「まだ、だめだ…!!!」
そう悲痛な声で言った瞬間、元社員たちがほとんど同時に光祈を連れたまま手すりを越える

「っ…!!!!」
後ろで慧と佳奈子が息をのむ
「なぁ、」
そう俺が呼びかけた瞬間、社員全員が狂ったように笑いだす
俺たちがその笑い声に動揺した瞬間、まるで列になるかのように端から一気に、彼らは飛び降りた

1拍おいていくつもの人体が平面に叩きつけられる音
「…っ!!!!」
「せん、ぱっ…!」
その時、手すりの向こう側に声が聞こえた
俺はその声に迷わずに手すりを越える

「慧!!!俺掴んでろ!!!」
そう叫べば彼はすぐに飛んできて、俺の腰をつかむ
眼下には屋上の端に必死にしがみついた後輩の姿
迷わずに手を伸ばした

「せんぱっ、いっ…!」

「光っ、祈っ…!」
わずかな差が届かない

”届けよっ…!”

限界まで伸ばしていた手が後輩の手が限界だと訴えたように離れた瞬間、その腕を何とか捕まえる事に成功する
バクバクと音を立てる心臓に舌打ちしながらも上でがっしり掴んでいてくれている慧に声を限りに叫ぶ

「慧、引き揚げてくれ!!!」

その言葉に、佳奈子もずっと隣にいたのか、一気に引き上げられた
彼を引き上げた直後、荒い呼吸もそのままに、佳奈子がちゃんと持ってきてくれた医療救急セットを引き寄せる

ヒューヒューと浅い呼吸を繰り返している彼は、出血がまだあまり治まっていないのか血の気のない顔で弱々しく笑みを浮かべる
「また、先輩に、この、セリフ。言わな、きゃ…」
「しゃべんな、すぐ病院内で処置する。ひとまず応急処置だけすっからおとなしくしてろ」
「えへ…へ、血液、足り、ま、せー…ん…」
そう言ってほとんど白色に近い顔でも笑む後輩に思わず軽くその額をはたく
「笑ってる場合か、あほ」

後ろを振り返ると、佳奈子と慧が俺の手伝いの準備に入ってくれていた
僅かに逡巡したのち俺は二人に向かって口を開く
「慧、佳奈子、お前らは下で、あいつら助けてやってくれ。」
下から聞こえてくる喧騒はもはや悲鳴とも何ともつかないレベルまで大きくなっていた
「主治医の先生一人じゃ5人はいささかきついだろう。お前らも助けてきてやってくれ」
「……任せるよ」
短く佳奈子の呟いた言葉を合図に慧と佳奈子はお互いの顔を見合わせると、はめかけていたゴム手袋をはずして扉を開け放したまま駆け下りて行った

「…さて…」
とたんに静かになった屋上に風の音と、光祈の浅い呼吸音、そして俺の声だけが響く
何時もの手順を、深呼吸した後俺は始めた
まず、周りの骨折や打ち身等を調べながらも傷口を観察
予想通り、あまり清潔な状態とは言えない
感染症併発を防ぐためにも…
「洗った方がいいな、これは…光祈。ちょっと沁みるけど、我慢しろよ」
意識が朦朧としているのだろうか、薄く目を開けていただけの後輩はわずかに首を縦に動かす

一呼吸置いた後、俺は救急箱に入っているペットボトルを引っ張り出すと、膝上からかけて流していく
眉を寄せている表情から痛覚自体はまだしっかりあるらしい
そのことに安堵しながらも、少しずつ流していき軽く洗い流していく

やがて、水で半分ほど流したところで傷口を軽く拭うと
そのえぐられ方に思わず息をのむ
あと少しずれていたら筋繊維にあたっているほどに、ひどく危ないえぐられ方だった
もし、少しでもずれていたのなら
もし、一歩間違えていたら、

”…左足が使い物にならなくなるところだった”

その事実に愕然とする
けれど、そんなことに愕然とし続ける時間はなかった
愕然としたままも手は体が覚えている応急処置を続ける
ひとまず包帯で軽く止血をすると、彼の頬を軽く叩く
「おい。意識あるか?」
そう言えば、彼は弱々しいながら首を縦に振った
呼吸もだいぶ通常通りに戻りつつあることを確認すると俺は後輩の耳元に顔を寄せて言う
「今から下運んでちゃんと見てもらうから。ちょっと動かすけど、我慢しろよ」
その言葉に再び浅く頷いたのを見て、俺は後輩を背負う
「よし…」

俺は、治療器具の揃う部屋を目指してそのまま屋上を後にした


下に行けば、救急病棟周辺と手術室周辺は完全に戦場と化していた
救急の中で佳奈子と慧がそれぞれに指示を出しながら、自分の手元で的確に処置を施していっているのが分かる
看護師も忙しそうにバタバタと走り回っている

