text | ナノ







「――お、有栖川」
「まあ! 日向さん、ご無沙汰致しております」

 購買なんて、来るんだな。

 人混みに紛れて――否、紛れることなど無い、上等の絹糸のような亜麻色の髪をふわりと揺らし、有栖川が振り向く。昼下がりの陽光を受けて、煌めくその姿はさながら、ヨーロッパ辺りの人気のない森の泉に佇む、妖精のようなそれ。
 片手に財布、反対側の手にはいちご牛乳のブリックパックとメロンパンを――胃もたれを招きそうな食い合わせだと思うのは俺だけか?――持ち、会計の列へ並ぶらしい有栖川は、俺に向かって実に屈託なく笑いかけてくれる。

「あっちの購買、定休日か何かか?」
「いいえ? 購買部は年中無休で営業しておられるかと」
「え、じゃあ何だってわざわざ」

 俺がこうして堂々とパンを見繕いに来ていることから察して貰えると思うが、此処は、栄えある希望ヶ峰学園の中でも相当にコアな場所である。というか、”向こう”の人間が好んでくるような場所では、決して、ない。
 予備学科――つまりまあ、本科にスカウト入学されるほどの突出した才能を持たない高校生が、精々本科生への風評被害が及ばない程度に優秀な学力と、奴らの輝かしい将来の礎となる高額な授業料とを上納することで得られる、”一応”希望ヶ峰の学生証を手にした連中――の、購買部。内装も品揃えも明らかに一介の私立高校のレベルを逸脱している本科のそれと違って、ここは実に庶民的だ。その辺の公立高校が擁しているものと然程の違いもない。
 そんな場所に、この妖精めいた後輩――第78期本科生、超高校級の”巫女”にして俺のす……否、止めておこう――有栖川白雪が、こうしてさも自然なていで溶け込んでいるのはおかしいのである。俺としては嬉しいけれど、それ以上に何か事情でもあるのかとつい気になってしまう。が、有栖川は事もなげにこう答えて寄越したのみであった。

「――」

* * *


「――やれやれ、とでも言っておくか。有栖川のイメージ的に、こういう時ってスマートに立ち回るもんだとばかり思ってたんだけどな」
「しゅみません……」
「噛んでる噛んでる」

 最早滑舌の神に見捨てられたらしく謝罪すら満足に口に出来ず俯いた有栖川の目尻が、紅でもさしたようにほの赤く色づいている。純粋に、かわいいと思った。
 ――俺は、初めて中庭で顔を合わせたときから、ずっと、お前のことを。

* * *


 左右田が「何だよ日向、これ普通に超高校級名乗っていいキレっぷりじゃねーの…」と若干引き気味になるくらい、今回の俺の期末考査の成績は芳しいものであったのだ。
 全科、90点以上。本科と違って予備科は勉強だけしていれば済むから、などという声も上がろうものであるが、それでも座学の試験問題は全科共通なのである。負けは負け、勝ちは勝ちなのであった。ひと桁台の順位に俺の名前が刻んであるのを確認するが、やはり俺の気分は晴れない。

 おもむろに視線を、左方一面の壁へとスライドさせた。一つ下、つまり78期生の成績が掲示されているということである。――真っ先に、自分でも呆れて笑いすら零れてしまう勢いで見つけたのは、やはり彼女の名前。而して、今の俺に心に暗い影を落としているのは、その右横……つまり学年一位に印字されている名を持つところである、彼女――有栖川白雪の、最愛の伴侶の存在であった。

「……石丸、清多夏」

 平素、どれほど白雪が大事そうにあいつの名を口にするのか。それにつけ振りまかれていた蕩けるような笑顔も、男女の別がはっきりとした彼女から、ほぼ唯一の例外めいてファースト・ネームに「さん」までを伴われているという事実も、既に勝負は決まってしまっているのだと言わんばかりの事実で、受け入れがたく思わず頭を振った。

 ――ただ、生憎とこっちだけは譲れないかも知れない。


・Old fashioned love song

 俺は、ここで本気を出すために、前提として予備学科の立ち位置を必要としたのかもしれない。
 大丈夫だ。俺も、闘おう。あいつと、闘おう。