text | ナノ

戦闘と最後の一文を書きたかっただけ



 上半身は、華奢でいたいけなその体躯の輪郭を確と際立たせるぴたりとした作り。きゅっと締まった腰周りから花弁のように広がる折り目正しいプリーツスカートは平生の彼女からすれば珍しくも膝上の丈で、重心の確認を、と左右の足を交互に跳ねさせて片足立ちになるたびにふわりと裾を翻している。漆黒の装束と対照的に映えるその肌の白さに思わず酔わされそうになる心を密かに戒めた。
 未だ若い神木のように細くすべらかな彼女の足は大腿部までを覆う長い足袋に隠れてまずまず禁欲的な様相であった。着物のそれのようにゆったりと幅がとられたその袖口はこのような場に於いては邪魔にしかならないのではないかと問うた僕に、彼女は諭すようにゆるやかな口調でこう言った――幾ら機能性に満ちた最新鋭の装甲であろうとも、長年親しんできたお衣裳ほどには気持ちを鎮めてはくれないものなのよ、と。
 武道を嗜んでいる身としては己の見地からしても未だに些か不安ではあるのだが、兎に角――その言葉を聞いてのち僕は一先ず退いて、現在こうして功夫の装束に身を包んだ恋人を少々離れたところから見守る次第となっているのであった。

「――宜しかったら、最初は様子見…なんて事はなさらないで頂きたいわ、なあんて」
「無論。それなりの遣い手と見受けているのだからな」
「あ、やあだ……それもなんだか、怖いわねえ」
「先刻お主が行っていた準備運動――あれは正経十二経絡を意識したものではないか」
「! 流石は格闘技のオーソリティ、ご自身の専攻でなくともお見通しでおられるのね」
「普通は座位で慣らす動きだろうにお主は一貫して立位の其れを――フッ、成程。足技で攻めて来る心算か」
「……如何かしらねえ」

 言うても門外漢ですもの、と華やかに微笑んで不意に此方を振り向いた紫水晶の瞳が僕を捉えた。静謐な空気の中に佇むそのさまは、超高校級の”巫女”である平生の彼女とは違った趣を湛えていて、否が応にもその座の緊張を伝えてくる。
 数メートルの距離を置き対峙しているのは、僕たちの学級…否、この学校、ひいてはその範疇を国内単位にまで広げた上でも最強無比であると名高い女子学生であった。超高校級の”格闘家”、大神さくら。このたび、二人と僕(、とここまでその存在に言及してはいなかったが朝日奈くんや舞園くん、霧切くんといった常の面子はここに雁首を揃えている)がこうして武道場に集っているのは他でもない、彼女たち二名による「手合わせ」が執り行われるためであった。

「えっ、こういうのって普通は寸止めじゃないんですか? ねえ石丸くん」
「一般的にはその筈だが。……違うのかね?」

 先刻から”選手”二人の会話を傍聴していた舞園くんから真っ当な疑問が呈され、僕も思わず声を挙げてしまう。それには当事者二人からたいへん息の合った回答が直ぐにもたらされる。今回は二人とも得手とする手法が異なる上に初めての手合せということもあり、下手に寸止めを意識してぶつかるほうが却って危ないのだということであった。
 ちなみに。このたびの手合せは僕の伴侶たる”巫女”の彼女に自衛という名目で少々の手習いがあるということを知った大神くんからの予てからの熱いラブコール――には僕は到底思えなかったが朝日奈くんがそう言うのであればそうなのだろう――が機を熟し晴れて催された運びであるらしかった。成程、それだけに両者かなり準備が念入りであったということなのか。

