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冬のしあわせ




「あら、雪よ。早いわね」
「もう冬なのだな」

 二連休の初日は、白い冬の訪れの日でもあった。
 午前中のうちに早々と週末課題を済ませ、それから待ち合わせて買い物へ。前々からお揃いで持とうと言い合っていたブックマークの、漸く双方の要求に見合うデザインが見つかれば自然と表情もほくほくとなってしまうのは道理で。
 「毎日使おう!」なんて分かり切ったことでも逐一はっきり口にしてくれる彼を、とても好ましく思う。明日には手持ちの文庫本の・参考書の端から並んで揺れることになるだろう銀のモチーフに、冬のしあわせひとつ。



 * * * 




 エラの付け根を切り、手で引っ張り出す。
 内臓を傷つけないよう留意しながらその腹を裂き、筋を取りながら中身を引き出すと中から白子がたっぷりとあらわれた。――さぞかし良い鍋になるだろう。
 頭を切り離して血合いを洗い流し、肛門のほうから中骨に沿って捌けば鱈の三枚おろしが完成する。

 しかしながら魚を捌くときに血を見慣れぬ人間を傍に置いておくものではない、とあたしは今回しみじみ思い至った。


「ちっ…血がっ……! どどどどどうしてわざわざ鱈を一匹捌こうなどという発案をしたのかね! 普通に切り身を買うのではなにか不都合があったのか?!」
「はいはい、動揺する貴方も素敵だけれどもう一寸黙っていらしてねー」
「あああああああ待ってくれ内臓をこちらに向けないでくれ白雪うわあああああああ」


 自分なりの安全圏なのであろう距離まで退避したのちに、彼――清多夏さんはなんだか悄然と目線を下げて肩を落とす。

「……折角のエプロンが、台無しじゃあないか」

 白い、フリルとレースで飾られたビジュアル重視のエプロン――それこそ、新婚家庭の新妻などにはさぞかし相応しいのであろうと思われる――は、確かにさきの作業で血と生臭さにデコレーションされてしまった。ただ、エプロンというものの本来の役割機能を考えるならばこれは汚れて然るべきものであるからして、彼の主張はわりと矛盾している。ただ、所謂殿方のロマン、をわざわざ無碍にしてやる気もおきなければ、ただ笑って「そうね」と答えるだけに留めてしまった。食材の準備はこれにて完了、といったところか。

 直ぐ手前でくらくらと揺れる湯気の温かみが心地好く伝わってくる。厨房の一角を包んでいた昆布の豊かな薫りが一層深まったところで、「ちょっと其処のめんつゆ取って頂ける?」と其方を見もせず指示を出しながら菜箸を手に取った。沸騰しきらぬうちに、素早く昆布を引き上げなくては。小皿に三枚きちんと確保してささやかな達成感に満ち溢れて居たところに、些か困惑した顔の清多夏さんが指定した通りのボトルを持って尋ねてくる。

「何故、めんつゆを?」
「なんでも一から仕立てることだけが正義ではないということね、殊に効率と質の両方を求められる家庭料理においては現代の利器をうまく使ってゆくことが実際大切だったりするのだから。憶えておくと宜しくてよ、めんつゆは和食にほぼ万能の調味料なの。肉じゃがにも、ぶり大根にも、お味噌汁の味を調えるにも――それからこうしてお鍋の出汁にも、限りなくベストに近いベターの働きをしてくださるんだから」

 その手から有難くボトルを譲り受けて、一先ずは一垂らし。のちのち具合を見て調整すればよかろう。昆布の味わいに鰹節のコクが加わり、えもいわれぬ良い薫りが漂ってくる。もう食べたい。このままお醤油注いで三つ葉とお魚だけ入れて澄まし汁にしちゃったら清多夏さんしょんぼりしちゃうかしら。我欲に囚われてしまわぬよう、早急に食材を投入する準備をすすめよう。――と。

「……あら、可笑しいわ。動かない、……からだが」

 後ろから、抱き締められている。何が彼の琴線に触れたやら知れないけれど、軽く足を踏みつけて差し上げる。火を扱っているときにちょっかいを出しては、いやよ。
 それでも止まない温かい拘束に、結局はあたしのほうが折れて「如何されたの?」なんて問いを向けて寄越せば、漸く返ってくる言葉は至って幸せそうな声色にて紡がれた。

