text(op) | ナノ




With 4th division commander +α



「それでもやっぱり、おれは海に出てただろうな」

 グラスを傾けながら、さも当然のように彼はそう言ってのけた。ぶどう酒の表面が波打ち、いちばん高くのぼっている陽の光を照り返す。さながら、私たちを今も囲うこの海原のように。

 * * * 


 海賊はいい身分だ、昼間から酒を呑めるから――などと言っていたのは確か、四皇の誰ぞや赤い髪をした男であっただろうか。こと何かにつけて、とにかく海の男は宴を催したがる。何もない時ですら何もないことを理由に乾杯するのだから、却って見事だと思ってしまう。
 次の島に着くまでにはまだ数日かかるというので、各々の仕事を終えたクルー達は各々自由な時間を過ごしていた。戦闘訓練を終えて船長室へ挨拶に赴いた私も特に急務がなくなってしまい、取り敢えず一度自船へ戻ろうかと思ったところで件の二人組――四番隊隊長のサッチさんと、二番隊の古株クルーであるマーシャル=D=ティーチ氏に呼び止められ、なし崩しに酒宴に相伴預かることになり今に至っている。彼らは私が此方に来航するようになる頃には既にモビーディック号におり、十数年来の親友として自他ともに認めるほどの仲の良さを持っていた。職分や隊の違いなど何のそので(否、この船に乗っている限りはこの二人以外とて同じようなものであるだろうが。何たって彼らの括りは”家族”なのだから)事あるごとにこうして二人して酒を酌み交わしている様子はいつやって来ても変わらないもので、きっと次に立ち寄った折にも同じなのだろうと思わずにはいられない。

「ご無沙汰してます、ティーチさん」
「あァ、こないだお前が来た時ァ二番隊が丁度出てたんだよな」
「その節はご挨拶も出来ませんで失礼しました。でも、息災でいらっしゃるようで何よりです」

 ちなみに彼らは、私を呼び止めはするもののいつも「座れよ」などという促しは掛けない。酒に付き合うなら座ればよし、立ち去るのなら自分たち二人で呑むからよし、ということなのだろうか。恰幅の良すぎるほどに大柄な此方の彼とは久しく会っていなかったゆえ、少しお喋りでもしてゆこうかと邪魔にならない場所に腰を下ろした。デッキの板張りに直接座りこんで酒を呑むなど、”聖地”で暮らしている折にはなかなか経験できないことである(このあいだ、ついモビーに居る時の癖で執務室の隅にしゃがみ込んでいたら給仕の天竜人が血相を変えて飛んできたことがあった。逆にこのように細やかな気を遣って頂けるようなことは、この船では一切ない。双方それぞれに居心地のよさがあるものだ)。
 私の分を計上していたのでもあるまいに、新たな杯が横から突き出される。見れば、先程私とティーチさんが話している傍らで、佳肴にしていたらしい牛の干肉を只管貪っていた(ふたり共通の好物だった筈だ。独り占めできるチャンスだと思ったのかも知れない)サッチさんが私へ酒を寄越してくれていた。有難く頂戴し、ひとくち含む。透明からやや黄色みがかった甘露は、それがそれなりの年月を経て熟成された代物であることを示している。不快感を感じない程度にきんと冷やされた白ワインは格別に美味である。――私は溜息を付いた。美酒に酔いしれたから、などという理由では勿論なく、

「……なんでこれが今・この時間に・この場に出てきてるんですか」
「ゼハハハハ! 堅ェ事言うなよアリス、楽しく呑めりゃァそれで良いじゃねェか」
「あたしはちゃんと厨房責任者に言付けてからコレ、鍵付き冷蔵庫に入れて来た筈ですよ」
「ん、おれはちゃんと厨房責任者にそれを聞いて、鍵付き冷蔵庫から出して来た訳ですよ」

 この野郎。
 四番隊隊長氏の言葉遊びに尚更愉快げにするティーチさんの笑い声を背景に、私は自棄になってコップの中身――私が土産にと持参した”世界貴族”御用達の高級ワインを味わうことにしたのだった。あと数本あった筈だし、そもそもが隊長会議の折にでもひっそり少人数で楽しんでほしいという目的であったので、一本くらいならさしたる問題でもないだろう。

