雨上がりのその日。礼拝堂の空気は二人の生徒により張り詰めていた。
「決して裏切らず、奢らず、この聖なる学舎を巣立つまで、互いを高め合う関係を築くことを、聖ジョージに誓おう」
ステンドグラス越しに入り込む光を受けながら、クレイトンが対峙する生徒に一輪の花を差し出す。
「お前に寮弟の契りを申し込む。シエル・ファントムハイヴ」
ガラァン。澄んだ鐘の音が大きく響き渡るのを耳に、シエルはその場に膝まづいた。
「謹んでお受け致します」
鐘の音に飛びだった鳩を横目にセバスチャンとダリアが、笑みを浮かべる。やっと一歩進んだその証拠となる寮花を、胸元に刺してシエルはしてやったりと言わんばかりにわからないよう笑った。
「あっ、出て来た!!」
待ってましたと言うような弾んだ声に礼拝堂から出たシエルは何かとそちらを向く。
「すごいよ!すごいよファントムハイヴ」
「おめでとう!」
「わっ、本当に寮花さしてる!!いいなーっっ」
一気に人集り。
「は…はは…どうも…」
張本人よりもテンションが高い周りに圧倒されてしまう。
「おーい!なんだシエル!人気者だなっ」
階上の窓からソーマが輝かしい無邪気な笑顔を向けながら手を振ってきた。ちなみに登校初日のアレでゾウの人という認識の者が大多数。
「根暗のお前に友達ができて俺は嬉しいぞ〜〜〜〜っ!!」
「はは…」
周りは笑顔、シエルはから笑い。
その日の夜。
「オペラ歌手にでもなった気分だ…」
から笑いする気力も削ぎ落とされ、心底疲れ切っているシエルにダリアとセバスチャンが笑う。
『ここ最近のシエルの名演ぶりは中々のものよねぇ。いっそこのままオペラ歌手でも目指したら?』
「歌が苦手でしたら役者という手もございますよ?」
「イヤミなら受けて立つぞ?」
嫌そうにシエルは睨みつけるが愉しんでいる二人にはなんのその。
『イヤミだなんて失礼ね。ねえセバスチャン』
「はい。心よりの賛辞でございます」
「余計タチが悪い!!」
ソーマとは違う素敵な輝かしい笑顔に神経逆なでされる。二人だからなおのことだ。クスリとシエルに向かいセバスチャンが笑う。
「厄介者(モーリス)を排除し、同時に目的の地位まで一気に手に入れられたのです。順調ではありませんか」
『でも、最終目標には程遠いわよ』
溜息混じりに呟くダリアにシエルもああ。と同意。
「女王からの命。それは血縁関係にあるデリック・アーデンを含む数名の生徒が学園に閉じ篭もり外部との接触を断っている原因の究明…ーーーーしかし」
「私達はまだ彼らの顔すら見られていない」
『しかも一人もね。これは明らかに異常よ』
「力ずくで強制送還してやろうかとも思ったんだが、女王はあくまで「原因を探れ」と仰せだ」
『それにおそらく…いや、確実に彼女は原因がただの反抗期ではないと気付いている』
ーーーーただならぬ何かがこの学園に起こっていると!