「――朝日奈よ。済まぬが、」
「了解だよーさくらちゃんっ! じゃあふたりとも準備は大丈夫でしょーか?」
「うむ」
「ええ、宜しくお願い致しますわねえ」

 途端、辺りにしんと冷えるような空気が降りる。沈黙は一瞬だった。


「それじゃあ勝負――はじめーっ!」


 朝日奈くんの仕切りによって手合わせの火ぶたは切って落とされる。
 畳張りの筈の床を一歩踏みしめるだけだというのに大地の拍動を感じ得るような気迫を以て一歩此方に迫る大神くんに、こともあろうに彼女は正面から駆けてゆく。此方は足音もない。彼女が得手とする流派は八卦掌もしくは八極拳、どちらも迂回による相手の死角を取っての打法を基本戦術とするものであるが今回は例外中の例外なのであろう、何せ相手は”地上最強の女子高生”だというのだから。技巧を凝らすよりも真正面から勝ち筋を作りに行くらしかった。拳打一条線、相手との最短距離を一直線に攻めてゆく現在の戦法は少林拳に通じるものだ。(と、彼女から習った。)
 大神くんはそれにまったく動じる様子は無く――とはいえ甘く見ている訳では無いということはその表情から知れようものである。元来大神くんは何事にも真摯な人間性の持ち主であるうえ、今回はあくまで真剣勝負であるのだから――、来たる衝撃を予測してか両腕を肩幅に拡げ前方に構える。投げの姿勢か。僕たちが思うよりこの競り合いは早くに決着が付くのかも知れない、と肉薄する二人の距離を目の当たりにして感じた時であった。
彼女に先導され縮まりつつあった距離を己から無くすことで戦局を執ろうとしてか今まさに一歩踏み出した大神くんが僅かに眉を跳ねさせる。突き出された大神くんの壮健たる腕を撫でるようにして亜麻色の髪がさらりと右方に流れてゆく。よもや超高校級の”格闘家”から不可視にして放たれる殺気に中てられ倒れでもしたのだろうか、と僕が一瞬不安になるほどその動き――重心を投げ出すようにして半身になりながら倒れ込むことで大神くんの射程から逃れた彼女の動作には僅かの予兆も衒いも感じられはしなかったのである。成程、結局のところは八卦掌の応用であった訳で彼女は己の得意分野を始めから貫く気で居たということか。走圏――円周上を巡るように歩いて間合いを測る演舞のようなそれを用いている余裕はないと判断し、敢えて花拳繍腿たる彼女の持ち味を省いたのだ。単に「運動神経が良い」などという表現に留まらない、自衛の拳を身に付けた”巫女”の神髄を僕は改めて其処に見出す。
 バランスを失ったように見せかけて右手を畳に素早く付いた彼女はあろうことかその華奢な腕一本で体を支えて倒立する心算らしかった。僕にさえ読めたその次動を大神くんが予測していない筈も無く、素早く体勢を中腰に構え直した大神くんが、恐らく彼女が振り上げる反動を以て蹴りと成して持ち上げてくるであろう足の高さで丁度それを捉えられるように腕を拡げる。が、戦に不似合いなほど白く華奢な彼女の足が悲鳴を挙げることは終ぞ無かった。

「何ッ……?!」



 恐らく彼女自身、この蹴りを以て短期決着とする心算だったのであろう。しかし其処は大神くんが相手。切迫した間合いから返り討ちを受けるリスクを考え、その上でやはりこの一瞬の間に守勢から攻勢に転じる構えを整えた大神くんの様子を感じ取って彼女は急遽戦術を変更したらしかった。本来であれば元来の平衡感覚の好さにあかせて直立する処であったのを、きゅっと膝を曲げることでまたも大神くんの堅牢な両腕の包囲網から僅かに逸れることに成功する。支柱としてがら空きとなっていた右腕を崩そうと無駄の無い自然な流れで繰り出される大神くんの下段蹴りを、今度はその右腕自体をばねのように伸縮させることでさらに後方へ跳ねて逃れた――と描写するぶんには容易いことのように思えるが、前方からやってきた彼女が大神くんの右方に逃れ右手を地に付き、さらにそこから後方へ跳ねるためには、片腕一本で身体を支えながら身を縮めていたあの一瞬で身体の向きを180度変えなくてはならない。そして今更言うまでもないことであるが大神くんも彼女も此処までの動きに一切躊躇はなく、即ちこれも数秒の間に目まぐるしく展開している応酬であるのだ。僕の恋人である清楚且つ可憐でさながら妖精のような”巫女”は現在そのような状況下で肉薄する零距離をなんとか切り抜け、今度は畳にきちんと左足を付けて立位で着地していた。嗜む、という言葉にはこれほどの錬度が必要だったのだろうか。

 着地、とはいえ倒立の状態から跳ねての少々無理のある挙動により彼女の重心は僅かに背中に傾いている。半身の状態で構えていた大神くんがそれを見逃すはずも無く、即座に距離を詰め再び零距離の位置から掴みに行く。朝日奈くんや舞園くんが歓声を挙げる中、これは流石に逃れられまいよと僕も観念しかけていた。右足をやや後ろに着いて平衡を取り戻した彼女が身を竦めるも、今度は右にも左にも逃れようがないうえにそもそも逃げる猶予も存在していない。せめてもの抵抗ということであるのか上体を屈めた彼女は迫り来る大神くんの猛攻を見据えて、



