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アフター・バレンタイン




 今年のバレンタイン・デーは金曜日だった。
 即ち、「結果」を出すまでには土・日の猶予が与えられていたということである。

 さまざまな可能性を検討し、考え尽くした。
 向けられた「好意」の中身を、行方を、その隅から隅まで精査し尽くした。

 そして、漸く得られた答え。――早く、伝えなければ。
 彼の、彼女の、皆の求めに、応えなければ。



 * * * 




「おはよう」
「皆さん、お待たせしてしまって御免なさいね」

「そんな…わたしたちが霧切さんや白雪ちゃんにお願いした立場なんですから」
「だべ。そりゃお待ちかねだったけどよ、二人が居てくんなきゃそもそも始まるモンも始まらねーべ」
「うふふ、少ぅし判断に手間取ってしまったのよ。其処はほら、響子さんと二人で話し合ったりして」
「……正直なところ、初めてのことだったから骨が折れたわ」
「前置きはいい、早く教えろ」
「ちょっと十神っ、せっかく有栖川ちゃんたちが頑張ってくれたんだからそんな言い方することないでしょー?!」
「そ…それでどうだったのよ有栖川……とととととっととおおお教えなさいよッ」
「ええ、それではね――皆さん、」

 運命の「その日」から週が明け、2月17日。
少し早めに登校した有栖川白雪は教室前で同じく待機していた霧切響子と落ち合ったのち、希望ヶ峰学園第78期本科の教室の扉を開いた。教室内で待ち受けていたのは、彼女たち二人を除いた他の本科生、すべて。その大半が、今日のこの日、有栖川と霧切の「返答」を待ち望んでいた。約二名――級友の皆が金曜の放課後に深刻な面持ちで「週明け朝イチで集合」と示し合わせていたことに不思議を感じ(何せ”彼ら二人”には「集合する必要」がなかったためだ)、取り敢えず来てみたところである存在だ――石丸清多夏と苗木誠を除いて。ほかの面子が皆、平生朗らかすぎるほどに朗らかな桑田や江ノ島なども含めていつになく真面目な表情をしているのに対し、さきの二名は頭上に目視し得ない「?」をたくさん浮上させながら行儀よく座っていた。おりこうさんである。

 ところで、この「招かれざる客」コンビのうち鬱陶しいほう――石丸は目下、今しがた教室に姿を現した有栖川白雪の自他ともに認めるベターハーフたる存在であるのだが、未だにこの集まりの目的に思い当たらない彼は、事前に合点を通している間柄であるらしい他の面子と有栖川とが交わしている意味深長な遣り取りに若干の不安を感じ始めている。
 今年のバレンタインデーは翌日から土・日の休みを控えているという既に恋人同士であるカップルにおいてはまたとない日取りに位置していた。そもそもお菓子類の持ち込みがとくに禁止されていない希望ヶ峰においては、たとえその日が平日であったとて風紀委員たる自分が何をかしなくてはいけない訳でもなかった訳だが、やはり背後に休日を控えているというのはなんというか、こう、可憐で瀟洒で華奢でとにかく愛らしくて愛しくて堪らない恋人を持つ身としては、嬉しくて堪らないのである。正直――露骨な表現は公序良俗に基づき避けるけれども――この甘やかにして幸いな一日を、今年の石丸はめちゃくちゃエンジョイした。その心算であった。
 が、今、この連中は。クラスメイトたちは、彼の(今や78期生のすべてが「有栖川白雪」という名詞に対して「石丸の」という接頭語を伴わせることはまっこと自然なことであると認識しつつある)有栖川に、なにを求めているのか。霧切と二人で話し合わなくてはならない「初めてのこと」とは何か? 有栖川の週末の予定といえば、他でもない自分が金曜の夜から拘束しており、名残惜しくも解放したのは日曜の午後であった筈だが――それから有栖川は霧切と何をしていたというのか? まさか――……

