text (風紀巫女SS) | ナノ
平日のふたり(朝)



 平日の彼らがどのようにして学園生活を過ごしているのかちょっと覗いてみましょう。


 * * * 



▽早朝、AM5:30。

 おや、既に石丸くんの個室には彼の姿はありません。
 まさか昨晩に有栖川さんのお部屋へ夜這いでも掛けにいっていたのでしょうか。違います。

 どこかの世界線ではダミ声のアナウンスが流れるまでは個室待機、などというローカルルールも設けられているようですが、この平和な希望ヶ峰学園にはそんな縛りはありません。夜中にお部屋を抜け出して乳繰り合おうが、早朝から起き出して鍛錬に精を出そうが自由なのです。そしてこの風紀委員の場合は迷いなく後者です。
 希望ヶ峰に入学する前から己の心身の研鑽には余念がなかった石丸くんですが、こと最近は特に質・量ともにかなりの負荷を掛けて集中的に行っているようです。護りたい人が出来た、というのはかくも人のモチベーションを高めるものなのでしょうか。

 ある日は校庭の走り込み、またある日は腕立て腹筋背筋のセットに竹刀の素振り。ちなみに今日は男子更衣室に併設されたトレーニングスペースでランニングマシーンとお友達になっていた――長距離走よりは早め、中距離走よりは緩めのペースで流すのが現在の彼の体力に一番よい負荷が掛かるようで既に相当量の発汗がみられます――模様です。

「地道な鍛錬でも塵が積もれば……彼女の拠り所になることが出来るだろうか」

 その表情は真剣そのものです。元来ハイスペックな石丸くんは今のままでもまずまず優秀な身体能力を有してはいる訳ですが、もともと努力が信条であることもあり彼は現状に一切満足はしていません。ランニングを終えた後は竹刀を用いての研鑽が待っています。

 このあと整理体操として柔軟を一通りこなしている間に、大和田くんやそれに付き合って不二咲くん、ときどき苗木くんなどなどが朝風呂を浴びに来ますのでそれに混ざって爽やかな汗を洗い流します。石丸くんが毎朝こうして地道に身体を鍛えていることを知っているのは、有栖川さんを除けばこれらの「いつもの朝風呂メンバー」のみだということです。
 この間に、その日行われる授業について予習で理解が及ばなかったところなどを大和田くんや苗木くんが零し、石丸くんや不二咲くんがお答えするプチ勉強会@大浴場が開かれることもあります。この有意義な時間のお陰で最近大和田くんの学業成績がほんのささやかですが上昇したという成果が挙がっています。


 * * * 



▽朝、6:00。

 ところで、自他共に認める(自、は少々怪しいですが)石丸くんの嫁こと有栖川さんは何をしているのかといいますと、厨房に居たりします。

 学園のほうのそれと違い、寄宿舎にある食堂は厨房が学生に開放されており、希望ヶ峰の学生のうち寮生活をする生徒の食卓事情は主に(1)学園の食堂で食事を摂る(2)学園の外や購買部で調達する(3)寄宿舎の食堂で自炊する、の三択に大分されています。
 さきほどの朝風呂組で言えば苗木くんは(1)、大和田くんは(2)のパターンが多く――その肩書に相応しい素行を誇る彼はコンビニ袋と共に明け方に帰寮してくることも数多であるとかないとか――、希望ヶ峰本科78期生においても敢えて(3)を選択する比率はそう高くないといえます。中にはそもそも朝食自体を摂る習慣がない(つまり、朝に弱い)生徒もいるようですし。

