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ひともじちがえば




「む、不二咲くんが放課後に教室に残っているのは珍しいな。作業中、だろうか」
「お仕事の作業じゃないから見て貰っても大丈夫だよぉ。えへへ、実はコレなんだ」
「――学級の諸君が写っているな。……っは、これは」
「ふふ、思い出したぁ? ちょっとデータ整理しようかなーと思って画像フォルダ漁ってたら色々出てきて懐かしくなっちゃって。懐かしいって言っても、まだ一年も経ってないんだけど」
「クラスで海浜公園まで遠足に行った折の写真もあるな」
「学園全体の行事だったら小泉先輩とか写真部の人たちにカメラは任せちゃうけど、このときは当然居なかったんだよね。……ええと、春の球技大会のときは苗木くんがカメラだったよねぇ、社会科見学でお菓子工場見に行ったときには山田くんだったし、…この遠足のときって誰だったんだっけぇ」
「僕だ」
「あー、……――あ! そうそう、石丸くんだったよねぇ! どうして僕忘れちゃってたんだろ、そういえばこのあと、写真絡みでちょっと大変なことになっちゃったんだもんねぇ」
「……すっかり忘却の彼方に追い遣っていたが、ふむ。未だに思い出すと感慨深いものだな」



 * * * 




 それは、石丸清多夏青年が現在の恋人たる有栖川白雪嬢と未だ想いを通わせること能わぬ時分――というと結構長いスパンのように思えるけれど而して数か月程度のことだったりする――のほんの些細な出来事である。


「諸君、先日の写真が出来上がったぞッ!」

 朝の教室に78期の面々が揃った頃合いで声を挙げた石丸の手には幅広の封筒。その声で三々五々と彼の机の周りに集まってくる面子は皆うきうきとしているように見える。この数か月間で面々はそれぞれに打ち解け、少々気難しい勢であっても入学以前に比べれば少々の社交性を身に付け始めている時期であった(何せ、当の石丸自体が当初はそちらの陣営に数えられていた節すらある程なのだから)。
 写真の裏に番号を振っているから焼き増しが欲しい番号を適宜あとで僕に申告するように、との既に常套句となりつつある――持ち回りで写真係がその采配を執るような流れが既に出来上がりつつあったのだ――流れを口にする石丸から写真を受け取った舞園が、まず顔を綻ばせる。

「わあ、石丸くん意外と写真上手なんですね! よく撮れてます」
「本当ね。球技大会のときは撮影係より高い身長のひとは大体頭が切れていたから」
「霧切ちゃん、向こうで当時の写真係が泣いてるんだけど…あーっ私この写真欲しいなー! さくらちゃんと戦刃ちゃんと一緒の奴っ」
「……わ、私もそれ、一枚…あと、この……たんぽぽの」
「たんぽぽってかそれただ石丸がミスって地面撮っちゃっただけじゃん…センスまで残姉とか救いよう無いわー……あーアタシそれ焼いといて、苗木がソフトクリーム落として茫然としてる奴。メシウマ極まる」
「江ノ島ちゃん、向こうでソフトクリーム落とした奴が泣いてるんだけど…」
「きッ君たち少しは順序というものをだ、な――……」

 早速とばかり女子勢が好き勝手に告げ始めた希望を手持ちのポケットメモ――この律儀さと几帳面さが彼を風紀委員たらしめている側面もあるだろう――に書き留めていた石丸の手が不意にぱたと止まる。そうせしめた原因は、級友の華やかな賑わいにつられたのか足取りもふわふわと、可憐且つ優美な意中の「彼女」――有栖川白雪が彼の傍へ姿を現したからに他ならなかった。

「白雪ちゃーん!」
「うふふ、この間のお写真ね? さやかさんとっても楽しみにしていらしたものねえ…随分と急いで仕上げて来てくださったようで、石丸さん大変だったのではなくて? お気遣い痛み入るわ、有難う」
「ッな、否、その、…有栖川くん、……大丈夫だ。それほど手間では無かったよ」
「然様で? そうであったにせよお手数掛かったでしょうに――そうだわ、有りもので恐縮なのだけれど、好かったらコレ。召し上がって頂戴まし」

 華やかな微笑を以て労いの言葉を掛けてきた彼女の名を呼ぶ石丸が、白雪、の一文字目を一瞬口にし掛けたのを舞園は見逃さなかった。先刻から自分が彼女に半ば抱き着くような体勢で写真を見繕っていたのを至極羨ましげな視線で見遣っていたかと思えば、この男どうやら己の愉快な妄想の中では既に有栖川白雪をファースト・ネームで呼んでいたらしかった。指摘したところで碌な顛末を迎えそうにもないので沈黙は金を貫くのが賢いアイドル道と見つけたり。
 ほっそりとした白磁のような指が差し出してくるキャンディ――しかも有栖川、何処からそれを取り出したかというとよりにもよって胸ポケットであった――を数十年探し求め続けた秘宝か何かのような恭しい挙動で拝領した石丸の「有難う」は当然の如く上擦るわ裏返るわで、これまた当然の如く周囲の78期生一同、コイツ本当に隠す気無いんだろうなあと感じること然りである。あれだ、忍ぶ恋こそ本道であるという葉隠――勿論三割当たる某占い師のことではないべ――宜しくの恋愛道に照らし合わせて、口に出したら本当の恋ではなくなると鵜呑みにしてしまって単にオープンハートし損ねているだけの状態なのではなかろうか、とか。バレバレでも出してないからセーフ、みたいな。実際セウト以外の何物でもない気がするが。兎に角。
 今夜の彼のイマジナリープレイング(※造語)が、先刻までそのキャンディが入っていた場所を踏まえての「僕もあのキャンディならどれだけよかっただろう」などという玄人極まるテーマにならないといいな、と級友が道を外さぬよう祈りながら舞園は同じく遠足の写真をああでもないこうでもないと言いながら漁っている面々に視線を写した――ところで、硬直する不二咲を目にしたのであった。

