さて、今日は朝からついていない。 普段より三十分以上寝坊するし、昨日のうちに買っておいた朝食は他の家族に食べられてしまっていた。寝癖はいつも以上に直らないからドライヤーやアイロンと長時間格闘する羽目になってしまったし、家を出たら出たで駅までの全ての信号に引っかかってしまった。 本当についていない。 盛大なため息をつきながら定期券を改札に通してホームへと足を進める。前に後ろにごった返すのはスーツや制服を纏った、これから同じ車両に乗るであろう仲間たち。数分後に起きる事態を想像してまたため息が出るのもいたし方あるまい。そう、俗に言うラッシュというやつだ。 普段なら数本前の電車に余裕を持って乗るのだが、前述した通り今日は寝坊してしまった。 入学式のあの日、ラッシュの厳しさを痛感したからいつも余裕を持って登校してたっていうのに――私のばか!……なんて脳内で自分を責めたところで現実は何も変わらない。こんなことで事態が好転するっていうなら世界はとっくに平和になっているはずだ。 とまあ現実逃避もそこそこに、ガタガタと騒々しい音を立ててホームへ電車が入ってくる。窓から見える人混みに思わずもう何本か遅らせれば――と考えてしまうけどもこれを逃せ今度こそ遅刻だ。うん、それは笑えない。私は開くドアを恨めしそうに見つめるしかできなかった。 ……降りる人より乗る人が多いって、おかしいよ! どうにかドア近くをキープして縮こまったものの、それでも押しつぶされるし駅に止まる事に人は増えていく。うう、息苦しいし動けない。人口密度はもう300%を越えてしまったんじゃないかなあなんて遠い目で思いながら車内アナウンスを聞けば、次は私が降りる駅だ。やっとこのラッシュから解放されふる!と顔を上げるけど、あれ、ちょっと待てよ。 …開くドア、どっちだっけ。 さっと血の気が引く。まるで気が付かなかったけど、いつも私が降りてるのは、反対側のドアじゃ、無かったっけ。一歩も動けそうもない満員電車は徐々にスピードを緩める。私の気も知らないアナウンスは無常にも――お出口は変わりまして――ああ、やっぱりか。 せめて人がいっぱい降りてくれれば!と祈るが、その素振りを見せる人はほとんど見当たらない。これって本当にまずいような予感がして、背筋に冷たいものが走った。 停止した電車がぷしゅー、と情けない音をたてながらドアをスライドさせる。降りないと…と動こうとするが、しかし他の人はほとんど微動だにしなく、開いたドアと一番遠い位置に立つ私も身動きが取れない。進もうにも、狭すぎる。 「す、すみませ…」 小さく声をあげつつ辛うじて一歩踏み出すものの、響くドアが閉まる合図。どうしようどうしよう、それしか頭に無かったそのとき。 前にのばしていた腕をぎゅっと捕まれた。 「え、」 「すみませーん!降りまーす!」 すぐ近くからそんな声があがった。なに?どういうこと――私の身に起きた事を理解するよりはやく、私は前に引っ張られた。されるがままになっていると、そのまま私はホームまで文字通り引っ張り出される。直後に背後からドアが閉まる音。ああ、降りれてよかった……じゃなくて。 「あ、あの…」 「降りたかったんだろ?大丈夫だったかー?」 声はもちろん私の腕を掴んでいる人から発せられたもので、その腕の先に居たのは一人の制服の少年だ。きらきら光る金髪に、整った顔立ち。眩しいほどの笑顔を浮かべて私にそう問うてくる。 「えっと…ありがとう、ございます」 「いいっていいって。あの電車いつも人多くて大変だよな」 目の前の少年は、電車から降りれなくて困っていた私を助けてくれたと言うことだろう。 素直にお礼を述べると、相手はさらに笑みを深めた。ひどく人なつこさを感じさせる人だと、思う。 「はい…だからいつもはもっと早くの電車なんですけど」 「はは、寝坊ってか?……っと、このままじゃ遅刻だな。お前は大丈夫か?」 「え?あ、まずい」 彼の言葉に腕時計を見れば、あまり始業に余裕はない。ホームにも人はほとんど見あたらないし、これじゃあ彼の言うとおり遅刻だ。せっかく電車には乗れたというのにそれは遠慮したい。 そしてふと目前の彼を見れば、それは自分が通う高校の近くにある、別の高校の制服だ。最寄り駅が同じため何度も見かけるから知ったのだけど。 「だよな。じゃあ俺はこれで!」 「あ、本当にありがとうございました!」 「ん!」 それだけ言い残し、あっという間に小走りに走り出した彼にもう一度声をかければ、彼は後ろ姿に片手を降って応えた。すこし気障っぽい態度だけど、彼がするとなぜかすごく自然だ。 「…私も学校行かなきゃ!」 彼が見えなくなるまで見送って、私も歩み出した。 いつもと少し違う朝の、少し特別な出来事。 向日葵との遭遇 本日は大雨のち晴天なり! (いいひと、だったな) (またあえたらいいな、なんて) |