text(op) | ナノ




With 12th division commander


 予想外の(嘘だ、大方彼に手招きされた折からある種の覚悟は出来ていた)伏兵の精神的奇襲を受けつつ漸く陽も暮れきったころ、「そろそろおれ達も飯行くか」とこの空間の閉幕を告げられた。立ち上がった際に軽いふらつきを覚えたのは度数の強い事で評判のワノ国の銘酒のせいであって、断じて先までの遣り取りに無意識でダメージを受けていたとかそのような理由ではない。隊の用事があるからというイゾウさんとは部屋から出た時点で別れることとなり、私はひとり重い頭を指先で小突きながら食堂へ向かうこととなった。
モビーに来航する折には私もクルーと同じく食堂で夕食を摂ることが決まっている。まだこの船の”教育係”として日が浅いころ、夕食時に自船に戻っていたら行方不明者扱いされモビー本船を大捜索されてしまったことがあった。あまりに当然のように私を同胞としてくれる彼らの温かさに改めて触れることができた出来事である。

 とはいえ1600人の大所帯。常に本船に乗船している面子はその一部とはいえど一度に食堂に集って食事をするには多すぎる訳で、現にこれから食事に向かおうとしている私とすれ違いの方向へ去ってゆく船員らは恐らくもう腹を満たし終えているのであろう。見た顔、な、気がする(私の主務は隊長はじめ古株クルーらの手合わせ相手と、新入りクルーへの教育である。ゆえに所謂中堅どころの層とは最も縁が浅い。――とはいえそれなりの親交程度はあるが)。
 二人連れで軽装の彼らが何やら浮かぬ顔をしているように見えるのは、今現在私のほうの心境がそう愉快なものでない為であろうか。他人の表情は自らのそれの鏡だというし……と何の気なしに片割れの殿方へ視線を注いでいると向こうも此方に気付いたらしくぱちりと目が合った。「お、アリス先生」と零される気の良い笑みもどこか苦い色を帯びている。会釈して行き過ぎようとしたところで軽く肩を叩かれた。

「あの、多分まだ食堂にハルタ隊長が居ると思うんスけど、そのお――アリスさん、よかったら励まして差し上げてください」
「励まして? ハルタさん、落ち込んでらっしゃるので?」
「何つったら良いか……ここ最近ずっとお元気が無い様子だったんでおれ達も心配してたンすよ、そしたらその矢先に、こう。なんかおれ達のバカ話にいらっとされたのかも知れないなあ、急に怒られちまって」

 若くして当白ひげ海賊団の十二番隊を任されている青年の、他の屈強な船員らと並べばますます際立つ痩身を思い起こした。就任して日の浅い同士、二番隊隊長と連れ立って稽古に余念のない姿や、未だ向こう見ずな行動が目立ち他隊長に思い切り説教を喰らっている姿、ひとたび戦となれば世界最強の海賊団幹部の名に恥じぬ働きを見せ隊員を鼓舞する姿。どのような時も一生懸命を画に描いたような振舞いにて、私に初々しさを思わせてくれるひとだった。――成程、少々エネルギー切れ、というところだろうか。

「了解です、あたしに出来る範囲でお声を掛けさせて頂きます。皆さんは、――そうですね、厨房のほうに回って食後のデザートでも調達して来て差し上げてください」

 上に怒られたというのに不貞腐れた様子も見せず(しかも私の読みとしては今回この人たちに原因は無い筈なのだ)、それどころか尚も自隊の隊長を気に掛けているらしい心優しいお二人からバトンを請け負い、私は食堂の扉を押し開けた。

 * * * 


「や、アリス遅かったな。お前が今来たって事ァ、イゾウはもうちっと遅れんのかァ」
「あいつ来ねェとポーカー大会始めらんねェじゃん! おれは今日こそ優勝してみせるっ」