「おれとティーチで二本ずつ呑んだから、最後の一本はお前が呑んどけよ」



 ――。



「お前ら、ビスタ何処行ったか知らねェか、……何してやがんだい、サッチ」
「いだだだだだだ悪かったって反省してるって! 流石におれの業界でもこれはご褒美にはなんねェって!」

 先刻ジョズさんには阻まれてしまった茨の鞭も、ひとが折角持ってきて差し上げた銘酒でほろ酔いになっている此方の隊長氏をふん縛る位なら遺憾なく効果を発揮した。殿方を拘束したところで何も誰も得るものなどないように思う。いっそご自慢のリーゼントでも捩じ切ってやれば、いま此方に通りすがったマルコさんを始めクルーの方々に笑いを提供出来たりするのだろうか。泣かれそうなのでしないが。能力の無駄遣いにも程があるので、飽きた頃に解放してやった。結局よくわからないSMショウを目の当たりにしただけとなってしまったマルコさんは不可解なものを見る目をして去って行かれた。
 「良い格好だなァ、サッチ」と今もコップ片手に豪快に笑っていらっしゃるティーチさんになぜ同様の目を見せないのかといえば答えは簡単で、彼の巨体をどうこうしようとするにはそれだけの蔦が要り、それが単純に面倒だったからだ。難を逃れた親友を恨めしげに見上げ、力無い腕を伸ばして縋ろうとする姿も、それを体格に見合わぬ俊敏さで以てすげなく交わしてしまう相手の姿も、やはりどこか諧謔を覗かせるものである。このやり取りを楽しんでいる節があるからであろう。無論、私も例外ではないけれど。

 * * * 


 既に隊長会議で楽しむのにすら足らない量になってしまったワインは仕方なく、三人で秘密裏に分けあうことにした。私がすでにコップ一杯ぶん減らしていたせいか、皮肉にも三等分したところで丁度ボトルは空になった。懲りたのだかそうでないのだかさっぱり分からない様子でサッチさんがコップを掲げるので、ついつられて乾杯なぞしてしまう。しまった、私としたことがノせられてしまうとは。示し合わせた訳でもないのに三人同じタイミングでコップを傾け、一時のあいだ、座を沈黙が支配した。天使が通る、とか何とか言うのだったっけ。
 「うん、美味ェな」というティーチさんの賛辞に何とは無く頷く隊長氏の様子に、私はふと先刻――終ぞ私がお二人の酒宴に招かれるよりも僅かに前、些細ではあるが気にかかったことを思い出した。本当に意味もなく、雑談の種にでもなれば程度で口を開く。

「そういあ、お二方。先刻は何を話しておられたので?」
「んっ……ぁア、何だっけ。忘れちまったぜ」
「おれもだ。さっきって、お前引き止める前だろ――あ、アレか」

 記憶があやふやなのにも無理はない。ご機嫌で私を引きとめた時点で、彼らは既に出来上がっていたのであろうから(私がクルーの皆さんへと持参してきた酒全てで以て!)。が、僅かでも思い出す努力をしてくださったらしいサッチさんは何をか思い出した様子で、しかしそう面白い話を語るような口ぶりでも無く、常の様子で私に答えを返してくれた。

「ただの妄想よ。今となっちゃあ考えらんねェ事だけど、もしおれらがオヤジの息子じゃなかったら――もっと言やァ海賊じゃなかったら、何してたんだろうなって」

 成程。
 “オヤジ”たる船長に文字通り海より広く深い愛情で以て包み込まれている”息子”らには現状ナンセンスでしかない仮定なのかも知れなかったが、酒の肴にするには「もしも」話は定番であろう。無邪気なおじさんたちの遊びか、とそれ以上を生きていつつ敢えてそう結論づけてやった。「お答えが気になります。どのように答えられたので?」

「それがなかなか難しくてよ。なんせおれ達ァ海賊になるべくしてなったようなもんだからな」
「確かに、こうしていらっしゃる以外のお二方の図は想像し難いかも知れません。――例えばほら、マルコさんとかなら、陸の学校の先生なんかも勤まりそうじゃないですか?」
「おっ、言えてる。粗相した連中並べてカミナリ落としてる処なんて相当堂に入ってやがるしな」
「そうかァ? アレぁ先生ってより母ちゃんだろう、ゼハハハハ!」

