蒸かしたじゃがいもを、ゆで卵と共にポテトマッシャーで潰す。塩もみした玉ねぎとハム、牛乳にマヨネーズを加えなめらかになるまで混ぜ、さらに刻んだパセリを加える。四角い平皿に散らした粗挽き胡椒の上に円い金属の輪――白雪に教えて貰った名称によると、セルクル型というらしい――を置き、出来上がったポテトサラダをその中に詰め込む。型を外せば、子どもの拳ほどの大きさの円く美しい表面が見えた。僕の担当はその周りに生ハムとスモークサーモンを並べることだ。「きちんと出来ていて?」との白雪の声色はまるで、初めて料理の手伝いをする我が子へ掛けるそれのようで非常に面映ゆい。……幾ら僕とて、これくらいは。
それが終わったらそろそろオーブンのほうを気にしておいて頂戴ね、と言って寄越してくる白雪の手元は先刻から忙しなく動いていた。片手には包丁、もう片方の手が軽く押さえている黄金の塊に思わず胸が躍った。
砂糖醤油とみりんとで甘く煮込んだ油揚げには、椎茸や海老、蟹の身など解して混ぜ込んだ酢飯が詰まっている。いなり寿司だ。以前、舞園くんや霧切くんとの昼食交換の折に彼女が作って持ってきていたそれを、食べてみたいとかねてから言い続けていたのである。
白雪は、一口分には少々大きいそれに斜め方向で包丁を入れていた。次に手に取ったものには、先刻とは反対方向で斜め切り。その切り口を徐に合わせ、桃色のプラスチック楊枝で留めた形はまるで、
「ねえご覧になって、ハート型。可愛らしいと思わなくて?」
「……その発想が今できた白雪のほうがずっと可愛らしいと僕は思う」
「あらあら、いなり寿司と比べられてしまったわ」
「え、違ッ…白雪、……うぅ」
唇に何か当たり、それ以上の弁解をする機会は失われた。何か――プチトマトを摘んだまま白雪は、「オーブンの具合、如何?」と微笑んでくる。大丈夫だ、問題ない。黙って頷いて返せば、彼女は得心したようにゆるりと頷いて「それじゃあお稲荷の飾りつけ、宜しくお願いしますわね」とだけ言い残して厨房奥、えもいわれず食欲をそそる肉汁の薫り漂うオーブンのほうへと消えてしまう。
色々言いたいことはあるが、一先ずプチトマトといくらを彩りよく蒔いていこう。
「あら、素敵なお色」
ほのぼのとした歓声があがり、芳醇な薫りが一層強まる。黒地に桜の花弁が刷られたミトンを両手にした白雪が「竹串ってあったかしら」などと微笑みながら運んできたのは余熱冷めやらぬままのメインディッシュであった。
「それが…ミートローフというものか!」
「うふふっ、そんなに感動して頂けるほどのものでもないのよ? 存外、ハンバーグと同じような要領で簡単に作れてしまうものなのに」
「そんなことは関係ない、…ぼ、僕はまさか、今年のクリスマスがこんなに豪奢なものになるだなんて露も思わず、」
「清多夏さんたら大袈裟でしてよ? 材料費、5000円も掛かっていやしないのに」
セロリを刻み、牛挽き肉に調味料と卵、刻んだくるみと共に投入して混ぜる。その前に牛乳に浸してふやかしておいたパン粉も、つなぎとして流し入れておく。いつもは僕にパウンドケーキを焼いてくれるのに使っている型に、それを詰めてオーブンで焼いたものが今こうして僕の前で竹串に貫かれ、透明な肉汁を溢れさせているものであった。
