text | ナノ

ソニみこ楽しかったのでシリーズ化する気配です



 白魚のような指……という形容はジャパニーズ特有の所謂美辞、ということだけれど、よくよく考えてみると今一つ腑に落ちない表現であると思う。
クラスメイトのメカニック某氏から常々「ああああなたの白魚のようにお美しい指を傷つけてしまうわけには!」などと飽いてしまうほどに浴びせられる謎の美辞に対して、わたくしの指に魚の目などありません、ひいてはDHAなども配合されているらくも無いのでです!――などと返答するのもあまり芸がないのではないかと考えていた折のこと。

 昼休みの中庭で、ひとりベンチに腰かけてティーカップを傾ける「彼女」を発見した。
 すでに知った間柄であるところの彼女は、常の静謐且つ清冽な空気を――同じようなオーラを纏わせることであれば、一国の王女たる自分にも容易な事ではある。大きな違いとしては、それが自分の場合にはどうしても「威厳」の重々しさがついて回ることである訳で――漂わせながら、誰かを待ち居るふうもなく木製のベンチの隅でちょこんとその存在を示している。
 白磁のティーカップに掛けられた指。カップの底を支えるように添えられた、指。透き通るように白く、先のほうは咲き初めた春の花のようにほのかに色づいている。節の目立たない、すらりとしていながら一本一本がほっそりして儚げなそれを目にして最初に心象のキャンバスに描かれた意匠は――清らかな水面に跳ねる、白魚だった。

「ああ、Princess! やっぱりあなたはとても美しいです! とっても!」
「――え、……あ、あのぅ」

 堪らず歩み寄り、許可も頂かないうちからお隣に失礼してしまう。カップを持たない方の手を取り、両手で覆うようにすると「彼女」は珍しく戸惑ったように潤みがちの目を見開いた。
僅かに水分を湛える、憂いを帯びたようにも見えるアメジスト。深い紫色の瞳をゆっくり瞬かせながら、こくんと首を傾ける仕草は栗鼠か豆狸のような愛らしいそれ。さらりと軽い音を立てて揺れる髪はこっくりとした亜麻色で、柔らかな印象を纏う彼女にはいっとう似合っている。とっても、綺麗です! その瞳も、髪も、ちょっと困ったようなほほえみも、まろい輪郭も、――しかし、やはり一番心をとどめて離さないのは、幼気にも可憐な、その手指。白魚のような、手。
 どうやってこの感嘆を伝えようか。常日頃からこの少女には溢れんばかりの友愛を伝えることに余念がない自分であっても、而して今日のこの感動は新鮮なものなのだ。ひとつ息を吸うと、繋いだ手の向こうでまた少し彼女が身を捩って距離を置こうとするのが分かった。身長差の利で難なく抑える。愛らしきジャパニーズの巫女さま、欧米人というのは男女ともに発育のよいものなのですよ。

「わたくしすっかり見惚れてしまいました。絵にも描けない美しさとはまさにこのこと、ハラショーですわ!」
「……畏れながら、Miss.Nevermind」
「他人行儀はノーセンキュー、釣りは要らねえぜですわ! どうぞ、ソニアとお呼びください」
「ええ、と、……では、ソニア先輩「……! "先輩"! たいへんオツな響きですね?!」…続けても? あの、私見でも何でもなく、プリンセスは貴女のほうではないかと思うのですけれど」

 硝子の鈴――幼少の砌、王宮に献上された中にそれがあったのを思い出した。澄んで、儚げで、まるでこの少女のようだと今ごろになってしみじみ思うようになった――を転がすようにすずやかな声で、此方にとっては些事と片づけてしまえるような指摘を寄越してきた。

「ちっがうのです! 巫女さまにはそれが分からんのです!」
「……ええ、本当に分かりませんわ。先輩のそのノリも分かりませんもの」
「可愛らしい女の子は、みんな誰かのお姫さまなのです! わたくしは自分の国に誇りを持っておりますが、プリンセスという呼称にまで固執している訳ではありません。わたくしからすれば巫女さま、貴女にこそプリンセスは相応しいと言わざるを得ないのです! 世界で一番お姫さま、Do you understand?」
「のー、あいくどぅんとあんだすたんおーるゆーせっど」
「拙いジャパニーズイングリッシュが猶更キュートですわ、プリンセス!」
「わざとやったのが裏目に出ましたわねえ」
「ねえプリンセス、ハグしても? 友愛の証なのですよ」
「どういう脈絡で其処に行き着いたのかお伺いしても? っわ、」

 抱き込んだ身体の柔らかさは思い浮かべていた以上のもの。やましい気持ちなどひとつも無い身ではあるけれど、紛うことなき女の自分にとってでさえ明らかに華奢だと分かるその身体は、やはり愛らしいという感慨を覚えるには十分なものであった。

「ねえプリンセス、わたくしの命令ってやはり国民にしか聞いて頂けませんでしょうか」
「……そうねえ、あたしは生憎と日本国民ですから。ただ、"先輩からのお願い"であれば、後輩としては聞き入れることもできると思いますわ。剰え、お慕いするソニア先輩の仰ることだもの」
「まあ! 光栄至極です。それではですね――


