text (風紀巫女SS) | ナノ
逆チョコの話


「……むぅ、何故こんなに苦くなるのだ」

「さァな。オレよォ、正直今日初めてココアって元は甘くねェんだって知ったんだよな」
「兄弟もかね! 奇遇だ、僕もだ。いつも白雪が作ってくれるココアは甘いからてっきり元から甘いものだとばかり」
「ちょいちょい惚気混ぜてくるの止めてくんねェか…つーか実際どうすんだよこれ、マジで食えるモンに仕上がるんだろうな」
「まさか生クリームも元は甘くないなどと…製菓の経験などついぞ無かった身としては裏切られたような思いだぞ」

 健康的な体躯を持つ高校生男児が一名、どう見ても割烹着です本当に以下略という意匠にて。そしてその傍らには高校生男児の平均身長を軽く凌駕する精悍なフォルムに、周囲に漂うチョコレート・フレーバーのまっこと似合わない改造・刺繍の所謂DQNデコレーション完備の長ランをお召しの若きアウトローが。
 陣取るは、調理室。寄宿舎の食堂のほうが本格的な調理器具が揃っていることは両名知っていつつも、そちらで「このような行為」に及んでいるところをもし万が一億が一、平生から食堂内厨房を愛用している「彼女」や「彼」――即ちこのたびのターゲットであるところの二人――に発見されでもしたら。男が廃るとか廃らないとかという話ではない。単純に、恥ずかしすぎる。そのような理由であった。

 と、いうか。単に石丸清多夏にも大和田紋土にも、食堂の厨房に堂々並んでいるような上等な調理施設を使いこなせる自信がなかっただけだとも言えるのだけれど。
 ふつうの男子高校生は家庭科の調理実習ででもない限り滅多に料理なぞしないものなのである。男子厨房になんとやら、なんぞという古式ゆかしき教えがある訳ではなく、ただただ縁がないというだけである。

 男子の味覚で選んだらしかったビターチョコレート(せめてカカオがあと20パーセントほど低い配合であればよかったかもしれない)を見よう見まね――という調理担当者の自己申告だ――で湯煎し、取りあえず目に付いたものを購入した生クリームを混ぜなんとなく固まったものを雰囲気でこねてみた結果見た目だけはそれっぽいような気がしないでもない、ていで仕上がってしまったトリュフチョコレート――もどき、が、白い大皿に整然と並んでいる。
 一粒取り上げて、大和田が今更ながらの意外そうな視線を石丸へ投げて寄越す。

「兄弟のことだからこんなんもカンペキにこなすもんだと思ってたぜ」
「他の級友諸君からそのような買い被りを受けることは先ず無いぞ……彼らの見立て通り、僕に出来ることなど実は些細なものなのだがね」
「あァ? そうでも無ェだろ。アホかってくらい勉強も出来るしよ、よくいるモヤシ野郎たァ違って運動も出来ンじゃねェか。それだけでオメーよぉ、オレらみてェな半端モンからしたら嫌味なくれェ“デキる”ように見えンだぜ?」
「何を言うッ! 兄弟は僕が認めた男の中の男なのだぞッ、断じて半端者などでh「ああああオレの話はいンだよこれ以上オメーと絆深めてどうすんだっつの! じゃなくてよォ……」

 事の発端は、来月に控えたとある年中行事――某お菓子会社の販売戦略に緒を発するという定説も随分と浸透してきた現代においてもやはり若者らに無視されるなどということは無い、その日――の、あまりにも早すぎる先取りであった。
 彼女に贈り物をしたいので早いうちに練習をしておきたいのだ、と気合の入った割烹着姿で意気揚々と現れた「兄弟」を見たときには、さしもの大和田も「オメーほんと時々アタマオカシイよな」と本音が零れてしまったものである。ついでに自分も仕上げの方で適当に手伝えば、日頃から何かと世話になっている友人たる純情可憐女子力MAXの某マブダチ(だが、男だ――)を驚かせるくらいは出来るやも知れない――敢えてこの時期、というのが深い意味を思わせず済むだろう。彼にとっても、己にとっても――という少しの利己心と、あとは無論たっぷりの義侠心で以て大人しく調理室まで着いてきたはいいものの、先ほどからどうにも違和感が拭えないでいる。


 兄弟は――石丸清多夏は、元来非常に出来のいい男なのである。
 日頃の弛まぬ努力により培われた学力はブレのない確かなものであり、適度な鍛錬と健康な生活習慣の自律により健全かつ壮健に保たれた肉体もまた、己と比較しても僅かと劣らぬ均整のとれた逞しいそれである。本人は常日頃から己は凡人の器でしかあり得ないと謙虚な心を忘れていないが、少なくとも大和田は、彼についてもともと持ち合わせる能力自体もそれなりに高水準なのではないかと読んでいる。其処に加えて本人の持つ意志の強さが妥協なき努力を可能にした結果、今の彼――どうにも周囲からはそのキャラクタが災いして「賢いチンパンジー」「無駄にハイスペック」という程度の認識しか得られていないようではあるけれども――が存在し得ているのだ、と。

