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With Ice Witch(and 5th division commander)


*ビスベイ前提









 触れてみればわかることだが、”氷の魔女”は実はとてもあたたかい。

 てのひらを合わせて、きゅ、と握る。きれいに手入れされたささくれひとつない長い指先には、深い青と紫とで交互に包まれた形のいい爪が並んでいた。
 船長という立場上みずから武器を取ることもある彼女は、四肢を動かすに邪魔になりそうな宝飾品の類は付けない。ブレスレットや指輪などは、余程の非戦闘時にドレスアップする以外には持ち合わせないというのだ。だからこれはそんな彼女の、唯一の例外で精一杯の妥協なのであろう。

「ベイさん」
「ん、なァに?」
「綺麗ですね、それ」

 涼しげな水面を思わせる指先のそれは、ある一点を除いては無地。私の右手に絡む白い五指は左手のもの。私の側なら右から数えて四つめ、薬指に灯るそれ――冷たい青紫の中に咲いている紅薔薇のワンポイントを目で追って、感じたままを伝える。何を思って描き込んだしるしなのか、などと今更尋ねるのは野暮というものだろうか。

「お誕生日のお祝いですっけ。もっと良いものねだればよかったのに、それこそ指輪とか」
「やあよ、何処で失くしちゃうか分かんないじゃない。あの人も同じような事しつこく言ってきてさ、断んの大変だったんだから――」
「あは、やっぱり彼に入れて貰ったんですね」

 かまを掛けてみたら面白いくらいほいほいと乗っかってくださった。私の指摘に彼女は二つ名にそぐわぬほどの呆気に取られた表情にて数秒固まり、ややあってがくりと頭を垂れた。「ふ、不覚… ハメたね、あんた」と力無い声が私を糾弾する。心外だ、私からは誰の名前も出していやしないというのに。たとえば現在外出中らしくこの船に不在の某五番隊の隊長氏のそれなど、まったく。

「相変わらず仲の宜しいことで。肖りたいものです」
「そういう事は碌に恋愛のひとつもする気になってから仰いよ。……あら、コレ美味しいじゃない」
「でしょ? ”東の海”いちの海上レストランのお土産なんです」

 茶請けにと持参していたクグロフは、どうやら氷の魔女のお気に召したらしかった。「紹介してよ、今度遠出する時にでも寄るからさ」と早くも二切れ目を取り分けに掛かる彼女(甘いものには弱いのか。時折こうして不意打ちの可愛らしさを見せるのだから困りものなのだ)に、船を出すのに十分な情報を選って簡潔に伝える。手元にあった自分のぶんの一切れを口内に放り込み、濃い目に入れたアールグレイで流す。残る心地良い甘さを感じながら、意識して意地の悪い微笑を作り余計なひと言を付け加えて寄越した。

「各地の銘酒も色々と取り揃えておられるそうですから、”彼”もお喜びでしょうね」
「っ、……ちょっとアリス、あんた今日はえらく絡むじゃないのよ」
「やだあ気の所為ですよう! お幸せなお二人が羨ましい頻りだとか、そんなことはまったくまったく」
「だからさ、」

 ひとつの状況に固執せず話を割りきってしまう処に彼女の大人らしさを感じる。否、断じて私は単に餓鬼くさい嫉妬から彼女にこうして水を向けている訳ではないのだけれど。ただ、あまりに彼女が”お気付きでない”ご様子であることに、ほんの少し苛立っていたりするだけで。――この幸せ者め、程度の至って無邪気ないちゃもんなのである。
 私があまり手を付けていないのをいいことに、二切れ目のクグロフをかなり大幅に切り分けていらっしゃる魔女は、さも私を心配しているかのような呆れ混じりの表情にて、「あんただってその気になりゃ幾らでも相手が居るでしょうよ、ちょっとガード緩めなさいって」と右手に持ったままのフォークで私をぴっと指して来た。