 言い得て妙だ。用事があるのだろうが見つからないらしい五番隊隊長を探して甲板内を歩き回っている途中にも後ろから末っ子隊長に飛び付かれたり何だりと忙しいモビーディックの”母”の姿に三人でひとしきり笑う。正午になろうか、陽は、いま一日でいちばん高い位置にのぼっているようだった。
 こんな他愛ない雑談の供にしていいようなものではなかったはずの白ぶどう酒も、あまりにだらだらとした空気と温かい外気にさらされてすっかり微温ってしまっている。ま、いいか。笑い疲れた喉をうるおし、最も考えられ得るであろう予想を口にした。

「サッチさんなら、ほら、料理の道を究めるとか」
「あー、……うーん、確かにそれはアリだったのかも、な。港の近くに店構えて、海賊だろうが海軍だろうがお構いなしに歓迎してやって――うん、騒ぎが起きりゃあおれが自ら腕尽くで鎮めてやって」
「あっは、”戦うコックさん”ですか! 何処かで聞いたことがあります」

 それなら想像に難くない。きっと店長であるサッチさんの他にも海賊上がりかと疑うほどの屈強な料理人が揃っていて、店内の平穏を乱すようなことがあれば総出でそれを止めるのだろう――なんだか、敵襲の時みたいだ。港の近く、だなんてロケーションを限定していたことだし、やはり発想は海賊であることから離れられないのかも知れなかった。夢に生涯を懸けている男たちはこれだから。
「サッチ、お前よぉ、そんな大人しい生活に収まってられるタマかよ」と早々コップの中身を空にしているティーチさんは訳知りげににやついている。私としては”戦うコックさん”が大人しい生活かどうかは判断しかねるところであった。親友の言葉を受けてサッチさんも「莫っ迦、おれだってこれでも料理にはそれなりに愛着持ってやってんだっての」と返しつつ未だ何か言いたげに目を細めており、――そして、ややあって「そうだな、」と独りごちたのち、少々の照れ笑いと共にこう言った。



「ま、――それでもやっぱり、おれは海に出てただろうな」



 こんなに広い世界を知ってしまってからじゃあ、とても陸に留まっていることなど出来やしない。そう言って彼は背を凭れていた柵越しに、波も穏やかな広大な水面に目を遣った。日常のものとはいえ潮風はいつも心地良く、白昼堂々の飲酒で火照り始めた頬をも優しく撫で冷やしてくれるよう。

「オールブルーを探して、かァ?」
「それもまあ、あるけどよ。……”楽園”のほうにある何ちゃらって水上レストラン、アレよかもっと大きな船を買ってよ、たまに通りかかる海賊や何かにメシを食わせながらゆっくり世界を見て回る」

 サッチさんの顔はこちらに戻ってこない。ずっと水平線を眺めたまま、ゆっくりとした口調でありながらどこか上気しているように聞こえるのはアルコールの所為であろう(彼はそんなに酒が強いほうではないので)。私もティーチさんも夢物語は嫌いじゃない。酒の席であるなら尚更だった。「”新世界”にも行かれるんですか?」

「当然。…島に降りる時には街でいちばん混んでる料理屋に行って、主人と対決する。その土地のレシピだの食材だのをありったけ船に積んで――嗚呼、あともちろん酒もな――それから、もう十分だっつう位になるまで海を離れない」

 つい数十分前に私の戒めによって乱されたばかりのご自慢の髪をちりちりと弄りながら、彼はご機嫌なようだった。口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。だいぶん酔いが進んでいるのかも知れない。気分よく酒が呑めるのはよいことだった。彼は尚も続ける。

「……して、航海にも満足できたら――出来んのかは謎だけどな――どっかの島でもひとつ買い取って、『すべての海の味が此処で味わえます』なんて触れ込みで島ごとレストランにしちまうんだ。壮大な夢だろ? 島ン中で酒も造るから、そこはティーチに任せる。して、――あと、アリスが事務とか経理な、頼むぜ」
「……あたしだけえらく現実的な職務を頂けるんですね」

