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煌めきによせて



 情に流されることは愚かなことだ、と。「あの時」、この掌に負った深手と共に私は固く肝に銘じていた。それは捜査に一切の私情を挟むことを赦されない探偵としてもそうだし、何より私――霧切響子という人間のパーソナリティの根幹にも深く食い込む訓戒となる。
 そんな事を掲げていながら、結局は父への複雑な柵(しがらみ)を捨てきれないでこの希望ヶ峰学園へ招かれる為の素地を築くことは止められなかったのだから、結局は不可能に近いことだったのだろう。情を、捨て去る、だなんて。

 それに気付いたのは、私が「空っぽ」ではないのだと、探偵という立場を抜きにしていち個人として立つことが出来るのだ、とこの学園で思い知らされたからだった。


"あら、響子さん御機嫌よう! ねえご覧になって、昨日お話していたあれ、持ってきてみたの"
"きりぎりさんおはようごあいまふ! これ、ほんっとにおいひいれすよもふもふ! もふもふ!"


 朝、登校したら当然のように一番に私へ声を掛けてきてくれるあなたたちがいる。
 差し出されたパウンドケーキを、何の警戒もなく口に入れることができる。こんなことひとつ、私はこれまで思索と懸念なしに行うことなど出来なかったのだ。――けれど、今は違うから。


"う、うー…一行題難しいです"
"あらあら。じゃあ小学生の進学塾レベルから始めましょうか? さやかさんは今、新品のジュース二十五本を持っているとするわ"
"――典型的な出題ね"
"ふふっ、響子さんも見守っていらしてね。……それで、今はキャンペーン中だから、空き缶三本で新品のジュース一本と交換できるの"
"わぁ、エコですね!"
"さあ、さやかさんは全部で何本ジュースを飲めるかしら?"
"え、え、えーっとえーっと…25+8+3+1……? えーと、たくさん"
"舞園さん……"
"ちなみにあたしなら二本でお腹一杯だわ"
"え、お腹が? えーっと"
"白雪、余計な茶々を入れて攪乱しないの"


 放課後の他愛ない時間を、これまた勉強会なのだかただの談話なのか知れないような集まりで空費していく。こんな経験も、あなたたちと出会って初めて体験したこと。
 空費、などではないのだ。私を満たしてくれる、温かくて柔らかい居場所。
 最近少し――そう、少し、だけ、プライベートな会話の機会を持つようになってきた父から、「響子にいい友達が出来て、良かったよ」なんて知った風な顔をして言われたときには腹も立った。けれど、その内容自体を否定する気は、毛頭ない。


 校外活動許可を申請しての捜査活動は、実に久々だった。さぞかし鈍っているだろうと覚悟していた割には、万事に至り実に冴えていた。日常になりつつある安寧が、うまい具合に心身を癒し、肩の力を抜いてくれているのかもしれない。
 明日からは、普通に授業に戻る。事前に依頼こそしていないけれど、公欠としてもらっているぶんの授業のノートに関しては何も心配していない。ふたりが、居てくれるから。――いつでも、自分の足で立ってはいるけれど。少し、甘えてみてもいいのかも知れない。そんな風に思わせてくれる、あなたたちがいるから。

 さもありなん、といつもの穏やかな笑みに少しだけ苦みを添わせる白雪が差し出してくれるノートは、いかに私の笑いを取るかという観点から無駄に書き込みが細かいし(世界史Aのノートに描かれていた「フビライ・ハンが汗血馬から汗血馬へ飛び移る図」は不意打ち過ぎて笑いを禁じ得なかった。ただ、よくよく考えればまったく史実に沿うてない)、わたしも頑張って書きましたよ(、どやです!)、と舞園さんが両手で自信ありげに突き出してくるノートには、明らかに私が見ることを前提とした「霧切さんここ分かんないです…(′・ω・)」「これ授業中ずっと答えが合わなくて泣きそうでした!(>ω<)」との付箋が乱舞している。
 二つとも、私の存在を前提としてそこにある一頁だった。私が、この数か月で、築いてきたもの。勝ち得てきたもの。それは、これまですべてを懸けて解き明かしてきた様々な真実と同じくらい、私にとって価値のあるものだ。