 食事をしているテーブルと既に食後の雑談に入っているテーブルは半々といった処だろうか。声を掛けられ振り向くと、隊長陣数名が食堂で一番広い長テーブルを占拠して一服している処であった。「あの酒、夜まで残しときゃ良かったかなー」などとどの面提げて宣っていらっしゃるサッチさんの隣には待ちきれないとばかりに幾度もカードをシャッフルしている模様のエースさん。今月消費されたぶんの薬品を書き出しているらしいラクヨウさんのカップにコーヒーを注ぎ足してやっているのはジョズさん。そして、……嗚呼。



「なァ、アリスもココ座れよ! ……どうせハルタの事だろ? いま触っちゃマズいって」



 当たり障りなく通り過ぎようとしていたのに目論見は脆くも打ち崩され、袖を末っ子隊長さんの長い指にがっちり捕まえられてしまう。この時ばかりは彼の天真爛漫さを恨みたくなった。仕方なく手ごろなアルカイック・スマイルを湛えて振り返れば、先刻意識して視界に入れまいとしていたテーブル端には煙草を燻らせながら頬杖を付く一番隊隊長氏が、何故またこのタイミングでと嘆きたくなるほど真直ぐに此方を見据えていた。後ろ暗いことが有るではない(否、無いでもないけれど)が、先のイゾウさんとの云々があり今は顔を合わせにくい相手だった。
 空いた方の手で優しく袖元を押さえれば簡単に拘束は剥がれる。そのままエースさんのほうへ目を遣るけれど、もう一方から向けられる視線は痛いほどに逸れてくれない。「そうもいかないんです、隊員さんらより拝命仕りましたので」と、この時ばかりは本領発揮とばかりよく回る口に為すがまま任せ、軽く手を挙げその場から離れた。恐れをなした訳ではない、これは戦略的撤退なのだ。その厚い唇から紡がれた私の名前も、聞かない振りをしておけばその先には往かず済むのだから。



「……なに」
「あは、まだ何とも申しておりませんが」

 食器返却口の真前、丸テーブルに突っ伏したままコップの中の水をじっと睨み続けていたハルタさんは、私の姿を認めるなり盛大に顔を顰めた。成人してこそおれど未だ感情表現が豊かである彼は、不機嫌さを隠そうともしない。相手をしてくれないという訳でもないようなので構わず向かい側に着席させて頂くことにする。
形振り構えないほどに落ち込んでいても尚「厨房もう空いちゃったから、飯そっから取れ、だって」と受け取り口に並ぶ食事を頭を振って示してくれる彼はいい子だ――嗚呼、こういう形容をするとますます彼をドツボに嵌める事になりかねないが。生憎、食事は有っても無くても良い程度の身分であれば("植物”人間の人間らしからぬ便利な点である)、「ええ、あとで頂きます」と少々おざなりに返答をしたのち本題に移らんと、突っ伏す彼と視線を同じくする為に私も身を屈めた。テーブルに顎がぴたりとくっつく処で、ハルタさんのつぶらな瞳(きらきらとした、少年のような輝きだ)に私の姿が映る。平時よりもずっときらきらしているように見えるのは、軽く涙が滲んでいるからであろうと思う。無論指摘はしてやらないけれど。

「おれ、いやなヤツだ」
「どうされたんです、行き成り」
「……八つ当たりした。テッドもセティ・リーも、別におれのこと悪く言ってたとかじゃ、全然無かったのに」
「でも、ハルタさんは腹を立ててしまわれた?」

 挙がった名前は先刻食堂前にて行き合ったクルーらのものに違いなかろう。陳情する声が段々と湿ったものになってゆくのを少々心配に思いながら、しかし話を促す以上に余分な口を挟む事なく一先ず最後まで聞く姿勢を取る。こうして腐っている原因も、善後策も、本当はすべて彼の中にあるのだ。すべて話してしまったら気が楽になるとともにそのような事も分かるようになる。
 すん、と鼻をひとつ啜る小さな音がして、ハルタさんは遂に顔まで伏せてしまった。