「うーん、あたしはまだ暫く良いですよ、精々皆さまの幸せなお姿を眺めながら気長に待ちます」
「気長に待って数百年? ふん、逃す魚は大きいと思うけどねえ」

 魚というより鳥かしら、と物言いたげに溜息を吐く彼女の忠告には敢えて気付かなかったふりをする。フォークごと切り分けたクグロフの一口を食む彼女の肉感的な唇は、誰かの其れにとてもよく似ていた。今は私のことはいい。
 彼女ほどに顕著に反応して差し上げなかったのが不服らしく、魔女は続けて「こっちに来るたびに相談に付き合わされてんのよ。いい加減あいつが可哀想になって来ちゃって」などとその蠱惑的な唇を稚気めかして尖らせ、器用に片手でくるりとフォークを回し、柄の部分で私の鼻を小突いてきた。だから、私のことは今はいいというのに。

「あいつ、とは? 皆目見当も付きませんね、あたし如きの小娘をそうそう真剣に想い続けていらっしゃるとはその方もずいぶんと抒情深い殿方のようですけれど」
「……ンな事言うならもうちょっと余裕そうなカオしたらどうなの」

 再び指先を閃かせた彼女に、つんつんとやられる。顔を顰めて軽く首を振り、「それよか、ベイさん、本当にお気付きで無いんですか」と話を逸らそうと努めてみた。再び握り直したらしいフォークでクグロフを掬っていた彼女は、今度は怪訝そうに気だるげな瞼を見開く。

「何の話よ」
「折角こちらに来られたというのに、わざわざもう一方の客人なんぞと茶をしばくでもないでしょうに。もっと会って語らったり――何ぞを交わしたりすべきお相手がいらっしゃるのでは?」
「……居ない人間にゃ会えないでしょ」

 おや、正直。いい加減しつこい、とどやされることを覚悟していた私としては少々拍子抜けであった。しかし、今日この日に彼が船を空けている意味を、彼女は未だ悟れていない。イレギュラーの私と違い、白ひげ海賊団傘下の海賊団を率いる彼女は来航の折に必ず本船に伝達を寄越すのだから、隊長である彼が、恋人と会える時間をみすみす逃すようなことは本来無い筈なのに。先刻からちらちらと彼――ビスタさんの話題を振るたびに彼女が立腹しているような落胆しているような色を匂わせているのも、”事情”を知りさえすれば無駄なことであったと分かるだろう。
 砂糖とバター、洋酒をたっぷり用いられたクグロフを前にして尚、ポットから継ぎ足したアールグレイに無意識に落とされてゆく砂糖が一杯、二杯、三杯……あああ。あれでは味も何も分かったものではないだろう、否、端から今の彼女は平静を装いつつ相当に上の空なのかも知れない。さも自分は通常操業ですよ、という顔をしている時ほどこのようなタイプは何を考えているか分からない(もしくは驚くほど何も考えていない)。この船にもマルコさんという同じタイプの人間がいるのでこれは確実である。そういえばこの二人は顔もちょっと似ている。眠たげな瞼とか、肉厚の唇とか。

「……ぅわ。何これ、飲めたもんじゃないわよ。アリスのお茶ってこんな甘ったるかったっけ」
「いあ、それベイさんご自分でなさったんですってば」
「やあねえ、調子狂っちゃって。オヤジさんに挨拶したら帰っちゃおうかしら」



「――それは、困るな」



 何の能力を使ったのやら――否、植物を扱えるのは私だが――なんともタイミングのよいことに私とベイさんの眼前をすり抜けるように赤い花弁が一枚、舞い込んできた。二人して弾かれるように談話室の入り口を見遣ると、それまで私たちしか居ないと思われたこの場にもう一人、半端に開かれた扉に背を凭せるようにして立っている、”花剣”の異名を持つその人の姿を認めることが出来た。何ですかその格好良い登場の仕方。