 大きな冷蔵庫の扉を開ければ所狭しと並ぶタッパー。学年と名前がしっかり明記されていたり、個人の所有物と分かるようタグなりシールなりでデコレーションがなされていたりと千差万別のそれらはこの厨房を利用する生徒たちが作り置きなり常食なり仕込みなりで其処に保管しているものです。生徒たちの中には自分の個室にも小さな冷蔵庫を置いている層がありますが――基本的に個室内の家具については備え付けのもの以外は自己負担になるので学年が上がるにつれインテリアは充実してゆくことになります――が、特に食堂に置いておいたほうが都合がいいものについては皆さん適宜こちらを使用しているようです。
 その中から有栖川さん、紫苑色の飾り紐を取っ手に括りつけてある鍋を取り出してきます。中には水が張られていて、煮干しが沈んでいます。頭と腹はしっかり取り除いているようで、さながら夏休みのおばあちゃん家を彷彿する具合です。そう、毎朝のお味噌汁のための仕込み。これこそが有栖川さんの日課であり、早朝からこうしてお味噌汁を炊くのもまた大切なそれの一環であるのです。

「あとは鮭を焼いて、お煮しめの出汁に使う昆布は、勿体ないから――」
「刻んで味噌汁の具に……ですかー。さっすが白雪ちゃん、そのテク頂きですっ」
「あらあら、さやかさん。今朝はお早いのねえ」

 慣れた手つきでグリルを操作する背中に掛けられる清涼な声音は全国に数多のファンを持つそれでした。
 舞園さんもこの厨房を利用する頻度が多いひとりです。お仕事の都合上そういつもいつも自炊というわけにはいかないようですが、家庭環境の都合上おうちのことは一通り出来る彼女らしく、自分の手が回るときはきちんとご飯を作っているのです。今日は霧切さんも朝から一日学校に来られるんですよ、と笑いながらエプロンの紐を腰で結ぶ舞園さんは、その霧切さん含め二人分の朝食を拵える心算だそうです。

「今日こそベーコンをカリカリに焼いてみせるんです、いっつも霧切さんが微妙に残念ぽい顔するんですもん」
「だったら初めに油をひきすぎてはいけないわね、ベーコン自体から出た油で火を通していくことが大切なのよ。何ならその横のスペースで卵なんて炒めても美味しいわねえ」
「わー旨味が滲んでる訳ですね、成程です! 今日はそれでいきます」

 78期生の間でも随一の仲睦まじさを誇る"有栖川サンド"ですが、有栖川さんと彼女たちふたりが朝食を共にしない理由は幾つかあります。舞園さんや霧切さんが多忙な身でありスケジュールがままならないこと、有栖川さんの朝食時間がふたりより微妙に早いことなど挙げられるのですが、最大のそれはやはり、朝食に関して舞園さんと霧切さんは基本的に洋食を好むということです。舞園さんはどちらでもイケる口の人ですが、霧切さんはトーストにコーヒーの黄金律をこよなく愛するためです。舞園さんが有栖川さんと共に77期の花村先輩に教えを乞うて至高のバタートーストの焼き方を身に付けたのも十中八九霧切さんのためだったりします。閑話休題。
 口と手を並行作業で動かしてゆくうち、あたりには味噌の良い薫りとバターの香ばしさが溢れてゆきます。段々と厨房にも人影が多くなってきます。早朝トレーニングの後に仲良く並んで調理に取り組む大神さんと朝日奈さん、前日にリクエストがあった77期生のぶんの朝食を一度に作りこなす流石の花村先輩、共用の調味料の容器が汚れているのを(小言を洩らしつつ)綺麗に拭いているのは小泉先輩、などなどここでは見慣れた顔が揃います。

 ふと、共用の炊飯器――白米だけは大勢の生徒ぶん一度に炊かれています。つまり料理の腕に自信がない生徒でも卵かけご飯くらいはいつでも食べられるということです――から二杯分の茶碗にご飯をよそっていた有栖川さんが一瞬その手を止めます。厨房の外、即ち食堂に賑やかな一団が入ってきたのを感じたからです。
 その中でも一際響く、明朗かつ清涼な発声に頬を緩めて有栖川さんは配膳に戻りました。


 * * * 



「鮭腹身の塩焼きになめこと根菜の味噌汁、それとこちらは炒り鶏か……なんと素晴らしい理想の朝食なのだろうか」
「今朝も盛大なリップサービスを有難うねえ清多夏さん、作り手冥利に尽きてよ」