「オイ不二咲、どっか悪くしてンのか? 顔青いぞ」
「ふゃあ?! 大和田くん…大丈…否、大丈夫じゃない、よねぇ、コレ」
「あァ? この写真がどうk――……」

 少々離れたところにいた舞園ですら気付けた不二咲の異変に、彼の近しい友人たる大和田が気付いていない筈もなく、訝しがっているところに当の本人から差し出された一枚の写真。翳されたそれを一瞥するだに――大和田もまた、不二咲宜しく顔色を失ってしまった。幸いなことに、他の生徒らはそれぞれ自分や友人が写っている写真を探してはかしましく談笑している最中であり、なにやら謎の緊迫を纏い始めた二人に注視しているものはいなかった。
 不二咲も大和田も、写真を人垣から護るように隠しながらその一枚と石丸とを交互に見比べている。なにやら此の風紀委員、また何をかやらかしたらしかった。エスパーでなくとも察せ得るその事実に、舞園は未だに石丸から離して貰えない――学級始まって此方、個性的なクラスメイトに揉まれ尽くしてそれなりのコミュニケーションスキルを身に付けた堅物委員長様はどうやらそれをフルに悪用する術を身に付けてしまわれた模様である――有栖川を置いて、しなやかな身のこなしで人の波をすり抜け、不二咲の背後へと忍び寄ったのであった。

「不二咲くんっ」
「ぴゃ」
「舞園か。……まあ江ノ島やら朝日奈やらに比べりゃクチの堅い方だな」
「? どうしたんですか、その写真が何か?」

 兄弟の沽券に関わる問題なんだ、と口数少なに語る大和田は、不二咲との無言のアイコンタクトの果てに舞園へと問題の写真を差し向けてくる。(蛇足だが、この超高校級のゾクの御人、「沽券」が出て来なくて第一声ではこともあろうに「股間」とか言い始めて大いに不二咲を慌てせしめてくださった。確かに有栖川白雪の存在は彼の股間に関わる重要案件であることに疑い無かろうけれど。閑話休題。)

 このクラスで行事の写真を任された人間は、毎回その裏に一枚ずつ番号(焼き増し希望を取るための便宜上のものである)と、その写真の簡単な説明――写っているメンバーや、行事が複数日にまたがるものであれば何日目の写真であるのかなど――を記載して持ってくることが定例となっている。以前、山田がこの係を拝命した際には一枚一枚に謎のアオリ文が付記されており、寧ろ写真よりそちらが話題を集めるなどという珍事も勃発したものである。そして今回も例に漏れることなく、写真の裏側には一枚残らず石丸の几帳面な筆跡で以て注釈が為されていたのを舞園は確認していた。
 大和田の武骨な太い指が摘み上げてきたその一枚は、何故か裏返されている。ということは、問題は写真そのものではなく説明書きのほうであるのだと舞園も察した。とはいえ、まずは写真のほうを確かめないことには説明書きが抱えているらしい問題点も把握できまいよとばかり、一先ず表面を確認してみる。

 どうやら気を利かせた誰か――今や78期全員が石丸の懸想を心得ている以上、得てしてこのような事態は誰くれとなく起こり得るものなのである――がその時のみはカメラを代わってやったのだろう、他でもない石丸と有栖川のツーショットが収められた写真であった。背筋は完全に伸びきっており何処からどう見ても緊張頻りではありながらも写真の上ですらその歓喜が伝わって来そうな青年の傍らで、はんなりと微笑を浮かべて小首を傾けている有栖川は至って通常操業であった。
これは家宝にすべきですよ石丸くん、と今も己の視界外で懸命に有栖川と会話を保たせている恋する男(これが乙女から男に代わるだけでずいぶんとむさ苦しくなる、と舞園は嘆息せざるを得ない)へ心ばかりのエールを送りながら、いよいよとばかり裏側のペン書きへと目を滑らせて、――舞園の「国民を虜にしてやまない」とも称される完璧なスマイルは霧消した。

 これまで舞園が朝日奈たちと和気藹々と眺めていた写真にも、【舞園くんと霧切くん、朝日奈くん】【男子(十神くん不在)勢揃い】【兄弟、不二咲くん、僕】【江ノ島くん・戦刃くん姉妹】などと簡素な箇条書きにて被写体の名は連ねられていた。僕、というのは無論、今回の写真係であった石丸本人のことを指している。そして、この写真とてそれは変わらない。
変わらない、のだが。