「ベイ」
「……なにさ。遠征の報告が有るんだろう、こんな処で油売ってないで行ってきなよ」
「嗚呼、お前は今年も忘れてしまっているのか」

 居た堪れない。先ほどまでは曲がりなりにもポーカーフェイスを保たんとしていた彼女も、パートナーが現れた瞬間からそのような余裕を無くしていた(そのくせ、口利きだけは却って強くなっているのだから彼女もとんだ天の邪鬼だ)。こうなると単なる痴話喧嘩ではないか。「忘れるって、何をよ」との声もなんとなく覇気に欠ける。
しかし、部外者たる私ですら薄らと記憶にあるというのに、当事者の彼女がこのような重大な日を忘れているとはどういう了見なのだろう。いずれにせよそろそろ私は退出したほうが宜しい頃合いであることに違いない。そろそろとテーブルの上のティーセットなり何なりをすっかり彼に意識を遣ってしまっている彼女を尻目に(言うてもやっぱりバカップルですよ、あなたがた!)片づけているうちに、入口付近から漂っていたそれ――本物の生花の薔薇だった――の香りはほど近くまで届くようになっていた。

「これを」
「……何なのよ、いきなり」

 ビスタさんがベイさんに恭しく差し出した花束は、とてもその辺の宅配便や移動商船などでは手に入らないであろう豪奢なものであった。滴が滴っている新鮮な輝きからしても、事前に予約をしておいた上で当日に受け取りに行くのでなければこのようなプレゼントをすることは不可能であろう。海上というのは不便なものだ。しかし、その手間を惜しまないのが”花剣”という男性であった。ましてや、今日この日はお二人にとって大切な記念日でもあるのだから。
 ベイさんの優雅な手が、僅かに震えを見せながら花束を抱える。装飾の色が薄い清らな指先、本来ならば永遠の愛を誓う輪の嵌るであろう箇所に申し訳程度に咲くネイルアートと、青い包装紙から溢れんばかりに花弁を広げている大輪の紅薔薇は美しく映え合っていた。――このタイミングで席を立つのが良かろう。



「今日で、幾年目になられるので?」
「――!」



 立ち上がりざま、目線すら横に投げずに囁けば声もなく肩を跳ね上げた様子の彼女。漸く思い出したらしかった。「……本当に忘れられていたみたいだな、そこまで潔いと流石に悲しくなってしまうな」と苦笑したビスタさんが、テーブルを離れる私に軽く目礼を寄越す。さしずめ、二人にしてくれて有難う、という処か。今更知れた仲でもなかろう、と此方は軽く両眼を瞑ってみせるだけであとは振り返りもしない。
 二人が出会った日、などと言えばロマンチックに聞こえるけれど、所詮は海賊の所業。もう十数年前のことになるが、去る年のこの日、”氷の魔女”ホワイティ・ベイが率いる一団がこの白ひげ海賊団の傘下となった。陥落の際に主力となったのは”花剣”のビスタを擁する五番隊。殆どのクルーにおいては、”家族”が増えることを喜びぞすれ、よもやその日付などまでに注目する者はいやしないだろう。隊長格であろうと同じだった(大捜索の末に、「ビスタの奴、まさかオヤジの許可もなく外伐に行ってやがるんじゃ無ェだろうな」などと息巻き始めたマルコさんを先刻見咎めたばかりだったし)。だからこれは、あくまで内々での記念日だという訳だ。――知った風に語っているけれど、無論この「内々」に私は含まれて居やしないだろう。邪魔者はとっとと出ていくのが道理である。

 扉を後ろ手に閉めながら一度だけ、首だけを反転させてちらりと室内を覗き見たけれど、最早お二人とも私のことなど気にも留めていないご様子だった。
 相変わらず仲の宜しいことで。肖りたいものです。


・Lady and Gentleman


//20101101(20160824 Rewrite!)


 明日の朝には、あの艶やかな首筋にもう一つくらい花が咲いていることだろう。



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