 その不安が最高潮に達しようというとき、それまでにわざわざ教卓の位置にまで移動していた有栖川と霧切が、同時に破顔してみせたのであった。


「白雪に任せるわ。あなたから伝えてあげて頂戴、皆に」
「ええ、任されてよ。では、皆さん、



 ――安心なさって。今年、皆さん宛てに届いたチョコレートはすべて安全だと思ってくださって問題ないわ」


「……む? 君たちは何を白雪たちに頼んd「きゃーよかったです! 有難うございますね二人ともっ!」」

 どうやら己が想定していた最悪の展開は免れたらしいが、それがゆえ却ってますます不可解な事態に陥ったらしいことを察した石丸が怪訝な顔をして問いを発するよりも先に、心底から安堵したような舞園の華やかな歓声が教室に響き渡る。快い音に口を切られて、教室内で表情を強張らせていた78期の面々はさきの舞園と同じく試験明けのような解放感ある空気を纏いだした。
 居た堪れないほどに張りつめていた教室内の空気が急に緩んだことで一旦ほっとしつつも解せない様子の苗木たちをよそに、謎の会合は続いてゆく。

「ほんとによかったよぉ…去年までは残念だけど処分しちゃってたからぁ」
「だべだべ。けど折角貰ったモンなら食えるもんは食いてーしよ」
「――待って頂戴、安心するのは早いわ。白雪の言う通り、確かに危ないもの・有害なものは混入されていなかったのだけど、食べるか否かは個々の判断に委ねられそうなものが幾つかあったのよ。白雪、報告を」
「ええ」

 書類に残すと何処に漏れるか分かったものじゃないから口頭で失礼するわね、と軽く優しく微笑みながら有栖川が次に述べたことには、

「先ずはやっぱり十神さんね」
「……何だ。言え」
「お名前は後で貴方にだけお伝えするけれど、さる財閥のお嬢様から頂いたと仰っていたトリュフ、……どうやらあれね、本命だったみたいなの」
「だから何だ」
「既製品だと思っていたでしょう? 恐らく手作りよ、あれ。さぞや大変だったでしょうねえ……」
「愚民の癖に持って回った言い方をするな。端的に言ったらどうだ」
「じゅうはちきん」
「――……何だと?」
「…の、バングルをチョコレートでコーティングした代物だったの」

 十八金。アダルト系ではなくゴージャス系のアイテムであった。有栖川によってもたらされたその一例によって十神は呆気にとられたのか完全に沈黙し、同時に一座は先刻の霧切の発言にかかる正確な意図に思い至る。
 成程、毒物なり身体の一部分なり――どうやら今年は某所でまことしやかに異物混入にまつわる恋愛絡みのジンクスが出回っていたらしくそれだけに"超高校級"の生徒たちはとにかく、怖かったのだ――といった明らかに人体に有害と思われるものまでは検出されなかったにしろ、世間一般的なバレンタイン・ギフトの範疇からは逸脱しそうなものは幾つかあった、ということか。

「それから、さやかさん」
「あう、勿論ですよねー……なんでしょうか」
「たいへん精密なチョコレート・アートを贈られていたみたいね」
「そうなんです、まるい大きなミルクチョコレート? の球に、デフォルメされたわたしの絵が彫ってあったんです。怖くて割れなかったんですけど、中から時計の音もしなかったし一先ずは預けて大丈夫かなあって思って」
「……昨今の時限爆弾ってデジタル時計内臓ですから仮に爆弾であったとして時計の音はしなくってよ? …ではなくて、ええと、多少此方としても心苦しくはあったのだけど、さやかさんの身の安全のためにあたしと響子さんで割らせて頂いたわ。そうしたら中から」
「な、…中から……?」
「貴方のデビュー当時のコンサート衣裳をこれまたチョコレート細工で綺麗に作り上げた代物が出てきたわ」
「えええー?! なんですかその謎の技術! もうその人"超高校級のパティシエ"でうちに招致すべきじゃないんですか……」
「そちらも内容物としては至って安全そのもの、単に送り主の愛の深さをさやかさんが受け止め得るか否かの問題かしらと思ってこの通りご報告差し上げた次第でしてよ」