 私の突っ込みが入りうまくオチが付いたところで、彼は漸く顔を此方へ戻した。彼らしいと言えば彼らしい、夢と好奇心と少々の茶目っ気が見える展望を聞き、そうであったとしても面白かったかも知れない、と素直に思う。
「ひどいですよね、あたしたちだってもっと華やかな余生を送りたいですよ」と傍らに話を振って、おや、と思う。ティーチさんはなぜか驚いたような表情をしていた。



「――おれも、一緒なのか」



 今度は私とサッチさんがきょとんとする番だった。サッチさんの夢物語――現実でない、”そうであったかもしれない”将来に、親友たる彼が存在していないとでも考えていたというのか。それくらい、自然に聞こえる問いだった。いつものように親しげな笑顔ではあったけれど、心なしか戸惑いがあるように感じられる。この二人ほどに親しげな関係を持つ訳でもない私とて、今この話に自分が交えられていることには露ほども疑問を持っていなかったというのに、この人はどうして自分の存在が彼の中にいないことを前提にしてしまっているのだろうか。
 「莫迦、当然だろーが!」と既にそちらも空になっていたらしいコップで殴られてしまおうと仕方がないことだった。親友を窘めてのちそのコップを置いたサッチさんは、僅かに酔いが醒めた様子で、何ともないような調子で続ける。

「海賊じゃなかったらおれから離れられるとでも思ってたのかよ、もとよりお前は頭数に入ってるっつーのに。考えてみろよティーチ、折角イイ酒積んだって、一緒に呑む奴が居ねェと始まんねェだろうが」
「……何でェ、おれァ賑やかしか」
「名目は何だって構やしねェさ、兎に角お前にゃおれの船で働いて貰うから覚悟しとけって事だよ」

 真面目ぶった台詞を言い終わるや否や、耐えきれなかったのか二人の笑い声が爆ぜるように響いて混じり合う。そこで二人の”シリアスごっこ”なる寸劇が終わったことを知った。どこからが本気でどこからが軽口であるか、(あるいはすべて本当なのか、嘘か)それはやはり肝心なところで一歩彼らとは離れている私には把握しかねたが、きっとサッチさんとティーチさんお二人には全部分かっているのだろう。先の話がもし現実になって、彼の船にたとえ私がいない未来があったとしても、親友の姿がそこにないなどという未来は存在しないのだろう。そう考えると少し、否多分に、この二人の繋がりが羨ましく思えた。

「ただ食って呑んでの船旅じゃ面白くねェな! サッチ、こういうのはどうだ、通りがかった船の厨房係と勝負して勝ったら積荷を全部貰う、負けたら…仕方ねェから違うもんで勝負して積荷を全部貰う」
「違うもんって?」
「そりゃまァ、力だな」
「ぶっ、お前それ結局海賊じゃねェか! ……でもま、そのほうが楽しそうだな」
「おれ達ァ結局そうなる定めなのさ、ゼハハハハハ!」

 心地良く空へ抜ける哄笑はどこまでも快活で、話の流れこそ褒められたものではなかったにしろ、私にはこの空気が否応なく好ましく思えた。そのうち肩でも組んで歌いだしそうな位、何とはなしに楽しそうな二人には何も告げず席を立った。私が彼らの酒宴からお暇するときはいつもこうして、抜けて良いだろう頃合いを見計らって前触れなく消えることにしている。彼らもそれで気にしないので、これが我々なりのやり方なのだ。
 もうコップの空いて久しいだろうに、残ったアルコールの余韻と少しの肴だけを共に、振り返った先の二人は尚も楽しそうに駄弁りに耽っていた。絶対に身になるような話はしていないと分かるのに、私も・他のクルーも、つい彼らの話に耳を傾けたくなる。そして腹を抱えて笑うのだ。

 ずっと彼らは彼らのまま、この船で笑っているのだろう。そうであって欲しい。
 たとえ場所を違えようと、たとえ立場を違えようと、ずっと友としてあって欲しい。

 どちらが火種になったのか分からないけれど、また煩いほどに高らかに沸いた笑い声に、私が願うまでもないことでしたか、と軽く肩を竦めた。


・それは明日も、その先も


//20101024(20160823 Rewrite!)


 永遠を信じることなんてとうに出来なくなっていたはずだったのに、
 何故だかあの時はそう思い込むことが出来ていた。それほど絆は強固だった。
 はずだったのに、



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