text | ナノ

セレっさんと口プロレスする話。



 いけ好かない人間をいけ好かないままで済ますのは、どうにも「負け」た気がして嫌だったのだ。


 希望ヶ峰学園78期生、と言えば淀みなく十七人の名が挙げられるほどには学級の面子が定着しきった頃。試験期間一週間前ということで、すべての部活動が停止されていた。例外なのは風紀委員会程度であれば、普段は放課後の教室に然程馴染みのあるわけでない生徒も珍しく此処に留まっていた。それから、何をするでもなく――試験勉強などという泥臭い作業などに従事する気は端から選択肢に組み込まれている訳もない――時間を空費している己も、また。
 頬杖を付きぼおっと中空を眺める。晴天から色を変え始める梅雨手前の空は、目線の高さでは頭ひとつぶんほどの障害に遮られてしまった。下校準備をするでもなく自分の机で文庫本に目を落としている「彼女」もまた、予期せぬ怠惰の受け取り手であることは容易に察せられる。

「あら。あなたがお暇でいらっしゃるなんて珍しいこともあるんですのね」
「ミス・ルーデンベルク。……そうね、放課後は帰寮してお勉強したりしているから、今日は珍しいかも知れないわ。ひとを、待っているの」
「――はあ、もしかしなくともあの風紀委員ですのね。あなた、狙われていますわよ」
「え? あたし、学園生活に於いて彼……石丸さんから個別に注意を喚起されるような覚えはひとつも無いのだけれど」
「だったらどうして待ち合わせなんてしているんですか…」
「お勉強会のお誘いを頂いたの。さやかさんや響子さんも誘おうかと思ったのだけれど、あまり大人数ではやりたくないって石丸さんが仰るから」

 常のパーフェクト・スマイルが僅かに歪み、苦笑混じりに嘆息された。仕方ないわよね、ですって。本当は分かっているくせに、と内心で毒づきたくなる。

 試験期間中であろうと担当制の校内警邏は義務付けられているらしい委員会業務に従事している同級生であるところの超高校級の“風紀委員”が、彼女――超高校級の“巫女”であるこの女、に切実な懸想を抱いているらしいことは、早期から同級のほぼ全員に知れているところであった。平生はふうわりふうわりと笑みながらも惜しげの無い知性と傾聴力とでクラスでも一目置かれているところであるこの女が、己に向けられている熱烈なまでの好意に気が付かない筈が無いのである。おっとり、はんなり、と形容されがちな彼女の、如何にも底知れぬ――というか、喰えないところが、どうにもセレスティア・ルーデンベルクは好きになれなかった。基本的に策略家とは自分が手玉にとれないと見た相手を御しにくいのである。
 意思を読ませない穏やかなアルカイック・スマイルをそのままに再び彼女が本の頁を捲り始めた。華奢な手に開かれているミステリは英国の新書のペーパーバックだった。何の気なしに、戯れが口をついて出る。悠然と泰然と、不可解なまでに凪いだ感性を持つ、――この78期生のうち、霧切響子と並ぶほどにその内心が伺い知れない不惑の巫女へ、ちょっとした動揺でも与えられたら。そんな好奇心が為したことであった。

「あら、それ…わたくしも読んだことがありますわ。探偵の恩師が犯人ですわね」
「そうなの? ご親切にどうも、痛み入るわ」
「……一寸、お待ちなさい」

 無論出任せであったにしろ、あまりに少しの動揺もなく受け入れられて(受け流されて?)しまったことに全力で脱力する。全力で脱力、というのはかなり悲惨なファラシーである気がひしひしとする訳だけれども、兎に角。
 依然として涼しい顔で此方に視線をくれるパーフェクターに、常勝の勝負師はあろうことか常識と正論とを以て立ち向かうしかなかった。これがもし、それこそ己の領分であるギャンブルの世界であったのなら、持ち手は星の数ほど。しかし得られる結果が勝ちか負けかイーブンか、というのでなくそもそも如何なる反応を以て勝ちとすべきかという議論から始めねばならぬような問題――有り体に言えば「級友とのコミュニケーション」というごくごくプレーンな日常の思考ルーチンは、生憎と超高校級の“ギャンブラー”の管轄外であったのである。

「もっと憤るとか当惑するとか……ありませんの? ことにわたくしのような人種に対しては力一杯怒鳴ってみるのが有効だと思いますわ、策士は無策相手には如何しようもありませんもの」
「いいえ? 特に腹を立てる必要を感じなかったもの」
「感情に必要もクソもあるものですか」
「少なくともクソは無いでしょうねえ」

「……てめえ」

 ああいえばこういう、と顎をがくがくさせながらくちびるの動きだけで述べてみせると、向こうは肩を震わせて笑った。この女、莫迦にしているのを隠そうともしない。
非常に苛立たしいのでポケットに入っていたものを適当に投げた。……畜生、しくじった。山田から巻き上げたキャラメルだった、のに。帰り道のお楽しみにしていたのに、「あらあら宜しいの? 有難うございますね。撃破ボーナス、かしら」などと言われてしまえばもう返せとも言えないではないか(主にプライド的な意味で)。というかまだわたくし、撃破されてもおりませんの!