 他にも数人の名を挙げて送り先の概略と検出結果を手短に、時におもしろおかしく述べてゆく有栖川を暫しぼけっと眺めていた(ちなみに平生の彼の挙動から考えるにこの状態は非常に珍しいと言える)石丸であったが、そこは万年学年首位の学力を有する男、ここにきて漸くこの一座の目的が門外漢である彼にも解し得るところとなったらしかった。
 つまり、「超高校級」の才能を持つ彼らの中でも特にメディアへの露出の多い芸能・スポーツ陣営、それから各業界でさながらカルト的な人気を博しているであろう者々が、それぞれ学外から希望ヶ峰宛てに寄せられてきたバレンタイン・ギフトの安全を確かめたく敏腕探偵である霧切と立場上専門器具なり施設なりの手配に顔が利く有栖川に依頼を掛けたということなのであろう。正直なところ、才能と言っても単に成績優秀かつ品行方正なだけ――「だけ」というのは石丸本人の自己評価に過ぎず、実際は超進学校と名高い開成灘高校・そしてリアルチートの跋扈する希望ヶ峰学園において変わらず首位をキープし続ける程度の学力といったらとうに常軌を逸しているではあるのだが――であり世間に対して露出がある訳でもない石丸と、同じく抽選で選ばれた"幸運"を除いては学園入学から今まで普通普通アンド普通であった苗木だけが今回の集まりに呼ばれていなかったことにもそれで説明がつく。なにせ彼ら二人は学外からダンボール箱単位でチョコレートが押し寄せる、などという事態に見舞われなかったのだから。

 有栖川と霧切が手分けして一人ずつに詳しい内訳など説明しているなか、緊張から解き放たれた超高校級のモテ男・モテ女たち(勿論、単に畏敬なり崇拝なりを集めているケースも中にはあるのだが)は今年のバレンタインデーを口々に振り返り始めている。

「いやー…ぶっちゃけ希望ヶ峰入って忘れかけてたけどオレって一応野球界ではチョー話題のルーキーだったんだよなァ……びびった、まさかオレ宛てにあんなにチョコ来るとか。ガッコじゃ日々舞園ちゃんや朝日奈から冷たい目で見られたり有栖川ちゃんを目の前でイインチョに掻っ攫われたりしててホントさえねーのに。つーか…女の子からのっぽいのもちょいちょいあるけどコレ大半小学生からじゃね? オレ子ども苦手なんだけど…でも貰っちまったら無駄にすんのもアレだし明日から授業中の非常食はコレ喰うわ。……あー、来月はこのガキンチョ共にやるボールにサインかよ面倒だわー」

 本人のキャラクタとは裏腹に、子供たちから純粋な「すっげー!」の想いを集めていた野球選手は面倒臭そうな口ぶりとは裏腹に何やら晴れがましいようなくすぐったいような顔をしているし、 

「ファンの女の子たちから沢山プレゼントが届いてほんとに嬉しいです! わたしもファンクラブの会員の皆さんにはユニットからってことでバレンタインカードは贈りましたけど、やっぱりこうしてこの日に女の子たちから贈り物が貰えるって、それだけ女の子にも支持して貰えてるって証だと思えますから。個人的にお返しが出来ないのは心苦しいですけど、皆わかってくれるって信じてます。ふふー、あとでRonpatterにお礼と一緒に写真を載っけます!」

 男性からの応援はさることながら、同性からも幅広く好意の目を向けられていることを再確認できたらしいアイドルはいつも以上にご満悦らしく華やかな笑顔が当社比五割増しだし、

「……ったく、何なのよどいつもこいつも、小説の登場人物宛てにチョコレート贈るとかバカなんじゃないの…ッ? そんなのあたしに贈られたってこ、困るわよッ…あたしの執筆中の貴重な糖分になってそれで終わりよ生産性ゼロじゃないの……毎年毎年ホワイトデーにお返しの掌編書いてやってるあたしの苦労考えなさいよ読者なら…あああ嫌んなる」
「フォカヌポゥwwww個人ブログで非リアアッピル爆詰みしてたら同胞たちから山のようなチョコレートが届いたでござるwwwwwwってこれ明らかに例年の量超えちゃってるんですが何なの? ばかなの? 確かに拙者これまでに白ジャムとか作品で使って来たけど再現厨とか流行りませんぞ…って思ってたらこれ普通に美味しいミルクジャムだったって巫女様それほんと? 実際それ舐めて確かめたんでしたら是非証拠写真を…って失礼ここには石丸清多夏殿がいらしたんでしたな拙者とて命は惜しい――いやはや、実際問題ただの喪男たちからの同情票だとはいえちゃんとしたチョコレートが届いた以上、僕もそれにはそれなりの報いをせねばなりませんなあ」
 