「だって、……あいつら、隊長になりたいって言ったんだ。二人ともおれなんかより長くモビーに居るし、きっとおれのこと蹴落とそうとしてんだって、……思って」
「今は?」
「……あんなに喚くことじゃなかった、って、後悔してる」

 巡り合わせだ。単に、時期がよくなかったのだ。誰にでも唐突にやってくる不調な時に、たまたまマイナス方面にも解釈できるような他者の言を聞いてしまったから。詳しくは聞いていないけれど最近元気がなかったというし、私が来航していない間にハルタさんの身に戦闘なり陣頭指揮なりで自信を喪失するような場面があったのかも知れない。まだ経験の浅いぶん、それはある種当然のことであると私からは言い切れるけれど、本人にとってはさぞ忸怩たる思いであろう(今は私の背後で無邪気にカードゲームに興じているエースさんとて、しばしば一人で黄昏ていらっしゃる事があるし)。百人近い隊を纏め上げるのだ、誰であろうと決して楽な仕事であるとは言わないだろう、ましてや歳若い彼である、与えられた隊長という肩書は誇らしくもあろうが時には耐えきれないほど重いものにも感じられよう。そのような折に、よりにもよって自分の隊の隊員から(どうやら彼よか古株であるらしいし)、単なる向上心の表れとはいえ現在の己の職分を脅かすやも知れない発言が飛び出し、気が気でなくなってしまったのだろう。本当に、誰が悪い訳でも無い――否、結局八つ当たりに走ってしまったらしいハルタさんは、少々反省すべきではあるけれども。

「お疲れ様、です。落ち込むのだって体力使いますよね」
「……」
「だいじょぶですよ、――なんて言っても根拠が無いように聞こえるやも知れませんけれど。誰も、頑張ってらっしゃるハルタさんの立ち位置を奪おうなんて考えてません」

 くりっと顔が再び私のほうを向いた。少し泣いたのか、涙袋が腫れている。無理もないが未だ私の言を信じ切れていないのがありありと分かる表情で、しかし何も言う事ができない体で此方を窺っているようだった。大したことを言ってやれるでもないので私のほうも若干の苦笑混じりに、腕を伸ばしてぽんぽんと頭を撫ぜてやる。さて、何と言ってやろうか。

 「ハルタさん、あのね――」と口を開いたのと、食堂入り口の真反対・厨房の扉が開いたのは同時であった。テーブルから身を起こして見れば、先刻諸用を申し付けた十二番隊員のお二人が、何やら手に手に山盛りのお菓子の乗ったトレイを抱えて此方へやってくるのが分かった。うん、確かにデザートせしめて来たらってあたし、言いましたけど。
 突っ伏すハルタさんの邪魔にならない程度に、しかし丸テーブルを覆い尽くさんばかりの勢いで供されたトレイの中身は、常の彼であれば大歓声を挙げて飛び付くような代物であるに違いなかった。「もう四番隊が出払っちまってて、慌てておれらで作ったんスよ」との隊員氏らの言に違わず、皿にこれでもかと重ねられたパンケーキは微笑ましい不格好さだった。食材管理の方には私から言っておく、と軽く両手を合わせれば彼らは頭を下げたのち、手前にて再び顔を伏せてしまった(忙しい人だ。しかしあの遣り取りの手前、部下に顔向けし辛い気持ちはわかる)彼らの隊長に、恐る恐る声を掛けるようだった。

「っあ、あの、ハルタ隊長っ」
「先ほどは、自分たちが考えなしでっ、隊長のご気分を害してしまって……その、本当に済みませんでしたっ!」

 テーブル脇に直立不動の彼らと異なり未だ着座している私には、ハルタさんがまた鼻を啜ったのが聞こえた。自分の八つ当たりなのに相手に謝らせてしまったとあっては顔も上げられたものではなかろう。私としても余計なフォローは却って宜しくないと分かるゆえに内心で声援を送ることしか出来ない。
どうしたものかと考えていたのだけれど、どうやらその心配は杞憂であるらしいことが分かった。心優しき部下諸兄の謝罪は、それだけに留まらなかったのだ。