――跳んだ。


「ひぇ、」
「……相変わらず無茶するわね、あの子」


 自分の身長の高さ(彼女の身長は150cmだ)あるいはそれ以上を、彼女は一瞬で上方に移動する――つまり、両脚を地に付けた状態から垂直に飛び上がったということである。今まさに己を捉えんと伸ばされていた大神くんの包囲網からまたも間一髪逃れた彼女は、今度はその上にひらりと着地した。その上に。即ち、大神くんの腕の上に、である。舞園くんが肩を跳ねさせ、その隣で息を吐く霧切くんはなんだか感慨深いような切ないような表情で以て一言漏らしていた。一瞬一瞬気の抜けない応酬を眺めている僕たちにも余計な会話を交わす余裕はないが、改めて大神くんの威風堂々たる迫力と、――それから、学級で平生は可憐且つ優美に振る舞う”巫女”が名実違わぬ手練れであったことを無言のうちに確認し合う思いである。
 軽功(けいこう)は功夫の中でも秘宗拳に伝わる練功法だ。かのブルース・リーが主演を務めた映画において一躍有名になった所謂カンフーの一般的イメージにも通じるところである、平たい話が助走もなしに軽々と飛び上がり塀を上り…等々という一種軽業的な代物である。実戦で功夫を用いるにあたっては寧ろ身法や歩法、打法を極めたほうが実用的ではあるのだけれど――といつか彼女が語ってくれたことがあったような気がする。家の庭に穴を掘って、その中から跳んで出ることで鍛えるのだということだった。一体彼女の中で”巫女の務め”とはどれほど重い意味合いを抱えているのだか分からなくなる。

 ひゅ、と小さく息が詰まる音が聴こえる。それほどに静まり返ったこの空間の中で、躍動する一対の身体。地上最強もかくやと謳われるに相応しい大神くんの鍛え上げられた身体が大きく斜め下方向にグラインドする。自分の腕の上にさしたる重的負荷も掛けず降り立った彼女がその位置から次なる攻勢に転じようとする――元来が非常に技巧に凝った打法や弾腿を得手とする功夫遣いの彼女にとっては、一般的な武道なり格闘技においてあまり見られない現在のような状態のほうが有利を取りやすいのだ――よりも、やはりその道の「超高校級」は一枚上手であるのだろう。恐らく規定長拳に基づいてこの近距離から飛び降りながらの関節技、もしくは試合前に大神くんがそれと読んでいた通りの足技の錬度を最大限に生かした投げか、そのいずれかにて勝ちにいく心算であった筈の戦巫女(最早こう称して語弊は無いだろう)が、僕たちから見ても明らかに焦りの表情を浮かべる。その瞬間まで疑いようなく拮抗していた筈の展開が、そこで大きく変貌を遂げた。

 人智を超えた反応スピードにより己が次動に移るより先に大神くんが腕の構えを崩しに掛かったことにより、彼女の足場は大きく揺らぐ。常のふわふわとした愛らしい笑みの欠片もない真剣な表情の中で紫水晶の瞳を僅かに潤ませて、それでも最後まで勝ちを諦めない彼女の心意気は天晴というより他にない――僕としては、もういいから危ないことはしないで僕の隣に戻ってきて欲しい、という思いも無論、ありはするのだが。
 中段の構えをとる大神くんの、今度は両肩に手を着いて縦方向へ180度回転、向こう側へと飛び越える。格闘技を嗜むというにはあまりにも脆弱に思えるその華奢な体躯と低いウエイトが、こと功夫に於いてのみは功を奏しているらしい。だが、而して――何だかんだ言ったところでやはり、彼女は格闘家ではなく、”巫女”なのであった。どう足掻いたところで、本職の人間に叶い得るものではない。ビギナーズ・ラックが通用するほどには超高校級の”格闘家”、大神さくらは甘い相手では無かった。

 綺麗な放物線を描き対岸へ着地するまでの間、垣間見えた彼女の表情には至極複雑そうな表情が浮かんでいた。僕たちの目からはそうと見えなかったがどこかに「失敗」があったのであろう、それを悔やむような色と、これから当然受けるであろう反撃への僅かな恐れ。勝負の決め手は、既に打たれていた。何せ、危機的状況から脱するというこの数秒間は即ち、大神くんにとって決定打を打ち込む準備をさせてしまう猶予と同等であるのだから。
 ぽす、と非常に軽い音と共に畳に片足つま先を付けた彼女が亜麻色の髪を靡かせ即座に振り返る。「それ」はもう直ぐそこまで迫っていた。近距離ゆえ助走を取れないのではない、敢えて”取らない”訳は単純明快、そのままの力に任せて拳を振るえば華奢な体躯の何処を傷つけてしまっても不思議はないからだ。
既に勝敗が決していることを察してがゆえの大神くんの、力加減こそすれど而して手加減の無い真っ直ぐの正拳突きが、うまい具合に受け身だけは取る構えの間に合ったらしい彼女のやわらかな腹部に――