僕が言いたいのは、手間の多さでも値段の張りようでもない。他でもない白雪が、僕のために、今日の日の晩餐を拵えてくれていることが既に幸せでたまらないのだ、と。そう伝えたいのに。
「盛り付け、できた?」
「できたぞ!」
「――ええ、上出来ね! なんだかあたしもわくわくしてきたわ」
純白のエプロンをひらめかせた白雪が、心から嬉しげに笑ってくれる。さながら新妻のようなその立ち姿はどうにも僕には眩しすぎるほどで、思わず自分の耳が紅くなってゆくのを意識させられてしまう。
ミートローフは暫く置いて余熱を冷ましてから切りましょうね、と謳うように言葉を紡ぐ白雪――少なからずの者にとっての"聖女"であるところの彼女を、この日、僕だけのものとしてこの場に留め置けていることが本当に現実たり得るのか、僕の都合のよい妄想なのではないのかと先刻から少しばかり落着きを失くしてしまうほど、つまるところ僕は浮かれてしまっていた。
白雪が僕にくれる愛しさは、一過性の浮ついたそれよりも、穏やかで和やかなそれであることが大半だ。瞬間的な熱量ではなく、いつでも「先」を想わせてくれるような多幸感。このままどうなってもいい、などと無謀な衝動に陥るよりも、これからもこのままきみの隣に居られたら、という安らいだ気持ちを与えてくれる。
会話で、料理で、日常のあらゆる場面で、そして――触れて。
至極現実的な手段で以て、白雪は僕に愛を伝えてくれる。この先もずっと共に歩んでいこうと――否、歩んでいくのだと、確かに確信できる青写真を、僕の胸へと鮮烈に――且つ、呼吸をするのと同じくらい自然に、そして丁寧に焼き付けてくれる。
何を得るでもない。有栖川白雪こそが、生涯僕が得るに最大の恵みなのだ。毎瞬、しみじみと再感させられるところの感慨であった。
「――あら! そろそろスポンジも頃合いだわ」
本日三時間ほど前から白雪が纏わせていた、牧歌的な甘い薫りがふわりと漂ってくる。先刻はそれが白雪本人から薫っているのだと勘違いをした結果、堪らず頬に口付けてしまい軽く叱られてしまったのだ。
粉を振るい、材料を熱しては混ぜ熱しては混ぜ、とかなり凝った行程を取られてオーブンで丁寧に火を通され、今の今まで冷蔵庫にて丁重にその熱を冷まされていたそれは、絹のようにきめの細かい綺麗な表面に、淡いきつね色の焼き色がなんとも香ばしく映るスポンジケーキである。――成程、これに装飾を加えたものがデコレーション・ケーキになるのだな。
ミートローフを運んできたときと同じようにミトン装備の家庭的な白雪が、満足そうな笑みにて携えてきた直径18cmほどのそれに、歩み寄ってしげしげと眺める。あまりにも瑕疵のない出来栄え。僕の恋人はいつから超高校級の"パティシエ"になったというのだろう。
「……時々、」
「? 何かしら」
「逆にいったい白雪には何が出来ないのだろうかと思う事があるぞ」
「あらあら、買い被りもいいところのご煩悶ですこと」
「真剣に思っている。…今日、ますますそれを感じた」
「出来ないこと、一杯あるわ? あたし、余程気合いを入れて掛からないと貴方を魅了することひとつ、叶わないのだから」
――成程、それは、とても、面白い冗談だな!
