までは戻ってこない。行くなとまで言った訳ではないが八つ当たり同然に機嫌を悪くした俺に愛想の一つも尽かすことなく、彼女は困ったように微笑むだけで「あたしとて卒業はしたいですから。大丈夫です、同伴してくださる教授はもう不惑の40代でいらっしゃるし、信頼のおける方ですよ」などとフォローを寄越した。年齢はさしたる判断基準にならない、ということはお前が一番よく分かっているだろうに。

 ――何を心配しているというのか。

 現在アリスと好き合っているのは紛れもなく此方であり、そうであるならこのような心配は杞憂であるべきなのに。入れられたフォローが却って心に引っ掛かる(無論、アリスとて俺を妬かせようなどという魂胆でそうしたのではないだろうけれど)。何を心配しているというのか、こんな時間に無意識に目が覚める程に。
 物理的に距離が離れて心細くなっているだけだと言い聞かせる。いい歳したオッサンが嘆かわしい。アリスが愛しているのは俺で、それは今現在、この瞬間であろうと変わらない――筈だった。何をしているかなど見えずとも、そうであるに違いない。そう信じたい。どうか安らかに眠っていてくれるよう。眠っていてくれるよう。何処に居てもなお、俺の望むアリスで在って欲しい。



「アリス、お前は――おれのものだよな?」



 醜い独占欲だと言われても仕方がなかった。心細いなどというのではなく、自分はいま独りであるのだと認めたくない。もっと厳密に言うなら、この場にアリスが居ないのだという事実に耐えられなかった。俺の夜とアリスの夜は同じだと信じたかった。信頼していない訳でなく、ただ、俺が人並み外れて彼女に執着しているだけであろう。想像の上でですら、アリスが他の男と並ぶ姿を許せない。
 潤いを求める喉を無視して強引に目を瞑った。出掛けに笑顔と共に残された言葉が巡る。
 
 『マルコさん、おひとりで大丈夫ですか?』
 『……、なんて! いい成人男性に失礼な物言いでしたね、申し訳ない』
 『待っててくださいね。じゃあ、行ってきます』

 家事について心配されているのか、と当時は何とも浅い流し方をしてしまったが、もしかするとアリスは、俺が内心どうしようもない奴だということを分かっているのかも知れなかった。今となっては真意を確かめる術などないが。そして、そんな心配をして寄越すくらいならいっそ離れて行かないで欲しかった、とさえ考える今の俺は本当にどうかしている。時間帯の所為に、してしまおうか。
 意識して、響く愛しい声を聞かないようにした。ただ、思い起こされる姿だけを供にして、今度はきちんと明けない夜から目覚められるように。暗く汚れてとてもアリスに晒せたものではない思考からも、抜け出せるように。

 寝しなに視界を覆った優しい微笑みは、そんな俺を分かりつつ受け入れてくれている彼女を写実的に描き取った、なんとも飽かない夢だった。


・before the dawn


//20100914(20160923 Rewrite!)


夜は無情。意識は眠れてもきっと想いは眠らないだろう。



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