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その執事、修行





「結局今日の朝食もまずかった」



セバスチャンにボサボサにのびた髪を切ってもらいながらシエルが口を開く。



「申し訳ございません。レシピ通りに作っているのですが…」

『味見してないわけ?』



先に切ってもらったダリアが道具をいじりながら訊く。



「私の味覚はヒトとは違いますから。どうお気に召さないのか教えて頂ければ、改善に勤めます」

「ともかく」



シエルは後ろに視線を向けて言う。



「今日からやることがたくさんあるぞ。僕らはこの家について知らないことが多すぎる。教えてもらう前に、先代は亡くなってしまったからな」

「お家の事はもちろんですが、当主たる者、大人に劣らぬ知識と教養を身に付けて頂かなくては」



もちろんお嬢様もです、とセバスチャンが付け加える。



「社交界には悪魔などよりよほど醜い魑魅魍魎がひしめいておりますから、坊ちゃんやお嬢様のようなお子様など格好の餌食です。語学に経済、射撃に乗馬…学んで頂くことは山積みですよ」



聞くだけで大変そうなことは分かり、憂鬱になるが仕方ないとダリアはため息。



「昨晩のうちに調べたのですが、以前は家庭教師(ガヴァネス)を雇っていたようですのでまた新しく面接して「『いい』」



言葉を遮った二人の口から出たのは否定の言葉。



「今は誰も屋敷に入れたくない」

「……では、僭越ながら代役を私が勤めさせて頂いても?」

「お前が?」

『悪魔のお前にできるの?』



髪をとめていたクリップをとるセバスチャンにシエルが顔を向ける。まさかそんな事を言うとはと二人とも怪訝そうだ。



「伊達に長生きではありません」



ハイ、前向くとシエルはぐりっとまた顔を戻される。



「ですが私はスパルタですよ」

「それくらいでいい。伯爵と令嬢と執事…僕らもお前もまだニセモノだ。誰より早く本物にならなくては」

「かしこまりました」













「また誤訳です」



その日からセバスチャンによる家庭教師が始まったのだが…。



「ここは初めから≠ナはなく当初は≠ニ訳すべきです。お嬢様に至っては最初に≠ニなってます」



言うだけあり、セバスチャンはスパルタだった。厳しく指摘していくセバスチャンにシエルもダリアも居心地が悪そうに落ち着かない。



「昨日も同じ間違いをしたのをもうお忘れですか?」



セバスチャンはいきなり笑顔を浮かべると教鞭を手にした。



「はい手を出して。指輪は外して下さいね」



怖ず怖ずと二人は嫌そうに手を出した。

ーーーーパンッ!パンッ!



