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風清く、若人らの声多き夏の川辺にて




「ふむ、女性陣の作業スペースが大体あのあたり一帯として太陽の道筋は昼からこう来るか――よし、苗木くん。向こうの木のあたりまで引っ張ってくれたまえ」
「オッケー。……っとと、意外と重いよねコレ」
「風がそんなに強くねえのはラッキーだったよなァ…なあイインチョ、これ何処に置いたらいいんだっけか」
「ポールはタープの端に1本ずつだ。此方は僕が持とう、桑田くんは今ちょうど苗木くんがいるあたりでペグを打ってほしい」
「おー了解。苗木ー、ロープちゃんと取り付けられてっかー?」
「ちょっ…待っ……ふたりともテキパキし過ぎじゃないかな?!」

 渓流のせせらぎが耳にも涼しい初夏。
 平生とんと見る機会のない取り合わせの意外過ぎるコンビネーションとその手際のよさに、アウトドアに造詣があるでもない平凡な男子高校生は驚嘆するほかなく木々の合間に悲鳴を響き渡らせた。

 誰が言い出したのか今となっては発端も曖昧だが、珍しくも希望ケ峰学園78期生の全員が時間を作れたこの日――押しも押されもせぬメディアの寵児たる超高校級の"アイドル"や"ギャル"、自ら若くして実業家としての顔を持つ"御曹司"に、月行事や神事に加え対外の顔でもある巨大宗教結社の"巫女"など例年になくバリエーションに富んだこの学年において全員の休日が被るというのはそれこそ椿事のレベルに等しく――、時節柄どうしても涼を求めたくなる心情も相俟って、本日はこうして17人全員揃って野外活動と洒落込んでいる次第であった。
 日差しの通り良い森の中腹は、昨今騒がれているような安全性の心配もなく、少し下れば人里に戻れる程度の立地。而して人の声は自分たち以外になく、景観を損なわない程度にきちんと人の手が入っているのであろうことも害虫の少なさから自ずと知れるところである。

「流石は十神君の私有地、といったところでしょうか。十神家、ではなくあくまで彼個人の持ち物だというのですから……さしものわたくしも驚きの念を禁じ得ませんわ。はい、サラダはこのような感じで宜しいでしょう」
「……ちょー意外、セレスって包丁どころか箸より重いもん持ったことないですわー的ポジを地で貫くとばかり思ってた」
「今更ですわよ、この学級でそれが通っていたのは昨年までですわ――それを言うなら江ノ島さんこそ、その華美なネイルに似合わずずいぶんと器用に飾り切りなさるじゃないですか」
「でっしょ、わりと自信作だし。ペガサス昇天MIXフルーツ盛り。とかいう絶望的にレトロなネーミングはまあ措いといて、イマドキ女の子は料理くらい一通りできないとやっぱアレじゃない?」
「それは向こうの川で魚獲りをしているお二方へのお言葉でしょうか」
「Exactly.(その通りでございます)――っと、なーえぎ! ちょっとこっち来て」

 自然のミストシャワーを心地好く受けられる川のほど近くで、アウトドアテーブルを華やかなフルーツ盛りと野菜盛りで満たしているのは、おおよそ平生は野外活動など考えもしないのだろうと思われるような2人であった。それこそ78期始動当初にこのような集まりがあったならきっと余裕の断りを入れていたことだろう――もっとも、それはこの2人に限ったことではないが。アウトドアに適した服装の中にもきちんと最新の流行を取り入れた格好をしている江ノ島がこちらに声を掛けてきたのは、おそらく蚊取り線香の追加注文だろう。
 「あとで行くね!」とお姫さまがたへ返答を投げながら、苗木は自分に任されたタープへのロープ取り付け作業をなんとかしおおせる。どちらからともなく「よし、」と声がしたのち両サイドに控えていた石丸と桑田が息よくポールを立ててゆく。傍らの段ボールから新しい線香を取り出して準備しつつ、苗木は冒頭の感慨をもう一度素直な言葉で表出した。

「すごいよね。石丸クンも桑田クンも、普段こういうことに慣れてるイメージ無いからさ」
「あ? まァオレはあれよ、合宿やら何やらでなんだかんだやらされっから自然とな」
「成程。野球にはあれがあるもんね。キャンプ」
「……オイ苗木、オレらのキャンプってそっちじゃねーからな? 舞園ちゃんも前に『やっぱりキャンプファイアーでは"栄冠は君に輝く"を歌うんですよね?』って真顔でボケかましてきたけど違うからな? あれ練習合宿って意味だかんな? 確かにガッコの部活レベルならちっとニュアンスは緩いけどよ……っと、悪ィ石丸。もうちょい後ろ下がれっか?」
「ああ。――うん、タープの弛みはこれで解消できたな」
「ペグはオレら2人でやっちまうから苗木は線香係終わったら他の連中の様子見てきてくんね?」