「んにゃ、にゃ――――――っ!!!!」



 ワイヤーアクションみたいに飛ぶんですねえ、という舞園くんの率直過ぎるほど率直な感想にはもれなく霧切くんから手刀がお見舞いされていた。そして、彼女の健闘を讃える大神くんの声を背景に、僕は軽々数メートル単位で吹っ飛ばされた彼女のもとへ転げるように走ってゆくことになるのであった。



 *** 




「あ痛ぁ……」
「あれだけ綺麗に受け身を取っても尚殺しきれない程の衝撃、……改めて大神くんの凄さを思い知らされるな」
「んにぃ……それにしたってあたし、そこそこ頑張ったと思うの」



 激しいぶつかり合いの末に外傷のひとつも無いというのは流石、通り一遍でなく武道を嗜む人間同士の手合わせであればこそだと僕は思う。こうして寝台に臥せって先刻より頻りに腰をさすっている彼女に於いても、単に「嗜む」という言葉の文字上の意味を超えた錬度の高さが感じられたのであるから。
 護身、という名目以上に恐らくは完全記憶能力者として生来の能力を試してみたいという一種知識欲めいたものが彼女を功夫へと傾倒させたのであろう。素人が一朝一夕のファッション感覚で身に付けられ得るほど武道・格闘技は甘いものではないということを、曲がりなりにも男児たるを知るべく剣道を修めている僕自身よく分かっているのだ。

 頑張った、と胸を張ってみせる彼女は平生より少しだけ稚気めいて見えた。少々の疲労は覗くものの、邪気のない笑みがとても愛らしく気付けば手が伸びていた。指通りのよい柔らかい前髪の生え際をなぞるようにして温かい額までを撫でる。嬉しげに(見間違いでなければ)目を細める姿に、これ以上ないほど気を許されているのだと再確認するようでささやかな喜びが込み上げてきた。

「最初に功夫に触れたのは、偶然お父さまの書斎で『紀効新書』を見つけたときなの」
「むぅ、詳しくは知らないが……明代の書物だったろうか」
「ええ。それで、自分を護るための技術が本を通して得られるっていうことに気付いて、あたし、嬉しくなっちゃって」

 単なる出歯亀心からくる興味などではなく、必要に駆られたのだというその言葉。切実さの滲むようなその語り口に僕は少々の疑問を覚えた。即ち、全国有数の信者とその有り様の清廉潔白たるを誇る宗教団体に於いて中核に座すところの存在である彼女が、何ゆえにそう逼迫して己を護る術を身に付けたいと思わしめたのだろうか。
 僕がそれを口にするより早く、常より矢継早な語り口にして彼女が続ける――何をか訴えるようなその口ぶりは、先刻の手合わせで最後に彼女が浮かべていた、諦めと悔恨が入り混じった表情にこそ似合うもので、到底いまの穏やかな微笑にはそぐわなかった。

「無論、頭でっかちでは修練が足らないでしょう。自己流で会得した術の程度なんてたかが知れているし、取っ掛かりは書物だとしてもきちんとした師を仰ぎたかったのよ。幸いにして環境や人脈には事欠かなかったし素敵な道場も紹介して貰えたわ、――嗜む、なあんて謙遜して申しては居るけれど、実はそれなりに時間も研鑽も積んでは来た…訳で」
「……僕がそれに気付かないとでも思っていたのかね」
「あら、お気付きでいらしたの?」
「むぅ…平生確かに人心に疎いとは目されている僕ではあるが、あまり莫迦にしないで貰いたいぞ。殊、きみに関しては僕の観察眼も適切以上に機能していると自負しているのだからな」
「そう? だったらわざわざ"隠れた努力自慢"なんかしなきゃよかったわ、なんだか却って惨めだもの。清多夏さん、いまのは全部ぜーんぶ嘘だから、忘れてくださって宜しくってよ――ひゎ」
「はいはい、分かったから……分かっているから、今は休んでいたまえ」

