草木が芽吹く頃。
「坊ちゃん、お嬢様」
ビクッ、と二人は採点していたセバスチャンの口が開いた瞬間体を堅くした。そんな二人にセバスチャンは採点していたプリントを見せながら笑いかけた。
「素晴らしい!お二人とも満点です」
お茶の時間。
「本日の紅茶はマリアージュ・フレールのダージリンをご用意しました」
前までは紅茶色のお湯だったが。
「まあまあだな」
『及第点ね』
「恐れ入ります」
次に狩猟。空に向かって銃口を定めていたシエルが引き金を引いた。
「お見事!」
草陰から出てきたセバスチャンの手には見事に仕留められた野鳥が。それから晩餐の時間。
「前菜でございます」
並べられた銀食器は鏡のように磨き抜かれていた。
『今日のメインディッシュは?』
「坊ちゃんがお狩りになった鴨のロティでございます」
「デザートは?」
その問いにセバスチャンは笑顔でお皿を見せた。
「お二人のお好きなガトーショコラを」
次に刺繍。黙々とつまづく事なく刺繍を施していくダリアの手にある布には、初日には考えつかない出来映えが。
『できた』
「早く正確な針使いでしたね。美しい出来映えです」
少しばかり嬉しそうに笑ったダリアにセバスチャンも笑い返す。次は乗馬だが、一人で乗るのすらやっとだったシエルはダリアを一緒に乗せていた。
「今日は丘の上まで行くか」
「お供致します」
ニッ、と二人は笑った。
「付いてこられればな!ハッ」
シエルが蹴れば、馬は猛スピードで丘を目指し走り出した。
「やれやれ」
後を追って、セバスチャンは走り出す。多分、というか絶対追いつくのだろう。その日の深夜。屋敷に近づく影が。
「困ります」
影の一つは、口を押さえられたまま耳元で聞こえた声に硬直した。
「お客様はきちんと正面玄関からいらして下さいませんと」
その場に立つのは、先ほどと違い二人だけ。
「それも」
男の首にひんやりとしたものが当てられた。
「お子様な主人が起きている時間にね」
「…ッ」
声も出すことなく、男は首から血を流し力なく倒れた。セバスチャンが顔を上げる先では、なにが起こっているか知らずシエルとダリアが寝息をたてていた。
それから数日が経った頃。
「坊ちゃん、お嬢様、お手紙が」
届いた手紙の封蝋には、王家の紋章が。早速目を通す二人の横からセバスチャンも拝見する。
「これは…急いで謁見服を仕立てねばいけませんね」
シエル・ファントムハイヴ郷
並びにダリア・ファントムハイヴ嬢へ
まずはご家族のご逝去を
心よりお悔やみ申し上げます。
そして貴殿等の無事を
神に感謝いたします。
つきましては領主不在につき
一時的に王家に返上されていた
領地と爵位を返還したく思います。
3月17日 午前10時
バッキンガム宮殿にて
特別叙勲式を行います。
お会いできるのを楽しみにしています。
ヴィクトリア
『うっ』
「もっと力を抜いて」
コルセットのあまりの締め付けにダリアの顔から血の気が失くなる。
「女王陛下の前に出るのです。淑女たる準備は必須ですよ」
『だから…って、絞めす…ぐっ!!』
「はい、お終いです」
内蔵的なものが出そう、とダリアはすでに疲れ切っている。ニナに仕立ててもらったドレスに身を包み、最後に髪をセットして完成。
「よくお似合いですお嬢様」
『へぇ、世辞も執事らしくなってきたじゃない』
「恐れ入ります」
嫌味をモノともせず笑顔のまま返す。
「でも、嘘は申しておりませんよ。ご姉弟揃って、同じ事を仰りますね」
『フン』
10時。バッキンガム宮殿に、シエルとダリアの姿はあった。
「何故あの若さで勲章を?」
「いかに名門伯爵家といっても…」
集まった人々の中から囁き声が聞こえる。前に出たシエルはミッドフォード侯爵からマントを、ヴィクトリア女王から首飾りをかけてもらった。ヴィクトリアに呼ばれ、ダリアはシエルの隣に立つ。
「おかえりなさいファントムハイヴ伯爵、ファントムハイヴ嬢。貴殿等の帰還を歓迎します」
微笑みながらヴィクトリアが言えば、その場は拍手で包まれた。
「もっと傍で見れば良かったのに」
離れた場所で様子を見ていたセバスチャンに、真っ赤なドレスを着たアンジェリーナが話しかけた。
「貴方はシエルやダリアにとって、もう家族も同然だわ」
「家族だなどとおこがましい。私はーーーー」
アンジェリーナからセバスチャンはシエル達に顔を向けた。
「あくまで、執事ですから」
叙勲式も無事終わり、シエル、ダリア、セバスチャンは静かな廊下を歩いていた。
「これで正式に貴方がたはファントムハイヴ伯爵、ファントムハイヴ令嬢となった」
二人の後ろを間をあけてついて歩きながらセバスチャンが言う。
「地位も財産も美しい婚約者も、全て貴方のものです」
「どうです?」と目を開けたセバスチャンの空気が変わる。
「復讐などという馬鹿げたことはやめて、このまま幸せに生きていくというのは?」
「『……』」
開いた口から牙がこぼれる。
『…そうね』
「それも悪くないな…」
セバスチャンが二人にゆっくりと手を伸ばす。
「『でも』」
いきなり振り向いた二人にバッとセバスチャンは手を引っ込めた。
『私達は幸せを手に入れるためにここ≠ノ戻ってきたわけじゃない。私達は戦うために戻ってきた』
「この名前を背負ったからには、もう前に進しかないんだ」
凜とした迷いのない瞳と決意のこもった声に、セバスチャンが目を見開く。
「『我が悪しき名にかけて、必ず復讐を遂げてみせる!』」
ーーーー嗚呼、躊躇う事なく光に背を向け、気高い歩調で奈落へ突き進むその姿の、何と美しく愚かしい事か。
『命令よセバスチャン』
「お前は僕らの剣となり盾となれ。そして僕らにーーーー」
二人は契約印を隠す眼帯とリボンを取り払いセバスチャンに振り返ると、その声を響かせた。
「『勝利を!』」
「御意、ご主人様」
二人の前に、セバスチャンは恭しく跪いた。
「必ずや勝利の王冠を貴方がたにーーーー」
ーーーー絶望で飾られた王冠を戴く時、貴方がたの魂はきっと…滴る程に美味だろう。
ーーーーハッ!
「『セバスチャン!!!』」
のばされたシエルの手を掠めたセバスチャンの手。
「ッ」
徐々に引き離されていた距離が縮まった。
「ぅ、
ぉおおおおお!!!」
ーーーーバシッ!
next.
_137/212