 見通しは開けているとはいえ、広大な森の中。川遊びがてら魚を獲っている者や本日のメイン・イベントであるバーベキューと流し素麺の準備にそれぞれ取り組んでいる者、別働隊として今夜の宿泊先であるコテージの支度などを行っている者――これは前述のセレスの科白の通り十神のことだが――17人が各々散らばって動いている。
 ついでにこれを皆に渡してきてほしい、と石丸から小さなスポーツドリンクのペットボトルを人数分(液体って意外と重い。さらっとえげつないことするよね石丸クン…と苗木は思わざるを得ない)託されて幸せのツバメ…ならぬ"幸運"の苗木がその場を離れる。
 屈んでペグを打ち込む作業に入りながら、「そういやァ」と桑田が何の気なしに口を開く。

「オメーがアウトドア慣れしてんのは確かにオレも意外なんだけどな」
「僕かね? 幼少の砌に多少な。地域に青少年活動に詳しい知人が居たものでボーイスカウトに所属していたことがあるんだ」
「……うわー確かにチョー似合いそー…」
「男児たるもの、こういった場で役に立てないというのはあまりに情けないことでもある。有意義な活動だったよ」
「そのユーイギっつうのでもう一つ意外なのがよ、……お前、こういう休みの日にクラスで遊ぼうぜーみたいな集まりに出てくるキャラだったかよ」
「? 有意義だろう、学友との親睦を深めるということは」
「風紀委員サマだし行事なんかは一緒になってやってるの分かるんだけどよ、去年とかお前いつも土日は模試やら委員会やらっつってたじゃねェか」

 などと唇を尖らせつつ、実の所桑田には答えが予想できている。昨年と今年のこの時期――夏の違い。それは、石丸の傍らに彼女――有栖川白雪の存在が在るか否かの違いでもあるのだから。入学当初は触る者皆傷つけていたような十神や腐川、セレスなどが段々とこの学級で絆を育み始めたのと同じく、その性質からやはり生徒らの中で浮いていた石丸もまた、年相応の感情をおぼえ周囲に揉まれ、絶対的な支えとなる存在を得たことによって78期の仲間に溶け込んだのであった。
 ぴんと張ったタープに防水スプレーを吹きかけながら、もう然程珍しいものでもなくなった私服姿の石丸はこともなげに桑田に返答を寄越す。

「勿論、白雪が居るからだという理由もあるが」
「? だけじゃねェの?」
「莫迦を言うんじゃない。この学級の仲間は皆、僕が自分の力で得た貴重な財産なんだ。ひとりの無駄も有り得ず、僕にさまざまなことを教えてくれる――そうッ! 今や苗木先生だけではなく78期の諸君すべてが僕にとっての先生だということだッ!」
「いきなりテンション上げんなビビるわ! っつかよくンな恥ずかしいこと堂々と言うよなお前その辺全然変わってねー!」

 タープの下にガーデンテーブルを引きずって来ながら、今更ながらにこのクラスのリーダーが如何に恥ずかしい人物であるかを再確認した桑田は、首に掛けたタオルでがしがしと顔を拭いたのち、

「……前はとんでもねー堅物だとしか思ってなかったけどよ、今のお前そんなに嫌いじゃねェわ」
「なんと……気持ちは嬉しいが僕は生涯白雪ただひとりを愛すると決めt「そうじゃねェエエエエ勝手に人をホモにすんじゃねェよアホアホアホアホアホ!!!!!」

 一瞬真面目になりかけた空気は、これまた一瞬で雲散霧消するのであった。

「僕も君のことは昔ほど要指導対象だとは思っていないぞ。かつては舞園くんに邪な目を向けてばかりだった君が、最近では己の進路にきちんと打ち込んでいて好感が持てる」
「最近プロ野球のスターってヘタな芸能人よかモテてっしそっちで頑張ろうと思ってな。あと舞園ちゃんについては1年ちょい一緒に過ごして現実が見えた。オレが思ってたより複雑っつか謎っつか、……うん、なんかオレの手に負えねえコだっつーことがよーく分かった」
「舞園くん……ああ、…そうだな……アイドルとは怖いものだ」
「霧切とか有栖川ちゃんはどうやってアイツ操縦してんだよマジで……オレはいちファンとして遠くから眺めてるだけで幸せですハイ」



 * * *



「山田クンたち、お疲れさま」
「おお、苗木誠殿!」

 川辺から少々森に深く入った場所。
 江ノ島たちに蚊取り線香を届けた苗木が次に向かったのは工作班の縄張りだった。

「おう苗木、気が利くじゃねェか」
「済まぬな。苗木よ、恩に着る」
「いやいや、持たせてくれたの石丸クンなんだけどさ」
「兄弟か。……アイツ、気遣い覚えて熱血莫迦からただのいい男になってやがンな」

