「…あの、失礼かもしれないんですが、今日は何故俺なんかをご招待してくださったんです?」
ああ、と伯爵はなんてことないように話し出した。
「先日、先生の書かれた作品を拝読しました」
「へっ?」
「ビートン誌に掲載された長編です」
「ええっ!?あんなマイナーな雑誌を!?」
「流行りものを扱う企業主としては、どんなものでも目を通して…どうしました?」
ぽかーん…となっていたのだろう。伯爵は不思議そうにこちらを見つめる。
「伯爵やご令嬢のように身分が高い方でも、あんな雑誌読まれるんですね」
意外すぎる。その言葉に伯爵はクス、と笑う。
「身分は関係ないでしょう。それに僕らの商売相手は庶民です。パンチだって読みますよ」
パンチとは風刺雑誌だ。本当に、幅広く目を通しているようだ…。
「先生の作品の主人公は、実にウイットに富んでいて魅力的でした。今までにない新しいキャラクターだ」
「ええっ!?本当ですか!?」
ガタッと、嬉しさと驚きに立ち上がってしまう。自分の小説を褒められた事なんて数える程度だし、まして、相手は伯爵だ。こんな人に褒められるとは、お世辞だろうと舞い上がってしまう。だが、すぐに表情を曇らせる。
「でも、あれは本当に人気がないらしくて、もう二度と書くつもりはないんです」
「あの新しさがわからないとは、最先進国の国民とは思えないな」
がっかりしたように伯爵は言った。それだけで、こちらとしては救われたような気分になる。
「それどころか、専門外の分野を付け焼き刃で書いたもんで、その道の専門家にはやれ内容が軽いの道具の使い方が違うだの、叩かれる始末で」
「そういう奴らには言わせておけばいいんです。先生は、庶民に向けて書かれたんでしょう?なら庶民が楽しめればそれでいい」
「本当は歴史物が書きたいんですが、売れないと何社にも断られてしまって」
「そういうものは名が売れてからにすればよいのでは?」
ふと、視界の端に見えた。ウッドリーが離れた所から、横目にこちらを見ている。いや、あれは、よく見たら伯爵を見ているのか…まさか、俺のせいで話しかけられないとか!?
「収穫逓増金も名声も、持つ者がより多く持つ仕組みですから。権威だなんだともてはやされていても駄作ばかりの作家もごまんと
「そう!!その通り!!」伯爵の言葉を聞きつつ、立ち去るべきかと迷っていたところで、いきなりの大声。それはキーンだった。
「実に許しがたい!」
酔っているのか赤らめた顔で、キーンはズイッと伯爵へと顔を近づけた。
「僕らの業界でも頭の固い老害がのさばってる、実に許しがたい!古典(シナリオ)を読み上げるだけなら素人にもできる、そう思いませんか?」
「た…確かに」
キーンのマシンガントークに押され気味の伯爵。酒の力とはすごい…。
「貴殿の舞台は背景や衣装の作り込みが素晴らしいですね」
「やっぱり最先端で活躍されてる方は違いがわかるんですね」
はっと、ウッドリーを思い出す。ちらりと伺うと、ウッドリーはまだ伯爵を見ていた。さらに、セバスチャンと料理を選んでいたご令嬢が、ウッドリーを見ており、なんだろうかと目を瞬かせてしまう。
「伯爵みたいな理解ある興行主と、一度でいいから仕事してみたいなあ。どうです?ダリア嬢も一緒にやってみません?」
「そうですね、そのうち…」
「やめなさいと言っていますっ」
ガシャン、と割れる音とアイリーンの声が室内に響く。何事だ?騒ぎの方へと目を向けると、何やらジーメンスともめている様子だ。
「いやらしい手でベタベタと…もう我慢できません!!」
「ンだとぉ?そんな服着てるほうが悪ーんじゃねェか!」
どういうことだろうか。相当酔っているようで、初めとまるで別人だった。本当、酒の力とは恐ろしいというか…。
「本当は触ってほしいんだろ?カマトトぶんじゃねーよ」
「!!無礼者!!恥を知りなさい!!」
肩を抱き寄せてきたジーメンスに本当の我慢の限界がきたようで、アイリーンは平手をかましてしまった。思わず、叩かれたわけでもないのに顔を引きつらせる。さすがのジーメンスも床に倒れたまま、アイリーンを睨みつけた。
「この…言わせておけば!!」
頭に血が上ったジーメンスが、持っていたグラスを構える。ハッと、思わず間に合うわけもないが、足を踏み出した。
ーーーーばしゃっ!
目を見開き、足を止める。ジーメンスは持っていたワイングラスの中身をアイリーンにかけようとしたが、それは庇うようにアイリーンの前に出たご令嬢にかかった。
「ご令嬢…!!」
ざわつく会場。なんとも言えない空気が立ち込める中、ご令嬢は顔にはりつく髪をどかして改めて言う。
『宴の席です。どうかお二人共、今日はこの辺で』
二人は気まずそうにするも、申し訳無さそうに黙った。ひとまず、騒ぎはこれで落ち着いただろうか…と、一安心したのもつかの間。
「…のタヌキオヤジ!!俺の女に気安く触ってんじゃ、ねェッ」
ワインボトルを手に取ると、キーンはそれをジーメンスに向かってぶん投げた。当たる、と誰もが身動き出来ない中、セバスチャンが動いた。軽やかに一回転しながらワインボトルをキャッチすると、そのまま用意されていた脚立の上に立ち、グラスのタワーに流れる動作でワインを注いだ。
「モルドヴァ南東部プルカリ村の幻のワインでございます。どうぞ皆様お楽しみ下さいませ」
「美しい…なんだこのツリーは!」
「いつのまに…」
グラスのタワーは、シャンデリアの光を反射させ、幻想的にきらきらと輝いていた。ふわりと、鼻に届いた香りに気づく。
「それにこの香り、まるで花畑にいるようだ」
「いい匂い〜一杯くれる?」
「わっ、私も!」
「我にも〜」
グレイを初めに次々と全員が飲み始めた。もちろん、自分もせっかくなので。セバスチャンの機転に、その場の雰囲気は元に戻った。
ひとまず一段落した頃、セバスチャンはタオルを手に戻ってきた。
「あの…ありがーーーー」
アイリーンの隣をスッと横切り、セバスチャンが向かった先には伯爵とご令嬢。ご令嬢の髪を解くと、セバスチャンは柔らかそうなタオルでご令嬢を包み込む。
「大丈夫ですか、お嬢様?」
『ええ』
「それにしても…」
ため息を吐いて、シエルはまた騒いでいるジーメンスをチラッと見た。
「〈あのお堅い男が酒が入ったとたんアレか。あの様子じゃ、常習犯だろうな〉」
何気無く届いていた声を流していたが、聞こえてきた言語に目を瞬かせ、耳をすませる。
「(フランス語…)」
「〈それでも自戒できないところを見ると、余程の馬鹿か恥知らずのどちらかなんでしょう〉」
『〈医者も匙を投げる、救いようのない病というやつね〉』
「クスッ」
あ…やばっ…。我慢できず、笑い声が…。気付いたらしい伯爵、ご令嬢、セバスチャンの視線が集まり、血の気が引く。じっと見つめる三人に、盗み聞きなんて怒られるだろうかと身構える。
しかし、伯爵とご令嬢は軽く笑いながら、口元に人差し指をあてた。
「『shhー』」
あ、と、呆気にとられた。茶目っ気のある笑みではなかったが、そんな一面もあるのか…。
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