「存在しないはずの13人目…」
新たな容疑者を仄めかす劉の言葉は、全員に衝撃を与えていた。確かにその存在がいるなら、アリバイも何もなく、ひっそりと息を潜めて犯行を行うだけだが…。
「フンッ。だからそんな非現実的な人間いるわけが…」
ーーーーばんッ.
「坊ちゃん!!お嬢様!!」
「怪しい奴を捕まえました!」
「『!!?』」
勢い良く部屋にやってきた使用人三人の言葉に、伯爵とご令嬢も驚愕する。
「オラッ、早く入れ!!」
中に入ってきたのは、びしょ濡れの黒服を着た男だった。だ、誰だ…!?こんな男は晩餐会にもいなかったし…と、いうことは…。
「…えっ…!?」
劉の発言も聞いたばかり。まさかと、固まってしまった。
「ちょっ…ホントに居たワケ!?一体どこに隠れて…」
「…お前は…」
『…なんで…』
「ということは…こいつが人殺し!?」
「まさか13人目が直々にご登場くださるとはね…我も少々驚いたよ」
まさか劉は、初めからこの男の存在に気づいていたのか…!只者ではないと思っていたけど、鋭い感の持ち主のようだ。フッ、と笑い、立ち上がった劉は男に近づき肩に手をおいた。
「で。君、誰?」「またかお前は」
思わず転けるところだった。身構えていただけに変な風に力が抜ける。あの発言は当てずっぽうなものか…しかも、伯爵がまた、と言うあたり、よくあることのようだ…。ある意味心臓に悪いな、この人…。
「私の名前?」
劉に尋ねられた男は、伯爵とご令嬢を見た。知り合いか?そういえば、おまえはって呟いて驚いてたし…。
『久しぶりね…ジェレミー』
少しだけ、顔をしかめていた伯爵とご令嬢だったが、傍らの本を窓脇に置いたご令嬢が、すぐに顔を上げて挨拶をした。やはり、知り合いのようだ。
「ご令嬢、このおじさんと知り合いなの?」
「おじさん?」
『え…ええ。ね、シエル?』
そう言って見てきたご令嬢の視線に、伯爵はジェレミーを手で示しながら「ああ」と頷いた。
「この人はジェレミー・ラスボーン牧師。地元の教会では人気の相談役で、ちょっとした有名人だ」
「ではジェレミーと気軽に呼んで下さい」
ジェレミーは笑顔で言った。牧師、と紹介されても、簡単に納得出来ないと言うか…突然すぎて、失礼ながらも疑ってしまう。
「牧師さん…ですか?」
「そんな怪しい奴信じられるか!殺しができたのはアリバイのない13人目だけ…どう考えてもそいつじゃないか!!」
「それは実にナンセンスな推理ですね、ミスター・ウッドリー」
「!!何故、俺の名前を…!?」
まだ、ジェレミーに名乗りなんて誰もしていないのに…。ジェレミーは笑みを深くして、ウッドリーへと顔を近づけた。
「その指輪を見れば一目瞭然ですよ」
大粒のダイヤモンドが採掘される場所といえば南アフリカ。ダイヤの特種なラウンドブリリアントカットが可能なのは、最近ウッドリー社が開発した最新の研磨機のみ。まだ世にはあまり出回っていない珍しいものだとロンドンの宝石商、ダニエル・アンダーソンが声高にご婦人方にセールストークしていたと耳に挟んだことがあるそうな。
「昨夜の夜会の招待客の中で、その希少な指輪をはめている人物がいるとすれば、おそらくそれがウッドリー社社長…つまり貴方ですミスター」
「間違っていましたか?」と問いかけてきたジェレミーに、ウッドリーは何も言葉がでなかった。
「それより貴方は一体どうやって…いや、いつから?何故ここに?」
「やれやれ。質問ばかりですな」
こちらの質問にため息を吐くと、ジェレミーはカバンを持っていたシェフを見た。
「そこの君、私の鞄を開けてくれたまえ」
言われた通りシェフは不思議がりながらも明けてみた。
「うおっ!?」
「その梟はセバスチャンさんの!!」
鞄の中には、白い梟が目を閉じて横たわっていた。なんだって鞄の中にセバスチャンの梟が?