 大神が切り倒した竹を、大和田が節を取って加工し、山田が組み立てる。3人が作っていたのはそのものずばり、流し素麺のための竹筒であった。
 スポーツドリンクを受け取った大和田がしみじみと神妙な表情にて呟く中、仮組み――実際は先刻石丸たちが立てていたタープの近くに運んでから素麺を流すので――が終わって壮観な見栄えになった竹筒を眺めて苗木はあらためて仲間たちの技術力に感嘆する。それぞれ分野は違ううえに誰も野外活動の才能を持っているわけではないのだが、凄いものは凄い。

「本格的だよね。ボク、まさかホントに竹でやるなんて思わなかったよ」
「竹でやるにしても前から用意してるもんだと思ってたぜ。コイツの雑学が役に立った」
「山田クンの?」
「ああ。我が竹を切る前に此奴が細工に適した竹を選んでくれたのだ」
「新竹は水分が多いですからな。それこそ乾かす手間でパーティーが翌日になってしまいかねませんのでね……それはまさに学園恋愛モノで一番攻略しやすいのが大体は2年生のちょっとチョロめな幼馴染キャラであるのと同じな訳です」
「…………うん?」

 理解できないものはなあなあに流す、これがこの学級で生きていくコツである。流し素麺より早々に山田の話を流した苗木は、竹筒チームの奥で作業をしているもう一つの職人団にもドリンクを差し入れようとさらに歩を進める。

「どれ、……不二咲っち、基本の回路はこんな感じだべ?」
「んー……ぁ、そのチューブは外側に取り付けるみたい。中央の部分には薬味受けの塔を建てるみたいだねぇ」
「これか! はァ、んじゃあ流れてきた麺はこんな感じに上ったり下ったりして循環すんだな」
「左右田先輩の設計図によるとそうみたい。有難うね葉隠君、僕あんまり工作って勘がなくて」

 17人で流し素麺。大所帯が左右に分かれて竹筒を挟む、というシュールな絵面を苗木は想像していたのだが、そこで終わらないのが超高校級の高校生たちだった。筒の終着点がただバケツではおもしろくないから、そこでも麺を循環させようと提案したのが何とも驚くことにこちらの不二咲であった。
 所謂素麺流し機――プラスチックの楕円型容器の中で流れる水に乗って麺がくるくる回り冷たさを保てるアレだ。大阪のご家庭にたこ焼き器が必ずあるが如く実は南九州ではおなじみの家電であったりする――の大きいものを頼めないか、とプログラマーの彼が同じ技術屋繋がりであるメカニックの77期生に依頼したところ、快く基盤や材料、設計図などを貸与された運びである。組立てにあたっては葉隠――この学園生活に於いてその楽天さのほかに手先の器用さという意外な特長を見出されていた彼を助手として、本日は見事に技術屋としての一面を発揮せんとしていた。

「不二咲クン、葉隠クン」
「あっ、苗木くんだぁ。お疲れさま、……えへへ、見て見て。なかなか凄いの、出来てるでしょ」
「オレと不二咲っちの共同制作だべ!」
「うん、ホント凄いや。……不二咲クン、暑い中の作業だけど大丈夫? 無理してない?」

 屈んでプラスチックのパーツをあれやこれやと組み立て続ける葉隠の後ろで、設計図を片手に真剣な面持ちをしている不二咲は平生のこういった分担であるならそれこそ先刻のセレスや江ノ島と共に調理班に振り分けられていてもおかしくない儚げな存在であった。スポーツドリンクを手渡しながら若干気遣わしげになった苗木の声色に滲むニュアンスを読み取った不二咲は、珍しく少々遺憾の意を思わせる語気の強さで、

「この持ち場のメインは誰にも譲らないよ!」

 などと言ってのける。彼の技術屋として、男としてのプライドの顕れであった。「だよね、ゴメン」と直ぐに前言を撤回する苗木も、実の所そのあたりは重々心得ていた。78期生としての濃密な密度の学園生活を通して、当初は只管に可憐で被保護者の枠を出ない役回りであった不二咲は、機械関係に於いて何人たりとも比肩し得る者のない職人としての自負を確実に養ってきていた。
 「細かい部分は僕が調整するね」と回路部分に工具を当て始めた不二咲と交代するように立ち上がった葉隠は、「そうだそうだ、苗木っちに頼みたいことがあったんだべ」と木陰に置かれていた段ボール箱から何か取り出してきた。

「おっ、スイカだ。大きいね」
「だべ? 得意先のオバチャンから貰ったもんなんだけどよ、折角だし川で冷やして食うのもオツだと思ってだなァ」
「風情があっていいね。丁度今から朝日奈さんたちの様子を見に川まで行くし、ボクが冷やしてくるよ」
「そんじゃ、これ網な。頼んだべ」

