09 オレンジ








「……?」

急にごそごそと動き始めた隣の青年に、思わず目を向ける。

兄の言いつけだからとこの青年と兄の帰りを待つことになった。兄の友人らしいから、先ほどのような危険な人ではないのだろうけど、知らない人はやはり少しこわい。

そのまま黙って癖っ毛の青年を見ていると、彼はポケットから小さな小瓶を取り出した。
手のひらに収まる位の、小さなガラス瓶だ。透明で、少し変わった形をしていて、コルクで栓がしてある。一見すると女子が持つような洒落たものだったが、スピカにはそれがやけに彼に似合っているように思えた。

「これ、なんだ」

ふふ、と人なつこい笑みを浮かべて、青年はスピカにその瓶の中身が見えるよう近づけた。
からんからんと音を立ててぶつかりあう、きれいなオレンジ色の丸いそれ。

「……あめ?」
「正解」

夕陽色の、半透明のあめ玉が数個瓶の中に転がっていた。バロニアを照らす本物の夕陽を受けて、それはさらにきらきらと輝いてスピカの目に映り、何か特別なもののように見える。

「オレンジは好き?」

きゅぽん、と軽い音を立ててコルクの栓を引っこ抜きながらベルガモットが言う。あめ玉に気を取られていたスピカは何も答えなかったが、彼は特に気にした風も無かった。
からん、と小瓶を傾けて、スピカに手を出すように促す。両手を出して椀のような形にすると、彼はそこにあめ玉をひとつ転がし込んだ。

「どうぞ」

頭に疑問符を浮かべて上目に青年を見ると、笑ったままの彼の瞳と視線が合う。くれる、ということだろうか。

「あれ。キライだった?」

いつまでたっても動かないスピカを不審に思ったのか、ベルガモットは少し焦ったような顔をする。

「あ、ありがとうございます」

何か返さなくては、と口を開いて出てきたのは、ワンテンポ遅れたお礼の言葉だった。
予想外の言葉に数回ぱちぱちと瞬きをした彼だったが、スピカの混乱具合を察したのか、小さく苦笑して返事を返した。

「どーいたしまして。手、べたべたになる前に食べちゃいなよ」
「は、い」

言われるがままにあめ玉を口に運ぶ。透き通ったオレンジの玉は食べてしまうのがもったいないように思えたが、そのまま口に放り込んだ。
オレンジの甘さと酸味がふわりと口の中に広がる。酸っぱすぎることもなく、素直においしい、と感じた。

「おいしい?」

問いかけてきた青年にこくこくと数度頷いてみせる。そうすると安堵したようによかった、と呟かれる。

「よかった。キライだって言われたらどうしようかと思っちゃったよ」

あめ玉のおかげで落ち着いた頭で考えてみると、どうやら自分は彼に迷惑をかけてしまったようだ。謝ろう、と口を開くとそれは彼の言葉に遮られた。

「ねえ、名前なんていうの?」
「え、と…スピカ…」
「スピカ。うん、覚えた」

今日はやけに知らない人に名前を呼ばれる日だ。兄以外とはほとんど話したことがないため、それはとても珍しいことのように感じるのだった。




「ああ、俺はベルガモット。アルの友達だよ。」
「アル兄の?」
「そ。…まあアルがそう言ってくれたわけじゃないんだけどねえ」

アルクスの名前を出してそう言うと、興味を持ったように瞬きをする様子に、ベルガモットは苦笑する。兄も兄で随分と妹を気にしていたようだったが、妹も然りと言うことらしい。ともかく、これでやっと先のような雰囲気を払拭できたようだ。

「スピカは、アルのこと好き?」
「んーと…うん。好きです」
「どんなところが?」
「えっと…優しいし、いつも一緒にいてくれるし。」

先程までのだんまりが嘘のようにすらすらとしゃべり出す。しかしスピカの口からでる兄の様子は、ベルガモットの知る"騎士学校有数の問題児”とは大きく異なっていた。ベルガモットがどんなに彼を過大評価しても優しいなんて言葉はどうやっても出てきやしないし。

「とんだ二重人格だね、アイツ」
「?」
「ああ、こっちの話だよ。ごめんごめん」

今この騎士学校内を歩き回ってるのだろうこの少女の兄は本当にこの妹に目をかけているらしい。失礼だとは思うが、ベルガモットにはそれが少しおかしく思えた。アルクスと言えば、周りからは自分勝手、と思われているきらいがあるようだし。それなりに付き合っている身の自分としても正直全く全てを否定することはできない。
しかし彼女はそんなアルクスを微塵も知らないのだろう。別に隠しているというわけではないのだろうが。

「どうかしたんですか?」
「うぇ?…あ、ごめん何でもない」

呼びかけられて、思考の海から浮上する。こちらを見上げてくる少女のとふっと視線が合う。蒲公英のような暖かい金色。兄と同じ色だ。───そして。

「じゃあ、お父さんは好き?」
「………」
「あれ、どしたの?」

どうしてそんなことを聞くのかと言われれば、興味本位だった。アルクスは父親のことを酷く嫌っているようだったし、じゃあ妹はどうなのかと思ったまでだ。
しかし聞かれたスピカと言えば、黙り込んでしまった。答えを探しているようだったからベルガモットは黙っていると、少し悩んでから、ゆっくりと口を開いた。

「解らないです」
「解らない?」
「…アル兄は、父様のことキライみたいですけど」
「ああ、あれは分かりやすいねえ」

家のことを振られただけで分かりやすい反応を示す友人を思いだして乾いた笑いをこぼす。

「私は…父様と話したことは…、ほとんど無いので」
「へぇ、そうなんだ」
「…はい。だから、よく知らない人をキライか好きかなんて、解りません」
「…まあそれは尤もだね」

知らない人間を好きかと言われたら、確かに好きとも嫌いとも言えないだろう。至極妥当な返答だった。ベルガモットとしては、てっきり嫌いと一蹴されるものだと思っていたから意外だったが。

「変なこと聞いてごめんねー。さて、兄さんはそろそろお帰りかな?」

くしゃりとその水色の髪を一度かき混ぜて、騎士学校の門を見る。
時間は計っていないが、そろそろ彼が戻ってきてもいい時間ろう。
スピカはそれには答えず、ベルガモットに倣うように騎士学校の門を見つめ始めた。



  

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