”このままじゃ困るな…”

そう思って俺は、ひとまずと思い手近にあった処置室へ入る
運よく空いていたらしい。
診察台の上に背負っていた彼を下ろして寝かせると、俺はそのまま本格的な治療体勢に入った

結果から言うと、治療自体はほとんど問題なく終了した
一安心した後は看護婦に託して、先ほどの救急へ向かう
やはり、まだ戦場のようなあわただしさで患者の手当てを行っていた慧が俺に向かって指を3本立てる
「あと3か」
「あぁ」
手早くその場にあった処置服を借りるとすぐそばにいた人を捕まえてまだ途中の人を問う

訝しげな看護師に佳奈子が治療を続けながら叫ぶ
「その人、私たちと同じ医療専科クラスのNo.1で、特科専もちよ!!!」
その言葉に一気に看護師の表情が変わる
案内されたのは何の因果か、秘書官の男のもとであった

うめくような声は聞こえるものの意識はないらしい
「慧、リミット何分だ」
「一人大方25分がここじゃ限度だ!それ以上になりそうだったら手術室連れてけ!さっき言ったあの先生が待機してくれてる!」
そう返事が喧騒にまぎれて聞こえてきて頷く
”俺は俺の仕事をしなければ”

そう覚悟を決めると深呼吸した後、彼は自身の手を動かし秘書官の男を救う治療を始めた




「…っ!よし!!!」
慧のその声がラストだった
「終わったわね…」
珍しく疲れ切った声で佳奈子が微笑む
息を吐き出しながら俺もうなずいた

「けど、全員助けたな」
嬉しそうに慧がそう笑えば、俺も佳奈子も誇らしげに笑み返す
そして嬉しくなって、3人で拳を軽く合わせる
「お疲れ」
「お疲れ」

心地よい達成感に浸っていた時、部屋のドアが開いた
「!!!先生!」
入ってきたのは医療専科の担任の先生だった
俺たちは目を丸くしながらも先生のもとへ駆け寄る
「どうしてここに…?」
首を傾げながらも尋ねれば、後ろから声が聞こえる
「君たちが来た時点で僕が呼びました」
その後ろからひょっこりと白衣姿の先生が顔を出す

「あ!」

その姿を見た瞬間、慧が目を見開いた

「思い出した…!!!この人、”相沢陽一”先生だ…!」

その言葉に今度は俺が目を丸くする番だった

「相沢先生!!???」
俺の悲鳴のような声も気にせずに相沢先生は口を開く
「君たち、今年の医療専科生、特科専持ちの子たちだね?」
真剣な表情で問われて俺たちは三人そろって不思議に思いながらもその問いにうなずいた
相沢はその相好を崩すと、担任に向き直ってこう言った

「この子たち、かなり優秀です。契約している医師がいなければ僕の弟子に欲しいくらいだ。ここの病院に常駐しておいても余裕で対応できますよ、素晴らしい技術を持っている」
その言葉に担任は目を丸くした後、やがて嬉しそうに俺たちの方を見て笑みを浮かべた

「陽一君がそういうなら、そうなんでしょうね。君たち、今年の実技はこれですべてカットで構いませんよ。実際の人の命を救ったのですから、余剰分で筆記もなしにしてあげたいくらいです」
その言葉に俺たちは目を丸くした後、やがて、3人で顔を見合わせる
考えていることは同じだったらしい
佳奈子が代表して口を開いた
「先生、これは私たちの私用の際に起きたことにうっかりでしゃばってしまっただけです。だから、実技試験は別物できちんと受けます。受けさせてください」
そう言った後に慧も俺もうなずく
その表情を見て、相沢先生が微笑んだ
「今年の子たちは、優秀ですね。医学界もまだまだ捨てたものじゃない。嬉しいですよ」
そういって微笑んで再び口を開こうとした時、不意に内線が入る
一瞬で緊張の走った俺たち
しかしそれに出た相沢先生がやがて僕らの方を見るとにっこりと笑みを浮かべた
「君たちの後輩君、目が覚めたって」
その言葉に思わず膝から下の力が抜けて、その場に座り込んでしまう

「零、よかったな」
疲労をにじませながらも心底嬉しそうな笑顔で慧にそう言われて、その後ろから佳奈子にも微笑まれて
俺は素直にうなずくと先生たちにお礼を言って一足先に彼の病室へと向かわせてもらった

この扉を開けるのは今日で3回目だな…なんて思いながら扉を開けて
「光祈!」
そう名前を呼べば、彼は足をつったままこちらを振り向いて微笑む
すっかり血の気の戻った顔の色に安心する
自分の処置に自信がなかったわけではないが、それでもやはり一人で行ったことだ。
不安ではあった。けれど、それが正解だったと後輩の表情が証明してくれたようで胸を撫でおろす