 デザートの用意とな。年長者(実年齢は石丸、大神も近いのだが)らしい気遣いが葉隠らしからぬと虚を突かれたような表情で夏のみずみずしい果実を抱える苗木に、葉隠はそっと声量を落としてこう続ける。作業に集中している不二咲に聞こえぬ程度のそれであからさまに密談めいて囁くことには、

「……そんで、これがオレの命の水だ。頼んだべ、苗木っちだけがオレの希望だ」
「うわ、ビールじゃんコレ……」
「地味にオーガとか石丸っちも呑めるトシではあるし、オレは余裕でセーフなんだって実際。でも二人ともお前さんら年少チームを引率してるっつうメンツがある手前オレはこうして一人で寂しく……」
「そうだよね、明らかにお酒呑む感じじゃないよね二人とも」
「いや、石丸っちのほうはあれで結構……まあそれはいいべ、兎に角ちっとスイカの陰にでもな、ステルスさせて貰えると有難いべ」

 この作業場には大和田・不二咲と78期では有栖川に次いで石丸と近しい人間が揃っていたことだし、苗木の存在はさぞかし渡りに船であったことだろう。成人組にしか分からないであろう秘密めいたニュアンスに微かに触れた苗木は――やっぱり希望ケ峰、魔境だよなァなどとしみじみ再感しながら――ビニール袋とネットとスイカと先より一回り小型の新たなビニール袋を携えながら、夏の高い日を受けてきらきらと煌めく川面へ走る。
 


「……そうなんだよなぁ、石丸クンって普段あんななのにここぞってときすごい、なんていうか、うん……やっぱり年齢って大きいんだ」




 * * *




 まだ最高角度までは上りきらぬまばゆい太陽の燦々とした陽光は、流れの底まで澄み通って肌に快く冷たさを伝える清流の絶えずさらさらとゆく水面に照り返って宝石の粒を撒き散らすよう。
 すでにメインの任務を終え、食後の余興用のバレー用ネットを設営――ビーチバレーと水球を混ぜたような何やらオリジナルの対抗球技を行うらしい。当然江ノ島の思いつきである――していた戦刃は、足場の悪い河原をものともせずこちらに駆けてくる軽やかな足音を敏感に察知し音も無く振り返った。

「おっけ――――! 戦刃ちゃんっ、有栖川ちゃんたちのトコにお魚配達完了したよ! 私たちのミッションこれでおしまいだよねっ?」
「……う、うん。その筈…あ、でも、…ぇと、朝日奈さん」
「んー?」
「……ちゃんと、盾子ちゃんに頼まれた"アレ"も渡してきてくれた、よね」
「もっちろん! いやー、まさかあんな無茶振りが来るなんて思ってもなかったよねー。まあ霧切ちゃんたちが何とかしてくれるでしょ、あははは」
「待って?! 戦刃さんたち何渡してきたの?!」
「あ、苗木だー」

 川を跨ぐようにしてぴんと張られたネットもそうだが、78期を代表する脳筋――失礼、スポーツ大好き少女たちの要領を得ないうえに何やら得体の知れない伏せ表現に満ちた会話をすんでのところで聞き付けること叶った苗木は、先刻は朝日奈が難なく駆けこなしてみせた河原に何度も足を取られそうになりながらどうにかそう突っ込みを入れることができた。
 苗木から受け取ったペットボトルの蓋を早速捻りながら、朝日奈と戦刃はこともなげに告げる。

「なにって、岩塩だよー」
「は?!」
「……盾子ちゃんが、折角の川魚だし岩塩で塩焼きでしょーっていきなり」
「でも戦刃ちゃんが偶然持っててさー。ファインプレーだよね!」

 ――なんだその細かいうえにくだらない拘りは。そしてどうせ彼女のことだ、ひと口食べるが早いか「むくろちゃーん、飽きた」とか言うんだろう。
 そしてなぜ戦刃はピンポイントにそんなものを携帯しているんだ。それが必要になる展開が生じなかった場合完全に無駄な荷物じゃないか――。

 瞬時にここまでツッコミセンテンスが閃くも、「だってこの姉妹だもんな」と押し込めることができる苗木は希望ケ峰で確実な強さを身に付けたといえよう。実際口に出したのは「成程ね、」の一言であった。すでにこのあとの食事が待ちきれないらしくやれ肉はどうだ野菜はどうだと盛り上がり始めた育ちざかり食べ盛りな女子ふたりの会話をBGMにしながら苗木はネットのポール脇のやや流れの緩やかなところに屈み、先程葉隠によって託されたスイカを網に入れて固定する。その陰に隠すようにして、極秘ミッションのほうも忍ばせた。基本的に苗木誠は友人想いの優しい男である。ただし、水中に浮かせる前にビニールのほうにきちんと「葉隠」と署名することは忘れなかった(最近いたずらに声を荒げるだけでなく静かに威圧感を帯びてひとを諭すことを習得してしまった某風紀委員からの説教を逃れるため。正当防衛である)。
 