「僕は覚えておかなくていいんだ。――白雪が、居てくれるからな」
「あらあら、呆れたこと。ステレオタイプな昔の家庭でもあるまいし、あたしは清多夏さんにもお台所に入って頂くわよ?」
「なに、そのときにはきみに傍らに居て貰うさ。盤石だろう!」

 男子厨房に入るべからず、なんて教育は端からされていやしない。有栖川家では休日なんかにお好み焼きや鉄板焼きを囲むときには父が張り切って奉行をこなしていたわよ、と言えば、彼は額面通りにしみじみと頷いたのちからからと笑うのだ。息子や娘に笑いものにされるわけにはいかないからな、僕もそのうち練習するとしよう。――取り敢えず、二人ぶんの分量から。
 その言葉を待っていた、とばかり顎で銀製のフードパンを示せば正直に従ってくれる未来の大黒柱どの。実際に息子娘を持つ頃には、きっと良い仕切りの手腕を見せてくれるようになる筈だった。それは、今でも忌憚なく奮われる風紀委員としての辣腕とは違う、護るべき愛しい者へ向けて差し出し、導き、包むような腕だ。

「一度煮立たせてから、お部屋に持って行って食べましょうか」
「冷めてしまうのではないかね? それに、白雪の指示で炊いていた白米もそのままだぞ」
「ご飯は〆に雑炊を炊くのに使おうと思ったの。タッパーに詰めておいて頂戴。あたし、今年は絶対にお部屋で鍋をやろうと思ってカセットコンロ買ってあるの」
「カ、カセットコンロ……!」

 あら。何処かで聴いたような返しね、それ。

 海鮮と野菜の彩りと、沸き立つ湯気に頬を上気させる清多夏さんはいつもより幼く見える。ごちそうの出来上がりを待つ少年のような横顔。
 あと、ひと煮立ち。そうしたら一緒に手を合わせて、頂きましょうね。くつくつと音を立てる土鍋からちょこりとはみ出す長ねぎのまろい緑にも、冬のしあわせひとつ。



 * * * 




 流石に超高校級の「料理人」でもない一介の巫女なんぞに鮟鱇をさばくのは少々手間であり、なにより食卓を共にする誰かがいるのだから滅多なものを出すわけには、ということで見送った。代わりに自ら鮮魚店へ赴き店主との価格交渉の結果、旬の鱈を手に入れることが出来たのは幸運であったと言わざるを得ないだろう。
 卸したのち、火が早く入るようにとぶつ切りにしたそれの半透明であった白身も、煮立ってきた証拠にぷりっとした光沢のある硬さを視覚で、または箸伝いに伝えてくる。投入するまえに少々振っておいた甘塩が利いて、ポン酢で頂くにもそのままだし汁で頂くにもたいへん宜しい。
 他にも海鮮は牡蠣と帆立貝を。牡蠣は、調理の具合に心配であるなら敢えて加熱用ではなく生食用のものを選んで具材とするのがよい。帆立貝は少々時期からは外れるのだけれどあたしの好みでセレクトしている――「基本的には調理者の苦手なものって、往々にして食卓に上らないものなのよ」と説明したときの清多夏さんの「覚えておこう」には、そういえば常の勤勉さというよりは純粋な好奇心のようなものを窺い知れたような気がする。学生、としての生活よりもさらに先、を彼が見ていてくれることが、最近のあたしには殊に嬉しく思えるので―――。これだけ海鮮を投入していればさぞや芳醇な出汁がとれていることだろう。明日はカレーにしようかしら、それとも炊き込みご飯に流用してみるかしら。

 この時期の白菜は甘い。大和撫子の薄化粧のように白い芯まで、じっくり火を通せば柔らかくなるのがいじらしくなるほどだ。葉も青々と長く、内心から遠い側面の葉であってもそこそこに肉厚で、煮汁に栄養分を溶かし出している。思い切り葉が多いものを選んできた春菊もその隣で着々とその身をしならせていた。
 向かいで未だに釈然としない顔をしている清多夏さんは、春菊の旬は春なのではないかと勘違いしたまま疑わない。違うのだ。春に食べられるから春菊、ではなく、春に美しい花を咲かせるから春菊という意匠が生じたのである。とくに柔らかいところだけ、煮加減を確かめがてら、菜箸で掬って差し出して遣った。身を伸ばして、ひとくち。「――確かに、旬なのだな」なんて。こうして彼が躊躇いなくあたしの箸からものを食してくださるようになるまで、少々掛かったのは最早お察しくださいとも言うべき事実であろうか。

