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敏腕なる担当編集者どの



『決め手は、驚くことにわたしたちのごく近くに存在していたんです』

 イーグルは軽く肩を竦めると警部にそう言い放つ。捜査陣が息巻く中、至っていつも通りの悠長さを保ったまま、彼はシルクの手袋を嵌めたままの右手でとあるものを持ち上げた。
 それは、何の変哲もない砂糖壺だった。

『この砂糖壺は、被害者たちがここに集ってから事件が起こるまでずっとこの位置にあったものです。これを検分しているうちに私はあることに気付いたんです』
『ある、こと……?』





「ここまで?」

 彼は顔を上げるなり私にそう尋ねてきた。

「うん、そうです」
「今回は書き下ろしだろうが。連載小説じゃあるまいし、わざとらしくこんな所でちょん切らなくてもいいんじゃないかい」

 私はデザートのシャーベットを掬いながら、呆れ顔の彼――私のデビュー当時からの担当編集者、兼、よき隣人のマルコさんへフォローにもならないフォローを投げる。

「あたしは意地悪だから」
「ったく、……続きはいつごろ読めるんだかねい」
「すぐ仕上げます。 あ、ビール、まだ呑まれますよね」

 勿論、といった体で彼が頷いたのを確認してから、丁度通りかかった店員に黒ビールを頼む。我々の暮らすマンションと編集社との半ばほどに位置するこの居酒屋は、このように少しラフな編集会議をするにはもってこいの場所ゆえ、私も彼もかなり贔屓にしている。カウンターのいちばん奥まった席がすっかり定位置になってしまっている。
 彼の名誉のために一応補足しておくが、別に彼と私は恋仲などというものではない。いち作家といち編集者、という以上の交流があることは確かだが、別段特筆する関係というわけでもない。タッグを組んで四年になるが、彼に特別な誰かの影が見えたことは、少なくとも私の知る限りではなかったように思う。私が作家として至らない仕事ぶりを晒しているせいでプライベートを侵害しているのではないか、と一度伺ったことがあったが、その時に初めて「アリスは鈍感すぎるんだ」と怒られた。そりゃそうだ、自由を奪っている張本人がそれを心配するだなんて無神経にも程がある、と深く反省したものである。
 なんだかんだでクリスマスだの大晦日だのというところにまで仕事を持ち込んでしまったことも数度ある。そんな折にも嫌な顔ひとつせず「ついでに食事でも、」とまで言ってくれる彼は実にできた人間だ。一回り近く年上の、この良心的な編集者氏に、今年こそは完全なプライベート(私などという余計な横槍が入らないような!)を与えてやれるように、私はせいぜいよりよい仕事をしようと思う。

「――真剣な顔して、何見てんだい」
「わ、」

 スプーンを銜えたまま思案に落ちていた横顔は、さぞかし間抜けなものだっただろう。彼の片手には先刻オーダーした黒ビールのジョッキが既に握られていた。私の前には紅茶が。こちらは頼んだ覚えがないが、メニューにあった記憶もないので恐らく店長の常連客へのサービスなのだろう。会計時にお礼を言わなくては。

「せっかく良いトリックが浮かびかけてたのに、ぶち壊して下さいましたね」
「嘘吐け。お前がそんな真剣な顔してる時はミステリのこと考えてる時じゃねぇよい、大方ぼーっとしてたんだろうが」
「ひぇ、信頼も何もあったもんじゃあない! マルコさんてば酷いです」

 言いながら二人で笑った。
 仕事半分の呑みの席で、しかも話の程度も合わないだろう私のような若輩を相手に、芯から楽しそうにしてくれる彼は本当に優しい。社内でもずいぶんと頼りにされているのだと、編集者を訪れた際に彼の後輩から聞いた。私のような駆け出しの作家にあれこれと世話を焼いている暇など、本来彼には無いのかもしれない。

「マルコさんが酔っちゃう前にお仕事の話終わらせちゃいましょう。えっと、……まだ肝心の結末を読んで頂いてないんですけど、どうですかね、今回のは」
「ん、良いんじゃねぇかい? トリックのスケールも大きそうだし、犯人が絞られていく過程も論理的に申し分ない。これぞアリス・マジック――とでも煽っといてやるよい」

 この程度で酔うもんか、とこそ前置きしたものの、私の問いかけに彼はすっと真面目な表情に戻った。彼の指摘はいつも的確ながら厳しいものであることが多いゆえ、良薬口に苦しの覚悟で拝聴することに決めている。しかし、今回に限ってはその心配も杞憂であった。というのも例になくお褒めの言葉を頂いてしまったからである。

「そんなこと言って、出来あがってからまとめて扱き下ろすんでしょ」
「否、信じてくれていい。褒めようのないものを褒める趣味はねぇからな」
「ほんとに?」

 亀の甲より、という訳ではないにしろやはり齢のぶんだけ私より遥かに多くの書籍に触れてきているであろう彼に評価されたという事実は、たとえそれに幾らか世辞が乗っかっているのだとしてもやはり率直に嬉しかった。私は自分のそれよりも、きっと彼の観察眼を信頼しているのだろう。
 四年前、大学在学中に書いた小説がとある大きな賞の佳作に選ばれた。それまで必死に書いては落ち書いては落ちとしてきた中、初めて賞を受けたその作品がよりにもよって授業中の内職により生み出されたものであったというのは皮肉のようだが、出版社から手直しすれば出版してやれるかも知れないという話を受けて私は舞い上がった。アドバイザーとして付いてくれた彼の手助けを受け何度も改稿し、ようやく合格点に漕ぎ付けることができた。私は今でもこの編集者を恩人と思い感謝しているし、尊敬もしている。そしてそれ以上に、このように有能でありながら私のような者にここまで付き合ってくれ、且つそれについて恩を着せようなどということを一切しないこの人のことが好きだった。もちろんこの好きにはカッコ人間として、という補足が付帯するが。

「おれがアリスに言うことに嘘なんざ一つもねぇよい。どこまでもお供する覚悟の編集者なんだ」
「あはは、頼りにしてます」

 そろそろ出ようか、というところで彼はスマートな動きで伝票を取り上げる。いつものことながら申し訳なくなる。「外で待ってろ」などと言われるとなんだか落ち着かないのは彼と私が一応男性と女性であるからだろうか。

「どうだい、もう一軒」
「あたしは構いませんけど、マルコさんは大丈夫なんですか、あたしなんかと一緒にいて」
「……。この間行ったバーにしよう、雰囲気がよかった」

 私と一緒にいる処を発見されることが彼が何かしら根も葉もない誤解を受けるのではないか、と気遣ったうえでの発言だった訳だが、どういう訳か黙らせてしまった。半ば腕を引かれるようにしながら、既に名目だけとなってしまった編集会議の続きに興じるべく、私たちは夜の街を流れる雑踏の一片となった。


・敏腕なる担当編集者どの


//20100823(20160904 Rewrite!)


 「あたし、来年はSFに転向します」「ビデオ録画も碌に出来ない奴がよく言うよい」


パロディ元:「マジックミラー」


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