きみにとっては児戯にも等しかろう事であり、そもそも有栖川白雪の存在自体が常に僕の意識を占めるものであるとくれば、望むと望まずときみは僕に愛されずには居れないというのに。
「……これでも校内では風紀委員として、匙加減を弁えている心算なのだよ」
「ほぅら。そういうこと仰せになるから――っきゃ」
「つまり、きみの心的自由も"僕が風紀委員である間まで"という事なのだ。寧ろ有難いと思って頂きたい、僕に繋がれずにいる時間を確保できるのは今のうちだけなのだからな、……白雪」
「っ、……ぅ」
愛しさが余って背後から抱き締めた。
――後ろから白雪の華奢な体躯をしっかり抱え込むのが好ましいのは、そのまま彼女を所有しているような錯覚に浸れるから。僕の意志ひとつで、離さないで居られるから。柔く拘束したまま、彼女に色々と接触を試みることができるから。幾らでも理由など思いつくことは出来るけれど。
いつになく身体を硬直させている白雪の表情を、後ろから窺う。――目元から耳まで紅色に染めて、花のくちびるを半開きに咲かせたままの表情でぽかんと硬直している。褥でたまに見るか見ないかという自失の表情は僕に、控えておく心算だった今夜の誘いを決め込ませた。
その硬直の原因が照れでは無く単に激しいショックであったのだということに気付いたのは、それから三秒後のことであった。
ふるふると震えだす白雪の細い肩。エプロンの肩紐にあしらわれたフリルもひらひらと落ち着きなくひらめく。かくかくと開閉を繰り返すくちびるは、「あ、…ああ、……、」と意味を為さない母音を感情の見えぬフラットな声色にて紡ぎ続ける。
そして、急に僕の上体に体重が掛かってくる。僕に抱き込まれた体勢のまま、白雪がふらりと気を抜かして寄りかかって来たらしい。
「あ、……ああ、……清多夏さん……盛大にやらかしてくださったわね……
あた、あたし、吃驚して、つい――
――……スポンジケーキ、落としちゃったじゃない……」
「ッ、?! へ、わ、あ゛、ぅわ、うわああああああああああああ?!」
「何を考えてらしたの貴方は…だから行き成り感情を急沸させるのは宜しくなくてよってあたしいつも申し上げているじゃない……! 如何してくださるの、あたしの三時間……」
「あああああ、あああああ済まない、折角のきみの好意をッ…わああ、どうか、ど…どうか嫌いにならないで欲しい、白雪、後生だから」
「ならないわ、ならないけれど……もう、泣かないで頂戴。大丈夫だから、……本当に、もう。仕方のないひと」
泣くなと言われても土台無理な話である。僕は、自分の感情ひとつコントロールできない、未熟にも程がある男であったのだ。一時の感情に押し流されたりしない、などとどの面を提げて言えたものか。白雪の一言で、一挙一動で、実際の僕はこんなにも滑稽に自分の箍を外してしまう。
それが良いことであるのか悪いことであるのかは置いておくとしても、いま現在、僕が白雪の力作を惨憺たる状態へと変貌せしめてしまったことは抗いようのない事実なのである。
出来ないことなどおおよそ無いように思える程、僕にとって理想的な何もかもを持った白雪。――そんな白雪に、報いることすら出来ないなんて。不甲斐なくて仕方がない。
だというのに、白雪の「仕方のないひと」は、どうしてそんなに温かなのか。結局このような状態になっても尚、離れがたく至近距離で触れている僕に体勢を反転させ向かい合い、俯く僕の頭をやさしく撫でてくれているこの手に、自惚れながらの愛を感じてしまうのは、きっと気のせいではないのだろう。
「――こういうとき、あたしに何が出来るのかしらって、よく考えるわ。なにも出来ること、思いつかなくて」
「っぅ゛、……え、?」
「貴方を早く、笑わせたい。泣き止んで貰いたい。また、あたしの大好きな快活そのもののお声で…いつもみたいに、"白雪"って。呼んでいただくには、何を為せばいいのかしら、って」
「ぅ、……ん゛」
「ふふ――よしよし。大丈夫なのだから、なんにも心配、要らないわ? 未だ、食べられるもの」
