text(op) | ナノ




一番お姫様はだあれ?


*固定ヒロイン、恋人設定


 甲板に張り出されたビニールプールは、日頃から働き詰めで羽を伸ばす機会のないナース達への潤いを提供するものであり、更にはその姿を拝むことで男共への潤いをも提供するものなのだ、とさも事も無げにアリスは言ってのけた。それに関しては何ら異を唱えようとは思わない。前々からナース達に告知はしてあったのだろう、前回の上陸の際に買っておいたのであろう水着を各々着こなして水と戯れる姿は疾しい理由でなしに微笑ましいものであるし、手を触れない・撮影しないという鉄の掟を事前にアリスから叩きこまれている船員たちは彼女らが不快にならない程度に適宜雑談などして楽しんでいるようだし。(四番隊からのドリンクの差し入れが平時の数十倍の頻度に及んでいることについては、まあ目を瞑るとしよう)
 息子・娘らが楽しそうだということで当然ながらオヤジの機嫌もいい。空は晴天。絶好の海水浴日和なのだろう。

「写真撮りますよー、皆さんこっち向いてピース、はいっ」
「アリス! おれたちは駄目なのにお前が写真撮るのはいいのかよ!」
「愚問ですよエースさん、またお説教されたいですか」
「いえ滅相も御座いません」

 外野で拗ねるエース始め二番隊隊員を軽くあしらいながら写真機片手に笑うアリス。その格好は常の通りに露出を厭うロングスカート。尚も不平不満を言い足りない顔で並んで唇を尖らせている若い衆のように遠慮なく物を言えるような立場であるなら、俺だってこの数時間ずっと気に掛かっていることを尋ねるのに。
 期待していた訳ではない。が、実際こうも現実を見せられると、その、少々がっかりしたり、してしまうではないか。なあアリス、どうしてお前だけ水着を着ていないんだ?


 * * * 



「監視員もラクじゃないですね。――あ、どうも。恐れ入ります」

 念が通じでもしたのか(だとすれば相当情けないことだが)アリスが此方へやって来た。サッチから渡されたグラスを受け取り、当然のように俺の隣に腰を下ろす。まあ、当然だが。更にこの距離から数枚、未だ楽しげな歓声の止まぬ方へとシャッターを切った。

「アリス」
「? どうかなさいましたか、マルコさん」
「お前は泳がないのか?」
「何を仰いますやら! あたし、能力者ですよ? 溺れちゃいます」

 ストレートに聞くのは気恥ずかしい、という遠慮が良くなかった。アリスが能力者であることは百も承知。そんな事を聞きたい訳ではない。そもそもビニールプール程度の水位で行われる行水に能力者も何も関係ない気はするが、兎も角。

「っはは、アリス察してやれよ、コイツ、お前が水着じゃねぇから落ち込んでんだよ」
「はあ? 莫迦みてェなこと言ってんじゃねぇよい」
「あたしが、ですか?」

 俺の肩に無遠慮に腕を回してサッチが余計なことを告げ口しやがった。その「莫迦みてェなこと」を考えているのは誰かというと俺だが。聞きようによっては好感度を下げかねない内容であったにもかかわらずアリスは至極いつもどおりの呑気さで、グラスを傾けながら平然と返してくる。

「麗しいお嬢さんがたがあちらで水遊びに興じている、それだけで十分でしょう。あたしなどが加わる必要はありませんよ」
「必要、って、お前」

 何を気にしているというのか。アリスは時々このように、他の女性陣に比べて自分を下に置いているような発言をすることがあった。それは決してこれ見よがしな卑下や謙遜ではなく、自分は寧ろ美しい女性を保護し愛でる立場であるのだ、と日頃から主張している姿は確かに異を唱えるべきものではない筈だ。まるで自分自身がそのような扱いを受ける対象でないと思っているかのようなその態度は、此方としては少々もどかしいものが無いではなかったけれど。
 
「別に貧乳は昨日今日始まったことじゃねぇんだし、ちょっとくらいこのオッサンにサービスしてやれよ」
「……今、何と仰いました?」
「え゛、ちょっとアリスさん目ぇ怖っ…… おい、フォローしろよマルコ、おれァお前の為に言ってやってんだぜ」
「おいお前らちょっとプール動かせ、リーゼントが飛んでくからよい」
「うわあまさかの裏切り? お兄さん悲しいな――ぎゃあああああああ!」

 高い水柱が上がって甲板内に小さく虹が出来た。プールを移動させてやる必要はなかったな、落とされたのは海だったから。

 * * * 


 いつも考えていたことではあった。
 上陸の度に華やかに着飾って船を降りて行くナースたちを心の底からにこやかに見送る姿や、モビーに来訪するたびに各地で見繕って来たと思しき様々な宝飾品を惜しげもなく彼女らや傘下の女海賊にプレゼントしてやる姿を見るにつけ、言い方は少々ぞんざいになるが、お前は・お前自身はそれでいいのか、と言いたくなる衝動に駆られる。よくしてくれるお礼に、と言って逆にナースたちのほうから贈り物をされる姿も時折見かけるが、アリスはその度に丁重すぎるほどの腰の低さで恐縮しきってそれを受け取るのだった(決して固辞しないところが、律儀なアリスらしいといえばそうだった)。