「あ、葉隠たち機械運んでるじゃん! 戦刃ちゃん行こっ」
「うん。……すごい、流し素麺の筒も立派なのができてる」
「じゃあ苗木、私たち行くから!」

 この野営地に着いた当初に17人が集合し、昼食会場と決めた広場のほうへ先刻の職人グループが自分たちの"力作"を運び始めていた。一仕事終えたような充実感に満ちた顔で竹筒を抱える大和田たちの後ろをよたよたと工具箱を抱えながら歩いて行く不二咲の姿を見咎めた朝日奈が、戦刃の手を引いて再び爽やかに駆け出していく。
 折よく、苗木の腹もきゅうと鳴く。ここまで未だ出会っていないメンバーのうち、メインとなる調理担当者である「彼女たち」の奮闘ぶりを想像しながら彼もまた踵を返して、――とくに超高校級の運動神経を持っているわけではないため当然のように転んだ。

 そしてその現場を見透かすかのようにポケットに入れていたスマートフォンが鳴き声を上げる。

「はい、苗木ですけど」
『俺だ』
「十神クン。お疲れ、もう帰って来てるの?」
『正味5分ほどで着く。有栖川たちに伝えておけ』
「了解だよ、色々ありがとね」
『……はっ、持つ者が持たん者に施しを与えるのは当然だ。お前たちは精々運よく与えられたものを享受していればいいんだ』
「うん、有難う」
『…………貴様、』

 なんとなく予想していたとおり、薄い板越しにもその傲岸不遜ぶりが伝わって来そうな声色の持ち主はここまで苗木らと別行動をとっていた今回のスポンサー、十神であった。なんだかんだで1年半近く、文字の上では大したことのない期間であろうとこの学級の誰にとっても人生史上例をみないほど濃密な時間であるこのときを過ごしてきたからこそ分かる、この御曹司の"素直じゃなさ"を正しく読み取った苗木は、「腐川さんも一緒だよね?」と膝の砂利を払いながら続ける。

『俺が自ら荷物運びなどするわけがなかろう』
「あっ、何か持ってきてくれてるんだ」
『……大したものじゃない。お前たちにとっては平生口にすることもないような品だろうがな』
「なにそれ普通に楽しみすぎるんだけど。十神クン実は今日のために準備してくれてたでしょ」
『調子に乗るな。切るぞ』
「わーっ待って! 石丸クンに、キミから電話来たら確認しといてほしいって頼まれてることがあるんだ」

 律儀にそこで苗木が話し出すのを待つ十神の沈黙の後ろで、いちにいさん、と小さな声――十神の邪魔をしないように、という彼女なりの配慮であろう――で何かを数える腐川の声がする。人数ぶんの何かだ。なんだろう、お菓子かな。アイスクリームかな。どう転んでもいい予感にしかならないそれを楽しみにしながら、苗木は手の甲に書き付けていたマジックの文字を追う。

「きょう、十神クンのコテージに泊めてもらうじゃない、ボクら。部屋数を教えてほしいんだって」
『嗚呼…成程な』
「十神クンは当然自分の部屋使うでしょ? ボクらのぶんは石丸クンと霧切さんが話し合って部屋割り決めてくれるんだって」
『あれは別荘だ、特に主人のための部屋など無い。俺もその部屋割りとやらに入れておけと伝えろ』
「……えっ、マジ?」
『それから、部屋ごとにベッドの数が違う。お前に部屋数を伝えるより俺が石丸と霧切の話し合いに混ざるほうがいいだろう』
「…………」
『オイ、聞いているのか苗木』
「いや、……十神クンがいやに協力的で流石のボクも動揺してるっていうか」
『言い忘れていたがコテージの外に今は使用していない家畜小屋がある。苗木、今夜のお前の寝床だ』
「ゴメンって!!! うん、石丸クンに伝えておくね、ほんといろいろ有難う」
『庶民が要らん気を遣うな』

 それきり手前勝手に切れた通話に笑みを禁じ得ず、段々と蝉の声が増して体感温度も上がり始めた夏の森を苗木は引き返していった。



 * * *



 タープの設営とテーブル、チェア一式の設置、防虫対策やファンの取り付けを終えた石丸と桑田のもとに、次々と78期生が帰還する。
 無言のアイコンタクトののち上流に走っていく桑田を見送りながら、石丸は竹筒を担いで下流からやって来る大和田に軽く片手を挙げた。職人側のリプライは両手がふさがっている大和田の代わりに先導を務めていた不二咲が務めるかたちだ。

