もう遅い 「隊長!頼まれてた書類です。」 「あぁ、ご苦労さん。」 マルコに両手で書類を手渡す名前。 ニコッと笑う笑顔が、年齢より幼く見えて可愛いな、だなんて、マルコは頭の隅で考えた。 名前、一番隊の隊員、マルコの部下であり、彼の恋人であった。 彼女はくるっと踵を返して、ドアを開けて廊下に飛び出した。 「それでは、失礼します!」 「あ、おい。コーヒーでも飲んでいけよい。」 名前は顔だけをドアから覗かせて瞬きをし、きょとんとした顔をする。 「いえ、お仕事の邪魔ですから。」 「気を使わなくていい。書類チェックしてるだけだからよい。」 「私用がありますので。」 「私用?」 「ええ、このあと約束を。」 またニコッと笑って、覗かせていた顔はドアの向こうに消え、マルコはその足音が遠ざかっていくのをぼんやり聞いていた。 名前は白ひげ海賊団の中では新人で、エースの少し前にこの船の一員となった。 明るくてノリもいいが、意外と真面目で真っ直ぐで、無理をする場面も多々ある。 名前からマルコに想いを告げ、二人は恋人という関係になったが、真面目な性格からなのか、船の上では恋人らしい雰囲気になることはあまりない。 "上司と部下"のような関係を、名前はしっかりと守っている。 それは名前の長所でもあるが、頑なにその関係を崩そうとしないところを、マルコは少し寂しくも感ていた。 (なんだか俺の方が女々しいみたいで、情けないねい。) モヤモヤした思いを振り払って、あと少しだった仕事を片付けてしまうことに集中する。 どれぐらい時間が経っただろう。 マルコは最後の書類を、積み重なった書類の山の一番上に重ねていた。 深くため息をついてコーヒーカップに手を伸ばすが、中身が空になっていたことに気付いて、カップを手に立ち上がる。 小腹が空いたこともあり、サッチに何か頼もうと思ってキッチンを目指した。 「サッチ。なんか食い物用意してくれねぇかよい。」 「ん?おー、昼の残りならあるけど。」 「あぁ、それでいいよい。」 空は少しオレンジ色に染まっていて、もう時刻は夕方だった。 サッチは夜飯の準備を始めていたようだが、慣れた手つきで、並行してマルコの軽食を用意する。 「あー!かかった!!かかったよ!」 軽食が出てくるのを、マルコがカウンターのイスに腰掛けて待っていると、背後から名前の声が聞こえた。 振り返ると、ユカ、エース、あと二番隊の隊員が三人、どうやら釣りをしているようだ。 (あー、くそ。何イラッとしてんだ。) 私用とはこのことか、とモヤモヤした気持ちが湧き上がるが、「ほらよ」とサッチの声が聞こえて、ホットサンドとコーヒーが、手元に置かれる。 「うわ、お前なんて顔してんだよ。」 その言葉に、マルコは自分があからさまに不機嫌そうな顔をしていたことに気付き、眉間のシワを伸ばす。 「目にゴミが入っただけだよい。」 「マルコちゃん、そんな見え見えの嘘つくなよ。」 "マルコちゃん"と呼ばれたことにイラッとして睨みつけるが、サッチはいつものニヤニヤ顔。 「お前ら、この前の島以来こんな調子だろ?」 「何で知ってんだよい。」 「見りゃ分かる。恋人同士なら、お互いがオンとオフを切り替えてたとしても、雰囲気とか空気なんかはやっぱり感じるもんだ。でもお前らは、ずっとオンって感じだよ。」 可哀想に、と悪そうに笑うサッチに、マルコは苦笑いをこぼした。 他の人間から見てもそうなのか、と思うと、自分の抱いていた感情も少しは許せれるだろうかと、少しホッとする。 実際、一ヶ月程前に寄港した島では、二人きりでゆっくりできる時間もあったが、それっきりずっと今日のような調子だ。 名前は敬語すら崩さない。 「じゃあ仕事に戻るよい。ごちそうさま。」 「あんま無理すんなよー。」 サッチの気遣いに気持ちも少し落ち着き、また空腹も満たされたことで、マルコは少しは穏やかな気持ちで部屋に戻った。 それからまた書類を一山片付けて、マルコが再び食堂に顔を出した頃には、クルー達の殆どが晩飯を食べ終えて、残っている者は談笑していた。 人もまばらな食堂で、サッチに取り置いてもらった自分の分を受け取って、適当に空いてる席に腰を下ろす。 「お邪魔するぜー。」 「おう、お疲れ。」 同じく、一仕事終えたサッチが、マルコの向かいに腰を下ろす。 二人が他愛もない話をしていると、ドタドタと騒がしい足音が二つ。 あっという間に近付いて来て、マルコの後ろを通り過ぎて行った。 「お前のせいだろ!」 「違う!絶対エースのせいよ!」 それは名前とエースの声だった。 その声はお互いを責めあっているが、どうも楽しそうに弾んでいて、子供がじゃれ合っているように聞こえる。 「あぁ!ちょっと!」 「わりぃわりぃ!」 バタン、と何かが倒れる音がして、ケラケラと笑い合う二人の声がしたところでマルコがやっと振り返ると、甲板に倒れ込んでいる名前とエースの姿があった。 どうやら、ふざけているうちにエースが名前を巻き込んで倒れ込んだらしい。 そんなことを冷静に考えている自分が頭の隅にいたが、マルコは本能的に立ち上がってしまう。 「あ、おい!」 背後で慌てたようなサッチの声が聞こえるが、イライラとした黒い感情が先行して、マルコは振り返らずに歩みを進めた。 あっという間に名前の二の腕を掴み、立ち上がらせる。 「あ、ありがとうございます……」 マルコの不機嫌そうな空気を感じ取ったのか、名前は彼の顔色を伺うように礼を言う。 エースが小さく「やべ」と言ったのを、マルコは聞き逃さなかったが、精一杯笑顔を作った。 「ちょっとこいつ借りていいかよい?」 「お、おう。」 名前の二の腕を掴んだまま、マルコは強引に歩き出す。 え、と何度も声を漏らす名前に、エースが小さく「悪ぃ」と呟いたが、それは誰の耳にも届かなかった。 ズカズカと船の廊下を進み、やっと名前の腕を離したのは、マルコの自室に着いてからだった。 「あの……すみません、煩かったでしょうか……」 名前の小さな謝罪が聞こえ、マルコはため息をついた。 こいつはどこまで真面目なんだか。 「なぁ名前、そんな理由で俺がわざわざお前だけを部屋に連れてくると思うかい?」 「え、じゃあ何故……」 振り返って腕組みをし、名前に近づくマルコ。 いつもより威圧感のあるマルコに、名前は思わず仰け反る。 「俺はお前が思ってるほど、心の広い人間じゃねぇ。嫉妬だってするし、好きな女は船の上だろうが抱きたいと思うんだよい。」 「だっ!?」 名前の言葉が遮られたのは、マルコが彼女を突然抱き上げたからだ。 口をパクパクさせる名前をベッドに下ろして、耳元に口を近付ける。 「今更、こんな男だと思ってなかったなんて言っても遅いよい。」 |