 恋する乙女の純情を虚構の王子の代わりに受け止めさせられ当惑する文学少女と、尊敬するクリエイターに一人さびしいバレンタインは過ごさせまいという全国の大きなお友達からの心遣いを頂戴した同人作家は揃って相も変らぬオーバー・リアクションの中に元来の真面目さ律義さをほんのりと覗かせ、

「ったく、チームの連中だけなら女みてェな事してんじゃねェって怒鳴ってるところなのによォ、あいつらなんでてめェの女にまで贈らせてんだっつの…そこまでカンシャされるような事してねェよクソがァ……お、不二咲ちょっとその画面もっと上にやってくれ、…はァん、今はチロルのプリントに自前の写真が使えンだな。オイちょっとこのチャックの写真そン中に入れてくれや」
「え、えっとぉ…大和田くん、スクロールも知らないみたいだしちょっとインターネット発注はちょっと難しいんじゃないかなぁ……? なぁんて、日頃お世話になっちゃってるから僕がお手伝いするねぇ。あとでスキャンしてあげるからぁ――……えへへっ、聞いてよアルターエゴ…こんな僕にも今年はチョコレート、一杯届いたよぉ。しかも、男の人たちからばっかりじゃなくってさぁ……ふふー」

 返礼なのか故・愛犬の見せびらかしなのか危ういところではあるが一先ず一か月後のための出費を当然のこととしているらしい暴走族へ向かって口答え、からのスルーという合わせ技を用いることが出来るほどにこの学園生活で成長を遂げたらしいプログラマーの快哉は、彼が立派な一男児であることを垣間見せるものであったし、

「まあ、わたくしのものは皆様と違って既製品ばかりではありましたけれど――送付元が平生"お世話になっている"方々であったり"社交場"であったりとくればそれなりに警戒はして然るべきでしたから霧切さんには感謝しておりますわ。……何ですか、…分かっていますわよ検査のための施設提供は有栖川さんのコネであるという事くらい。ふん、……少々ほどは感謝していなくもありませんわよ」
「っつーかセレスっちの貰ったチョコ高級ブランドのモンばっかりだべ! 義理でそんなん贈れるような連中と知り合いなんかー…今度占いに興味無いか聞いといてくんねーか? ……っと、俺はあんまし心配も何もなかったべ。大体こんな機会に俺にチョコなんてくれるのは占い当たってカンゲキしてくれたっぽいおばちゃんばっかりだかんな! でも今年ばっかは希望ヶ峰補正っつーのかなんつーのか…お得意さんの有名処からも結構来ちまったかんなー…あー逆になんか入ってくれてた方が売名出来て良かったかもわからんべ」

 セーフとアウトのボーダーラインをアクロバットで猛進する常勝の勝負師と風来坊の占い師はある意味彼ら彼女ららしいといえばそうであるが至極いつも通りであり果たして返礼をする意志があるのやらすら知れず、

「うん、舞園ちゃんが『今年は女子の皆、78期の男の子たちへの義理チョコは無しって決めておきましょう』って言ってくれた訳がすっごく分かったよー。外からのチョコだけでもこーんなに一杯あるのに私たちでもっと増やしちゃう訳にいかないもんね…まさか私にもこんなに届くなんて思わなかったなあ、むむー…アスリートとしてこんなに食べたら太っちゃうよ絶対ダメダメ〜って抗う気持ちと女の子としてわーいチョコ掛けドーナツが一杯届いてるよーやっぱり応援してくれてる皆は私のことちゃんと分かってくれてるよね〜ってめいっぱい喜ぶ気持ちがあああ」
「……不戦敗を喫しているぞ朝日奈、両手に持っている食べかけのそれは何だ。だが折角の、思いの籠った品なのだ。後で確と鍛錬に励むのであれば、作り手の厚意に報いても罰は当たらぬだろう。――問題は我よ。朝日奈とは違い甘味の類は届かなかったとはいえ、……あの大量のプロテインを如何様に部屋に収納せよというのか…倉庫に寄付か、いややはり惜しいな……クッ、我も未熟なものだ」