 貴女、この学園を卒業したらわたくしと共に帰国してくださいね!」


「……おうふ」
「? これは沈黙を肯定と解釈してもよろしいんでしょうか? 花村さんが以前そう仰っていた気がします」
「いけません、絶対いけません」
「ええっ、何故ですか?!」
「寧ろどうして通ると思っていらしたのかお伺いしたいところですわ」
「何もわたくしと契りを交わして貰いたいという訳でもございませんよ? ただ、国に帰っても手元に置いて愛でさせて頂きたいと思っただけですのに……」

 訝しげな眼も、素敵です。先ほどからちょいちょいと僅かな力を籠めて拘束を解こうと退かれるいじらしい体躯も、また。あまりに本気で逃れると「先輩」に悪いと思っての配慮であるのか、今一つ力のこもり切らないその仕草がいっそう愛おしい。

 ノヴォセリック王国の王女居室に据えられている、豪奢な金細工の檻。
 この学園に留学を決めた時分に、涙ながらに別れを告げたペットの獣らもまた、野生から切り取って囲われたあの空間に何をか思うことは有ったのだろうが、最後にはまるでいとけない幼子のように自分の掌に擦り寄ってきてくれたことを思い出す。
 どの子も、美しかった。太陽を写し取ったように輝いてたなびく、黄金の毛並。獣ながらに深い知性を湛えた瞳。研ぎ澄まされた青龍刀のように鋭い切っ先の牙。触れて、眺めて、所有できる喜びと感謝を感じながら愛でていた。

 白魚のような指、の麗しい「彼女」も、また。
 瀟洒なドレスを毎日着せ替え、共に湯あみをし、ティータイムを楽しみ、勉学に励む良き友となってくれたらどれほど自分は幸福になれることだろう。
 欲を言えば、それ以外の時間――たとえば己が公務で城を空けることになった折など――には、これまで「彼ら」がそうしていたように、あの檻の中でずっと自分を待ち侘びていてくれたなら。

 思い通りにならないことの斬新さに感銘を覚えつつ、そっと身を離す。数秒後、この判断は非常に運がよかったと思い知ることになる。
 なんのこともない。腕の中でぴるぴるとちいさく震えている彼女の名前を、まるで我が物のように声高に叫び続ける声が響いてきたからである。



「――探したぞ、こんなところに居たのだな!」



「あら、清多夏さん」
「会議は滞りなく終了した。共に帰寮しようではないか――はっ、先輩」

 静かだった中庭に突如響き渡る、その朗々とした発声は、たいへん耳に心地よく――状況としては、個人的にあまりよろしくない頃合いのそれ。
 腕章をはためかせ日頃は校内を緩みなく警邏している彼の、尋常でない何かを思わせるような赤い目が、「彼女」の手をとったままだった此方に注がれる。

「御機嫌よう、石丸さん。少しお借りしていたところですわ」
「むぅ…彼女はモノではないので、貸す借りるという表現は正確ではありませんが」
「ええ、それがわたくしとしても非常に残念でならないのです……モノであるなら、法規的手段に則って石丸さんからお譲り頂くことも可能でしょうに」
「?!」

 この辺りが本日の潮時か、と見て立ち上がる。中庭に立っている時計の表示を信用するのであれば、僅かに十数分の邂逅でしかなかったのだと分かる。此方としては、ずいぶんと長く彼女の美しい手を堪能したような気でいたのだけれど。

「ッど、どういう意味ですか先輩、それは」
「巫女さま、楽しい時間を有難うございました。また近いうちにお会いしましょうね。さよなら三角また見て四角、ですわ」
「ええ、Miss.Nevermind――今度は是非、お茶でも」
「違います、……わたくし、申し上げましたよね?」
「あ。……ソニア先輩」
「うーんグッジョブ! ですわ巫女さま」

 気取った口調、気取った呼称を禁じると、巫女さまはいつもと違う表情を見せてくれる。彼はそれに気づいているのだろうか。
 それを教える気はさらさら無いが、ふと思い立って帰途を辿る足を止めて振り返った。既に彼女の隣に腰掛けていた(なんという迅速な行動! ジャパニーズ・ニンジャの末裔でしょうか)ミスター・風紀委員へ悠然と笑み掛ける。これが王女の本気です。
 
「――そうです! わたくし、忘れておりました。石丸さん」
「な、んでしょうか」



「譲ってくださる気になられましたら、いつでもわたくしへご連絡くださいね。24時間365日、無休でお待ちしておりますゆえ!」



 ――ガッデム! 「ふざけるな」、だなんて一国の王女へ対するリアクションとしてあまりにあんまりですわ……ソニア哀しい。わたくしの国でしたら即刻、不敬罪で投獄ですよ石丸さん。

 それで恐れてくださるような相手だったら、わたくしに分があるのに。それが何より、残念なのです。


//20140212〜0221

 ご安心ください、わたくしのこれは愛情ではありません。美しいものを愛でる、きわめて乙女らしい感情でしかないのです。
 少なくとも、今のところは……ですけれど。