俺はケータイを手に立ち上がると
光祈のいる病院に再び向かった

結果だけ伝えるなら光祈は病院の、正しくはベッドの上には、いなかった

朝と同じように病室に向かおうとした俺を、通りすがりざまに看護師さんが、物陰に引っ張り込んで声を潜めて囁いてきたのだ

「ねぇ橘君ってやくざか何かの家系なの?」
「はい?」
「さっきね、病院受付に電話があって、迎えに行くからって」
その言葉にゾワリと肌が意味もなく粟立つ
頭の中で警鐘を鳴らしている音が聞こえた気がした
帰り際に病院のそばですれ違った見覚えのある彼の顔を思い出す
そのことを意味もなく思い出した瞬間
俺ははじかれたように顔をあげる

その場でお礼を言うとそのまま光祈の病室へと全力ダッシュした

息も切れ切れに病室のある階に辿り着くと、早足に歩みを進めていく
嫌な予感は近づいていくたびに膨らんでいた

当たらないでくれと言った予感ほど当たると俺に向かって言ったのは誰だったのだろう

そして、予想通りというのはいささか語弊があるものの病室のドアは
本来閉まっているはずの、後輩のいるはずのドアは開いていた
覗き込んだ先には彼の姿はなくて、代わりに、怪我していた部分を引きずられたかのようにわずかな血痕が床についている

「…っ」
思わず舌打ちと同時にうめいてしまう

そして顔をあげた先で目に飛び込んだのは開いている窓
俺の脳内警報はさっきから鳴りっぱなしだった

心臓が痛い、冗談だろう…

うっかりすれば息をするのすら忘れそうなほどに体が恐怖に支配される
そして、恐る恐る窓の下を覗き込もうとしたその時

「〜♪」
ケータイが着信音を鳴らした。表示されたのは先ほど登録したばかりのここにいたはずの彼の番号
ごくりと生唾をのみこむと俺は通話ボタンを押して、ケータイを耳に当てた
その瞬間

「先輩、死にたくないっ…!!!助けてっ…!!!!やだ、やめろっての!!っ…うっ…った、や、だっ…!!!」
その悲鳴のような叫び声に全身が金縛りにあったように固まる
「こ、う、「っあっ、やだ!!!!やめ、うあっぁぁぁぁ!!!!!」
まるで断末魔の叫びのような悲鳴に脳が覚醒する
「光祈!!!!???今どこにいるんだ…!!」
通話越しに何かがこすれる音がする
「屋上。さぁ、君は間に合うかな?」
誰かがケータイを奪ったのか、それだけ言って彼からの通話は切れた


「屋、上…?」
愕然とした俺は、次の瞬間はじかれたように走り出す
その手はケータイを操作して、とある人物に電話をしていた

「頼む!!今すぐ、系列の病院来い!!!手、貸してくれ!!!あいつもだ!!!」
「え??ちょ、ま、何があったんだ…?」
「話してる時間はない、早くしろ!!!その内入れなくなる!!!」
「…よくわかんねーけど分かったよ。今から出る」

電話口の相手は傍にいたのだろうか、彼女の名を呼ぶと
”10分は持ちこたえろ、無理ならせめて5分はかかる、またあとで”
そう言って通話を切った

走りながらも俺は必死で脳内を整理する
「くっそっ…!!!」
舌打ちをしながら俺は再び走ることに全力を注いだ


屋上までの道のりがひどく遠く感じられた
実際はそれほどでもないはずなのに、永遠に辿り着けない様な気がするほどに
その道のりは長く感じられたのだ
やっと目の前に現れた屋上への扉を開け放った瞬間
風に乗って流れてきたかすかだけれど、確かに鼻を突くように鉄のにおい

そして視線をあげれば左足からだらだらと血を流して意識を失っているらしき後輩とそれを囲むように数人の人間がそろっていた

皆が一様にぎらぎらとした瞳でこちらを睨みつける
その表情に、そしてそのメンバーに見覚えがあった

「あんたらが恨みあんの、俺じゃねーのかよ…!」
ぼそりとつぶやけば後輩を捕えていた男が口を開く
「お前にも、恨みはないさ。あるのはお前の父親だけだ。でももう関係ないさ。俺たちは疲れたんだよ。だから最後はお前に看取ってもらおうと思ってな。でもどうせなら、お前に一生残さない傷つけてやろうと思ったんだ。こいつと仲、いいんだろう?」
話口調、風貌からして、彼がリーダーなのだろう、この”自殺者”の集いの
「仲がいい?冗談やめてくれよ」
精一杯冷酷にうそぶいた。うそぶいたつもりだった
けれど、彼は口元に笑みを浮かべて後輩の腕をつかむ
「そうか、冗談か。なら別に一緒に死んでもらってもいいよな?」
「…っ」
頭が切れることで有名だった俺の父親の会社で秘書官だった人間は敵に回すと厄介だと、
幼いころ、父親が苦笑を浮かべながら言っていた事を、いまさらながら思い出した自分に嫌気がさす

