病室から出て、少し離れた場所で相沢先生はこちらを振り返る

「君が、今回の”Helper”か」
「え?」
唐突に問われたその言葉の意味がうまく理解できずに俺は阿呆面を浮かべてしまう

「いや、違うか。君もまた因果律を捻じ曲げられて”ヘルパー”にされた者の一人か。」
「何を、言っているんですか」
やっと、切れ切れに紡ぎだしたその言葉はみっともないほど震えていて
絞り出したはずの声は、驚くほどかすれていた
けれど、そのことを意にも解さない風体で目の前の”相沢先生”は言葉を続ける
「君はこれから先、きっと嫌というほど彼の…橘君の死にかけの姿を、傷ついてぼろぼろになった姿を見るだろう。それでも彼と共にいて、彼の助けをその耳で聞いて、その目で傷ついたさまを見ることしか出来ない。それでも、君はここで彼と共に生きることを願うか」

俺がその言葉の意味を理解するよりも先に相沢先生は苦しげにその表情をゆがめる

「なぜ、いつもそうなんだ。なぜいつも、大切にしたいと思える相手がいるんだ。」
苦しげにつぶやかれた言葉に、俺は意味も分からないままただぽつりとここ最近考え始めていた言葉をつぶやいた

「隣にいてくれる人がいるから、自分を思ってくれる人がいるから、見つけてくれる人がいるから…がんばろうと、思えるんじゃないんですかね…」

「は?」
自分で言った言葉に恥ずかしくなりそうになったけれど、今病室で待つばかでお人好しでド天然で、けれどどうしようもない彼のことを思ったら言葉は自然と口をついて出た

「あいつは…SOSを見せてくれないけど、それでもその欠片は確かに存在してます。苦しい時にちゃんと”助けて”が言えるように育てられてきた、素直でどうしようもなくバカな奴だからこそ。本当は”言っちゃいけない”なんて言いながらも、それでもあいつは絶対どっかで”助けて”を言っている。っていうか、言っちゃうんですよ、だってそれが普通の人間でしょう?」
自分で発した”普通の人間”という言葉に笑えてしまう
あいつは、どっか絶対おかしなやつだけど
それでも俺にとっては”普通の人間”と何ら変わりないんだと、言葉にして初めて自分がそう思っていたことに気づく
目の前にたたずむ大の大人の男である相沢先生が何も言わないのを良い事に俺はその言葉をつづけた

「俺はまだまだ全然経験もないし、過去にまぁ色々…そのあったせいで誰かをまともに大切にする方法も、守る方法も、それこそ、あいつの”助けて”に”任せろ”だなんていうこともできないです。あいつのそばにいると、自分の無力さがよくわかって心底嫌気がさす。
それでも、こんな俺を見捨てずにあいつはいつだって隣にいて”大丈夫だよ”って手を伸ばしてくれました。
そうやって、知らない間にあいつに助けられてた。本人になんか絶対言ってやらないけど、感謝してます。俺を”見つけて”くれたことに。」
そこまで一気に言い募ると、俺はまっすぐに目の前の人に視線を向ける。
「だから、今度はあいつが俺に手を伸ばすなら、不器用でも不恰好でも最後の悲鳴だとしても、あいつが俺に”助けて”って、手を伸ばすなら、俺はその手がどれだけ離れていても、どれほど難しいものでも、掴んでやらなくちゃいけない、いや、掴みたいと思ってます。相沢先生がもし、何かあいつが関わってる”逆流”の事で知っているなら何でも構いません、教えてください。俺が助けを求めたやつらも今必死に”後輩”のために手を尽くそうとしてくれています。俺も、あいつのために何かしたい。」
そこまで言い切ると俺は目の前で呆然としている先生に頭を下げる

「お願いします。あいつを救う手がかりになるかもしれない、どんなことでも構いません」

頭を下げてしばらくそのままでいると、不意に、目の前で透明な何かが床に零れ落ちる
不思議に思って俺が顔をあげようとしたとき

「俺も、これくらい頑張ればよかったのかな、凪鎖…」

そんなつぶやきが聞こえて、不意に頭の上に手が乗せられて、顔をあげられなくさせるように力がかかった

「せん、せい…?」

「ごめんな、俺がこれだけ必死になってお前から逃げずに最初から向き合ってたら、お前も何か変わってたのかな…」
まるで絞り出すように、彼の声は”凪鎖”の名前を紡ぎ、謝罪を繰り返し、後悔を、懺悔を繰り返す
その言葉とともにぽろぽろとふってくるものが涙だと気付き、俺は思わず口を閉じる

