▼ 第十夜
「大変なんだ。今夜うちのお祖父様がここに来る!!」
朝っぱらから…吸血鬼にとって寝る時間に、一条の切羽詰まった悲鳴に近い声が寮に響いた。何でも一条の祖父であり『表の世界』では商取引の重鎮『一条グループ』を育て、『闇の世界』では吸血鬼の貴族の中でも筆頭の一族の長、一条麻遠、別名一翁≠ェ来るようだ。
「『元老院』に名を連ねる最古参の吸血鬼の一人…」
「恐るるに足らないわ」
『瑠佳』
あ、と騒ぎを聞きつけ来ていた珱は隣にきた瑠佳を見る。
「『元老院』は確かに私たちの世界を統率する最高機関だけれど、暗黙の中で本当の統率をしているのはこの子の実家よ」
瑠佳は隣の珱の肩をポンと叩く。
「それに…私たちの『君主』じゃないわ」
「…いや…まあそうなんだけど…」
困ったように笑う一条に珱は首を傾げていた。
それから夜、寮のエントランスには夜間部全生徒が集まっていた。
「ふうん。貴方たちまで律儀にお出迎え≠ノ来たのね」
瑠佳は藍堂と暁に言う。
「よほど元老院のお爺様が恐いのかしら」
「そりゃあな…俺たちの数十倍生きてきた怪物だ。だから全員授業を休んでここにいるんだろう…?」
「あっさり認めちゃってる…」
「オレもコワイよ莉磨」
『支葵でもコワイものがあるんだね』
「そりゃあるよ…でもさ、純血種の玖蘭寮長と、どっちがコワイかな…」
「そんなのは決まっているだろう」
「枢!」
藍堂がその先を続ける前に、階段から一条の慌てた声と共に一条と枢が下りてきた。
「いいよ、わざわざ君が出ることはない。どうせ僕に小言を言いに来るだけだよ」
「一翁にはずいぶんお会いしてないから、ご挨拶したいだけなんだけど。だめかな」
「だめじゃないけど…」
はっ、と一条は扉の向こうを見る。全員が嵐でもないのにガタタ…と震え出す扉を見つめていれば、勢いよく扉は開かれた。
「…ほう、これはこれは…」
長いーーーー長い歳月を経た吸血鬼は。
「にぎやかな歓迎傷み入るが…私は可愛い孫の顔を見に来ただけなのだよ」
目の前の者にとってその視線も吐息も。
「そのようにかしこまる必要はない」
毒に等しい。
「一翁…ご壮健そうでなによりです」
歩みでた枢に一翁は顔を向ける。
「…私が後見人をつとめることを唐突に拒絶なさった…あの日以来ですか、枢様…」
「甘やかされたくなかったもので…」
微笑む枢を一翁は表情を緩めることなく見る。
「枢…ここじゃなんだから…」
「そうだね…」
はだけた首もとに目を留めた一翁は靴音を鳴らし枢に歩み寄る。
「…枢様。やはり純血の方は我々貴族とは違う…たとえ血にまみれても汚れることのなき…永久に甘美な香りを放つ華ーーーーーーーー」
一翁は枢の手を取ると手にキスをするように腰を曲げる。
「そのあふれる若さ…力…美しさーーーー」
止めようにも止められない一条は気が気じゃなさそうに見るが、枢は眉一つ動かさない。
「願わくばいつか貴方の、比類なき血≠フおこぼれにあずかりたいものです…」
「枢様…!」
一翁の口から牙がこぼれ見えた時、一翁の手を藍堂がつかみ、枢の腕に瑠佳が守るように抱きついた。
「すみません枢様…でもっ…」
「お戯れが過ぎます」
「…早園の娘と、藍堂の息子か…」
今までと空気が代わった一翁の目が二人をとらえる。
「やめろ瑠佳、はなせ」
慌てて暁が瑠佳を離す。藍堂の方は一条が止めに入る。
「藍堂」
「純血種に流血を求めるのは吸血鬼の最大の禁忌と知った上ですか。僕は貴方を恐れは…」
パンーーーー。一翁の目が細められた時、枢が藍堂をひっぱたいた。
「…っ」
「…しつけを怠っていたようです…」
『一翁』
珱が前にでれば、一翁は小憎たらしい笑みを浮かべた。
「これはこれは十六夜の娘…」
『これ以上遊ぶのなら…番犬として相手をしますよ』
相変わらずの無表情の中に、はっきりとした意志を向ければ一翁は笑みを引っ込めた。
「番犬は健在のようで何より……。枢様がおられるから、我が孫も安心してこの学園に置いておけるのですよ…」
珱から枢に視線を向け、また手を取ると一翁はその場にひざまづいた。
「我が君=c」
*
「珱」
『…寮長』
ドアをノックすれば寝ぼけ眼で出てきた珱に枢は少しだけ可笑しそうに笑う。
「ごめん、起こしちゃったかな」
『いえ…お咎めに来たんですか?』
一翁の時せっかく藍堂を助けたのに一触即発な空気になったので、珱はそれについて来たのかと思ったのだ。
「違うよ。番犬として珱は動いただけだから」
クスと笑って言った枢に、珱は正直少しほっとした。
「ちょっと珱とお話に来ただけ。最近、あんまり話してなかったから」
目を丸くした珱は言われて確かにと思う。
「寝ていたところに悪かったね。だけど寝過ぎると一条みたいに昼夜逆転しちゃうよ」
『あ…』
口を開いた珱をん?と枢は見る。
『…寮長が、元気そうで良かったです』
遠慮がちに俯き加減で言った珱に枢は嬉しげに笑う。
「珱のおかげだよ…」
さらりと珱の髪を梳くように撫でて、枢は歩き出した。
「じゃあね珱」
『さよなら…』
部屋に戻って、窓から寮を一翁と出て行く零と優姫を見つけた。
ほんの少し、胸が痛んだ気がした…。
next.
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