▼ 第十三夜
その日珱は初めて、その扉をノックした。
「…やあ、いらっしゃい」
迎え出た灰閻は分かっていたというように笑顔だった。頭を下げて、諭されるがまま中に入る。
「初めて珱ちゃんが来るから僕張り切ってご飯作ったよ!」
『…ご飯、食べるつもりはないんですけど…』
リビングに通されてちょっと待っててと灰閻はお茶を用意して出て行った。時計の針が動く僅かな音に耳を傾けながら待っていた珱は気配を感じ廊下に顔を向けた。
「あ…」
そこにいたのはまだ幼く髪が長い優姫。実は見惚れていた優姫はこちらを見られ戸惑いおどおどしていたが、よしとまた珱を見た。
「こ、こんばんは」
『…こんばんは』
誰だろうと眺めながらとりあえず挨拶を返す。
「あの、いつも枢さまと一緒にいた人…ですよね…?」
『……………君、黒主優姫?』
「え、あ、はい」
『へぇ』
こんな間近で始めてみた、と内心思う。
「貴女は…その…吸血鬼…?」
『うん』
顔色一つ変えず答える珱。
「おや優姫。こんなところにいたのかい」
「あ…零くん?」
「あ、優姫は初めましてだよね?この子は十六夜珱ちゃん」
「…十六夜…珱さん…」
「そう。ちょっと珱ちゃんと話があるんだ。部屋に戻っててくれるかな?」
「…はい」
気にしながらも優姫は部屋に戻り、それを見届け灰閻は零をリビングに諭し珱に顔を向けた。
「お待たせ。この子が錐生零くんだよ」
「……」
珱と目が合った零は無表情だった顔に驚きを露わにして、直後睨みつけてきた。
「零!」
飛びかかろうとした零を間一髪灰閻が止める。じ、と見ていた珱は立ち上がり前まで歩く。
『こんばんは…錐生零くん』
暴れることなく零はただ憎悪にゆがんだ瞳で睨む。一瞬哀しげに瞳を伏せた珱は、すぐにその顔を戻した。
『この度はお悔やみ申します』
「零、君も十六夜の名前ぐらい知っているだろう?彼女はそこの娘さんなんだ」
「………」
『…今日は君に話があって来たの』
ス、と珱は零の首もとに目を留めた。
『…君、あの日彼女≠ノ咬まれたよね…?』
ギリ、と零は奥歯をかみしめた。
『いずれ〈レベル:E〉に堕ちる君は、普通なら監視下に置かれる身なんだけど…灰閻さんが、その時まで待ってほしいって』
「…」
『君が〈レベル:E〉に堕ちるその時まで、私は君を監視する事になったから…これが、君を貴族階級の吸血鬼の下に置かない条件…いいよね?』
何も答えない零に珱は肯定と受け取る。
『用事はそれだけ……ああ…吸血鬼に誰彼かまわず殺気向けるの、よくないよ…今の君は弱いんだから』
去り際に言われた零は眉を寄せ不愉快そうに睨みつけていた。
「珱ちゃん、わざわざありがとう」
『いえ…それじゃあ』
家を出た珱は、降り積もる雪の中をテンポよく歩く。
…ねぇ、どうして貴女はあの子を殺さなかったの?いっそのこと、死んでしまった方があの子には…。
『…とても酷なことをしますね、閑さん…』
脳裏に、一人の美しい女性が思い浮かんでは消えた。
それから間もなくして、黒主学園に夜間部が設立されることに。
「よく君のお父さん、入学を許してくれたね」
『…少し強引でしたけど』
父親の元・家庭教師とタッグを組んでどーにかこーにか。隣に座る枢はなんとなく分かるのか笑っていた。
「でも、珱なら君自身が嫌がると思っていたよ」
『私は…純血種である枢様に従ったまでですよ…』
「…珱自身の思いじゃないってことかな?」
目を見開き見てきた珱に枢はふっと笑って外を見た。
「着いたね。行こうか」
止まった車からおりて、来年から通うことになる黒主学園の敷地に足を踏みいりある一軒家に来た。リビングからもれる光にそちらへ向かうと緊迫した空気の中、ちょうど灰閻が優姫と零に夜間部の事を話していた。
「吸血鬼と人間の平和的共存≠目指して若い吸血鬼たちを穏健派≠ニして教育するため…だそうだよ」
ハッと優姫が振り向いた。
「枢くんに珱ちゃん、来てくれたんだね」
「かなめさま…!?」
「勝手に入ってきたけど…こんばんは、優姫」
どうも、と珱は小さく頭を下げた。
「玖蘭…枢…」
「…っ」
あ、と優姫が零を見れば零は足並み荒く灰閻につかみかかった。
「ばかげてる。吸血鬼が心から人間との共存を望むようになるなんて有り得ない。血が流れた歴史が何度もみ消されたか…」
「それをもう終わりにしたいんだよ。ボクも失った人がいるから…錐生くんと同じに」
「……っ、だからって羊の群にわざわざ猛獣を招き入れる権利が貴方にあるんですか」
「零のこともあるのに…理事長…もう決めちゃったんですか?」
「心配ないよ2人とも」
灰閻は枢と珱に視線を向けた。
「彼ら…玖蘭くんと珱ちゃんが夜間部に入ってくれるから、他の吸血鬼たちも大人しくしてくれるよ……そして玖蘭くんの存在のお陰で、珱ちゃんの様に生徒も集まりつつあるしね」
「……」
「でも…そいつが裏切ったら終わりだろ」
「零…」
冷たく言い放つとリビングを出て行った零。
「あの、ちょっと…零見てきます…」
そうして優姫もリビングを出て行った。
「……枢くん。僕の平和主義に賛同してくれてうれしいよ、ホント」
「ええ…それは実現してほしいと願っていますし。それに僕は制約を受ける不自由な身なので、この子だけじゃなく自由な手足になってくれる者がほしい…」
ぽん、と珱の頭に乗せられた手。
「…ただ一つ…気がかりなことはありますが……」
瞳を伏せた枢に珱は伺うように見上げていたが、すぐに灰閻に向き直った。
「…ご心配なく。女王蜂と番犬の役目は、しっかり果たしますよ…」
この頃からだったかもしれない…私が、寮長に疑念を持つようになったのは…。
それから翌年、珱は黒主学園に入学したのだった。
「…珱!」
ハッと我に返った珱は、こちらを見下ろす支葵を見上げた。
「ぼーっとしてどうしたの?」
「支葵に言われるなんて相当よ」
隣で瑠佳が雑誌を見ながら呟く。
『…ちょっと、眠かっただけ』
「ふーん。食べる?」
『食べる』
差し出された飴を受け取り口に転がしながら、ぼんやりとまた考え込んでいた。
寮長…貴方は、何を企んでいるの…?
next.
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