 あたしのほうにだけ傾けるようにして開けていた土鍋の蓋を、そこでようやく開ける――正確には、一旦開けようとして湯気に負けたあたしの代わりに清多夏さんが開けてくださったのだけれど――と、立ち上る白い靄。ああ、温かい。
 中央に魚介類をまとめ、それを取り囲むようにして緑の要塞は白菜・春菊に加えて長ねぎに水菜、えのき茸に椎茸と視覚にも季節を感じさせる冬の野菜たちが担う。豆腐はイメージ的に扱いが手慣れていなさそうな誰某のことを考慮して掴みやすい焼き豆腐に。〆で雑炊を二杯分作ることを前提に、炭水化物は麺類をチョイスしている。平麺のうどんと、白滝。そして、だしと兼で煮込んでいた手羽先まで赤いところがないか確認し終えたなら。

「さあ、召し上がって頂戴!」
「目にも温かい光景だな…うむ、頂きます」

 取り皿用の小鉢と塗り箸――あたしのは赤で、彼のは黒。桜のモチーフが金色に飾られた揃いの塗り箸は実家の父から贈られてきたものだった――を手渡したさき、湯気越しにぼんやりと映るその表情は、健気にもじっと「待て」で堪えていた忠犬が、漸く眼前の好物にゴーサインを出されたときのような、よろこびに満ちた其れであった。
 きちんと手を合わせて、ふたりでの「いただきます」は、おままごとのようで、もしくは両親が仕事なり用事なりで家を空けている中の兄妹のようで。たとえば新婚家庭、などのようにはまったく思えなかった。何度となく交わしているこのくだりは、最早あたしと彼の中では日常に根差してしまっているので、今更くすぐったかったり面映ゆかったりということもない。――と、あたしは個人的に思っていたのだけれど。

 火の通りを考えて海鮮はかなり早期に入れてしまっているので帆立あたりは他の具材に沈んでしまっている。探すなら底のほうよ、とアナウンスしようと顔を上げたところで、目が合った。清多夏さんがじっと此方を見ている。何か仰りたいのかしら。

「白雪は、――箸の使い方も綺麗なのだな」
「あらあら、そんなところをご覧になっていたの? 今更だわ」
「僕も、幼少の砌より恥ずかしくない程度の作法は身についていると自負しているけれど、その、……白滝が上手に掬えない」 
「……随分とまあ細切れにしてくださって…早く仰って、そういうことは。あたしがして差し上げたのに」

 そしてそれは箸の使い方というよりは単に力加減の問題なのでは。確かにあたしは魚を綺麗に食べることにおいては一種の趣味と化しているレベルで得手としているけれども。
 無言で片手を差し出せば、素直に椀を手渡された。彼によって無残に両断されてしまった白滝の残りを救出する作業に従事していると、向かいから「あと、豆腐も欲しい」と申し訳なさげにての追加オーダー。これには巫女も苦笑い。焼き豆腐にしてもだめなものはだめなのね、了解よ。

「取り箸があったほうが気が利いたかしらね」
「否、僕は白雪の箸でいい」
「うふふ、それを気にしているのではなくて。効率の問題ね」

 日本は、基本的には膳を用いた個食の文化を有している。そのため箸も、ひとりが食事をすることを前提に短いものとなっているのだ。個々人が持つ箸、という認識が強いため、そのぶん装飾などに多彩なバリエーションが生まれるわけだ。
 対して他のアジア圏…たとえば中国などは、基本的に家族揃ってわいわいと食事をする。大皿から料理を取り分ける必要が生じるために、中国の箸は長い鉄製のものが一般的なのだ。

「――と、いうこと。あたしは貴方のお食事のお世話をすることについてはいっこうに構いませんけど、それならばそれ専用のお箸があってもいいかも知れないわね……なあんて」
「ばッ、莫迦にしないでくれたまえ! 僕とて一男児、世話など焼かれる筋合いは」
「はい白滝とお豆腐。――ああ、少し味が薄いんじゃなくて? ポン酢を足して、濃すぎたぶんはまたお出汁で調整して頂戴」
「ん、有難う」
「……で、何ですって?」
「いや、なんでもないんだ……」

 そうね、お世話をする、なんて言い方は適切じゃなかったかも知れないわね。
 追加のお野菜をフードパンからよそって来ながら、今更ながら「如何かしら、ご満足して戴けて?」と伺ってみる。