【僕の、有栖川くん】






 ――まっこと、一文字違えば大違い、とはこのことである。

 恐らく彼は「僕と有栖川くん」の心算で書いているのであろう、何の気なく特に力が入っているわけでもない筆跡がそれを物語っている。而して、書いてしまったものは書いてしまったものである。
僕の有栖川くん。何をしれっと恋人でもない相手を所有宣言してくれちゃっているのであろうか。成程、不二咲と大和田が硬直状態に陥っていた訳に舞園も合点がいく思いであった。

「……大和田くん」
「おう、ンだよ舞園」
「石丸くんって莫迦なんですか?」
「兄弟のこと悪く言ってンじゃねェぞ……って返してェとこだが生憎とオレも今回ばかりは庇えねェわ」
「こ、このままにしておいたら有栖川さん本人に見られちゃうかもだし…こっそり石丸くんに教えてあげよぉ」
「なんかもう逆に見られちゃったほうが面倒臭くなくていい気もしますけどねっ」
「……どっちみち面倒臭ェんだっつの、ンな事したらまたオレらでアイツ慰めてやらなきゃならねェんだからよ」

 とは言いつつ、結局は舞園が有栖川を多少強引に余所事へ連れ出している間に大和田と不二咲とで問題の【僕の有栖川くん】について石丸へご指摘差し上げた次第であった。
 あまりにあんまりな書き間違いを知らされた石丸がメダパニとコンフュを一度に喰らったような顔で人事不省に陥ったことは最早特筆するまでもないことである。



 * * * 




「それにしてもやはりこの写真の白雪は抜群に愛らしい。当時は罷り知るべくも無かったが、聞けば彼女も当時から僕を憎からず思ってくれていたというじゃないか! それを踏まえて見ればこの、僕のほうに傾けられた首も、はにかむような微笑も何もかもが一層華やいで映るというか……」
「ふふ、石丸くんは本当に有栖川さんのことが好きなんだねぇ」

 過去の醜態に際してもう少し取り乱すかと予測していた――そして本音を言えばその様子をほんのちょこっと楽しみにしていた――不二咲は日常茶飯事で呈される惚気にさらりと相槌を打つなり、モニタから彼のほうへ視線を移す。最早多少の揺さぶりでは赤面することすら少なくなったこの風紀委員は、写真の中でしゃちほこばっている時分より更に逞しくなっていた。色々な意味で。
 不二咲が腰掛けている席の傍らに立ち、相も変わらず美しい姿勢にて直立していた石丸が、そこで「それにしても」と些か煮え切らない声を挙げた。

「んぅ……何かあったのぉ?」
「あのときのことを思うと、何というか、無性に込み上げてくるものがあってだな」
「あはは、よりによって舞園さんに見つかっちゃったもんねぇ……」
「ああ」
「それは恥ずかしくて仕方なくなっちゃうのも当然だよ、僕だったら思い出すたびに居た堪れなくなっちゃうかも」
「否、そうではなくて――ただ、惜しいことになったな、とだな」
「え?」

 こともあろうに想い人とのツーショットで――欲が出てしまったかのような――書き損じを犯してしまったのだ、恥ずかしいという以外に何があるのだろう。不二咲がその愛らしい作りの顔を僅かに怪訝げにして見つめる先で、当時のやらかし張本人はさも真っ当な主張を為しているとばかりの面持ちにてこう続けた。

「あれを白雪本人に目にして貰えていたら、と思うと悔やまれてならない」
「……どういうことぉ?」
「そのあとで僕が故意でないことを主張して間違いを謝ったとしても、少なからず彼女の意識には何らかの心象が留まってくれていたのではないか、と」
「え、…えぇー……?」

 あれ、わざとだったんだねぇ――という確認すら最早野暮な問いかけであると判断して音に出さなかった不二咲は非常に賢明な人間である。
 つまり、深層心理に【僕の有栖川くん】を刷り込みたいがための仕込みであったということか。而して真に恐ろしいのは、石丸がそれを後ろ暗い計算高さ故ではなく、「こうなったらいいのになあ」程度の純粋な心根で以て行っていたに違いなかろうことが容易に推測できる点なのであった。何せ、今の今まで彼は本当に当時のことを思い出さず居たのであろうから。(ということは、このほかにも彼の無意識下での常軌を逸した行動は枚挙に暇がないのだという事実の証明にもなっている、ような気がする。)

 不二咲くんも一つどうだね、と不意に差し出された小さな和柄の巾着には様々なフレーバーの飴が収められていた。
甘いものはどれでも好きだからと何の気なしにひとつ取り上げたものに「それは駄目だ」と理不尽な却下を喰らったものの、石丸くんは本当にときどき面倒なひとだな、とは決して言わない不二咲千尋である。

・ひともじちがえば

20140506

 それは駄目だ(――、あのとき白雪から貰った大切な飴なのだからな)。