「兎に角! ミステリを読む上で何に意義があるかって、フーダニット(Who done it?)にある訳でしょう。それを阻害されたのですから即ちあなたには腹を立てる権利があるのではありませんこと?」
「必ずしも犯人当てのみがミステリの醍醐味であるとは言い切れないのではないかしら。そもそも其処まで真剣に読んでいた訳でもありませんでしたもの」
「いま我々がすべきはミステリ談義ではありませんのよ!」
「まあ、それは失礼を」
「んぇああああもおおぉおお」

 体重を預けていた机から体を離し、頭を抱えた。地団駄を踏むと身長が伸びなくなるのでしたっけ、と取りとめのない思考が頭の片隅でちらりと巡る。ゴシック・ロリータには小柄で華奢な体型が一番だ。――そういえばクラスの女子で最小の体躯(しかし某プログラマーの存在の影響で学級最小、とはならない訳だが)を持つ目の前の女には、さぞかしクラシック・ロリータなど映えるだろう、と無意識に考え始めていたことにすら苛立った。
 僅かに感じ取れる程度の当惑を滲ませて、文庫本を閉じる音と共に相手が恐らくラストになるであろう問いを投げてきた。

「と、申しますか。ねえミス・ルーデンベルク、其方こそ珍しいのではなくて? 唐突にあたしなんぞに絡んでいらしたのはどうして?」

 さて、どうしてだろう。気を惹きたかったから、なんてかわいらしい理由ではありえないが――仮にわたくしが殿方であったとしてもこんな可愛げのない恋人は要りませんわ、石丸くんの目は節穴か何かなのでしょうか。それともそういうご趣味をお持ち?――、だからといって明確に言語化できるものでもなかったりするのが正直なところな訳だけれど、通り一遍の誤魔化しがこの微笑するパーフェクターに通用するとも思えず、

「……いえ、ほんの戯れですわ。あなたに感情の波というものを献上しようと思い立っただけだったのです」
「あら、相変わらず面白いことを仰るのね? ――ただ、謹んで遠慮させて頂くわ。恐らく、あたしには必要のないものですもの」

 結局は予定調和(彼女からすれば楽な返答だったに相違なかろう)に留めてしまったのだった。心なしか、予想通りではあった素っ気ない返事に安堵の色が混ざっていたような気がすることがせめてもの救いであったと言えよう。
 そののちけたたましい扉の開閉音――どう考えても入室者は全力疾走でここまで来たのであろうことが知れる――と共に姿を現した渦中の人物たる風紀委員に先導される形で、“巫女”が座を退いた。お先に失礼、などと実に慇懃に一礼して去っていくそつのない後ろ姿を、ついぞ成長のないぼおっとした顔で見送る羽目になってしまった。
 途中からだいぶん遠慮のない物言いになっていた自覚はあるにはあったが、反省する気は毛頭ない。あれくらい言ったところで彼女にとっては所詮対岸の火事、否、ライターの火程度にも感じられないのであろうから。このような応酬を繰り返すことも、最早数えるにも倦くほどのターンに及んでいる訳で。


 完璧なスマイルで完璧なスタイルを崩さない彼女が、よもやこの時点で自分に向けられているのとほぼ同量の思慕を相手にまた向けていたなどとは、流石の勝負師でも想像の範疇外のことであった。何を考えてか自分に一切の自信を持っていなかったらしいこの女が、一層諦めてしまおうかと考えながらも募らせていたらしい恋慕の情を、誰もが朴念仁と侮らんばかりであった純朴過ぎる男が見事に回収しきったらしい、という話を後手に聞いたセレスティア・ルーデンベルクの驚きようといったら最早どっひゃーなどというレベルで済むようもなく。


 (なにが、感情の揺れが欲しくない、ですのよ。……格好付けやがって。)
 (その時点でアイツに対しては完全にオチてやがった癖に、ですわ。)
 (勝負する前に諦めている、だなんてわたくしからすればとんだお笑い草ですのよ、巫女さん)


 未だ想いも通じていなかったその時分。彼女が立ち去ったとき、常勝の――賭け事であれば――勝負師が一先ず願ったことは、先刻図らずも献上する羽目になってしまったちいさな個包装――北海道土産の定番・ジンギスカンキャラメルが、あのいけ好かないパーフェクターに一矢報いてくれるように、なんてささやかなものでしかなかったのであった。

 せいぜい撃破アイテムに撃破されたらいい。そうほくそ笑んだのち、華麗なる豪運の女神――と呼ばれたい少女は、本日の応酬も引き分けであると勝手に軍配を執った。


//20140131〜0211