 つまり、何が言いたいのかというと。まだるっこしい事を何より嫌う大和田は、この現状が不可解過ぎて気持ち悪くて堪らない。


「……なァ、兄弟」
「む? なんだね兄弟」



「オメーよォ、……なんでわざと拙く作ってやがるんだよ」



 ただの不器用であるのであれば、この大皿に並べられたトリュフチョコレートがひとつひとつ歪な大きさでないことがそもそも不自然だ。無知ぶりが残念だというのであれば、いま彼が繊細な手つきで振るっているパウダーシュガーは何だと言うのか。料理音痴だというのであれば、何故彼は「湯煎」などというおおよそ基本的に製菓でしか用いないような技術を事前に知り得ていたというのか?
 材料を拡げたときから、可笑しいと思っていた。菓子作りなど少しの心得もない、と言いながら取り出したものに足りないもの――甘いチョコレート――はあっても無駄なものは一つも無かった。それから着実に行程を踏み調理を進めていくうえで、彼のほうから「しまった、甘くないぞッ?!」という頓狂な声が挙がるまで、己はついぞ彼の手際に迷いを見ることは無かった。順調の一途だと思っていたのだ。つまり、少なくとも彼は今回の製菓の手順を把握してきている。だとしたら――下調べがあったのだとしたなら、何故に石丸は普通のミルクチョコレートを選んで来なかったのだろう。
 男子の味覚で選んできたのだ、などという彼の発言を普通に聞き流していたが、よくよく考えればたとえ男子であったとてカカオ99%などというゲテモノめいた苦みのチョコレートを好む者は少ないのだ。普通の男子代表とも言うべき苗木などがそのような手合いのものを好まないところを見ればよく分かる。つまり、敢えてそれを選ぼうとでも思わない限り、こんなにも出来上がりが苦くなりすぎることは無いのである。

「有栖川の好み、って訳でも無ェんだろうが。……別に怒ってるとかじゃねーんだけどよォ、兄弟が考えなしにこんな事すっとも思えねェし」
「……ふむ」

 言葉尻はもやもやと口内に逃げて行った。先刻ひとつ味見をした際から消えないカカオ99%の後を引く重さ苦さが、今更になって甦ってくるようだ。
 眼前の石丸は――割烹着姿なのがどうにもこの微妙な空気とのミスマッチを生んで仕方ないのだが――暫く真顔にて静止したのち、ややあって快活にからからと笑いだした。

「ハッハッハ、流石は兄弟! 僕のことなどすべてお見通しなのだな!」
「いやわかんねーから聞いてンだっての、実際どういう心算でいやがンだ? オレとしちゃ不二咲のヤローにくれてやる当てが外れてちっとばかし残念なんだけどよ」

「仕方ないのだ、……その、見極めているのだから」

「……あァ?」

 自分でも仕上がりが気になったらしく、平生は白墨や勉強道具各種を伴っていることが常である長い指を伸べてチョコレートをひとつつまみ上げながら、特に悪びれた様子も無く風紀委員は続ける。


「どの程度の隙であれば、許容され得るか。やり過ぎは宜しくないと先日霧切くんに叱られてしまったからな――あまり変なものを白雪の口に入れさせる訳にはいかない、しかしながら完璧に作り過ぎるのもまたよくない。と考えていたところ、やはり作業工程には齟齬を生じさせないほうが良いという結論に達したのだ。となると味付けくらいにしか手を入れられないではないか」

「……は?」
「なに、ただ苦いだけで普通の食物であるのだから支障は無いだろう。本番はもっと上等な材料を使わねば彼女に申し訳が立たないけれどな」


 信じたくなかった。が、どうやら確信犯であるらしかった。
 それはあくまで巧妙に。すべてを駄目にするのではなく一部分だけを敢えて駄目にすることで、自分の間違いを明確に有栖川へと示そうというのだ。何のために?――残念ながら、それを理解できないと言うには、大和田はあまりにこの「兄弟」のことを深く知り過ぎていた。結論から逆算するのであれば、先刻の自分の問いすらも野暮以外の何物でもなかったのだと反省させられる程に。



「うむ、存分に苦い。而して形も見栄えも悪くないし変なものも混じっていない――これで、白雪はまた『仕方ないわね』と笑ってくれる筈だな!」



 それはただ純粋な想いでしかない。
 有栖川白雪に、構って貰いたい。それだけの想い。
 仕方のないひとね、大丈夫よ――あえかな苦笑を浮かべた愛しい女に、思うさま甘やかして貰いたい。抱擁して、頭を撫でて、そのときばかりさも自然に流れ出る涙を華奢な指先で拭って貰いたい。

 それだけの、只管に純粋な想い。
 ――混ざり気なしの、よこしまな純情。

 なんて晴れやかな、清々しい笑顔であることか。常のように爽やかな陽光がさぞかし映えるであろう「兄弟」の様子に何ら疑問を覚えるらくは無いのだというのに。それがどうかしたのかね、と心底不思議そうに首を傾げる石丸に対して何をか告げられたものだろう。
 不可解なことなど、なにもなかった。論理は至って明快であった。それこそ、無学であると開き直りに近い自覚を持つ大和田にとってですら、彼の行動理念が至極御しやすいものであるのだということが漸く、知れたのである。



 今や彼の一挙一動は、有栖川白雪の存在を前提にしなくば合理化され得ないのだ。


//20140123


(……って、イヤ。別にこれが初めてってワケじゃねェし怖くもなんともねーけどよォ……っつーのも微妙、か。確かに最近の兄弟はちっと怖ェわ)
(何が怖いって、そりゃアレだろ)

(明らかにアタマオカシイくせして、オレらとの付き合いがテキトーになったかって言ったらそういうワケじゃねェし)
(どう考えても有栖川のコトで頭いっぱいだろうに、寧ろ最近やたらベンキョーも身体動かしてンのも絶好調みてェだし)
(テメェが自分の時間で何してやがンのかくれェ霧切やらオレやらにはオミトオシだっつーのに、イインチョーとしての活動は無駄にきちっとやりやがるし)

(いつも通りなのが、何より怖ェ)
(そして、オレらなんかよりぜってー鋭いだろう有栖川本人がなんかその辺気付いてねーっぽいのも同じくらい怖ェ)

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