 季節のオーナメントでも眺めて帰ろうか、と駅前の雑貨店で足を止めた私は、あるものを見つけた。手に取って、揺らしてみて、夕闇にきらりと煌めくそれが何とはなしに好ましいように思えて――柄にもなく、即断で財布を取り出していた。
 どうせ今年のクリスマスは、片や「本業」が忙しいのだろうし、片やパートナーにかかりきりなのだろう。それならば、少し早いプレゼントと称して私からこれを渡してみるのも良いかも知れない。いつも、驚かされてばかりなのだし。

 プレゼント用ですか? という店員からの問いかけに、少し躊躇ってから「ええ」とだけ答えた。



 * * *



 わたし、ずーっとアイドルになりたくって、そのために頑張って来たんです。って言っちゃったらなんだかすごく軽く聞こえるかも知れませんけど、わたしってこう……一途、っていうか、頑固なんですよね。一回こうって決めたらなかなか変えられなくって。だから、アイドルになろう、って決めてしまってからこっち、その道に外れるようなことはみーんなシャットアウトしちゃってましたし、逆に、少しでも憧れの世界に近づけるならどんな犠牲も我慢もしてきたんです。
 でも、――わがまま、かもしれないんですけど。わたし、心からアイドルになりたかった、そこに嘘は無いんですけど、だからって、「特別扱い」されたかったわけじゃ、ないんです。

 超高校級のアイドルは、むやみに嫉妬なんか、されません。
 覚悟していたよりは、周りからやっかまれることはなかったんです。
 でも、だからこそ、なんだか遠かった。

 わたし自身がアイドルから元気を貰って育ったから、わたしも女の子を元気にしたいなって思っていたけれど、やっぱり声援は男の子のそれのほうが大きかった。とっても嬉しいけれど、とても我儘なことだけれど、やっぱり、ちょっとだけ心の中では、寂しかったんだと思うんです。
 中学校でも、わたしの傍にはあんまり女の子たち、寄ってきてくれませんでした。きっと、いい子たちだったんです。あんまり持て囃したらわたしが疲れちゃう、って、言ってくれてたから。――でも、壁は確かに、あったんです。ある子が好きだった男の子が、わたしのファンだった……とか、そんな理由で。ファン感情とそういう好きって、ぜったい違うのに。
 現にわたしは、わたしのファンだって言ってくれる気になる男の子にも、「舞園さんはアイドルだからね」って言われちゃって凹むことがありますよ? ――え、苗木くんの事か、って? ふふっ、どうでしょう。少なくともあなたじゃないですよ、石丸くん。いいから黙って聞いててくださいっ。

 とにかく、です。わたし、おともだちが欲しかったんです。男の子たちが見てる「偶像」としてのわたしじゃなくて、女の子たちが見てる「壁」越しのわたしじゃなくて、――ユニットメンバーのみんなみたいな、仲間でありながら好敵手、みたいな微妙な緊張感がある関係でもない。
 わたしを特別扱いしない、――でもわたしから見たら特別な、そんなおともだちが欲しかったんです。

 そこいくと、白雪ちゃんと霧切さんってほんとにすごいんです。――白雪ちゃんの話になった途端に身を乗り出すのやめてくれません? きもちわるいですよー委員長。
 何のてらいもなく、普通にわたしの近くに立ってくれる。みんな、「比べられちゃう」とか言って、なかなかそんなことだってしてくれなかったんです。……まあ、白雪ちゃんも霧切さんも超高校級に美人だから、その点ではわたしがラッキーでした。目の保養になりますからね……! って、そうじゃなくて。