眼前の男を見ながらその言葉に納得した、こいつは確かに厄介だ
目の前にそろっているのは、俺の父親が経営していた会社で昔から働いてくれていた人たちだった
そして俺の父親が死んだ時に共に、会社も仕事も失い、引き取り手もなくいまだに路頭をさまよっている人達だ

ちらりと時計に視線をやれば、先ほどの電話から経っていてもおそらく2分〜3分
”最低5分…”
先ほど電話口で言われた言葉が頭の中で響く
”どうする…どうする…考えろ、俺”
何とかする方法とともに時間を計算していたら、不意に一人の人がふらふらと手すりに寄っていく

そして、そのままリーダー格の彼に向かって
「すみません、お先に行かせてください」
そう言うなり、そのまま手すりを乗り越えて、
まるで林檎が落ちるかのごとく自然に
落下した

ワンテンポ遅れてその感覚が戻ってきた瞬間
肉の叩きつけられる、人体が平面に叩きつけられる嫌な音と、何かが砕けた音が聞こえた気がして
その音に驚いたのだろうか、光祈がぼんやりとその眼を開ける
後ろを振り向いたら見える場所にいた彼は後ろの音が気になったのかふりむこうとする

「やめろ!!!見るな!!!!!!!!!!!!」

自分の口から悲鳴のような声が出た
その声に気づいてくれたのだろうか

痛みで朦朧としているのか、ぼんやりとした表情で「せんぱい?」
彼はそう首をかしげた

こみ上げるフラッシュバックに足が震えて、立っていられなくなりそうになる
目の前が真っ白になる感覚、懐かしい体温がその肩に触れた気がして鳥肌が立つ
”あぁくそこんな時にっ…!!吐きそうになってる場合じゃねー、しっかりしろよ俺!!!”
そんなことを思いながらも目の前に立つ人間を睨みつける
当然のことながら下の喧騒はひどいもので、屋上にいる俺たちにすらその悲鳴が時々届くほどだった

「下、騒がしい…」
そう呟くと、彼はやがて意識がはっきりしてきたのだろうか、血の気の引いた顔のまま
「っ…」
その足の痛みにうめく

”早く消毒、適切な処置をしないと、後に響く”

そんな思いと焦りばかりが募る中、一人、また一人と目の前の人間が後輩の後ろの手すりを見つめたまま近づいていく

「なぁ、」
秘書だった男はぽつりとこぼした
「俺たちは、何のために生きてるんだ?こんな世界なんてなくてもいいじゃないか。何一つ、俺たちに救いをくれないんだ」
その言葉に、すぐ隣にいた光祈が痛みにうめきながらも顔をあげる。
そして、何故か彼は自分よりも、秘書官の男の方が痛いのだと言わんばかりに苦しげな、切なげな表情を浮かべたのである
「ごめんね、おじさん」
「え?」
彼から発せられたその言葉に疑問の声を上げたのは俺だけじゃなかった
けれど、それを歯牙にもかけずに後輩は痛みにうめきながらも言葉を続ける

「もう少し、前に出会えてたなら、俺がおじさんの”助けて”を、聞こえてたなら、”助けられた”かもしれないのに。もうこの体じゃ、おじさんの”助けて”を届けてあげられない」
光祈は周りにいる人たちの顔を見回す
そして、深く頭を下げたのだ。
「ごめんなさい、俺が無力な1か月間は、きっとこの世界は誰も助けてくれないんだ。本当に、もっと早くに見つけてあげられなくて、ごめんなさい」
皆が唖然とした。
そして、その善人っぷりに皆が、同時に怯んだ

「光、祈…?」
その善人過ぎる言葉に俺も思わず恐る恐る彼の名を呟いてしまう

その表情を見回した後輩は困ったように笑う

「俺は、ここにいる人たちや先輩たちが思ってるほど”善い人”なんかじゃないよ。聞こえてたすぐ傍の”助けて”を、自分が痛いのを怖がって助けることもできなかった”悪い奴”だ」