「絶品だと思う。魚介はどれも肉厚で、野菜は甘みがあって。ネギが好きだ」
「お口に合ったみたいでよかった。――旬のものを頂く、ということはとても大切ね」
「……平生、いち高校生が考えるようなことからは逸脱していそうだが」
「まあ! 真に美味しいものを食べようと思ったら気にしなくてはならないことよ? 旬って、単にそれがよく獲れる時期というだけではないの。味の最もよい時期、でもあるのだから。当然、栄養価が高いということにもなるわね。特にこの時期のネギや白菜は甘みがあるから、冬のうちにするのが美味しいお料理なんか沢山あるのよ」

 鱈の身を必要以上にほぐしてしまわないあたり、清多夏さんもご家庭の躾の行き届いた優等生でおわすことは知れようものだ。「成程、」などと神妙に頷いてくださりながら、幾分か穏やかになってきた湯気越しに、此方を見据えしみじみ頷いてこられる。

「むぅ……僕は、ただ白雪が出してくれる食事がいつも美味いとしか思っていなかった。きみはそんなに考えているのだな」
「いえいえ。単に『季節のものを楽しみましょう』というだけでしてよ――もっと寒くなったら、南瓜のポタージュとか根菜類の味噌おでんを食べましょうか。冬野菜のサラダも。ポピュラーな夏野菜と違った顔ぶれが揃ってなかなか新しくて楽しいものなのよ」

 途端にその顔が輝く。おでん、お好きなのかしらね。
 
 取りとめのない話をしながら、思い思いに土鍋の容量を軽くしていって。豆腐の取り上げ方などレクチャーしてみたり、途中でさやかさんから電話が掛かってきたり(「白雪ちゃん今なにしてるんですか? お鍋?! ああああ霧切さんとふたりでやって仕事なうのわたしを仲間外れにしようってことですねうわああああんひd あ、石丸くんと? ……ふふっ、お邪魔しちゃってごめんなさーい」)と、至極和やかに時間は過ぎていく。
 はくり、と噛む牡蠣のなんとも汁だくなこと。ミルキーな味わいは今季を逃してはならない、この冬じゅうにあとはフライとグラタンで食しておかなくては。勿論、清多夏さんと一緒に。――揚げ物に挑戦させて、跳ねる油へのリアクションを拝見したい。なんて、冗談。

 調理実習で鍛えた腕を振るって頂き(?)、事前に炊いて貰っていたご飯を投入して、〆の準備。あたしは溶き卵を作り、彼は向かいでじっとあたしの作業を見守っている。鍋の中に大きな具材が残らないように余ったものはすべて彼の小鉢にあげたので、消費する作業が大変そうだ。殿方だもの、平気よね。
 もう少し、仕立てるのには時間を要するようだった。手を止めて軽く伸びをするあたしに、それこそ何の気なしに清多夏さんが零す。



「……きみと、結婚出来たら。さぞ幸せになれるのだろうと思うよ」



 ゆったりとした時間。ときどきふと訪れる無言を苦に感じないのはおそらく最初から。
 生活の中に、当然のようにお互いの存在を感じあえる関係。同じものを見て、同じものを感じ、ふたり向かい合わせに同じものを食し、それが一対の異なるからだを作っていく。

 今ある幸せを、これから先の未来にも当然あるものとして、彼が学生の身の上には少々過ぎる言葉を選んで来てくださったことに、あたしは少なからず感動を覚えた。

「あらあら。……そんな、ご自分の幸福自慢をなさるのね」
「……白雪、そうやって婉曲した殺し文句は卑怯だぞ」
「御免遊ばせ、ただ――こうして歩んでいく先について、貴方が幸せだって感じてくださっている事実が、あたしにとっては幸せだわ」

 幸せでお腹が一杯、なのか、お腹が一杯で幸せ、なのか。
 冬の食卓に幸せなイメージが付いて回るのは、皆が食卓を囲むからだと思う。

 これからもふたり、こうして幸せな食卓を囲めますように。
 このさき、近い未来、同じように座す食卓の向こう側で同じく手を合わせてくれるだろうこのひとが、ずっと笑顔で居てくださいますように。


「――あら、この三つ葉、四葉だわ!」
「済まない、よく意味が分からないのだが」
「ほら」
「……なんと! 三つ葉が四葉ではないか!」

 溶き卵の傍らで出番を待つ、雑炊の彩りにと切って洗っておいた三つ葉。
 ふと目を落とした先で健気に驚きの一瞬を演出してくれていたささやかな奇跡に、冬のしあわせひとつ。


・冬のしあわせ

20131220

 来年の冬も、十年後の冬も、もっと先の冬も、ずっと貴方と二人で。