「お疲れさま、だ! 本当にとてつもないものを仕上げてきたのだな……」
「みんな頑張ったもんねぇ。えっと、テーブルから近すぎず離れすぎず……ここに置こっか」
「兄弟、このへんに作っちまって大丈夫かァ?」
「問題ないぞ! ――ああ、始点が此方を向いて居たほうがいいな。山田くん、此方へ」
「了解ですぞ、……大神さくら殿、よろしいですかな、いちにのさんで」
「構わぬ」
「マシンのほうもぼちぼち下ろすべ。朝日奈っち、タワー折らないでくれなー?」
「しっつれーなー! だいじょぶだって……わっわっ葉隠もっとゆっくり下ろしてよねばか!」
「大丈夫、朝日奈さん…私も一緒に持ってる、から」 

 まずは職人班。
 大和田、大神、山田が竹筒の位置を確定させて本格的な組み立てを仕上げにかかるなか、そのゴール地点にあたる場所に葉隠が麺の循環装置を恭しく配置する。川魚を獲り終えたのち力仕事の補助に回っていた朝日奈と戦刃がそれを手伝っており、無事に機械を設置できたことを確認したらしい不二咲が若干緊張した面持ちで装置のスイッチを入れていた。動いた動いたすごーい、という飾り気のない朝日奈の、それでいて率直な賛辞は図らずも不二咲を喜ばしめていた。
 その後ろで役目を終え無言で立っていた戦刃を呼ぶ声がする。もちろん彼女の妹君のものである。

「むくろちゃん、フルーツ盛り運んでー!」
「困る……またそんな運びにくそうな盛り方して」
「そうよ、すべてはこの瞬間――お姉ちゃんにこの難易度エクストリームなウエイトレスゲームをやってもらうために頑張ったの! つって。とりま早急に持ってって頂戴」
「うふふ、戦刃さん…それを運び終えたらわたくしのサラダボウルも持って行ってくださいまし」
「それもまた、困る……」

 困る困ると言いながら、軍人宜しくのバランス感覚で器用に使い走りをこなしてしまうのが超高校級たる所以ではあるが。運び終えたら、などとは言わず、同時に。江ノ島の絶望的なまでに計算し尽くされたバランスのフルーツ盛りと、セレスが手掛けたどこか華美で豪奢な意匠のサラダ――宇都宮餃子がトッピングされているぶん運搬の難易度が上がっているようだ――を両手にして、舗装されているらくもない自然道を戦刃はいとも簡単に行って戻ってくる。パッションフルーツの一つを落とした程度はご愛嬌である。
 当然のように誰より早くテーブルに着いて寛ぎ始めるマイペースな女子2名――何人の忠言をも聞きゃしないあたりも似通っている――に戦刃が何も言えない中、新たに砂利を踏みしめる足音が二つ増える。

「十神くん。此方は準備万端だぞ」
「そのようだな」
「食事を始める前にも挨拶はするが、先立って言っておこう。何かと手配してくれて有難う、78期一同感謝しているよ」
「要らん。大したことでもなし――……苗木はどうした、熊にでも喰われたか」
「各々の作業場をもう一度回って、忘れ物などがないか見て来てくれている。もうすぐ戻ってくるはずだ」
 
 石丸と並んで会話をしながら十神が軽く顎をしゃくる。ノンバーバル・コミュニケーションが成り立つ間柄だとでもいうのか、それで腐川が我が意を得たりと動けるのが石丸としてはわりと不思議である。華奢な両腕で提げたクーラーボックスを直射日光の当たらない木陰に安置しにいくらしい腐川とすれ違うようにして、幸運の少年が駆けてくる。

「クーラーボックス! ということはアイスだね十神クン! やったあ!」
「生憎と16人分だ。貴様のぶんは無い」
「しっかり人数分数えて持ってきてくれる十神クン……去年じゃ考えられないことだよ」
「現在お使いの耳は最新のバージョンか苗木? 貴様のぶんは無いと言っている」
「問題ないぞ苗木くん、僕は白雪のぶんをひと口もらえれば十分だからな、僕のぶんを君にあげよう」
「やったね」
「……流石の俺もただ一言だけを率直に呈そう。誇っていいぞ石丸清多夏、お前は俺を純粋に引かせた」


「うっし待たせたなお前ら、ぼちぼち始めっか――……って、霧切の姐御が仰せだぜ! 丁重に出迎えやがれ!」

 
 桑田の快哉に、タープ付近に集った78期全員の意識が向けられる。
 設営班、職人班、川辺のビジュアル組、魚獲り組、スポンサーとその手足、それから中継役。
 これまでそのどれにも与せず、ひたすら上流のほうでこのときのために作業を行っていた3人が合流したことで、漸く待ちに待ったアウトドア・パーティーが幕を開けようとしていた。