 白雪ちゃんから十二回、霧切さんから三十六回。
 ――ふふっ、石丸くん。これ何の数字かわかりますか? 分からないでしょう。これ、どつかれた回数なんです。頭をこう、がっ! って。白雪ちゃんはまだ「優しく小突く」って感じですけど、霧切さんは結構容赦ないですよー? ときどき「何を莫迦なこと言ってるの」って本気で言われながらのどつきもあります。
 二人にとって、わたしってアイドルじゃないんです。そりゃあもう、わたしから「アイドルに対する仕打ちじゃないです!」って言っちゃうくらい。白雪ちゃんにとって「さやかさん」は、すごく手のかかる末っ子でちょっと数学が苦手なマスコットなんです。霧切さんにとっては「舞園さん」って、多分すっごく、謎の生命体なんです。最近そういう目で見られるんです……うう。
 で、わたしは、そんな二人に総ツッコミを受けたり、三人でロシアンシュークリームに挑戦したり、お泊まり会でみんな一緒のベッドに川の字になったり、――そういうことができる今が、すっごく、幸せなんです。白雪ちゃんだけでも、霧切さんだけでも、だめなんです。ふたりがいて、わたしがいないと、だめなんです。
 ふたりもそう思ってくれてるって、わたしには分かります。エスパーですからね! どやです!

 それでですねー、今日はこれ! 久々の野外ロケで可愛いお店に入ったら運命的に見つけちゃったんです。日頃の感謝の気持ち…ってわけじゃないんですけど、白雪ちゃんと霧切さんに似合うかなーって思って買ってきちゃいました! あ、もちろん石丸くんのぶんなんかありませんよ? 苗木くんのぶんだって今回は涙を呑んで買わなかったんですから。
 そうそう、なんでわざわざ石丸くんにこの話をしたかって、白雪ちゃんにプレゼントをあげる許可が欲しかったんです。……というか、事前報告? 事前通告? うーん、そんな感じです。いいですよね? 勿論。わーい! 

 あ、霧切さんおはようございますっ。
 ふふふー、これっ昨日と一昨日のノートです。先に白雪ちゃんから預かってたんですよわたしってすごく気が利くと思いませんkきゃん! …アイドルの額にでこぴんなんてひどいですよー……。



 * * *



 あたしが教室の扉を引くと、そこにはいつも朝が早い模範生の清多夏さんと――いつもの、ふたり。響子さんとさやかさんが既に揃っていて、此方を見ていた。
 熱く遍くあたしを包むように射抜く視線の主はピジョン・ブラッドの情熱。真実を見抜き、絡まる謎の迷宮から光へと導く瞳は知恵と洞察のラピスラズリ。笑顔と、その澄んだ美声とでひとに希望と真の愛を与える姿には似合いのローズクォーツ。

 まだ、ほかの級友の皆さんがおいでになるまで幾分かある筈だった。早朝トレーニングに余念がない葵ちゃんが爽やかな風を纏って駆け込んでくるのが早いか、純文系ゆえ数学の予習がたまに危うい冬子さんがあたしや響子さんを頼っておいでになるか。
 今日も、また賑やかで穏やかな日常が始まるのね――と自然と心が多幸感に満ちてくるのを感じながら、椅子を引き鞄を下ろす。それから、片手に提げていた小さな紙袋を机の上に置いた。黒地に金色のレタリングで記された店名は、つい数日ばかり前の休日に何の気なしと訪れた雑貨店のそれである。

 清多夏さんが校外模試を受験なさるというので久々にひとりの休日となったその日を持て余しかけていたあたしは、そこで見つけた「それ」に天啓を受けたかの如く、ついお財布の紐を緩めてしまったのだった。日頃貯めるだけ貯めて遣う機会もないのだ、こういうときくらい友人のために計画性のないお買いもののひとつやふたつ、なにも罰が当たることはないだろう。


「――ねえ響子さん、さやかさん」


 おふたりに今日ね、あたし是非ともお渡ししたいものが――と、あたしのくちびるはそこまで紡いで、音を発することを止めた。
 
 響子さんもさやかさんも、何故か同じ紙袋を手にしていたからだった。




「「「え゛」」」




「――落ち着きましょう。ねえ舞園さん、それ、どうしたの」
「わたし、…ロケ先でかわいいものを見つけたので、白雪ちゃんと霧切さんに買って帰ろうかなーって、思って」
「白雪は?」
「たまたま出歩いてて気紛れに入ったお店で、響子さんやさやかさんにぴったりだなと思った品があったので、つい……ね」
「……こんな事って、あるのね」
「ま、まさか霧切さんも」
「――……ノートのお礼よ。…いえ、……私も、あなたたちに似合いそうだと思ったから」