「し、死んじまってるですだか?」
「いや、暴れたので薬で少々眠ってもらってるだけだ。じきに目を覚ます」
「あ…暴れたからってひどいよ!!」
「足の手紙を見て下さい」
ジェレミーが促すと、伯爵とご令嬢は頷きあい梟の足から手紙を手に取る。
「『……』」
「坊ちゃん!お嬢様!セバスチャンさんはなんて!?」
「………どうやらアイツは、いずれ自分が殺されることを見越してジェレミーに手紙を出したようだな」
『自分の代わりに私達の力になってほしいとあるわ』
「そんな…セバスチャンさん…」
くしゃっ、と握りつぶして、伯爵はポケットに入れる。
「でも、その紙だけじゃコイツが殺人犯じゃないって証明できてねぇぞ!!外から来られるなら、コイツにも昨夜の殺しは可能じゃねぇか」
「無実の証明は実に簡単だ。私のコートのポケットを」
庭師がジェレミーのポケットに手を突っ込む。何か見つけたようで、目を瞬かせながら庭師はそれを取り出した。小さな紙切れが一枚。
「チケット…かな?劇場の…」
「日付は?」
「昨日…3月12日の夜の当日券です。場所と演目は…えっと…The…L…a…d…ライシーアム劇場で「湖上の美人」です!」
『!』
「確かに今、ロンドンのライシーアム劇場では「湖上の美人」を公演してますわ」
その演劇は、噂に聞いていた。なかなかに好評の劇のようで、お金さえあれば行きたいと思っていた。
「そう。私は昨日の夜、ロンドンにあるライシーアム劇場に行った。演劇が終わるのは夜10時過ぎ。それから馬車(ハンサム・キャブ)を捕まえて1ソブリンを握らせ、飛ばしたとしてもこの屋敷までは2時間以上かかる。さらにこの雨で道はぬかるみ、2倍近くの時間を要するだろう」
「この嵐の中を馬車で?」
「この雨じゃ、途中の川が増水してて馬車で橋が渡れるワケがねえ!」
「もちろん、それ以外にもいくらでもココに辿り着く方法はある。徒歩でも泳いででも…まあ、普通の人間にはあまり、おすすめできない方法だが、結果に辿り着く過程は星の数程存在するのだよ。事実は一つだけだがね」
そうだ…チケットがある以上、事実は一つ。
「昨夜ロンドンにいたあなたには殺人に関わることは不可能……という事実ですね?」
「さすが小説家の先生だ。話が早くて助かる」
「えっ!?」
しょ、小説家だなんて一言も言ってない! 別にそんな装いというわけでもないし…。
「人の職業など、服やクセを見ればすぐに分かりますよ」
先程のウッドリー同様、ジェレミーは顔を近づけた。
「まず、貴方の右中指には大きなペンだこがある。そしてそれは絵を描く人物のそれとは形が違う…つまり、それ程字を書いているという事。次に貴方の袖に青いシミが。これは染料インクが付着し、それを洗濯した事でできるものだ」
う…お金もないし、新しく買い換えるなんて出来ないから、汚れても洗って使いまわしているのだ。一応、これが所持する服の中で一張羅になるんだけど…。
「そして、貴方は思いついたネタを忘れないようカフスに何度も鉛筆でメモをとっている」
袖口をジェレミーが覗き込む。こんなところまで、いつの間に見たんだ!?
「真珠…インド…密室…サイン。こんな事をするのは小説家くらいでしょう?」
鋭い観察眼に、豊富な知識、ムラの無い推理…ほう、と。疑っていたのも忘れて感嘆する。
「すごい…俺の先生だったベル教授みたいだ」
「人間観察が趣味でね」
あの人も彼のように、観察眼が鋭かった。最近会えてないが、元気にしているだろうか…。
「さて、疑いも晴れたところで早々にこの縄をほどいてくれないか。どうやら、この屋敷には私の退屈を紛らわせてくれる、芬々たる事件の香りが満ち満ちているようだ」
*
「ーーーー以上が、最初の殺人が起きた後、あなたを呼んだ執事が殺されるまでにあったことの全てです」
「なるほど…実に興味深い」
説明を終えると、ジェレミーは両手をあわせる。
「まずは死体を拝見しても?彼らは実に雄弁に事実のみを語ってくれる」
「では一緒に地下のワインセラーに」
「ストップ!」
「えっ!?」
鋭いジェレミーの制止の声に、立ち上がりかけていた動きを咄嗟に止める。なんだ?
「死体は一体ずつ別々の部屋に運んでくれたまえ」
「何故です?」
「事件とは、その香りすら手掛かりになるもの。死体を一緒に並べられては、香りが入り混じってしまう。それにワインセラーは特にワインの香りが強い…というワケで伯爵、部屋を3つ貸してくれないか?」
「……いいだろう。お前達、死体を3つの部屋に分けて運べ」
「「「かしこまりました」」」
「ご令嬢、その間に私は着替えさせてもらっても?」
『かまわないわ。着替えは…持ってないわよね』
「お…貴殿には先代の服では小さそうだな。死んだ執事の物を貸そう。僕らが案内する」
伯爵とご令嬢は席を外すと我々に言い残し、ジェレミーをセバスチャンの部屋に案内した。それから再び伯爵達が応接室に戻って数分後、シェフが戻ってきた。
「坊ちゃん、死体の移動が終わりました」
「ん」
「では!」
ぱんっ、と刻みよい音を鳴らして両手を打ち鳴らし、ジェレミーは立ち上がった。
「殺された順番に死体を見せて頂くとしましょうか」
next.
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