 銀糸を夏の風に躍らせ、平生は怜悧な光を湛えている筈のその瞳をうだる暑さに歪める霧切響子。世の男の大半が焦がれ夢見るような魅力的な微笑を浮かべ、特権めいたエプロン姿を惜しげもなく披露する舞園さやか。その間に佇み、「お待たせしてしまって御免なさいねえ、皆さん」と代表して口火を切る、おおよそ不二咲と並んでアウトドアに不向きとも思える可憐で儚げな、而して湖畔の妖精であるといわれればスポット的には相応しいとも思われる風貌の有栖川白雪。

 3人は満を持して現れた。

 それぞれに「得物」――@大量の握り飯A親の仇かという分量の肉と焼き野菜Bぐらぐらと茹だった素麺の寸胴――を抱えて。

 予想こそしていたもののあまりに予想通りの、そして規模自体は予想を遙かに超えていったそのありさまを前に十神やセレスをして言葉を失う78期を代表して、口を開くことに成功したのはやはり、苗木だった。
 
「……ガチ過ぎじゃない?」



 * * *



 石丸の音頭で一先ず乾杯――なおこの段階では葉隠の手に握られている紙コップの中身は烏龍茶である――と相成ったのち、舞園はしつらえられた竹筒の手前、踏み台の上から級友を見下ろす。

「流しますよー! 覚悟はいいですねー……? よーし、やったったんぞー! です!」

 設営作業中に3人の手でせっせと茹でて流す直前まで氷水でキンキンにしめた素麺を携え、竹筒を囲んだり機械を取り囲んだりと好き好きにスタンバイする面々に問いかける。
 流水に任せて抵抗なく筒の中を滑っていく麺の白さが目にも涼やかで、つい十数分までもうもうとした熱気――しかも外気もしっかり夏の暑さであるうえに、この大所帯の素麺を茹でようと思うと相当大きな寸胴を必要としたわけで――の中で「ああああアイドル負けませんからあああああ!!!」などと絶叫しながら寸胴と格闘していたことも遠い思い出にしてしまいつつ、舞園はカメラを手にした不二咲に微笑みかける。

「ばっちり流れてますねっ」
「よかったぁ。みんな楽しく食べてくれてて…ちゃんと撮って左右田先輩に報告しなくちゃ」
「不二咲くんもちゃんと食べてくださいね? お素麺だけじゃなくて、向こうにバーベキューもあるんですから」
 
 勿論、と頷く不二咲の背中越しに見える向こうでは、今も外気+熱気と格闘する自身の親友らの姿がある。あとできちんとローテーションしなくては、と心に決めつつ舞園は次陣の麺を掬って竹筒に放流していった。

「――どんどん取っていって頂戴ね貴方がた、思いのほか網のスペースが確保できなくて困っているの!」
「苗木くん、そこの牛サガリが食べ時よ」

 半袖にアップスタイルの髪型、と珍しくも露出を厭わないスタイルにてこれまた彼女の常になく声を張る有栖川と、いつもどおり淡々と作業をこなす霧切。而して両者ともに共通しているのは、誰より鉄板の近くに居続けていることにより珠のような汗が止まらないありさまである点であろうか。

 平生の連携をそのままに有栖川・霧切の手によって次々と焼き上げられる肉野菜に舌鼓を打ちながら、78期生は皆思い思いに楽しんでいる。
 朝日奈は大神や戦刃を引っ張って素麺流しの竹筒と此方とを頻繁に行ったり来たりしているし、江ノ島は葉隠と何をか交渉して彼から"何か"を1缶譲り受けている。大和田は不二咲に「ちゃんと肉食ってっか」と皿を差し出し、そのあいだのカメラ係は食休みの山田が請け負うのだという。玉座――もとい、一人だけ上等なロッキングチェアをどこからともなく持ち込んでいた――に座す十神に甲斐甲斐しく器や皿に料理を盛って運ぶ腐川に、「お前、自分が食うぶん忘れてね……?」とマジレスを加えるのは桑田の役目であった。

「――……不思議ね」
「? 如何なさったかしら、響子さん」

 焼け焦げた野菜くずを捨てながら、至ってさらりと持ち出されたような霧切による言葉の発露に有栖川が顔を上げる。

「……私は"探偵"のはずなのに、よもや希望ケ峰でこんなことをすることになるなんて考えもしなかった」
「こんなこと、というと……この炎天下に汗みずくになりながらバーベキューの采配を振る、ということ?」
「ええ」

 自分たちが食べることも忘れない。十神によって手配された最上級の牛肉の、脂が乗っていかにも美味であろう部分をすっと切り取って頬張る霧切。先まで述べられた素っ気無い文言とは裏腹に満足げな表情を浮かべているように見えれば、そこで有栖川は鉄板越しに「あらあら」と破顔してみせた。