「先輩!」
嬉しそうに笑みを浮かべると彼は最初に病室で会った時と同じようにひらひらと手を振って俺を傍に呼ぶ
そして、思いっきり笑みを浮かべると
「ありがとう、先輩」
そう言って俺を抱きしめた

「!!???」
驚いて身をよじろうとした瞬間、抱きしめてきていた彼の腕がわずかに震えていることに気づく
そこでようやく、俺は今までどのような状況に目の前の後輩が置かれていたのかを思い出す

怖くないわけがないのだ
それでも、絶対に怖いと言わなかった

それが分かった瞬間、俺も強く目の前の後輩の体を抱きしめ返していた

「もう、大丈夫だからな」
「ん…」

がたがたと震えているその背をさすってやると、やがてその震えがとまった彼は恥ずかしそうに笑う

「へへ、…甘えちゃった」
「これぐらい、別に気にすんなよ。誰だって不安にもなるし恐怖も感じるさ。」

そう言えば彼は少しだけ寂しそうな表情をした後、その表情をすぐに引っ込めると変わらないでいつもの笑みを浮かべると
「ありがとう」
短くそう呟いた

その後はお互いに無言で。
けれど、”こいつといるときの無言は決して息苦しい類のものじゃないな”
なんて今更なことを考えているうちに時間は過ぎていった

先にその心地よいとも感じられる静寂を破ったのは、光祈の声だった
「先輩、もうすぐ面会終了時間、だよ?」
そう小首を傾げられて言われてみれば、外はすでに暗くなってしまっていて。
「……分かってる」
口ではそう言ったもののこのままここに彼を一人置いていくことが不安でたまらないのも事実で
せめて目の届く場所にいてほしいと思ってしまうのは、俺のエゴだろうか
そんな思いが胸の中に横行してまともに彼の顔を見られずにいた時に、病室の扉が控えめにノックされた後、慧と相沢先生がひょっこりと顔を出す

「零。そろそろ俺と佳奈子帰るなー?」
「あー、いきなり付き合わせて悪かったな、助かった」
思い返せばいきなりの訳の分からない電話に対してすっ飛んできてくれたクラスメイト達
申し訳なさと感謝でいっぱいになってそう言いながら頭を下げれば慧は笑って手を振る
「お前の自由に振り回されんの、俺たちも楽しんでるからいいんだよ。気にすんな。」
そこで一度言葉を切った慧は楽しそうな表情で相沢先生を見上げると笑みながら再び口を開く
「それに、天才と呼ばれる相沢先生んとこで興味深い話も聞けたし、貴重な経験もできた。だから気にすんな」
そういうと短く笑って”じゃぁな。橘君もお大事に”と言うと彼は病室を出て行った

彼とは対照的に病室に入ってきた相沢先生は俺とベッドの上の彼とを見比べる
そしてなぜか納得したようにうなずいて彼は口を開いた

「彼には、きっと、これから先も君が必要だろうね」

「「……え?」」
二人の声が疑問に満ちた音で重なる

相沢先生がその表情を緩めながらも次にはなった言葉は衝撃的なものだった

「橘君は、”逆流”の”ねじ”じゃないのかい?」

その言葉にベッドの上で後輩がひゅっと息をのむ音が聞こえる

そして、彼はそのまま後輩のもとに行くと彼の頭をなで何かを耳打ちする
固まったままその光景を見ていた俺は慌てて相沢先生を後輩から引きはがそうとして
耳打ちされた後輩の表情に気づく

「…」
笑って、いたのだ

それは、いつか見せてくれた全開の笑顔ではなかったけれど、
ここ最近泣き出しそうな顔ばかり、後悔してばかりいて沈んでいた彼が
さもなければすべてをこらえたように痛々しい笑みしか見せなかった彼が
今にも泣き出しそうで、けれど、不恰好でもちゃんと
嬉しいから、安心したから笑えるのだと言わん限りにその表情を緩めていた
その表情に、俺は思わず何も言えずにその場に立ちすくむ

やがて、相沢先生が後輩から離れるとまっすぐに俺のもとにやってくる
「少しだけ、君の時間を貸してくれるかい」
答えはYes.しか言わせないような雰囲気でそう問うた彼に俺はちらりと心配そうに後輩の方を見る
それに気づいたのだろうか、後輩は無声音で「大丈夫だから」
そう言ってまた痛々しくて仕方ないのに精一杯の笑みを浮かべて伝えてくる
そう言われてしまえば、俺に選択肢なんて残っているわけもなく
「すぐ、戻る」
そう言い残して、俺は相沢先生の後ろに続いて病室を出たのだった




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