 形と対象は違えど、要約してしまえば「自分が貰ったプレゼントだし自分で楽しみたい!」という至極女子高生めいたガールズマインドにて煩悶するスイマーと格闘家は結局そのあとお互いに贈られてきたものを仲良くシェアして消費する算段を立てていたし、

「……ま、まさか私にまで来るなんて思わなかった…焦った、退役軍人ってそんなに暇、なのかな…」
「いやいやむくろちゃん今年は結構お仕事頑張ってたじゃん。あの表紙からして硝煙のくっさい匂い漂ってきそーなミリタリー雑誌とかウザいくらい取材来てたし? あんたみたいになりたいって奇特なお嬢さんが一人や二人居たって不思議じゃないっしょ」
「私みたいに、……そっか、あんまりお勧めは出来ないけどな」
「えっ何ですかいきなり自意識過剰ですか別にそのコたちだって3Z目指したい訳じゃないと思うよ? ほらあの思春期にありがちな軽くミリオタな私カコイイミャハ☆ミみたいなライトな層なんじゃないの? にわか的な?」
「ミリタリーはそんな簡単じゃないもん。…なんかお返ししたくなくなってきた」
「やだーむくろちゃんったらせっかくの好意を無碍にしちゃうんです?! なんかその絶望は安いわ、美しくないわー」
「……ごめん。ところで盾子ちゃんは自分が貰ったチョコ、確かめて貰わなかったの?」
「んー? 霧切と有栖川が大変かなーと思って。アタシの支持層ってモロにバレンタイン商戦乗っかっちゃう勢だからすっげー数届いてたし。ということでアタシは別口ですー」

 日本全土のティーンから憧憬を一身に集めるカリスマギャルが華やかに微笑めば、傍らに控えていた軍人はすべてを察して「あとで塩昆布くらい差し入れしたほうがいいと思うよ」と微妙に残念なチョイスにて一応のフォローを提案していた。事前に手配がなされた通り、某モデル宛てのギフトが届く指定先となっていた某神経学者の個室は現在大量のチョコレートで溢れ返っていたりするのだ。


「――ということで、報告は以上よ。今返したぶん以外に預かっていたものは事務室に頼んでそれぞれ部屋に送って貰っているから、各自確かめておいて頂戴」
「あ! そういえば霧切さんたち、自分は大丈夫だったんですか?」

 話し疲れた、とばかり教卓の位置に戻った有栖川がペットボトルの水を呷っているなか、〆の挨拶を口にする霧切へ舞園が至極真っ当な問いを投げる。これから朝のHRが始まりいつものように始業するのだとはにわかに信じられないほどに異質な達成感に満ちた教室にも「あー」「確かに」と一座の声が混じるが、霧切はさも何事もない風情で緩く首を横に振った。

「私は探偵よ? そもそもメディアなんて表舞台には出ていないから問題無いわ。探偵として依頼を受けるときに私のプライベートな連絡先なんて教えないし、ましてや希望ヶ峰の看板を売りにしたりも出来ないもの」
「あたしも右に同じく、でしてよ。というかあたしの場合は信者の皆さまのほうへ事前に『巫女宛ての寄付は教団本部へ』と通達を出すだけで済むからチェックは向こうにお任せしているの。だから最終的にあたしのもとに届けられるものはすべて安全だわ」
 
 なるほどなるほどですー、という心底感心しきった舞園の相槌と共に朝礼五分前の鐘が鳴り、なんとはなしにその場はお開きになったのであった。



 * * * 




「あたし、悪い女なのよねえ…とつくづく思ったわ」

 二人きりの帰り道――といっても帰寮するまでの短い道程ではあるのだが――、唐突な有栖川の切り出しかたに石丸は思わず足を止めた。視界にはいつもの彼女。紛う方なき純然たる「僕の」、有栖川白雪。柔らかな髪と、柔らかな頬と、纏わす柔らかな空気と、さきの「悪い女」という形容があまりに不似合いで、却って返す言葉に窮してしまう。全否定してやろうにも、先ずは聡明な有栖川の言い分を聞かなくてはならないだろう――そういえばこの達観じみた巫女と想いを通わすようになってから、彼はずいぶんとひとの話を聞くこと、を学んでいた。