その絞り出された声があまりに切実で、あまりに震えていたから、俺は何を言うこともそのまま顔をあげることもできずにうつむいたまま静かに、先生の
いや、”相沢陽一”としての懺悔を聞いていた

やがて、不意に頭から手がはなれると、少しだけ目元を潤ませてはいるものの、目の前の男性は再び”相沢先生”の表情に戻っていた

「…悪かったな」
ぶっきらぼうな謝罪に俺も気にしないと短く返せば、彼は今度こそまっすぐに俺を見つめてきた

「俺も詳しいことは知らない。だが、お前が最後まで橘のそばにいなければ、あいつは、相当ひどい状況で苦しみを訴えて死ぬしかないんだ。でも傍にいればこの先どれほどあいつが苦しんで泣き叫んで嫌だと叫んでも、傍にいることしかできなくても、無力感にさいなまれて、崩れ落ちそうになっても。少なくとも、橘は安らかに…少なくとも、お前が傍にいない状態よりは、苦しまずに…死ねる」

その言葉に俺は拳を握りしめて、絞り出すように問う

「あいつが、助かる方法はないんですか」

「……ひとつだけある。けど、どっちにしろその方法を取っても最終的には死ぬ、生きられる期間が少しだけ伸びる、それだけだ。」
苦しげに吐き出された吐息に、目の前の男が嘘をついていないと本能で悟ってしまい、俺は自分の掌に爪が食い込むほどに握りしめる

どうあがいても、あいつが笑って生きられる未来はないのか
この世界が好きだといったあいつが、この世界に殺されるだなんて
そんな皮肉が、どうしてまかり通るんだよ

口からあふれそうになった罵詈雑言を何とか胸に押しとどめる
目の前で大切な人を自身のせいで失ってしまったと嘆くこの人に、そんな言葉をぶつけたところで意味なんてない

「俺も、何かあれば、お前に伝えるようにするよ。法律専科に俺の姪がいる。名前は”梶浦遥”」
その名前に思わず顔をあげると、目の前の彼は少しだけ自慢げに微笑む

「やっぱり知ってるか」
「そりゃ、知ってますよ…!」

梶浦遥と言えば、法律専科で唯一米試験とは言えど特科専持ち。しかも途中編入で専科クラスに編入したという相当な秀才だ
俺も一度会ったことがあるが、いまだに彼女の持論はなかなかすべてを覆すことができず、先生たちですらうっかりすれば彼女に論破されると聞いた

目を丸くさせて驚くと面白そうに笑った彼はくしゃくしゃと俺の頭をかき回す
「年相応の表情もできるんだな。」
「失礼です、先生」
「まぁ、とにかく遥となら医療専科のトップのお前も接触もあるだろう。あいつに全部伝えるわけにはいかねーけど、俺今ケータイ手持ちしてないから、ケー番とメアドとかはあいつに聞いてくれ。」
確かに仕事用以外の携帯は持ち歩いていなさそうだと思っていた人なのでその答えにあっさりと納得すると相沢先生は今度は本当に”相沢陽一”ではなく医者の”相沢先生”としての顔に戻る

「あと、橘君だけど、気を付けてみてあげなさい。」

そう言った後に軽く気管支の部分を指さされて目を見張る
「先生、まさかあいつ」
そう焦ったように問えば、”時間外営業になるけど…”なんて笑いながら、彼は口を開く
「俺の見立てだが、あれは昔たぶん喘息もちだったタイプだ。成長して今は収まってんのかもしれねーがこっから先、何がどう影響するかわからねぇ。気を付けてみておけよ」
そういうと先生はその場を立ち去ろうとして、忘れたように振り返って笑みを浮かべながら言った

「橘、お前が治療してんだから家連れて帰って面倒見てもいいぞ。俺がほかの奴らには言っとくから」

その言葉はおそらく”相沢陽一”として発した言葉なのだろう
笑っていても見え隠れした後悔と懺悔と様々な感情がごちゃまぜの瞳に嘘はなかった
その言葉に俺は思わず顔をあげる。けれど、暗くなった廊下の先にはすでに先生の姿はなく
俺は少しだけ作り出されていた緊張感を緩和すべく長く息を吐き出す
そして、吐き出しざまに不意に病室の彼が心配になって慌ててその場で踵を返したのだった





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