 アリスが来航するようになって暫く――もう10年近く経つが、俺は今でも適切な扱いを見定めきれていない。もっと大手を振って皆に、俺とこいつは好き合っているのだと言えるような若さがあるなら、それにあかせて手放しに可愛がったりも出来ただろうに。それこそ、今アリスが他の女にして喜んでいるように、アクセサリーの一つ・洋服の一着でも贈って俺の好みに飾り立てて思い切り褒めそやしたり。ほら、こうして思考上にも上らせないように意識していたのに、一度はっきり願望を形にしてしまうと今度はどうしてもそうしたくてたまらなくなる。
 アリスについて、今更の餓鬼めいた感情を抱くことはそう珍しいことでなく、それを紛らわせるのには決まっていつもグラス一杯の酒と、夜風を必要とした。部屋の明かりを消して夜の船室を出る。昼間はクルーの歓声で賑やかだった廊下も、今はしんと静まり返っている。甲板も同じような様相だろう。

 そう思っていたから、開いた扉の向こうに、水を抜いて片づけた筈の大きな楕円形の影を見たときには驚いた。この海で「非現実的」などという言葉はナンセンス極まりないことは承知していたが、いったい何者が水遊びなど、と訝しんでしまう。
 指先に小さな青い炎を灯して、視界を明るくする。ややあってはっきりしだした輪郭が描いたのは、プールの縁に腰を下ろして、星の少ない深夜の空を見上げる華奢な後ろ姿。飾り気の少ないワンピースタイプの水着は純白で、然程大きく開けていない背は彼女が意識して露出を厭うていることを示していた。アリスだ。誰も見るものがいないと判断してこの時間を選んだのだろう、終ぞ昼間は拝むことが出来なかった姿で、平時より幾分かリラックスした様子で足先だけを水と戯れさせているようだった。
 


「――監視員不在で水泳とは感心しないねい、アリス」
「おおぉっ?! ……と、吃驚した、貴方でしたか」



 声色ほどには大仰なリアクションを見せず上体だけ此方に振り向いたアリスは、悪戯を見つかった子どものような少々照れ臭そうな微笑を浮かべていた。同時に、此方を咎めるような・困ったようなニュアンスも漂わせて。歩んでくる足音で俺の存在は察知していたのかも知れなかった。背後に寄り添うように立てば、アリスは座った姿勢から当然のように凭れ掛ってくる。まあ、当然だが。両腕を回して抱え込むようにすると、湿った感触がジャケットの腕を濡らした。姿勢を屈めて低い位置にある頭に・その柔らかい髪に顎を沈める。常のアリスの香りに、水の匂いが混じる。

「綺麗だ。昼間に見られりゃあもっと良かったんだが」
「お上手ですね、……けれど、見せて誰が得するでもありませんから」
「誰が得する、だって? おれに対してよく言えたもんだ」
「いいんですよ、あたしは」

 ずっと頭に何か乗っている感覚がくすぐったいのか、アリスが身動ぎするのを許さず抱き締めている腕に力を篭める。鳥だけに鳥目、などと下らないことを言うつもりはないが、しかしこの薄暗さではアリスの折角の常にない格好も克明には見えないことは事実だった。今度は是非俺の部屋で、などと後で言ってみようか。 
 
「何に対してそんなに引け目を持ってんだか知らねぇが、他でもねぇおれが言ってんだから、もっと華やかにしてみてもいいだろい。……あー、でも、そうなったらまた要らん虫の心配をすることになるのか」
「あはは、結局どっちなんですか」

 やや肉付きのよい(言ってしまえば少々幼児体型の気のある)アリスの足が、白い足の甲が、遠くへ水を跳ね上げる。飛沫がきらきら光るのが見えた。苦笑には困惑が見て取れた。たまに考えをそのまま垂れ流すとこういう風になってしまうからいけない。いい大人が情けない。結局は恋人を思い切りお姫様扱いしてやりたい、それだけの願望なのに。

「きれいなひとがますますきれいになるのを見ているのが好きなんです。着飾るって意味だけじゃなくて、例えばすごく楽しそうに笑っている時とか。だから喜んで頂きたくなりますし、そのためならあたしは黒子でいっこうに構わないんです」

 なあ、アリス。気付いているか?
 それは本来、男が恋人に対して抱くような感情であって、――とどのつまり、俺がお前に対して長年滔々とそうしたいと思っている欲求であるということに。



「共通認識が出来ているようで安心した」
「へ? なんのことですか」
「そんじゃ、お前も今後はしっかりおれに飾られるように」


 
 少々強引に顎を掴んで顔を此方に向ける。唐突に落としてやった口付けに声もないアリスの表情は、この至近距離だ、無論鮮明に映った。俺の綺麗なアリスが、ますます綺麗になる瞬間。混乱した彼女が騒ぎ出す前に、勝手ながら踵を返した。
 水着、また着てくれって言うの忘れたな。まあ、俺から言わずとも物分かりのいいアリスなら、もうあと一時間もすれば部屋にやってくるだろうけれど。


・一番お姫様はだあれ?


//20100908(20160821 Rewrite!)


 綺麗なお姫様たちが集う舞踏会で、楽しそうにピアノを弾く侍女。
 ひとりくらい、そちらに目が行く物好きだって居ていいと思わないか?


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