一度顔を俯けた後、自嘲気味な笑みを浮かべて彼は言う

「今は、誰かを助けられない代わりに、これから1か月、この世界で起きる不幸は俺の一人占めだ。でも俺は、先輩以外に”助けて”を言うことが許されない。あーもーほんとに。神様ってば仕事してよね」
あまりにあっけらかんな口調で言うから俺たちは呆然としたままで。

「せーんぱい」
不意にそう呼ばれれば、彼が首をかしげる
何かを伝えようとしているのは表情からわかるものの、何を言いたいのかわからずにいたその時
後ろの扉が開く


「零!来た!」

その声に、思わず力が抜けそうになったのを何とか安堵のため息をつく事でごまかす
「慧、佳奈子。」
医療専科のNo.2、No.3が、これでそろった

近寄ってきた二人は後輩の足元を見て顔をゆがめる
「早く処置した方がいいな…」
「そうね…ここじゃあれだし、それに、あれ。たぶんブロック片か何かでやってるわ、感染症が怖い」
二人が悲痛な面持ちでつぶやくと同時に医療専科の、特科専持ちの表情になる

「あなた方の仲間、何とか一命は取り留めさせてきました。彼の生きる気力さえあればあとは戻ってこれるでしょう。」
その言葉に俺は眼を見開く
「おま、あれ…助けられたのか!!???」
「主治医として執刀したのは別の先生だ。けど、途中で特科専持ってるって知られて変わることになって。それで遅くなった、悪い。あとたぶん、あれなら助かる」
そう言った後に顔をしかめながらも軽く状況を付け加えた
「中の臓器はぐちゃぐちゃだし、骨も複雑骨折とかえらいことになってて、最初は目も当てられなかったけど最初に対処あたった先生がうまかった。たぶん、あの人最近転属してきて有名な名医の先生だと思う。名前忘れたけど」
それだけ言うと他の人に目を向ける
「死にたい方々、ですよね?おそらくあの先生と俺たちがいる限り自惚れじゃなく本当に、死なせてはあげられませんよ」
そう言ってから不意にその表情が普段の慧に戻ると、いきなり彼は怒鳴りつけた
「あんたら、生きたくても生きれない人が世の中どんだけいると思ってんだよ大馬鹿者共が!!そう簡単に死なせてやるもんか!あんたらはそういう人達の分までちゃんと寿命全うする義務があるんだよ!!!」
ぶちぎれた彼はそう言った後、佳奈子の方を振り返る
彼女は無表情を崩さないまま、その後を引き継ぐように言った

「ねぇ、私たちの友達の大事な後輩なの、その子。返してもらえるかしら、それも…」
すっと間を開けると彼女は絶対零度の微笑を浮かべて口を開く
「あなたたち全員が自殺未遂して、全部私たちが助けている間に彼をお返し願えばいいのかしら?」

その言葉に誰かが息をのんだ
「助けられる保証なんてどこにもっ…!!!」
自殺者の集い、もとい元社員の人たちの一人がそう叫ぶ。
その瞬間俺たちは思わず笑みを浮かべた

「あなた方は知らないかもしれませんが、ここにいるのは特科専持ちの人間です」
そう言ったのは慧だった。そして、彼は微笑んだまま言葉を続ける

「医者の卵として日々実践を重ねている俺たちが、目の前にいる患者を見殺しにするわけがないでしょう?」
そしてその後を引き継ぐように佳奈子が微笑む
「申し訳ないけれど、私たち1度成功させたことは今後一切失敗しないたちなの。助かることは、確定事項よ」
そうやら相手も特科専資格の事は知っているらしい。
あの学校の噂はいい意味でも悪い意味でも広い。
その中でも特科専資格の話はあちこちに飛び火している
そしてその特科専が、世界の名医たちに弟子に見込まれて日々助手をこなすほどの技量をもつものだけに与えられる称号だということも
息をのんで怯えた表情を浮かべていた彼らの表情が悪いものでも見たかのように歪んでいく

俺は二人の表情を見て自信満々で彼らに向かって言った
「悪いけど、死なせてやるの難しそうだわ。俺も含めてこいつら、結構優秀だからさ。しかも頑固でな、1回決めたら譲らねーから」
そう言って、俺は一呼吸置く
「俺が、俺たちが全部助けるから、それで気が済むなら飛べよ。その代わり、後輩は返せ。そいつは関係ないだろう、早く足の怪我処置してやりたいんだ、頼む」

そう言えば、目の前の人間はさらに怯えたように後ずさっていく
秘書官に抱えられたままの光祈もつれて、じりじりと後ずさっていく

「せんぱ、い」
その時、抱えられていた光祈が不意に顔をあげる





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