「……あたしたちは、確かに各々"超高校級の才能"によって此処に集められたわけだけれど、」

 未だ咀嚼を終えていない霧切から一旦視線を外して、賑やかに食事を楽しむ78期の仲間たちへ視線を向ける。汚れたテーブルを整頓していた石丸と目が合えば、あえかに微笑んで。
 誰も皆、楽しそうにしている。それを確認したのち、有栖川はトング片手に再び口を開いた。

「――而して、"才能"だけで此処に在るわけではないもの、ね」

 誰しもそうだった。
 持つものを生かすも自由、されどそれ以外に何をするのも自由。

 ギャルが長い爪をものともせず美麗なフルーツ盛りを作ろうと、同人作家が竹細工に適した原木を選ぼうと、アイドルが素麺を茹でようと自由なのだ。勿論、探偵が肉を焼くのだって何もおかしいことではない。
 自分たちは決して、才能のみに生かされているのではないのだから。――何もこれは昨日今日気付いたわけではなく、個々がこの希望ケ峰学園での学校生活を通じて少しずつ、確実に実感を得てきた事実であった。

「……なんだかその演説は間抜けよ、白雪。大袈裟過ぎ」
「そうよねえ、うふふ…いえいえ許して頂戴な、なにせ夏ですもの」
「夏場は変な人が増えるっていうものね」
「そうね、ここに、17人ほどねえ」

 なにも難しい問答は要らない。今更何らか新しい発見があるわけでもない。
 ただ、初夏の森の中で同級の仲間たちが楽しく食事をしている。その事実だけがすべてだった。そこに付随する感情は、純粋に「楽しい」の一言だけで構わない。

「才能だけで生きていくわけではない、と最初に吹っ切った誰かさんは、プライベートで盛大に"風紀"を擲ったらしいわね」
「まあ――……響子さん、いじわるだわ」

 すましたことを口にした有栖川への意趣返しに、と彼女の伴侶について揶揄を向けた霧切は、気が済んだのかそのまま踵を返す。丁度こちらに歩んできていた舞園へ右手をしゅっと振って、仕掛けられた舞園は慌てながら、放られたそれ――つい数瞬前まで霧切が用いていたトングを受け取る。ノンバーバル・コミュニケーションはここにも存在していたらしかった。

「折角なのだから、私もしっかり食事を楽しませてもらうわよ」
「まっかせてください霧切さん! お素麺を苗木くんに代わってもらいましたから、今度はわたしが心を籠めてお肉焼いちゃいますっ」
「……待ちなさい、ホルモンはよく焼かないと危ないのよ」

 瞬く間に美少女同士の寸劇が始まり、あまりにいつも通りの光景に有栖川は甘やかな嘆息を禁じ得ない。
 熱気で煙る視界の端では石丸が葉隠を正座させて何かを言い聞かせているらしい一幕も展開されている。なぜか葉隠にパーカのフードを掴まれて逃げ出せないらしい苗木も一緒に正座させられていた――但し、次の瞬間には何事もなかったかのように皆、笑っていたのだが。

「ちょ、不二咲ちゃん!! 薬味タワー発射されちゃったんだけど!」
「どういうことぉ……?! あっ、左右田先輩からLINE」
「随分と遠くまで打ち上がりましたわね…恐らくもう帰ってこないでしょう」
「えっと…仕様だって」

「ま、舞園さん…」
「どうかしましたか苗木くんっ」
「その、隅っこで炭化してるそれは…なに……?」
「あっ…」
「?」
「マシュマロ…だったものです……」
「あのね、串に刺して炙るんだよ」
「! どうしてわたしがしたかったことが分かったんですか? エスp「エスパーじゃないよ、一般常識だよ」」
 
 青空の高くに吸い込まれていった素麺流し機の薬味タワー・ロケットの行方をオペラグラスで追いかけるセレスも、女子が喜ぶかと珍しく気を利かせて用意した高級菓子を見事に炭化させられた十神も、笑っていた。

「白雪」
「あら、清多夏さん。しっかりお食事はできていて?」
「きみの方こそ」
「大丈夫よ、あたしもきちんと後でいただk――むゅ」

「わー、白雪ちゃんったら石丸くんに食べさせてもらってる! らーぶらーぶです!」
「勿論だ! ご覧の通りだ!」
「!! !!!」
「有栖川っちが色々あって人事不省だべ! レアいべ!」

 たとえ、少々収拾がつかなくたって。
 構わないのだ、学生の夏の行楽なんてそのようなもので然るべきなのだから。

 たとえ"超高校級"であろうと、仲間と過ごす夏の一日は最高に楽しいのだ。


・風清く、若人らの声多き夏の川辺にて

//20160731


「ところで苗木っち、スイカは?」
「勿論ここで冷やして――……あれっ」
「……網、破れてるねぇ」
「オイ、あっちに流れていってるアレ…」
「違いねぇ! 行くぞ苗木! ……って転ぶなっつーのアホ!」