「でもですね、あの、おれ達やっぱりアレを取り消すことは出来なくて」
「おれ達も、いつかは隊長になりたいんですっ――ハ、ハルタ隊長みたいな、っ」



 歯の根を鳴らして、息を詰まらせながら。あんたら乙女か、とオブザーバーの私が頬を緩めてしまいそうな様子にて彼らは、「隊長のようになりたいから」自分たちも隊長職を目指すのだと決意表明をしてのける。十も二十も年嵩であろう彼らが歳若い十二番隊長に向けるそれは、明らかな敬愛の情であった。さしものハルタ隊長もこれには堪らず、ついにがばっと身を起こした(一瞬パンケーキに意識を向けてから部下に目を転じたのを私は見てしまった)。
 己の力足らずゆえの部下の苦言かと思われていたそれが、実は己へのファンコールであったと知った彼の今の心情はかくや、といった処か。未だ一音も発せない様子で、段々と頬を紅潮させてゆくハルタさんはやはり少年らしさを残している。

「常々おれたち、十二番隊で良かったなって思っててっ……その、そりゃ勿論マルコ隊長とかジョズ隊長もカッコイイんスけど、何つーか、ハルタ隊長は違くて。隊でお世話になる中でっ、……その、メシ食う時も一緒ンなって肉の獲り合いしたりとか、おれらの部屋にしょっちゅう遊びに来て下さったりとかそういうのが凄く嬉しくてっ」「親しみやすいっつったら莫迦にしてるみたいに聞こえるかもですけど違うンす! 戦闘ン時だって横並びで戦ってくれる、間近で見てっとやっぱり隊長の剣さばきは本当格好良くt「うあああああああああもうやめろやめてくれええ!」

 己を讃える美辞麗句の数々に辛抱堪らなくなったハルタさんが半分椅子から立ち上がるようにして二人の口を塞いだ。一度口火を切ったら言い足りないのか不服そうな顔になる部下に「も、わかった、わかったから」と湯剥きしたトマトのように芯から顔を赤らめてしまったハルタさんに、最早数分前までの落胆の体は見て取れなかった。
基本的に各隊って隊長のファンクラブみたいなトコありますよね、と前々から思っていた私としては、「隊長になりたい」発言の辺りから何となくこの流れは予想出来ていた……などと今更言うのでは後出しジャンケンにも程があろうか。しかして最早この件に私が出来ることなど一つを除いて無くなってしまった。多分私が何もせずとも時間が解決していたろうとは思うけれど。良い隊長、良い部下を持てて良かったですね、といった処だ。
 八つ当たりを詫び感謝を述べる、ひとつ成長できたらしい十二番隊長の段々明るくなりゆく声色を心なし遠くに聞きつつ、最後の仕事――即ち出来たてのパンケーキに舌鼓を打つことに取り掛からんと、私は主賓より先にナイフとフォークを手に取りいそいそと食事の準備を始めるのだった。


・頑張ってる君に


//20101110(20160826 Rewrite!)


 予定調和気味であったとはいえ、日頃は快活にころころと笑ったり跳ねたりしている姿がそうでないというのが気がかりだったゆえ、ハルタさんが立ち直ってくれた事は私を多少なり安堵させた。身近な人には笑っていて貰いたい、それは至極当然の事であるから。幾ら情に薄いと謗られる私とて、その位願って罰は当たるまいと思うのだ。進んで誰かの不幸を願うような事まではしない私だった――不幸になると分かっている道に誰かを引き込む事だって、勿論本意ではない。
 だから、結局この部屋に入るなり今まで始終弱まる事すらしない、鋭くも切実なこの視線に振り向く事は出来ない。




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