 柄にもない遮りの文句が口を衝いて、頭を撫でる仕草も少々乱暴な手つきになってしまう。本当は、言った以上に、きみのことならよく分かっている。そもそも太刀打ちできるらくも無い相手とはいえ、そして自分の得手は攻めの拳ではなく護りと流しの拳であるという自負もあるとはいえ、――やはり、負けを喫したという事実に悔しさと遣りきれなさを僅かにでも感じているのだろうことくらい、僕には分かっている。世話が焼ける、などという感慨をこの僕が抱くことになるだなんて思いもしなかった程に。
 浅く長い息が吐かれたのち、彼女の身体から力が抜ける。力が抜けるということはそれまで力が入っていたということで、その事実こそが彼女の現状が平生ならざることを明確に示していた。割り切っている心算で割り切れていないのか。僕のように幼い人間ではないから、僕のように未熟な人間ではないから、それを押し殺すことが出来る彼女だから、――こうして、自分の弱さを自覚することを良しとしないのだ、彼女は。

「きみは、」
「――なあに」
「……生憎と僕は言葉が巧くない。今から言うことにも多少語弊を含むやも知れないが、きみなら分かってくれると信じて、敢えて言う」
「ええ」
「きみは、自分を追い詰めてまで強く在ろうとしなくて良いのではないだろうか。……その、…僕が、居るのだから」
「まあ、」
「これは無論、きみの努力や力量を穿って観ている訳では無い。ただ、……きみの周りには、きみを心から大切に思い、日々きみを護るため動いている人間が数多く居るだろう。"信者"諸君にしてもそうだし、きみの友人の中で言うのであれば霧切くんや、勿論さきの手合わせ相手である大神くんだって有事の際にはきっときみに力を貸してくれる。それに、……繰り返すようだが、僕とてきみの盾になれないほどに軟弱な男ではないんだ」
「分かっているわ。…ぜんぶ、分かっているし、感謝もしていてよ」
「だったら、――……」

 口にすれば止まらなくなる疑問。彼女の額から伝わる快い熱を掌で受けながら、そうして捲し立てて漸く僕はその答えを悟った。
 凪いだ水面のように感情の振れを感じさせない、而してそれは決して無感情ではなく、寧ろ温かいそれを伴って打たれる相槌。柔らかく口角を上げて、僅かな水気を孕んで蕩ける紫水晶の瞳は細まる。心からの、微笑。否、――心から笑んでも尚、微笑、か。
 救いを待つ人々の傍らに佇み、癒しを体現する"巫女"たる彼女は、わざとらしく悟ってほしげに本音を隠すことなどしない。彼女の心はいつだって、察しの悪い僕にも余さず届くように開け放たれている。但し、――彼女が僕に見せてくれる感情はいつだって、表出される前に彼女の中で昇華されきってしまっている。



「――あたしには、誰かを拠り所にしようだなんて過ぎた甘えは赦されないの」



 護られてばかりは嫌だから、――などと、ごくごく簡潔簡素なヒロイズムに基づいた回答が呈されてくれたらよかったのに、と僕は悔やむ。そうであってくれたなら、僕は僕の意志できみを護りたいのだ(、他の皆だってきっとそうだ、と迄言うかは分からないが)、と告げることが出来たのに。
 違うのだ。彼女は単に、彼女が一人で立つにあたって他人の存在を前提にすることが出来ないのだ。聡いがゆえ、喪うことを考えてしまうが故に。当てに出来ない、と見下すのではなく、寧ろ周りの誰をも――僕を、含めて――信頼し心を委ねてしまいたくなるからこそ、自分ひとりで完結せんとしてしまうのだ。

 きみは、自分が強い一個たり得ないことを、この負けを通して感じ悔やんでいる。
 僕にはきみに同意することは出来ないから、――せめて、不器用なれどもきみに想いを伝えておきたい。

「でも、――きっとそれは叶わないことだ」
「努力は報われる、のではなかったの? 清多夏さん、お日頃の主張と矛盾しておられるわ」
「……すべての物事に例外は起こり得る。これはきみが教えてくれたことだと思うのだが」

 額を近づけて、初めてわかった。――平生より、熱いのだ。
 僕に真摯に向き合ってくれるために、彼女はどのくらい自分の感情を希釈することを己に強いたのだろうか。恐らくは彼女自身にも容易く言語化することは能わなかったのであろう複雑な煩悶を、あの静謐な微笑みの中に湛えるのに多大な精神力を費やした結果が、この知恵熱。彼女も存外に不器用なのだと感じるのは、いつもこのような折であった。


「叶わないことも、ある。そうして、――きみに赦される甘えだって、当然、ある」


 本当にきみを求めようというとき、くちづけることすら叶わないことがある。今回もそうだった。それでは足りないのだと頭の何処かで理解を下していて、額を合わせたまま目を閉じる。きみの視界が僕で一杯になるように――きみが目を閉じていたのだとしても、僕には見えないから問題はない。

 僕だけは、きみに赦された甘えでありたい。


//20140405-0518

 きみがひとりで立つことを、僕が赦さない。