 お互いの腹の内を探るようにしながら、三人でおもむろに自分の紙袋から「それ」を引っ張り出してくる。

 きらきらと、教室内に差し込む朝日を反射して煌めくのは淡水のパール。それと、各々がそれぞれに対するイメージで選んできたパワーストーンとが交互に結ばれたブレスレット。
 奇しくも互いのイメージは見事に合致したらしく、結果、見事に同じものばかりが机に拡げられることになった。

 響子さんは、あたし――有栖川のぶんと、さやかさんのぶん。
 さやかさんは、同じくあたしのぶんと、響子さんのぶん。
 あたしは、響子さんのぶんとさやかさんのぶんを。


「……数学が不得意な舞園さんでも分かるわね、一人当たり幾つ?」
「ふ、……ふたつ、です」


 次の瞬間あたしたち三人は、思い思いのリアクションを取りながら――而してそれはもう近くで傍観していた清多夏さんが慄くくらいには、揃って爆笑していたのだった。

「っふ……ふはっ…あっははは、運命的かっこわらい、もいいとこ、ですよね……あはは!」
「こ、こんな運命お断りだわ、――ちょ、待って、御免なさい、……ふふっ」

「――だ、大丈夫かね白雪ッ! 呼吸は出来ているのか?!」

 さやかさんはお腹を抱えて快活にきゃらきゃらと笑っているし、珍しく響子さんも笑いの衝動が抑えられないらしく口元を押さえて横を向き小刻みに身体を震わせている。あたしは――こういうのが一番ツボなの、弱点といってもいいくらいに!――すでにうまく呼吸も出来ず一音も出せないくらいのレベルでしゃくり上げてしまっていた。
 あたしの呼吸がヒトとして通常操業を漸く取り戻した辺りで、「でもでも、」とさやかさんが切り込む。

「これ、ローズクォーツ。霧切さんも白雪ちゃんも、わたしのこと考えて選んでくれたんですよね。すっごく嬉しいです! わたしも石に負けないくらいひとを癒せるアイドルになりますからっ」
「――それを言うなら、私だって同じだわ。ラピスラズリって確か…幸運石、でもあったでしょう。……これから"捜査"に出るときには必ず、お守りにするわ。有難う」
「あたしも。――有難う。響子さん、さやかさん」

 あたしに宛てられた石は、やはりというかなんというか、アメジストだった。
 アメジストは、邪悪なものから身を護る愛の守護石。心の絆を深め、真実の愛を護りぬくというそれは、あたしの立場にも、そして現在こうして居る境遇にも、ぴたりと喩えたようによく当て嵌まっていた。



「あたし、ずっと二人と友達でいられたらいいって思うわ」



 ふた揃いのアメジストに、願った。



 * * *



 わたしには、霧切さんが話したがらない暗がりの部分も、白雪ちゃんが抱えているかも知れないなにかも、今はわからない。ただ、二人のことをとても大切に想っている自分自身に、嘘は無い。
 穏やかな癒しと、心の内で大きな愛を育てていこう。わたしからも、この二人のことをしっかり包んでいけるように。

 ふた揃いのローズクォーツに、祈った。



 * * *



 私は、探偵以外のいち個人として立つことで、弱くもなったかも知れないけれど、そのぶん別の強さを得ることが出来たと思う。
 誰かを救うために探偵をしているわけではない――なんて言っていたのは、中学生の時分のことで。今もその根幹こそ揺らいでいないのだけれど、それでもひとつ、考えることがあった。

 もしもこの先、白雪が。舞園さんが。何かしらの悪意に晒されるようなことがあったなら。
 私は彼女たちのために、自分だけが持ちうる能力を行使して動くことが出来る。――そして、今はそんな自分が、少し誇らしいようにも思えている。

 冷たい理知の光は、誰かを照らすために。鋭い判断力の刃は、誰かを護るために。重い言弾は、誰かの危機と不安を払いのけるために。
 わたしはきっと、あなたたちを護るから。

 ふた揃いのラピスラズリに、誓った。


 * * *



「え、清多夏さんどうしてそんな怒りながら泣いていらっしゃるの?」
「白雪ちゃんがさっき咽たあたりから後ろにいたのに構ってあげなかったからですよう、もー」

「……ぶち壊しじゃない、まったく」


・煌めきによせて

20131211