「……済まない、意味が分からないのだが」
「うふふ、分からなくて当然なのよ。だって清多夏さん、今朝は偶然教室にいらしたけれど…何の集まりなのだか、最初お分かりにならなかったでしょう?」
「そうだ。あとで苗木君と二人で『しかし呼ばれないというのも寂しいものだな』と語り合ったな」
「まあ、そうだったの? 仲間外れにする意図はなかったのだけれど…ごめんなさいね」

 歩を止めた己を先導するかのように、有栖川はゆるりゆるりと歩んでいく。この間に彼女から小さな声で――基本的に有栖川は如何なる時であろうとそうそう声を張り上げることはない――己の欲するところである答えが呈されては、と強張っていた足を慌てて動かし隣に並べば、30センチ弱も下方でいつでも己をきらきらと魅惑する紫水晶の瞳が少し細まるのが分かった。 口元に浮かぶ笑みは平生の通りたまらなく人好きのするそれでありながら、四六時中それを追い求めている石丸には、微かにそれが憂え気な色を帯びているのが見て取れる。自嘲のニュアンスに、よく似ていた。

「あたし、皆さんが頂いたっていうチョコレートを検分しながら、ああ皆さん本当に大勢の方から想われているのねって感嘆の一途だったわ」
「ふむ」
「日頃お世話になっているでもなし、遠くに想うかたへ贈るチョコレートが"義理チョコ"なんかである筈が無いわ。あれってどれも純然たる"本命チョコ"だとあたしは考えているの」
「……今朝の例で言うのであれば山田くんやセレスくんなどは例外だとは思うが、…そうだな」
「でしょう? ――……あたし、貴方が何か怪しいものが入っているような危ないチョコレートを食べてしまう羽目にならなくてよかった、って安堵する気持ちも勿論あったのだけれど、それ以上に、」

 日頃は校内でのスキンシップですら最低限に留めている高潔な有栖川が、石丸のノーガードな腕にぐっと縋りつく。
 ひと呼吸置いたのち、万が一にも聞き違いのないようにと丁寧な発声にてゆっくり言葉を紡いだ表情は、


「――貴方に"本命チョコ"が届かなかった事実に、思い切りほっとしてしまったのよね」


 ――無意識の焼きもちがほろりとほどけたような、とびきり明るい笑顔だった。


「……」
「まあいやだ、真顔で固まらないで頂戴な。柄でなかったのは自覚しているのだから」

 絡めた腕に伝わる硬質な感触からどうやら石丸が一種の緊張状態にあるらしいことを察した有栖川が、先ほどまでの挙動にまつわる照れも手伝ってか若干拗ねた様子でその手を引く。動かない。
 いや、違うんだ、と細切れに返されたやはり強張り気味の声色に30センチ弱上方を仰いだ有栖川は、そこで漸く彼が赤面しているのに気付いたのであった。彼が元来非常に純情な人間であることを忘れてしまっていたわけでは勿論無いが、如何せん有栖川には自分がどこで彼の感情にスイッチを入れてしまったのかに思い当たりがない。たっぷりインターバルを置いて口を開いた石丸の次の言葉に、今度こそ有栖川は絶句することになるのだが。


「バレンタインデー当日に思う存分堪能したとばかり思っていた白雪が、未だこんなに愛らしいとは思いもよらず――その、侮っていた訳ではないのだが、ただ、純粋に驚いてしまったのだ。僕はまだまだきみのことを愛しきれていないのだと反省頻りでだな」

 ああこのひとあたしよりもずっと恥ずかしいひとだったのよね忘れていたわ、と珍しくも茹で上がりそうな頭で――何せ有栖川、今回のチョコレート検分事案を通して石丸に感じた独占欲めいたものが本当に、本当に恥ずかしいものだったりした訳で――早回しに唱えながら、それでもこの場を誰かに見られるほうがよっぽど恥の上塗りだと気付ける程度には理性を取り戻した普通の恋する女子学生は、未だに見当違いの反省と只管に恥ずかしい決意表明を述べ続ける普通でない恋する男子学生を引っ張るようにして帰途を急くのだった。
 腕は離せなかった。


・アフター・バレンタイン

20140307


 もう少し、離れている位が丁度良いとは分かっているのに。
 のめり込んでしまわないように。