でも、だって、崩れてしまっているではないか。僕が、落とさせてしまったから。僕のせいで、白雪に落とさせてしまったから。
しゃくり上げながら、情けなくもそう伝えた。
「問題なくってよ、当初のようにこれを土台にして生クリームを塗って整形…という訳にはいかないけれど、――ふふ、貴方曰く『何が出来ないのだろうって思ってしまう』くらいの巫女さまに、ね、任せて頂戴」
つん、と、細い指先で鼻の頭を突かれた。このような、少しの触れ合いだけでも、現金なほどに僕の消沈は収まってしまう。
きみのすべてが僕を昂ぶらせ、きみのすべてが僕を鎮める。
きみのすべてに僕は掻き乱され、きみのすべてに僕は癒される。
やはり、白雪。きみに出来ないことなど無いのではないかと結論付けようと思う。少なくとも、僕に関わる事項に於いては、全て。
* * * 地面と接触してしまった底部を綺麗にこそぐ。惜しいながらもそれは捨て、他にも凹んでしまっていたり逆に出っ張ったりと残念な造形と化してしまっている表面を見かねれば、やはり「あれ」しかないと決め込む。
後ろで縋るような目をして見守ってくださっている清多夏さんを早く笑顔にして差し上げるためにも、やはりクリスマスケーキはとびっきり楽しくしなくてはならない。
いびつなスポンジケーキへ、大胆に入刀した。一口大の大きさに細かく刻んだそれを、フルーツを盛りつけようと準備していたガラスボウルへ敷き詰める。その上に、泡立てていた生クリームをまず一層目。洗って切るだけ、と洒落込む予定だった林檎とオレンジ、白桃をその上に。さらに生クリーム。
ロシアンティーを嗜む某紅茶好きの勝負師さまから常時使用許可を得ている苺ジャムをその上に適量。最後の生クリームを流し込み、上にはデコレーションケーキの最上部よろしくのトッピング。うまいことクリームを絞ることができた、と会心の出来に浸りながらヘタを取った苺を飾ったなら。
「……凄い。…ケーキに、なっている」
「トライフル、っていうの。正道としてはトライフル用のスポンジを用意するのが本式なのだけど――生憎とあたし、美味しければ正道か邪道かは割とどうでもいい系の巫女ですのでね」
ほら、大丈夫だったでしょう。
肩を竦めながらそうやって笑いかけてみせたのに――お目当ての彼は、ほっとしたが早いか、また涙腺を緩ませてしまっていた。挙句の果てに、また抱き締めておいでになるし。
早くお部屋に運ばないと、匂いで嗅ぎつけていらっしゃる誰かさまにもお相伴願わなくてはならない羽目になってしまいそうね。そう笑みに苦さを和えたなら、漸く我に返ったらしい清多夏さんが目覚ましい勢いで後片付けを始めてくださった。
愛を語ったり泣いたり働いたり、お忙しいかた。――本当に、仕方ないくらい不器用で、真摯で、懸命で――心から、愛おしい貴方。
貴方の幸いで在りたくて、在り続けたくて、いつも綱渡りの想いで一生懸命「貴方の白雪」を努めているの。
今日だから、ではなくて。今日も。貴方のためにこうしていられることが、あたしにとっては何よりの幸いよ。
「白雪、」
「なあに? もう『済まない』は要らなくってよ」
「――有難う」
「まあ、……うふふっ、どういたしまして」
それはこの聖夜に限り与えられるものではなし。
きみを、貴方を、愛している。その想いひとつで、今日もまた「いつものように」、恵まれ慈しまれ満たされるのみの、話。
・Noel Heureux
20131225
ねえ、さっき仰っていたこと、あとでもう一度聴かせて頂戴よ。
猶予? 逆よ、逆。
あたし、貴方に繋いで頂けるまで、あとどれくらい待ったらいいかしら。
そう口にするだけなら、覚悟も然程要さないのだろうな。
自ずと……望むと望まずと、分かるようになる。それまでは、知らない侭でいると良い。
(きみのすべてを、奪っていく心算だ。こうして少しずつ、侵食して。
「仕方のない」僕を、既にきみは、どうあっても見限らないでいてくれるだろうから。
――なんて、今はまだ、口に出来ない僕だと思っていてくれたまえ。それで、いい)