 ぴかぴか輝き立っている白米の粒と同じくらい、食膳を目の前にした石丸くんの目は感激の光に満ちています。これが初めてだというのであれば理解もできようものですが、石丸くんと有栖川さんはこの応酬をもうずいぶんと長くやっています。有栖川さんの対応からお察し願いたいところです。

 余程の事情が無い限り、ふたりは一緒に朝食を摂ります。
 例外として、石丸くんが風紀委員会の活動の関係で――遅刻撲滅週間やら校門前抜き打ち風紀検査やら、実は色々と先進的な取り組みが行われているのです――朝が早い場合がありますが、このときも単に一緒に朝食を摂らないというだけであって朝食自体はきちんと有栖川さんが作っています。前日に作っておいてラップしたものを食堂の冷蔵庫に置いておけば次の日には常の如くキラキラ状態の石丸くんが元気に走り回っている、という寸法です。
 全国有数の宗教団体が擁する"巫女"である有栖川さんには当然の如く外部での活動の機会があるわけですが、そのような折には元来普通に自炊が出来たりする石丸くんなので特段心配は無いようです。かといって平生の朝食当番が交代制であるとかいうことは一切ないのですが。

「何を言うんだね! 煮しめにはかなり手間を要するだろうにこうして朝から食卓を華やかにしてくれるその努力、幾ら感謝を表しても足りないと僕は思っているんだからな。それに、……おそらくこの腹身はきみが外から調達してきたものだろう」
「ま。段々と口が肥えていらっしゃったこと…ご明察よ」
「僕の為にわざわざ……いつも本当に済まないな、有難う」

 流石は希望ヶ峰、と言わざるを得ない事実として、この寄宿舎食堂には生徒が自由に使えるようある程度の食材がストックされており、随時補充される運びになっています。花村先輩のように一流のものを知っているひとからすればその等級は知れたものとはいえ、"超高校級"の生徒たちの舌にそぐわないレベルのものでないことは確かです。衛生管理も適切ですし、日ごろから厨房を利用する生徒たちの中にマナーが悪い人間も殆ど居ないので特に拘りが無ければタダで自炊することは可能なのです。
 しかし、そこで揃わないものはやはり外から調達してこなくてはならず、加えて共用のものを使ううえではやはり遠慮が生じる、ということもあり専ら有栖川さんなんかは食材を買いに出ることが多いのでした。

「うん、美味い。毎朝こんなに素晴らしい朝食が摂れてよいのだろうか」
「大袈裟よ…たまには苗木さんたちと一緒に学園のほうの食堂に行っていらしても構わなくってよ?」
「それは昼食のときでいいんだ。こうして白雪と向かい合って食事が出来るこの時間は僕にとってこのうえなく貴重なのだから」
「まあ。そんなこと、この先幾らでも出来るのに」
「幾らでも出来るから、ということが今それをしない理由にはならないだろう」
「もう……」

 ――僕はいつでもこうしたいし、いつまでもこう在りたいんだ。

 石丸くんのその主張さえ最早毎度のことになってきているので汁椀片手にさらりと流してしまう有栖川さんですが、此方とて幸せそうな笑みは隠そうにも隠せないのです。
 たとえふたりのテーブルの周りに位置取って"しまった"皆さん――舞園さん霧切さんがたは既に慣れたもので平然とコンソメを啜っていますが、菓子パンを齧ったままげんなりする大和田くんや、ブラックコーヒー(意外ですが彼の朝食は基本これだけで十分なようです)を飲んでいる筈なのにひどく甘いような気がしている不二咲くん、本当の本当にガチの偶然でその場に居合わせていらっしゃった松田先輩など――が一斉蜂起したとしても、石丸くんの幸福な食卓には微塵の支障を来すことも起こり得ないでしょう。

 希望の朝です。


//20140408

 なし崩し的に始まる謎のシリーズ(続くかすら不明)


back