「だが学園は独自のルールでがんじがらめ…ロクに調査もできやしない。まるで囚人だ!」
「だからこそ坊ちゃんはルールの番人達(監督生)に近付こうとしているのでしょう?普段よりずっと穏便な方法で」
「まあな…」
セバスチャンが二人のために用意した紅茶をカップに注ぐ。部屋に紅茶の落ち着く香りがふわりと香る。それに軽く目を細めてダリアが口を開いた。
『でもシエルはまだ監督生の寮弟の寮弟。校長主催の真夜中のお茶会≠ノは参加できない身分よ』
「どうやら先は長そうですね」
「早く屋敷に戻ってゆっくり風呂に入りたい」
『背中の傷があるから最後に急いで入るしかないものね…』
思い出して疲れが舞い戻ってきた気がする。
「とりあえずやっとP4組とやらに入れたんだ。直接P4にデリックについて探りを入れてみるさ」
『何かいい情報がある事を願うわ』
「特に有益な情報を持っていそうなのはデリック様が異動された寮」
紫黒の狼寮監督生ーーーー。
「バイオレット!」
苦しそうな声でグリーンヒルに呼ばれたバイオレットは、手元のキャンバスから顔を上げた。
「俺はいつまでこのポーズをしていればいいんだ!?」
「んーーーー」
「このポーズに何の意味が…」
まずブリッジ。次にそのままの体制で右足を高々と上げる。そして腹部にバットを乗せればさあ完成!….なのはいいが、不安定なこの体制にさすがのグリーンヒルも頭に血が昇り身体中が産まれたての子鹿のように震えていた。
出来るなら、今すぐ止めたい。しかしさらりと答えたバイオレットの返答に、今すぐはきっとない。
「絵が完成するまで。動かないでね」
「だからそれはいつだ!!?」
白鳥宮でグリーンヒルは随分前からこのポーズをとっていた。なんか、色々限界だが同じP4達は構わない。
「いいじゃないか。それもトレーニングの一つだろ」
「ぬうう…」
どこか愉しんでいるレドモンドに何かいいたいが、トレーニングと言われては何も言えない。
「毎年6月4日が近付くと緑寮の奴はソワソワし始めるからな。たまにはそうやってじっとしてろ」
「フンッ。赤寮こそ」
グリーンヒルなんてまるで目に入ってないように静かに読書をしていたブルーアーが、困ったように溜息をした。
「6月4日が近付くと寮生達が落ち着きをなくして成績が落ちるのがな…」
「?」
ブルーアーのぼやきにシエルは首を傾げる。
「あの…6月4日って何かあるんですか?」
尋ねた相手はハーコート。ハーコートはモーリスの一件からレドモンドの寮弟になったのだ。
「寮対抗のクリケット大会があるんだよ」
「百年の歴史を持つ我が校伝統の大会だ」
ハーコートに続いてブルーアーが答える。
「年間行事くらい頭に入れておきたまえ」
「す…すみません(こんなに長居する気はなかったからな)」
「年に一度の盛大な行事だからな。優勝寮のボートパレードは女王陛下も対岸のウィンザー城でご覧になる」
「元々我が校は寮同士の対抗意識が強い。だから何かと今の時期は学内がピリピリするんだ」
エドワードからの説明にへえ。と相槌を打つ。
「ま、ボクは全然興味ないけど」
「オレは他の寮生大嫌いだからブチのめしてやりたいっスけどね!」
GO TO HELL!!!の文字がオプションに見えるオーラを醸し出すチェスロックの目はマジだった。
「それよりボクは学園に人が沢山来るのが嫌だ」
忙しなく手をキャンバスに走らせながら呟いたバイオレットにえっ?と思わずシエルは面食らう。
「部外者は立ち入り禁止じゃ?」
「大会には前夜祭と後夜祭がある」
クレイトンが答える。
「この日だけは本校舎の大食堂に家族や縁深い者を招待できるのだ」
「その日だけはシスター以外の女人禁制も解禁!美しい女性をエスコートするのもステータスだぞ」
「レドモンドが女をエスコートしてるの見たことないけどね」
「俺は特定の相手を作るのは趣味じゃないんだよ!」
んー…と描いた絵を眺めるバイオレットに気づき、ちょっとどんな感じか気になりそっと背後から盗み見て絶句。
「(あんなポーズをさせておいて全く描いてない!?)」
なんと、バイオレットが描いていたのはおそらくその前夜祭、あるいは後夜祭でのレドモンドの様子だった。とりあえず、絵は上手い。
「お…終わったか!?」
「ううんまだ」
えっ。
「ロレンスは毎年ぞろぞろ女連れで歩いてるけどな」
「あれは女とは言わない!!」
からかう目付きで言ったレドモンドに珍しくムキになってブルーアーが否定する。
「確かブルーアー先輩はご姉妹が多くていらっしゃるんですよね?僕も姉が2人いるんです〜…何人兄妹なんですか?」
「……」
少し、言いたくなさそうに沈黙していたブルーアーがやがて重々しく口を開けた。
「姉が3人と妹が4人だ」
「「うわ…」」姉が共にいるシエルとハーコートですら、ゾッと背筋が冷えた。ちなみに男はブルーアーのみと言うのだから、血の気が引いてしまう。
「ゲーッ。妹一人でもウルセーってのに」
「俺の妹はお淑やかで聞き分けがいいから全く手がかからんぞ!」
「(誰の話だそれは…)」
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