text (よめたま!) | ナノ








 待たせてしまって済まない、いいえあたし待つのはちっとも苦じゃなくってよ――という他愛無い応酬を数えて数えて、実は本日で9999回目に達するのだ。それを逐一正確な記憶に留めていることが出来るのは、恐らく以てこの広い世界に己を除いては存在し得ないだろうと完全記憶能力者は胸を張る。
 その些細な誇示に、己の眼前にて姿勢正しく直立する彼――初々しくもスーツに着られていたあの頃から考えれば、随分と大人の男に成長したものだと思う――は思い当たりもないらしく、少々怪訝な顔で「何かあっただろうか?」と首を傾げた。いいえ何も、と謳うように告げてのち、いたく自然な流れで差し向けられた片腕に自らの腕を絡ませれば瞬時、ふたりを包む空気は一層柔らかく温かになるのを感じる。

 いつの時も、恋人同士の逢瀬というのはまっこと甘やかに幕を開けるのである。



「――ええと、あたしはトロピカルアイスティー。シロップ抜きで」
「此方はレモネードで。お願いします」

 いつもの駅前の、いつもの喫茶店。いつもの、というからには当然それなりに足繁く贔屓にしている訳だが、具体的にどれほどの期間そのようであるかと言えば、成人してのち数年を数えるこの両名が同じく揃って高校生であった頃――ちなみにその高校というのが少々特殊であり、所謂「超高校級」の才能を持つ現役高校生をスカウトし、高等専門学校よろしく五年制の教育体制を敷いたのち世に送り出すという通称”希望の宝庫”、私立希望ヶ峰学園である訳だが――から今まで、という形容が正しかろうか。

 折り目正しく学業成績は常に首席、全国模試の筆頭常連の呼び声も高かった希望ヶ峰時代を過ごした言わば学生のプロたる"風紀委員"の青年は、意義深い学生生活を通してひととしての柔軟さを学び現在は敬愛する祖父――と称するまでの過程にはそれはもう多大なる紆余曲折がありはしたけれど――と同じくこの国をより善くせんという崇高な意志を携えて国家公務員として勤務している。石丸清多夏、流石に学生の頃の青さをそのまま残しているとは言い難いものの、さりとて賢いチンパンジーめいた残念さは健在である……というのが卒業後にもしばしば対面する機会のある希望ヶ峰本科78期生の大半から寄せられるであろう意見である。人間的な丸さも冗談を飛ばすウィットも、愛しい伴侶に向ける際限なき思慕も身に付けた数年後の彼は、仕立ての好いスーツの似合う立派な偉丈夫に成長していた。
 そして、彼に学生時代から湯水を浴びるが如くの愛情を注がれていたところの存在である"巫女"の少女もまた大人になっている。彼女を擁する宗教団体は相も変わらずのクリーンさで胡散臭いところもなく近年では歴史の教科書にまでその名を残すほどの母体となっており、世界各国にも支部を構えている次第である。容姿端麗且つ成績優秀、少々老成しているきらいこそあるものの性格も良し、というお前はどこのメアリー・スーさんだと物言いが入りそうなミニチュア淑女、名をば有栖川白雪となむいひける。その有栖川メアリー白雪さんだが、特に希望ヶ峰での学園生活中に今目の前にいる男と他の誰かとの間で「やめて!私のために争わないで!」的な展開を迎えることもなく只管この石丸とだけおしどりアベックしていた結果とくに山場もなく卒業と相成り、現在は”巫女”として教団の看板を背負う傍らで、副業――社会人経験はしておきたいが、如何に市民権を得ているからといっても宗教関係者がそうそう民間にくだる訳にもいかず、という割と複雑かつ面倒な事情もあり――として、母校となった希望ヶ峰学園の事務職員を務めている。
 どうでもいい話だが現実ではおしどりのつがいが名の通りの「おしどり夫婦」であるのはメスが卵を産むまでの間であり、そのあとのオスは子どもの面倒は放棄するわ他のメスにコナかけまくるわでこれが仮に人間であったらとんだ最低男であるという(動物の本能やら生殖の意義やらを考えれば合理的ではあるのだろうけれど)。その理屈からすればおしどりのオスより石丸清多夏のほうがよっぽど伴侶への愛情は深かろう。おそらく子どもが生まれた日には一人で延々と喜びの舞をサタデーナイトフィーバーである。閑話休題。

 入学して間もなく恋に落ち――実の所、石丸には希望ヶ峰入学以前にも有栖川についてのエピソードがあるのだがここでは割愛する――結ばれてからはや五年、プラス数年。既に二人の間に漂う空気は初々しいものではなく、而して無機質なものでもないごくごく自然なものとなっている。
 本日ふたりが此処に集まったのは他でもない、明日が土曜日で今日が金曜日であるがゆえのことであった。何の変哲もない、「週末を恋人と満喫するため」という動機以上の何物でもない。ちなみに学園を卒業している現在、有栖川は実家である宗教団体の総本山に戻っており、石丸は職場からほど近い――そして有栖川の実家からは程遠い――単身者用のマンションに独り暮らしという様相である。希望ヶ峰時代の寮生活が恋しいと常々吐き出す石丸に対し、有栖川は「あたしも然程世相に通じてやしないけれど、元来学生時代のお付き合いなんてこの程度の距離感だと思うわよ?」と至極現実的な見解を呈し、その都度彼を涙目にせしめていた。所詮人間幾ら歳を取ろうと根本的なところは変わらないものなのである。兎に角。
 これから平日に逢えなかった分の互いの近況報告など兼ねて小一時間も此処で茶をしばいたのち、土・日と二日分の食材を買い込み――同年代と比べて相当な給与を得ている筈のエリートたる石丸であるが、あまり外食を好まない。理由は勿論、学生時代から慣れ親しんできた恋人の手料理が非常に美味であるとの主張に基づいている――、石丸の自宅へと引き上げる。例によって例の如く、な流れであった。

 筈、なのだが。

「……清多夏さん、もしかしてお疲れかしら? お日頃に比べて精彩を欠いておられる気が」
「ッ否、何でも……むぅ、否。嘘は、よくない……な」

 有栖川が気付く。日頃は闊達とし過ぎるほどに闊達としている石丸に、どうも活気が足りない。憂鬱そうだ、とか、怒っている、とか、傷ついている、とかという明確な感情のカテゴリまでは追えないながらもなんとはなしにダウナー系のオーラを纏っているらしいことは分かる――しょんもり、とでも言おうか。ぴったりだった。今日の石丸はどうにも、待ち合わせ場所にやって来てから今に至るまで、しょんもりしている。
 アイスティーに浮かぶ角氷をストローで突きながら尋ねる有栖川への受け答えすら覚束ない。余程疲れているのかと有栖川が気に病みだしたその時、キッとSEがつきそうな勢いで石丸がやや俯き気味であった顔を上げた。何らかの決意に満ちた瞳。人目を気にする、なんて芸当を覚えた今では流石の彼も「清聴せよッ!」なんて大声を張ることは無いのだけれど、それでも健在のよく通る声で、有栖川へこう言って寄越してきた。



「――今日、は。きみに。……白雪に、大切な話を、したいんだ」


・超高校級の風紀委員と巫女と過去と現在

//20140411


のちになって石丸清多夏は次のように供述した。
「あの時僕が、もう少し言葉を選べていれば"あんなこと"には……」



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