「『ッ!』」



手のひらに思いっきり教鞭が叩きつけられた。



「ではラテン語の詩十編の書きとりを十回ずつ。もう一度やり直し!」



ヒリヒリと痛む両手を見つめていた二人の前に、分厚い本が山積みされた。しかしまあ、頑張っていかなくてはならないのはシエル達だけではない。



「本日の紅茶はマリアージュ・フレール社のダージリンでございます」



お茶の時間、一口飲んだシエルとダリアは顔を見合わせた。



『セバスチャン、手を出して』

「?」



不思議そうにしながらも言われた通りに手を出せば…。



「うっ」



その手に熱々の紅茶がかけられた。



『これは紅茶ではなく紅茶色のお湯よ』

「やり直し!」



カッ、と音が鳴るほどソーサーにカップを置いた。

お次は射撃。



「顎を引いて、しっかり狙って下さい」



数十メートルも離れた先にある的に向かって引き金を引いたが、弾は的の枠を掠めるだけに終わった。



「腰が引けてます。脇の締めも甘い。もっと足を踏んばりなさい」



結果にため息をしていたセバスチャンが銃を手に取る。



「そんな事では騎上での狩猟など夢のまた夢ですよ!!」



構えたセバスチャンの放った弾丸は、的のど真ん中を撃ち抜いていた。

次は晩餐。



「フォークが曇ってる。汚れた銀器で主人に食事させるのか?」



ギク、とセバスチャンが鋭い指摘に向き直る。



「申し訳ありません…すぐにお取り替えを」

『それに、ソースが皿のフチを汚してる。味が良かろうが見た目が悪い料理なんか最悪ね』

「気を付けます…」



ガタッと音を立て椅子から立ち上がる。



「座ってすぐに手をつけられるようになるまで僕は何も食べないぞ」

『やり直し!』



手で払った銀食器が床に甲高い音をたてて落下した。

次は刺繍。



「本日のお手本はこちらになります。制限時間は三十分」



見事に刺繍されたハンカチを手本に、ダリアは手元のまっさらなハンカチに刺繍していくが…。

ーーーーグサ グサ ザクッ!



「お嬢様。私は刺繍をして欲しかったわけで、真っ赤に染め上げろとは申しませんでしたが」

『……』



三十分後、ハンカチはダリアが指に針を刺してばかりで赤くなっていた。ちなみに刺繍だが、四分の一も進んでおらず、ダリアの指が包帯まみれになるだけだった。

次は乗馬。



「背すじを伸ばして!身体でリズムをとって」

「ぁ、ぁああ」



馬にまたがるシエルだが、すっかり腰が引けている。



「まずは足で馬の腹を軽く蹴って下さい」

「うわッ」



いきなり馬が暴れ出しシエルは振り落とされてしまったが、地面に直撃する前にセバスチャンがキャッチ。



「獣相手の時は臆したら負けですよ。自分が主人なのだという威厳を持って」



言いながらセバスチャンはシエルを馬に乗せる。



「さあ、しっかり前を向いてもう一度!」



とまあ、互いに頑張ることは山の如しだった。ちなみに夜中も問題はある。



ギャアアアアッ
〜〜〜〜!!
ウワアアアッ


外から聞こえる悲鳴と銃撃戦。



「『うるさいセバスチャン!!』」



シエル、ダリアが各部屋から窓を開け放ち叫ぶ。そこにはセバスチャンが立っていたが、足下には血に汚れた者たちが僅かに原型を留めるだけで転がっていた。



「申し訳ありません。侵入者が多く手間取りました」

「毎晩のようにコレじゃたまらん!もう少し静かに掃除できないのか!?」

『それに誰の差し金かわからなくなるから一人は残せと言ったでしょう!』

「ああ!つい…」

『ついじゃないわよ!』

「今度忘れたらただじゃおかないからな!!」



バンッ、と荒々しく窓が閉められた。

ーーーーしかし彼は、こんな騒ぎがなくとも毎晩の様に目を覚ます。

微動だにせず机に向かっていたセバスチャンは、ピクッと反応すると顔を上げた。僅かに耳に届く叫び声。

ーーーー悪夢に魘され、悲鳴を上げて目を覚ますのだ。



「坊ちゃん、大丈夫ですか?」

「…誰…」



セバスチャンがシエルの寝室に来ると、シエルはベッドの上で毛布にくるまり小さくなっていた。



「セバスチャンです。貴方の執事ですよ」

「……セバスチャン…」

「また悪い夢でも?」



訊ねながらベッドに近づくと、毛布を握りしめるシエルの手が震えているのがうかがえる。



「そこで皆が死んでるんだ…僕を睨んでる…」

「この屋敷には私と貴方、それにお嬢様だけです。他には誰もいませんよ」

「セバスチャン…今日は何も?」

「ええ。静かな夜です」



ベッド横にある棚に燭台を置くと、セバスチャンはシエルに手を伸ばした。



「さあ、もう横になって…」

「触るな!!」



のばしてきたセバスチャンの手をシエルが叩く。



「さわるな…ぼくにさわるな…」



脅えたようにガタガタと震えながら後ずさるシエルの様子にセバスチャンは目を伏せる。



「では、私は下がりますが何かあれば…」

「…いろ…」



ん?と頭を下げていたセバスチャンは顔を上げた。



「そこに…いろ。僕が眠るまで…」



改めてシエルを見るが毛布で顔は見えないし、唯一見える口は真一文字に結んだまま。



「御意、ご主人様」



フッ、と蝋燭の火を吹き消し、セバスチャンは窓際に佇んでいた。




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